2019年08月25日

舞鶴市・白杉弾丸本庫補助施設遺構探索レポ日記

白杉弾薬本庫配置図













舞鶴市の西舞鶴にある「とれとれ市場」から海岸沿いに北上し、白杉地区を過ぎた槇山砲台・金岬砲台へと至る槇山公園への登山道入り口の麓の集落に明治期の陸軍が設置した施設の遺構群が残されています。ここには明治34年に完成した白杉弾丸本庫という舞鶴要塞地帯西部の砲台群(槇山・金岬・建部山等)へ弾薬を供給する施設がありました。舞鶴要塞地帯内には白杉弾丸本庫と下安久弾丸本庫の2ヵ所があり、白杉は西舞鶴側の砲台、下安久は東舞鶴側の砲台へと弾薬を提供していました。
※下安久弾丸本庫は今年の5月に再探索を行い、多数の遺構を確認しました。以下のレポ日記の記事をご覧ください。
舞鶴市・下安久弾丸本庫(再探索)+匂崎演習砲台探索レポ日記
また、今回の探索にあたりkanレポート様のブログ記事を参考にさせていただきました。本文中の各遺構の名称は一部を除きkanレポート様の記事に準拠しています。
なお、kanレポート様の記事では「舞鶴要塞 白杉補助建築物」とされていますが、白杉弾丸本庫が白杉地区の北方谷地に建設されたという情報もあり、当ブログの記事では「白杉弾丸本庫補助施設群」としました。
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白杉地区を過ぎて最初に見える木造建物。これは糧秣支庫ではないかとのこと。
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反対側。基礎は縁石製です。「アジア歴史資料センター」公開資料によれば、明治34年2月に「舞鶴要塞白杉糧秣支庫外3棟敷地買収の件」という資料があります。
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横から。
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窓部分も当時のままの状態で残されているようです。
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糧秣支庫の道を挟んで向かいにある同じ造りの木造建築。砲具庫ではとのこと。
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こちらも保存状態は良好です。前述のアジ歴の資料に従うなら、糧秣支庫と同時に用地買収され建てられたものになります。
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砲具庫背後を流れる用水路は古い石積みと煉瓦が使われています。
12下安久弾薬本庫煉瓦基礎土台










※参考・下安久弾丸本庫弾薬庫。
下安久弾丸本庫の弾薬庫は煉瓦積みの基礎が良好に残されています。白杉弾丸本庫の弾薬庫も同じ造りだとすれば、この用水路にある煉瓦は破壊された遺構の一部かもしれません。
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糧秣支庫の近くにある気になった古いコンクリートの土管状のもの。
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少し北上した箇所にある、現在は民家となっている看守衛舎ではないかとされる建物。基礎は糧秣支庫・砲具庫と同じ石製の縁石。
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更に少し北に進んだ先の空き地の隅にあるコンクリート建造物。看守衛舎の弾薬庫ではと言われています。その奥にも何かありそうなんですが、この弾薬庫も含め蔦や雑草が凄まじく確認できず。冬に再チャレンジですな。
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その弾薬庫の隣の槇山への登山道と隣接する空き地にはコンクリート基礎の建物跡が残されています。
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結構大きいプランになっています。コンクリートの感じから白杉弾丸本庫時代のもので間違いないかと。
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先ほどのコンクリート基礎建物跡からしばらく北上すると海岸側に林があり、その道路側に門柱が1本れています。恐らく白杉弾丸本庫の営門ではないかと思われます。ちなみにこの門柱の奥の林の中を覗くと怪しい平坦地が確認できましたが、立ち入り禁止となっており断念しました。
白杉弾丸本庫の主要部は、集落の西の槇山麓の谷辺りにあったのではと思われ、次回以降の探索の課題といたします。


besan2005 at 12:12│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

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