2019年11月03日

舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

旧海軍特設防空指揮所壕位置図












舞鶴市の旧海軍東山防空指揮所は昭和16年頃に東山山頂に鉄筋コンクリート造2階建ての見張所を備えた防空指揮所が建てられたのが始まりですが、昭和18年末から昭和19年にかけて東山の地下に巨大な地下壕が建設されました。これは空襲の危険性を回避するために計画されたもので、内部は指揮室・作戦室・電信室・電話交換室やさらには鎮守府長官室・参謀室なども設けられ、寝室や食堂も備えられていました。コンクリートの壕は爆弾の直撃にも耐え、更には毒ガス攻撃に備えて空調も完備しており、鎮守府機能を丸ごとこの東山の防空指揮所壕に移転する予定だったようです。

戦後、占領軍が爆破作業を行いましたが、余りに頑丈なため断念。そのため現在も多くが残される形となりました。
現在は落盤の恐れがあるため普段は立ち入り禁止ですが、今回、日本遺産WEEKの一環として見学会が企画。またとない機会なので応募して本日参加してきました。
1旧海軍東山特設防空指揮所壕遠景










東山遠景。この山の地下に巨大な地下壕の遺構が残されています。
1東山特設防空指揮所壕スタート










まずは東山山頂まで登っていきます。
2麓の地下壕入り口










ゲートのすぐそばにほとんど埋もれたコンクリート造の地下壕入り口を発見。
3麓の地下壕入り口近景










僅かな隙間を照らしてみました。どうやら土砂は入り込んでいますが地下壕の躯体自体は無事のようです。
4東山山頂










東山山頂。かつては2階建ての防空指揮所の建物がありましたが、戦後の前島ふ頭建設のための埋め立て工事による土砂採取で山頂が削られてしまい消失しました。
5地下壕入り口遠景










今回の地下壕への入り口は山頂からしばらく下った先にあります。
6地下壕入り口










地下壕入り口。意外なことに開口部は岩盤の素掘りでした。
7地下壕素掘り部分










入口からしばらく素掘りの状態が続きます。支保工も無い本当に素掘りの状態。落盤が怖い。
8地下壕コンクリート造部分










しばらく進むとコンクリートで巻いた状態に。
9地下壕コンクリート造部分










入口付近が素掘りなのは工期と予算の関係でしょうか。
10地下ドーム










通路を抜けるとドーム型の巨大な空間に出ます。
11地下ドーム奥壁から










反対側からの撮影。参加者との対比で大きさが分かりますでしょうか。
旧海軍東山特設防空指揮所壕内部配置図








案内の方が見せてくれた当時の内部の各部屋の配置図。この巨大なドームの内部には2階建ての木造建築が建てられており、1階に送信機室・電話交換室・砲台指揮室・情報室・先任伍長室があり、2階は長官室・参謀室・作戦室・暗号室・電信室があり、さらには生活空間としての食堂や寝室があったようです。2階の作戦室には大きな日本地図が壁に掛けられ、電球の点滅で敵機の来襲を知らしていたとのこと。
東山防空指揮所壕には軍人77人と軍属135人が働いていましたが、それだけでなく女子挺身隊の女学生も働いていました。その女学生は京都などから呼ばれた良家の子女だったらしく、やはり親のコネで安全で快適な部署に配置させてもらったのでしょうね。まるでジャブロー・・・
12コンクリート配管










コンクリート製の配管が残されていました。
12コンクリート配管2













用途の方は不明です。

戦後に占領軍が木造建物を解体し焼却したため、堅牢なコンクリートのドームだけ残された形となりました。現在も焼け焦げた木材があちこちに点在していました。
このドーム内からはいくつか開口部があります。上記の配置図に番号を追記しました。
13非常口










“鷯鏝。今回進入した箇所とこの開口部は当時は非常口であり、正規の入り口の通路は反対の壁側にありました。こちらは奥が崩落し進めません。
14碍子










非常口上部の碍子。
13扉部分の金属と鉄筋













扉部分。扉の基部の鉄やコンクリートの鉄筋はずっと地下の湿った環境に74年間も晒されていたにもかかわらずほとんど劣化していません。
15発電機室への入り口










発電機室への開口部。本来ならこの奥に発電機室の広い空間があるはずですが、残念ながら崩落により塞がれています。
16開口部










G枌嵜泙砲鷲舛れていない開口部。どこに通じているかは不明。こちらは入り口まで塞がれています。
17二階との通路か










2階部分から通じていたと思われる開口部。本来はこの下に正規の入り口へと通じる開口部があったはずですが、2階部分まで大量の土砂で埋もれてしまい開口部すら確認不可能です。
18ガラス片










残された遺物は大変少なく、このガラス瓶の破片を見つけた程度です。終戦後にあらかた片づけたのでしょうか。
IMG_4762










74年もの間地下に放置されたコンクリートの地下壕は染み出した地下水がコンクリートを溶かし鍾乳石のように床面に柱状のコンクリートが出来てました。舞鶴市内の戦時中のコンクリート地下壕ではこのような状態の物は見たことありません。他の地下壕は割と風通しがあったり地下水の染み込みが少なかったからでしょうか。

旧海軍東山防空指揮所壕の見学会は今回でまだ3回目。実際に見学した人はまだ100人にも満たないのではと思います。普段見学できない旧軍遺構を実際に見ることができたのは貴重な体験となり得ました。来年機会があったら是非もう一度参加したいです。





besan2005 at 20:19│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新のお客様のご意見