2019年11月04日

舞鶴市・旧海軍水交社社営住宅群と海光会建物(推定)探索レポ日記

水交社社営住宅位置図









舞鶴市・東舞鶴の浜地区航空写真を眺めていて同じ規格の建物が同じ向きに整然と並んでいるのを発見。官舎ではと思い調べてみました。
無題2







国土地理院HPより米軍撮影の航空写真。同場所に整然と並ぶ建物群。
水交社住宅配置図










昭和11年の「新舞鶴市街図」を見てみると、「水交社社営住宅」となっています。
水交社は旧海軍の将校向けの親睦団体で、福利厚生なども行っていましたが、住宅の供給もしていたのは知りませんでした。
アジア歴史資料センターの昭和3年の資料によれば
「機関学校常設と共に益々住宅難となり、水交社を経営主体として京都府より資金を借り入れ尉官向けの住宅を建設する」とあります。
舞鶴の海軍将校向けの官舎は所謂「官舎山」の麓に明治32年から35年にかけて造られました。
舞鶴市浜地区・旧海軍官舎群
しかしそれだけでは足りなくなったようです。
現在5棟の住宅が残されているのを確認しました。
11住宅群










現在の旧水交社社営住宅群。昭和11年の市街図によれば手前左が住宅九。手前右が住宅一二。左奥が住宅八。右奥が住宅一一。その他に住宅九の西側に住宅三があります。
7住宅九










住宅九。当時の塀が残されており一番オリジナルを保っています。
IMG_4689










正門部分。現在は空き家になっています。
10住宅一二










住宅一二。塀はブロック塀となってますが、主屋は当時のものです。
9住宅一一










住宅一一。こちらも塀と門は建て替えられてますが、主屋は当時のもの。
8住宅九










主屋部分。
住宅八






住宅八。(迂闊にも写真を取り忘れていたので、Googleのストリートビューより拝借。後日差し替えます。)
6住宅三










住宅三。手前に新たに建物が建っており主屋が見難いですが、航空写真で確認することができます。
これら水交社社営住宅群はアジア歴史資料センターの資料と昭和11年の市街図より、昭和4年頃から昭和10年頃にかけて建てられたものと思われます。

この水交社社営住宅群から南西の位置に舞鶴東遺族会館という建物があります。
1海光会正面










舞鶴東遺族会館の正面。
2海光会妻部













妻部には鎧窓と装飾のある破風があり、古さを感じます。
3海光会側面










舞鶴東遺族会館全景。
4海光会背部










舞鶴東遺族会館背面。モルタル塗されてない壁面は板張りの古風な感じ。
内部は和室となっています。
5海光会基礎部










基礎のコンクリートは川砂利の古いもの。
5海光会塀










正面のブロック塀には舞鶴市の市章があります。これは昭和19年に制定されたものです。
ただしこのブロック塀は戦後の可能性があります。
昭和11年の市街図には「海光会」という建物となっています。アジア歴史資料センターの資料「海光会設立の件」によれば、海軍判任文官の親睦団体だったようです。
この建物が海光会の建物であったかどうかは断定できませんが、建物や基礎のコンクリートの感じから戦前の建物の可能性があります。引き続き調査を続行していきます。




besan2005 at 20:05│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

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