2019年11月17日

鈴鹿海軍工廠関分工場遺構群探索レポ日記(地上遺構編)

鈴鹿海軍工廠関分工場遺構配置図2












戦争末期の昭和20年になると空襲も激しくなり、同年1月に鈴鹿市にあった鈴鹿海軍工廠は工場機能のいくつかを疎開させることが決定。疎開先の5か所が選定されそれぞれ工事が開始されました。うち岐阜県高山市の高山分工場と三重県亀山市関町の関分工場は山の麓に横穴を掘って作られた地下工場でした。
しかし、関分工場は一部のみ稼働。高山分工場は地上の仮工場のみ稼働し地下工場は未完成で終わりました。

※鈴鹿海軍工廠遺構群探索レポ日記
※鈴鹿海軍工廠高山地下工場・地下壕探索レポ日記

今回は三重県亀山市にある関分工場の遺構群を探索してきました。
地下工場編のレポ日記はこちら。
※鈴鹿海軍工廠関分工場遺構群探索レポ日記(地下工場編)
44地下壕3入口










関分工場と言えば観音山麓の地下壕が有名ですが、実は地上にもいくつか遺構が残されています。まぁ、ずっとモグラみたいに過ごすわけもいかないわけですしね。なのでレポ日記は地上遺構編と地下壕編の2つに分け、今回は地上遺構編としていきます。

なお、今回の探索にあたっていつもお世話になっている藎忠報國様(ブログ・大日本者神國也)からの情報と提供された資料を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
鈴鹿海軍工廠関分工場遺構配置図2












なお文中の各遺構の番号は作成した位置図に従っております。

1第四寄宿舎遠景










´第四寄宿舎。寄宿舎ということは動員学徒が生活していた建物でしょうか。横長の長屋のような建物が2棟残されています。
2第四寄宿舎










奥の建物(番号)は昭和21年の航空写真を見る限り、規模・位置とも当時のままと思われます。
3第四寄宿舎










別角度から。
4第四寄宿舎










右奥側は当時の外観を良く残しているようです。しかし言っちゃ悪いですが粗末なつくりですね。戦争末期だから仕方ないとはいえ。
5第四寄宿舎










手前側の短い棟(番号)ですが、昭和21年の航空写真にはその場所には建物が存在していませんが、建物の造りが酷似しているので、恐らくどこかの工員宿舎を切り詰めて移築したものと思われます。 
6第四寄宿舎井戸か










寄宿舎の建物の前には井戸がありました。コンクリートの感じから当時のものと思われます。

12第八工員宿舎遠景










ぢ菷工員宿舎。こちらも現存している建物でしたが・・・訪れた時はフェンスが。なんと取り壊し中。
13第八工員宿舎










手前の工員宿舎(番号)は昭和21年の航空写真を見ると位置は当時のままのようですが切り詰められ短くなっています。
奥の建物(番号)は航空写真にはその位置に建物はなく、第四寄宿舎の手前の建物()と同様別の宿舎の建物を移築してきたものと思われます。
15第八工員宿舎










移築されたと思われる宿舎建物()。
14第八工員宿舎近景










アップ。
16第八工員宿舎










別角度から。どうも火事を起こし一部が焼失したようで梁や柱が焼け焦げていました。老朽化もあり取り壊されることになったのでしょう。
IMG_4820










積み上げられた廃材…。
17第八工員宿舎井戸










工員宿舎のそばには井戸がありました。
18第八工員宿舎井戸










ポンプは当時のもののようです。
19第八工員宿舎ベタ基礎










これは当時の宿舎のベタ基礎でしょうか。

7移築官舎か










先ほどの第八工員宿舎から西へ進むと見える古い木造建物(番号)。
昭和21年の航空写真にはこの場所に建物は存在していませんが、一般の住宅とは違うように見えるどうも気になる作り。いわば「カタギの建物じゃない」建物といった感じでしょうか。
8移築官舎か










右側から。
9移築官舎か










左側から。
10移築官舎か










側面。これまで鈴鹿海軍工廠や舞鶴市の朝来第三火薬廠・宮津市の第三十一海軍航空廠など色々な官舎・宿舎を見てきましたが、それによく似た感じなんですよねぇ。切妻屋根の玄関・寄棟屋根・庭側に作られた庇など。ちなみにここから真っ直ぐ上った突き当りに関分工場の診療所があったようです。
決定的な裏付け資料がないので断定できませんが、移築されてきた建物ではという可能性も考えて紹介。
11移築宿舎か










先ほどの建物Гら登った先に移築されてきた可能性のある建物┃があります。規模的に工員宿舎の長屋にも見えるんですよね。あくまで可能性として紹介。
20移築事務所か










さらに西へ進み、関神社御旅所の隣に古い木造建物(番号)があります。
21移築事務所か










番号の建物東面は当時と思われる外観が良く残されていますが
22移築事務所か










西面は大破しており廃屋となってます。
23移築建物か










奥にある番号の建物。
この辺りには事務所建物があったようで位置的にはこの建物とだいたい同じ個所にあったようですが、建物の向きと規模が異なります。全くの推測ですが、事務所建物を再利用し民家として使用していたのでは。
27事務所基礎か










建物の西側の空き地には当時の事務所の基礎の一部と思われるコンクリートがあります。
25浴場跡










番号の建物の北側には浴場跡(番号)があります。
24浴場跡










別角度から。
26浴場跡小便器










傍らには小便器も残されていました。そういえばトイレっぽい間仕切りのある一画もありました。
この周辺には炊事場や浄水場もあったようですが、雑草に覆われまくり確認不可でした。この浴場跡だけ雑草が無く、遺構という認識で手入れされているのかも。だとするとありがたいですが。

28取水塔遠景










国道25号線を渡り、焼肉びっくりや(結構有名な店らしい)の裏手の川の中に円筒形のコンクリート構造物があります。これは関分工場時代の取水口(番号)とのこと。
29取水塔










望遠でアップ写真を撮影。この背後にポンプ場があったようです。

30鍛錬工場跡










観音山公園へ向かい、テニスコートへ。その背後に整地した平坦地があります。ここは鍛錬工場(番号)があった場所。
31鍛錬工場コンクリート基礎










わずかに基礎と思われるコンクリートの構造物が残されています。
32汽缶場跡煙突











その隣には汽缶場(番号)があり、煙突(番号)が残されています。
33汽缶場跡煙突










正面から
34汽缶場跡コンクリート基礎










汽缶場の基礎と思われるコンクリート構造物。
IMG_4910













煙突の手前には長方形の大きな穴があります。これも汽缶場の遺構と思われますが、何せ周りが草に覆われていて分かりづらく足を踏み外す可能性があるので注意!
35汽缶場跡煙突










汽缶場の番号の煙突の上にも煙突の遺構(番号)があります。
36汽缶場跡煙突










正面より。耐火煉瓦らしき煉瓦で作られています。
37汽缶場跡煙突土管










付近には陶製の土管の破片が散乱しています。恐らく常滑焼。
39貯水槽跡










汽缶場跡から東に道を進んだ先の崖の上の公園に貯水槽跡(番号)があります。頑丈なコンクリート製たものと思われますが破壊され一部のみ残されています。恐らく公園整備の際に危険なので破壊したのでしょう。
40地下壕群遠景










汽缶場と貯水槽との間に交差点がありますが、その交差点の北に向かう道の両側の崖面に地下工場として掘られた地下壕が複数(管理人は11本確認。どうやら14本あるらしい)存在しています。
41地下壕1










交差点角の公園に一番近い側にある地下壕 残念ながらこの地下壕は道側まで厳重に柵がされており、入り口にすら近寄れませんでした。
42地下壕2入口










43地下壕2内部










しかしそれ以外の地下壕は(一部を除き)入口まで近寄ることができ、柵がされていたので入口からのみでしたが内部を観察することができました。次回は地下壕編として鈴鹿海軍工廠関分工場地下工場の地下壕を紹介していこうと思います。



besan2005 at 21:10│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 三重県 | 旧軍遺構

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