2020年05月06日
舞鶴海軍刑務所遺構探索レポ日記
舞鶴市・東舞鶴市街から国道27号線を東へ少し進んだ交差点を右折し志楽川を渡って少し進むと行き止まりになり目の前に特別養護老人ホームが現れます。この特別養護老人ホームの敷地はかつて舞鶴海軍刑務所でした。
アジア歴史資料センター公開の資料によると、昭和16年11月1日付の舞鶴海軍刑務所設置のための海軍監獄官制中を改正する資料があり、舞鶴海軍刑務所はそれ以降に設置されたものと思われます。
建物は早いうちに失われたようですが、老人ホームが建つ前まではこの場所にはかつての舞鶴海軍刑務所の巨大なコンクリート造の正門と高い塀が存在し、敷地を取り囲んでいました。写真は25年ほど前に出版された資料に載せられたかつての舞鶴海軍刑務所の正門です。(出典・つむぎ出版『京都の「戦争遺跡」をめぐる』1995年)。
老人ホームの建設の際に正門と塀は撤去され現在は失われていますが、敷地の周囲には区画の用水路と境界杭、また正門跡に当時のスロープが残されています。
舞鶴海軍刑務所の正門跡前に残るスロープ。
かつての舞鶴海軍刑務所の敷地を取り囲むコンクリート製の当時の区画溝。
その区画溝の外側には「海境」の文字がある海軍の境界杭が今でも立っています。
今回確認したのは4本のみでしたが、他にも現存している可能性はあります。
アジア歴史資料センター公開の資料によると、昭和16年11月1日付の舞鶴海軍刑務所設置のための海軍監獄官制中を改正する資料があり、舞鶴海軍刑務所はそれ以降に設置されたものと思われます。
建物は早いうちに失われたようですが、老人ホームが建つ前まではこの場所にはかつての舞鶴海軍刑務所の巨大なコンクリート造の正門と高い塀が存在し、敷地を取り囲んでいました。写真は25年ほど前に出版された資料に載せられたかつての舞鶴海軍刑務所の正門です。(出典・つむぎ出版『京都の「戦争遺跡」をめぐる』1995年)。
老人ホームの建設の際に正門と塀は撤去され現在は失われていますが、敷地の周囲には区画の用水路と境界杭、また正門跡に当時のスロープが残されています。
舞鶴海軍刑務所の正門跡前に残るスロープ。
かつての舞鶴海軍刑務所の敷地を取り囲むコンクリート製の当時の区画溝。
その区画溝の外側には「海境」の文字がある海軍の境界杭が今でも立っています。
今回確認したのは4本のみでしたが、他にも現存している可能性はあります。