2020年05月06日

歩兵第七十連隊・篠山陸軍病院・篠山陸軍墓地探索レポ日記

兵庫県篠山市には「丹波の山鬼」と称された陸軍歩兵第七十連隊が駐屯していました。現在、篠山市内には第七十連隊の他に多数の旧陸軍の遺構が残されています。今回は第七十連隊・篠山陸軍病院・篠山陸軍墓地の遺構を探索してきました。
篠山連隊・篠山陸軍病院配置図









歩兵第七十連隊及び篠山陸軍病院の遺構配置図。今回もツイッターでいつもお世話になっています盡忠報國様の記事を参考にさせて頂きました。篠山の旧軍遺構については盡忠報國様のブログ記事がかなり詳しいので、より詳細に知りたい方はそちらを参考にされるといいと思います。

まずは陸軍歩兵第七十連隊。
歩兵第七十連隊は明治40年に編成。当初は第4師団隷下の連隊でした。
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当時の絵葉書の正門。歩兵第七十連隊は連隊の裏山を利用した苛烈な山岳戦の演習を行い、その勇猛ぶりは「丹波の山鬼」と呼ばれました。昭和12年から満州へと派遣され昭和15年に第25師団の隷下へと変更。昭和20年4月に九州で本土防衛の任に就くまで、大陸の各所で戦い抜きました。
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歩兵第七十連隊は篠山城を利用した演習も行い、攻城戦の演習や
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外堀を利用した渡河演習を行っている絵葉書が残されています。

※参考・昭和4年、篠山歩兵第七十連隊軍旗祭の様子。

戦後、歩兵第七十連隊の敷地は篠山産業高校と工場の敷地となっています。
戦後は兵舎等ほとんどの建物が取り壊されましたが、外周を中心にいくつかの遺構と建物が残されています。
9七十連隊正門










歩兵第七十連隊正門。手前の石敷きも当時の物。
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当時の姿を撮影した絵葉書。
9正門













門柱のアップ。
10土留め










正門の西側にある土塁の土留め。
11将校集会所門










敷地東側にある将校集会所の通用門。奥には中庭に置かれていた円卓と椅子が残されているそうですが、工場敷地内のため見れません。工場内に入るには許可が必要。
12東門










東門。コンクリート造なので昭和期のものかもしれません。
13炊事場










現在の工場の北側敷地には当時の煉瓦造の建物が2棟残されています。こちらは炊事場とのこと。
14煉瓦建物










奥に見える煉瓦建物。当時の物ではありますが詳細不明とのこと。
この写真は高校側のグラウンドの隅から望遠で撮影。実は敷地外から何とか撮影できないかとウロウロしていたら、ちょうどグラウンドで野球の練習をしていた生徒とコーチらしき人が見ていて、思い切って事情を説明したら、グラウンドの端のこの位置からならいいですよと言われ有難く入らせてもらいました。ありがとうございました。

15篠山陸軍病院正門










歩兵第七十連隊の北端の一角は篠山陸軍病院でした。歩兵第七十連隊と同時期に開設された病院でしたが、戦後敷地は工場となり現在は正門他の僅かな遺構しか残されていません。こちらは篠山陸軍病院の正門。
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正門の側に気になる建物がありました。新しくも見えますがプラン的にもしかしたらと撮影。
改装されている可能性もありますので。戦後すぐ撮影の航空写真で確認しましたが、あるような無いような…
16燃料庫か










篠山陸軍病院跡の敷地の端に気になるコンクリート建築がありました。
17燃料庫か










雰囲気的には当時の建物のように見えます。弾薬庫とは思えないので燃料庫だったかもしれません。

続いて歩兵第七十連隊から離れた篠山城の東にある篠山陸軍墓地へ。
1篠山陸軍墓地忠魂碑













駐車場に建てられている忠魂碑。
2篠山陸軍墓地忠魂碑













元々は篠山城天守に大正4年に建てられたものですが、戦後にGHQによる破壊を恐れ天守台下に埋没。昭和26年に再び掘り出され現在地に再建されました。揮毫は河村景明大将。
3篠山陸軍墓地門柱










篠山陸軍墓地正門。当初の参道の正門で木製の扉が一部残されています。
5境界杭










周囲にはいくつもの「陸軍用地」の境界杭が点在しています。
6境界杭













そのうちの1本。
7篠山陸軍墓地










先ほどの正門を潜り参道を上がっていくと下士官兵の墓地に到達します。陸軍墓地の中では状態はいい方だと思いますが、倒れた竹がそのままになっていたりと手厚い管理は余りされていないのかも。もしくは年1回か2回の管理程度とか。
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別角度。ここより高い位置に将校の墓があるようですが、今回失念してしまいました。
4遺芳殿










昭和18年、忠霊殿である遺芳殿が建てられました。その際に周辺も整備され、この石段もその時に造られたものです。この時に正式な参道が当初の正門からこのまっすぐ伸びる石段に改められられたと思われます。
4遺芳館










遺芳殿。戦後に忠霊殿から遺芳殿と改称し、現在も遺骨が納められています。
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遺芳殿から見下ろした様子。段状に整地されています。もしかしたらこの場所にもかつては将兵の墓があったようにも思えます。
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忠魂碑のある駐車場の下にある篠山遺族会館。和風の建物で古い建物をリニューアルしたものかと思いましたが、昭和61年に建てられたものです。館内には歩兵第七十連隊の軍旗の一部と軍旗日誌が収められています。



besan2005 at 12:43│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 兵庫県 | 旧軍遺構

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