2020年05月17日
亀岡市内の近代化遺産探索レポ日記
亀岡市の近代建築と言えば旧田中源太郎邸だった明治31年築のがんこ楽々荘が有名ですが、
※がんこ楽々荘訪問日記
その他にも市内にはいくつかの近代化遺産が残されています。今回それらを紹介していきたいと思います。まずは郊外から。
旧佐伯郵便局。稗田野町。京都府近代化遺産調査報告書によれば昭和初期とのこと。
どこか懐かしさを感じる木造建築。
旧保津郵便局。保津町。京都府近代化遺産調査報告書によれば明治期となっています。
北から。
南から。主屋は和風建築で手前の営業所部分が洋風になっています。
正面アップ。屋根瓦には今も郵便マークのある鬼瓦があります。入り口には「旧郵便局」の解説板があり、地域の歴史遺産として認識されているようです。是非活用して欲しいところ。
玄関上部のガラス窓には「保津郵便局」の文字が今でもあります。
旧旭小学校。旭町。京都府近代化遺産調査報告書によれば明治39年築。
建物自体の外観は大きく改装されていますが、玄関部分は当時のまま残されています。玄関はまるで武家屋敷のような佇まい。
屋根には桜に同の紋章のある鬼瓦が。
玄関脇には「學」の字入りの鬼瓦が置かれています。
玄関の天井は立派な格天井。
入口には当時の正門も残されています。旧旭小学校は現在は旭町自治会館として使用されています。
昔記事にした東別院町の煉瓦蔵。大正期頃。亀岡市の奥の奥に存在する立派な高石垣のお屋敷跡。
以前、この記事にお祖父さんが住んでいたとコメントがありました。かつては銀行業務もやっていたとか。現在は住んではおられず当時の建物も煉瓦蔵しかありませんが、かつては相当大きなお屋敷があったと思われます。
大谷鉱山鉱山長官舎。稗田野町鹿谷。大谷鉱山は大正3年にタングステン鉱山として操業開始。軍需材料としての需要もあり終戦まで操業され大いに賑わっていたようです。戦後一時休鉱しましたが昭和26年再開。昭和58年に廃鉱になるまで操業しました。この建物はその大谷鉱山の鉱山長の官舎だった建物。デザイン的に戦前の物と思われもしかすると創業時の大正期の建築かもしれません。
玄関脇の出窓は当初からのもの。中々オシャレ。空き家だった当時に見に来たことがありますが、この出窓から部屋を覗くと戦前らしき鉱山関連の本がたくさん置かれていました。現在は個人の方が買い取り面影を残した感じでリフォームされ住宅にされています。貴重な建物が大切に使用されているのは嬉しいです。
旧吉川小学校奉安殿。吉川町。吉川自治会館の側に移築されています。戦後多くが壊された奉安殿がこうして残されているのは貴重。
ここからは市街地へ。
旧旅籠郵便局。旅籠町。京都府近代化遺産調査報告書によれば明治22年築とのこと。大きく改装されていますが、2階窓の鎧戸に面影を残します。ちなみに隣に付属する平屋の建物はかつての丹波亀山城の城門でした。
天理教亀岡大教会。横町。大きな和風建築で大正から昭和初期くらいはありそうです。天理教の各支部の建物は結構立派な近代和風建築として現存している例が多いです。
横町文化住宅群。横町。昭和初期。
和風の主屋に洋館が付属する典型的な文化住宅です。この住宅は2棟続きとなっています。現在も個人宅。
すぐ隣にある文化住宅。
こちらは1階が洋風。2階が和風になっています。現在は学習塾。
愛善みずほ会。北古世町。大規模な木造建築。戦後かもしれませんが気になってた建物なので取り上げました。
背面は割と戦前の雰囲気あります。 側面の円窓も。
玄関部分。
扉が開いてたのでちょっと失礼しました。玄関ホールも雰囲気あります。現在は大本教関連の施設として使用されているようです。
亀岡市にはかつてはこれ以上に多くの近代建築が存在しましたが、失われていった建物も数多くあります。ここからは過去に撮影したそれらを紹介します。
亀岡駅。昭和11年。今となっては懐かしい駅舎です。
亀岡市森林組合。横町。昭和3年。市内でも珍しい洋館の事務所ビルでした。
取り壊し直前に一度中を見たことがあります。
1階事務室。当時の面影がそのまま残されていました。
階段も当時のままでした。失われた今、2階も見ておけば良かったと後悔しています。
旧亀岡郵便局。北町。どことなく和風の雰囲気のある木造建築でした。
現在は脇の袖壁だけ残されています。
大道金物店。横町。近年まであった看板建築でした。
山金楼。新町。大正期。カフェーの面影を残す元料理屋の建物で、かつては池のある中庭があったそうです。取り壊され駐車場になって久しくなりました。
旧菱田邸(理想郷社)。横町。大正11年。
取り壊し中の旧菱田邸。亀岡市を代表する戦前の洋風住宅も姿を消して随分経ちました。