2021年05月15日
岐阜市の近代建築探索レポ日記
今年の1月9日と1月10日に岐阜県の岐阜市と大垣市の近代建築を探索してきました。
今回は初日の岐阜市の近代建築。岐阜駅に到着して、まずは駅の南側を探索。

N邸。加納上本町。昭和初期頃?
事前の下調べで参考にしたサイトには無かった偶然見つけた物件。元医院ぽい雰囲気でした。

H邸。加納永井町。昭和初期頃? 洋館付き住宅。

N邸。加納村松町。大正〜昭和初期頃? こちらも洋館付き住宅。
再び駅方面へ。


H邸。洋館付き住宅。大正〜昭和初期頃? 雲井町1丁目。

洋館部分は応接室だったんでしょうね。

K邸。月丘町3丁目。大正期頃?

こちらは立派な洋館がありました。

T邸。花沢町3丁目。大正〜昭和初期頃?

事前の下調べで参考にしたいくつかの近代建築のサイトにはどこも掲載されておらず、
この界隈を探索していて偶然見つけた物件。中々の発見でした。

現在は個人宅ですが、元々は事務所だったようにも思えます。

戦前の工場棟? 瑞雲町2丁目。

今は使われていないようです。

T邸。瑞雲町3丁目。大正〜昭和初期頃?
この辺りは洋館付き住宅が多く残ってます。

洋館付き住宅。瑞雲町2丁目。大正〜昭和初期頃?

小さいながらもちゃんと洋館部分が造られています。無表札。

洋館付き住宅。月丘町2丁目。昭和初期頃?

中々モダンな住宅。表札は分かりませんでした。
西へと向かい、市街地の中心部へ。

てつめいギャラリー。徹明町。昭和12年。

旧岐阜貯蓄銀行の建物で、銀行建築を多く手掛けた西村好時の設計。

内部を見たかったけど、勝手に入るなみたいなことが入り口にあり、断念(´・ω・`)

旧岐阜県庁舎。司町。大正13年。

清水正喜の設計。保存されてますが、入れませんでした。

旧青木医院。大工町。昭和6年。

白亜の洋館がかつての医院部分。

中々素敵な洋館です。

戦前の事務所建築。西材木町。昭和初期頃?

スクラッチタイル張りの洋館で、丸窓もあります。

丸窓部分。

銅板張りの倉庫。今町1丁目。大正〜昭和初期頃?

藤華。湊町。大正〜昭和初期頃? 中々華やかな装飾のある看板建築。
ここから長良川を渡って北方面へ。

元診療所の建物か。若竹町2丁目。大正〜昭和初期頃?

こちらも事前情報はなく、偶然見つけた建物。

玄関部分にある「日本医師會會員」のプレート。規模的に診療所かなと思いました。
現在は空き家。

旧久保田外科医院。長良福光。昭和6年。

スパニッシュ風の中々オシャレな洋館です。

正面。

玄関部分。らせん状の柱が良いですね。

丸窓の装飾も優雅でシャレてます。
この旧久保田外科医院が本日の探索の最北端。なので、再び南下します。

忠節用水第二樋門。御手洗。昭和8年。

事前の情報が無きゃ間違いなくスルーしてました。

水の資料館。鏡石。昭和5年。元は鏡石水源地のポンプ室。

残念ながら休館中で、岐阜護国神社の境内からの撮影のみ。

名和昆虫研究所昆虫記念館。大宮町2丁目。明治40年。

かの武田五一の設計。現存する武田五一の作品の中でも最古クラス。
中々素晴らしい洋館ですが、屋根窓がやたらデカくて重そうに見えます。

名和昆虫博物館。大宮町2丁目。大正8年。

先ほどの名和昆虫研究所昆虫記念館の隣に建つ博物館。こちらも武田五一の設計。
明治・大正期の武田五一の作品が並んだ形で見れるのはここだけかも。

建物の前にモフモフの猫がいました。

旧岐阜県洋服会館。米屋町。明治後期。

紹介されているサイトでは明治後期とありますが、綺麗に改装されていて古さを感じません。
今はどこかの会社の事務所になっているっぽい?

旧日下部合資会社事務所。米屋町。大正2年。

優美な洋館で、かつてこの場所にあった日下部久太郎邸の敷地内に建つ、事務所兼応接の洋館とか。
かつては左側のマンション部分に邸宅があったようです。

玄関から内部を撮影。内部も当時の姿がそのまま残されています。
何か良い活用法があればいいのですが。

和洋折衷住宅。上竹町。大正〜昭和初期頃? こちらも偶然見つけた物件。

和洋折衷というか、和館と洋館を無理矢理組み込んで一緒にした変わった住宅。

側面は出窓付きの洋風デザイン。

中々のお屋敷ですが、現在空き家のようで2階部分のベランダの手すりが崩壊しかかってます。
あまり長くは持たなそう・・・
岐阜市の近代建築は以上です。ここからはその他の気になった物件などなど。

岐阜城の復興天守。今回は時間がなく行けなかった。代わりに御城印のみ確保。

正法寺大仏殿。いわゆる岐阜大仏。大仏殿は江戸時代の寛政12年。
大仏はそれから32年後の天保3年に完成。

岐阜市では有名な寺院ですが、今回の主旨とは別なので外観のみ撮影。
さて、せっかくなので岐阜市内でも有名なお店で食おうと向かったのがこちら。

丸デブ総本店。地元では有名なラーメン店で、元々は大正6年創業の中華料理店。
めちゃ老舗の店で、有名店らしく店の前には行列が。

しかし回転は速く割とすぐに入店。メニューは中華そばとワンタンのみ。
というわけで、中華そばネギ多めを注文。届いたのは丼なみなみスープの1杯。
スープは蕎麦かうどんの汁に近い感じで優しい味。美味しくいただきました。
次回は2日目の大垣市の近代建築探索の記事となります。
今回は初日の岐阜市の近代建築。岐阜駅に到着して、まずは駅の南側を探索。

N邸。加納上本町。昭和初期頃?
事前の下調べで参考にしたサイトには無かった偶然見つけた物件。元医院ぽい雰囲気でした。

H邸。加納永井町。昭和初期頃? 洋館付き住宅。

N邸。加納村松町。大正〜昭和初期頃? こちらも洋館付き住宅。
再び駅方面へ。

旧遊郭の建物? 加納水野町。昭和初期頃?
この辺りはかつて金津遊郭があったようで、今でも歓楽街の名残が残ってます。こういう感じの建物、京都市の五条楽園や大和郡山市の東岡遊郭で見かけましたね。軒周りには凝った装飾があります。

洋風看板建築。 元町3丁目。大正〜昭和初期頃?

現在は商店としては使われていないようです。
次は東へと向かい、戦前の住宅街だったと思われる場所へ。

洋館付き住宅。東栄町1丁目。大正〜昭和初期頃? 小規模な洋館付き住宅。
この辺りはかつて金津遊郭があったようで、今でも歓楽街の名残が残ってます。こういう感じの建物、京都市の五条楽園や大和郡山市の東岡遊郭で見かけましたね。軒周りには凝った装飾があります。

洋風看板建築。 元町3丁目。大正〜昭和初期頃?

現在は商店としては使われていないようです。
次は東へと向かい、戦前の住宅街だったと思われる場所へ。

洋館付き住宅。東栄町1丁目。大正〜昭和初期頃? 小規模な洋館付き住宅。

H邸。洋館付き住宅。大正〜昭和初期頃? 雲井町1丁目。

洋館部分は応接室だったんでしょうね。

K邸。月丘町3丁目。大正期頃?

こちらは立派な洋館がありました。

T邸。花沢町3丁目。大正〜昭和初期頃?

事前の下調べで参考にしたいくつかの近代建築のサイトにはどこも掲載されておらず、
この界隈を探索していて偶然見つけた物件。中々の発見でした。

現在は個人宅ですが、元々は事務所だったようにも思えます。

戦前の工場棟? 瑞雲町2丁目。

今は使われていないようです。

T邸。瑞雲町3丁目。大正〜昭和初期頃?
この辺りは洋館付き住宅が多く残ってます。

洋館付き住宅。瑞雲町2丁目。大正〜昭和初期頃?

小さいながらもちゃんと洋館部分が造られています。無表札。

洋館付き住宅。月丘町2丁目。昭和初期頃?

中々モダンな住宅。表札は分かりませんでした。
西へと向かい、市街地の中心部へ。

てつめいギャラリー。徹明町。昭和12年。

旧岐阜貯蓄銀行の建物で、銀行建築を多く手掛けた西村好時の設計。

内部を見たかったけど、勝手に入るなみたいなことが入り口にあり、断念(´・ω・`)

旧岐阜県庁舎。司町。大正13年。

清水正喜の設計。保存されてますが、入れませんでした。

旧青木医院。大工町。昭和6年。

白亜の洋館がかつての医院部分。

中々素敵な洋館です。

戦前の事務所建築。西材木町。昭和初期頃?

スクラッチタイル張りの洋館で、丸窓もあります。

丸窓部分。

銅板張りの倉庫。今町1丁目。大正〜昭和初期頃?

藤華。湊町。大正〜昭和初期頃? 中々華やかな装飾のある看板建築。
ここから長良川を渡って北方面へ。

元診療所の建物か。若竹町2丁目。大正〜昭和初期頃?

こちらも事前情報はなく、偶然見つけた建物。

玄関部分にある「日本医師會會員」のプレート。規模的に診療所かなと思いました。
現在は空き家。

旧久保田外科医院。長良福光。昭和6年。

スパニッシュ風の中々オシャレな洋館です。

正面。

玄関部分。らせん状の柱が良いですね。

丸窓の装飾も優雅でシャレてます。
この旧久保田外科医院が本日の探索の最北端。なので、再び南下します。

忠節用水第二樋門。御手洗。昭和8年。

事前の情報が無きゃ間違いなくスルーしてました。

水の資料館。鏡石。昭和5年。元は鏡石水源地のポンプ室。

残念ながら休館中で、岐阜護国神社の境内からの撮影のみ。

名和昆虫研究所昆虫記念館。大宮町2丁目。明治40年。

かの武田五一の設計。現存する武田五一の作品の中でも最古クラス。
中々素晴らしい洋館ですが、屋根窓がやたらデカくて重そうに見えます。

名和昆虫博物館。大宮町2丁目。大正8年。

先ほどの名和昆虫研究所昆虫記念館の隣に建つ博物館。こちらも武田五一の設計。
明治・大正期の武田五一の作品が並んだ形で見れるのはここだけかも。

建物の前にモフモフの猫がいました。

旧岐阜県洋服会館。米屋町。明治後期。

紹介されているサイトでは明治後期とありますが、綺麗に改装されていて古さを感じません。
今はどこかの会社の事務所になっているっぽい?

旧日下部合資会社事務所。米屋町。大正2年。

優美な洋館で、かつてこの場所にあった日下部久太郎邸の敷地内に建つ、事務所兼応接の洋館とか。
かつては左側のマンション部分に邸宅があったようです。

玄関から内部を撮影。内部も当時の姿がそのまま残されています。
何か良い活用法があればいいのですが。

和洋折衷住宅。上竹町。大正〜昭和初期頃? こちらも偶然見つけた物件。

和洋折衷というか、和館と洋館を無理矢理組み込んで一緒にした変わった住宅。

側面は出窓付きの洋風デザイン。

中々のお屋敷ですが、現在空き家のようで2階部分のベランダの手すりが崩壊しかかってます。
あまり長くは持たなそう・・・
岐阜市の近代建築は以上です。ここからはその他の気になった物件などなど。

岐阜城の復興天守。今回は時間がなく行けなかった。代わりに御城印のみ確保。

正法寺大仏殿。いわゆる岐阜大仏。大仏殿は江戸時代の寛政12年。
大仏はそれから32年後の天保3年に完成。

岐阜市では有名な寺院ですが、今回の主旨とは別なので外観のみ撮影。
さて、せっかくなので岐阜市内でも有名なお店で食おうと向かったのがこちら。

丸デブ総本店。地元では有名なラーメン店で、元々は大正6年創業の中華料理店。
めちゃ老舗の店で、有名店らしく店の前には行列が。

しかし回転は速く割とすぐに入店。メニューは中華そばとワンタンのみ。
というわけで、中華そばネギ多めを注文。届いたのは丼なみなみスープの1杯。
スープは蕎麦かうどんの汁に近い感じで優しい味。美味しくいただきました。
次回は2日目の大垣市の近代建築探索の記事となります。