2021年09月12日

舞鶴朝来第三海軍火薬廠工員宿舎街(朝来中地区・吉野地区・鹿原地区)遺構探索レポ日記

工員宿舎街位置図








現在の舞鶴市の朝来地区一帯(日本板硝子工場〜舞鶴高専の奥の谷地)には朝来第三海軍火薬廠という広大な海軍の火薬工場がありました。戦後は払い下げられ、工場や学校、住宅地となりましたが、現在も多くの火薬廠時代の建物や遺構が残されています。特に舞鶴高専周辺の第二製造部は立地からそのまま放置され、多数の遺構が廃墟の状態で残されています。
旧海軍朝来第三火薬廠・空気炸薬成形工場・砲炸薬整形工場
舞鶴朝来第三海軍火薬廠第二製造部遺構探索レポ日記
※過去の記事。10年前の記事なので情報が古いです。近いうちに新たに確認した遺構などを追加して更新します。
また、日本板硝子工場の周辺にもいくつかの遺構が残されています。
舞鶴市・第三海軍火薬廠第一製造部遺構探索レポ日記
今回は新たに確認した工員宿舎街の遺構を探索・調査してきました。

まず向かったのは、朝来小学校の北側にある朝来中地区。ここは昭和22年の航空写真で明らかに第三火薬廠建設に際して区画整理されたような街割りとなっており、以前から目を付けていたエリアでした。
昭和22年朝来中地区・吉野地区












昭和22年米軍撮影航空写真(国土地理院HP公開写真より引用)
実際に現地を探索しましたが、かなりの数の工員宿舎が現存していることが分かりました。
この朝来中地区は舞鶴市の軍用地を示した資料にも、第三海軍火薬廠の研究資料にも未掲載の全く新たに確認出来た工員宿舎街となりました。

朝来中地区工員宿舎街遺構配置図








朝来中地区工員宿舎街遺構配置図。以下のレポはこの配置図に沿って書いていきます。

1朝来中工員宿舎1










工員宿舎街
当時の面影を生かした外観に改修されています。
工員宿舎1










中々いい雰囲気です。

2朝来中工員宿舎2










工員宿舎
民家となり外観の変更はありますが、おおむね当時の面影を残しています。

3朝来中工員宿舎3










工員宿舎
工員宿舎3










こちらは荒れていますが、一部当時の面影を残しています。

4朝来中工員宿舎4










工員宿舎
建物自体は半分に切り詰められているようです。ただ、外観は当時の面影を残しています。


5朝来中工員宿舎5・6










工員宿舎ァΝΑ
外観の改修はされていますが、プランは当時のままのようです。

7朝来中工員宿舎7







工員宿舎
外観・プラン共に当時のオリジナルの姿をよく留めています。

7朝来中工員宿舎8










工員宿舎
切り詰めた宿舎を集会所として利用されています。

8朝来中工員宿舎9










工員宿舎
外観、プランとも一番オリジナルの姿を残している宿舎です。
9朝来中工員宿舎9










反対側から。

9朝来中工員宿舎10










工員宿舎
切り詰めて増築されているため、面影は余りありません。

10朝来中工員宿舎11










工員宿舎
手前の建物に面影が残されています。

11朝来中工員宿舎12










工員宿舎
工員宿舎に次いで当時の面影を残す建物。
工員宿舎12










窓部分。

ところで、この朝来中地区を探索中に住民の方から声を掛けられました。何をしているのかと尋ねられ、第三海軍火薬廠の工員宿舎について記録をしていると話したら、理解をして頂き、貴重な詳細なお話を聞くことが出来ました。
この住民の方(以下、Sさん)も元工員宿舎に現在もお住まいで、奥様はかつてここで生活し、第三火薬廠に通っていたという方です。まず、大浴槽の跡を見せて頂きました。
12大浴場1










大浴槽跡。屋根は戦後に造られたもので、かつては大きな大浴場の建物があったとか。
13大浴場2










大浴槽の内部。かなり大きいです。10人くらいいっぺんに入れそうな規模です。
14大浴場3










現在は金魚や鯉を飼う水槽になっています。手前に浴槽へと入るための段が見えます。
Sさんからこの朝来中地区工員宿舎街について色々とお話を聞かせてもらいました。

〇昭和18年に第三海軍火薬廠が造られ、この朝来中地区工員宿舎街が造られた時、各宿舎に配水をするための貯水槽が山に設けられた。戦後、払い下げを受け住民が生活を始めたが、戦前より格段に水の使用量が増えたために既存の貯水槽では賄えなくなり、市が新たに上水道を設置した。
〇工員宿舎の建物は当初10年持てばいいと建てた大工が言っていたそうだが、70年以上経った現在でも住宅として使用され続けている。恐らく国産材を使っているからだろう。
〇第三海軍火薬廠第二製造部(舞鶴高専とその付近一帯)建設で立ち退きをされた住民の一部が戦後、払い下げを受けた工員宿舎に移り住んだ。
〇朝来中地区工員宿舎街でも一段高い位置(工員宿舎の向かいあたり)には偉い人(下士官か?)の住居があった。
等、貴重なお話を聞かせて頂きました。最後に「いずれ無くなるからしっかり記録を残して欲しい」とおっしゃっていただきました。Sさん、ありがとうございました。
この後、Sさんから聞いた山にある貯水槽へ。
15貯水槽1










貯水槽〜陲吠い錣貶かりづらいですが、見た感じ、開放型ではなくコンクリートで上部も覆った箱型になっているようです。
16貯水槽2










貯水槽◆F韻献織ぅ廚涼水槽が2つ並んでいます。
実は先ほどのSさんより重要な情報を聞いており、朝来中地区から南に約2.5km離れた場所にある鹿原地区も元工員宿舎街で、当時の建物が残っていると聞きました。鹿原地区については全くのノーチェックで、朝来中地区と同じく舞鶴市の資料にも第三海軍火薬廠の調査資料にも載っていない箇所。朝来中地区の調査を終えた後、鹿原地区へと向かいました。

その前に青葉山ろく公園に近い場所にある、吉野地区工員宿舎街へ。
昭和22年朝来中地区・吉野地区












第三海軍火薬廠の調査資料には、官舎となっています。
17吉野地区工員宿舎か










吉野地区には当時の建物と確定できる建物は一切残っていません。唯一怪しい木造の建物がありますが、昭和22年の航空写真を見てもこの場所には建物は無く、移築された建物の可能性があるとだけしておきます。
19吉野地区地下壕










北側の山裾に地下壕(防空壕)が残されています。
18吉野地区地下壕










だいぶ崩落しているようです。
鹿原地区・吉野地区工員宿舎街遺構配置図










吉野地区の背後の山には岡安支城という中世の砦跡があり、戦時中は第三海軍火薬廠を防衛するための防空機銃砲台があり、現在も数基の円形土塁状の砲座が残されているようです。

そして、Sさんに教えてもらった鹿原地区工員宿舎街。
昭和22年鹿原地区












昭和22年の米軍撮影航空写真(国土地理院HP公開写真より引用)
確かに新しく区画整理された箇所ですが、第三海軍火薬廠から割と離れていることから全くのノーチェックでした。
鹿原地区・吉野地区工員宿舎街遺構配置図










実際に探索すると、こちらも多くの工員宿舎が残されていました。今回は比較的当時の姿が保たれている建物を記録しましたが、増改築により大きく改変を受けているものの、工員宿舎の一部が使われている建物を含めると地区の半数の建物が現存していることになります。
19鹿原地区工員宿舎1










工員宿舎
鹿原地区工員宿舎街で一番当時の姿を残す建物。これには驚きました。
20鹿原地区工員宿舎1










裏側。規模、外観、プランとも、朝来中地区にあった工員宿舎とほぼ同じであり、他地域に残る海軍工廠等の工員宿舎とも同じ造りです。
22鹿原地区工員宿舎2










工員宿舎
こちらもオリジナルの姿を良く残している建物。
23鹿原地区工員宿舎3










工員宿舎
外観は改修されていますが、面影は残されています。
24鹿原地区工員宿舎4










工員宿舎
こちらも面影が残されています。
25鹿原地区工員宿舎5










工員宿舎
こちらは外観も当時の雰囲気が保たれています。
28鹿原地区工員宿舎5










反対側の妻側。こちらの方がオリジナルの外観に近いです。
26鹿原地区工員宿舎6










工員宿舎
外観は大きく改変されていますが、プランは当時のままのようです。
29鹿原地区工員宿舎7










工員宿舎
外観は大きく改変されていますが、プランはそのままのようです。ただし廃屋なのか荒れています。
記録をした工員宿舎は以上ですが、他にも増改築により大きく改変はされているものの、工員宿舎の一部が取り込まれる形で現存し使われている建物が多数存在しています。

鹿原地区工員宿舎街










舞鶴朝来第三海軍火薬廠の工員宿舎は現存していないと思ってたのですが、今回の調査で多数の工員宿舎の建物が現存していることが判明しました。さらに、舞鶴市の軍用地を記録した資料にも載っていない未確認のエリアでの発見。大きな成果を得ることができました。現存する工員宿舎は多くが現在も民家として使用されていますが、建設からすでに78年余り。老朽化により近いうちに消えている可能性があります。今回のタイミングで少なからず記録に留めることが出来たのは幸いでした。
貴重な証言および鹿原地区の情報を教えて頂いたSさん、ありがとうございました。


besan2005 at 11:43│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

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