2021年09月20日
西脇市の近代建築探索レポ日記
※2023年8月26日に西脇小学校と鹿野町ふれあい館(旧下比延公民館)を法しましたので記事に追加しました。西脇小学校は別記事となっています(リンクを張っています)。
2021年8月21日に兵庫県西脇市の近代建築探索をしてきました。事前の下調べで結構な数の近代建築が残されていることは把握していましたが、実際に探索すると、未チェックの物件も多数存在することが分かりました。多くが西脇市の地場産業だった播州織の工場関連の建物でした。なお、昨今重要文化財に指定された西脇小学校校舎群ですが、時節柄、訪問してもまともに見学出来ないと判断し、今回は見送りました。
まず最初に向かったのは、旧来住邸。
旧来住邸勉学洋館。西脇 昭和11年。生糸商の豪商だった来住家の離れの洋館。主屋は大正時代の建築で、共に国登録有形文化財。現在は西脇情報未来館として一般公開されていますが、この時は休館中。設計者は内藤克雄。小野市・西脇市を中心とした北播磨で活躍した建築家で、先述の西脇小学校の設計をした人物でもあります。
ときの郷。西脇 昭和11年。
かつてはT家の洋館だった建物。現在はワークグループ関連の団体が使用。設計は内藤克雄。
西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。
かつての名称の消防屯所は消防団の詰所のこと。消防署ではなく消防団の詰所にしてはかなり立派な建物です。
玄関部分のペディメントにある消防団の紋章。設計は内藤克雄。
ここから杉原川を渡り西方面へ。
洋風商店建築。西脇。軒周りに装飾があります。現在は空家?
旧池田薬局。西脇。細い道を挟んだ向かいにある洋風商店建築。現在は廃業のようです。
西脇温泉。西脇。第一分団本部の近くの銭湯。まだ現役のようです。
岡本洋服店。西脇。全体的に採光部を大きく取った開放的な建物。当時は中々オシャレだった建物だったのでしょう。
さらに西へ向かい、市街地の外れに。
恐らく播州織の工場事務所。木造2階建ての大きな建物。現在は民家。
工場事務所の背面には、当時のノコギリ屋根の工場棟が残ります。
一旦旧来住邸方面へ。
旧水田産婦人科医院。西脇。旧来住邸の西側にある建物。
ここは診察室のある本館のようです。昭和初期頃でしょうか。
背面には病室と思われる2階建ての建物がありました。
再び杉原川を渡り、そこから南下。
高籠商店綿糸布倉庫。西脇。以前は手前側に事務所らしき建物があったようです。播州織関連の倉庫だったようです。
T邸。西脇。
典型的な洋館付き住宅ですが、付属の洋館は中々良い感じです。
蛭田理研。西脇。昭和3年。大正2年に織布と工業薬品の販売会社として設立した会社。
西脇市でも1・2を争う大規模かつレベルの高い洋館です。住宅街のど真ん中にあり、細い路地を抜けると突然現れるこの洋館を見ると度肝を抜かれます。
玄関部分。
ここから北上。
看板建築の町家。西脇。しかし薄っぺらいですね。
正面だと立派なタイル張りの壁面です。
洋館付き住宅。西脇。これは戦後建築かも。
テラサワ文具センター。西脇。
だいぶ改装されていますが、戦前の建物らしい面影が残されています。
洋風住宅。西脇。
外壁をモルタル塗りで仕上げています。
外壁も単純に塗るのではなく、変化を持たせた仕上にしています。
元料理屋?西脇。玄関部分の意匠が和風で元料理屋のように見えますが、元々の用途は不明。
反対側は増築しているようですね。
玄関の持ち送り部分。
町屋建築に挟まれた小さな建物。
藤井福織布株式会社。西脇。住居の主屋に接続する洋館ですが、洋館部分が事務所になっています。
事務所部分。中々味のある建物です。
南旭町公会堂。西脇。今回は訪問してませんが、規模は小さいものの、同じ西脇市内の旧下比延公会堂や大伏公会堂と同じデザイン。
玄関に掲げられた「公會堂」の扁額。竣工当時の物でしょうか。
天理教東西脇分教会。西脇。和風建築の横に接続した洋風建物。2階窓の格子が中々良い感じ。
U邸。西脇。主屋の隣に建てられている大き目の洋風建築。1階が洋風ですが、屋根が伝統的な入母屋屋根なのが面白いです。
織物工場の建物。西脇。播州織の工場だったのでしょうか。この建物は事務所棟かな。
工場棟。お馴染みのノコギリ屋根。
今は稼動していないっぽいですが、当時の木造の建物が良く残されています。
これも工場の建物。
T邸。西脇。当初は織物工場の事務所だったと思われる建物。
洋風の建物で装飾は少ないですが、軒周りとかに意匠が見られます。
持ち送り?の飾り。
近くの気になったビル。
森永カルダス販売所。西脇。昭和初期くらいでしょうか。当初の用途は不明。
村上歯科医院。西脇。昭和13年。
西脇市を代表する近代建築の一つ。1階部分が和風になっています。
玄関脇には丸窓もあります。
旧藤原歯科医院。西脇。昭和初期頃。いかにも戦前の洋館と言った雰囲気ですが、やはり痛みが。かつては左隣にも戦前の洋風商店建築がありましたが、現在は失われています。
さらに北上し、西脇停車場線へ。
洋館付き住宅。西脇。見た感じ商店か事務所だったのでしょうか。現在は空家で主屋の方は崩壊寸前。いずれ取り壊されるものと思います。
洋風商店建築。西脇。元は店舗か事務所だったのでしょうか。
その向かいにある洋風の建物。こちらも商店建築だったように思います。
住宅地の中にある建物。西脇。背後に工場棟があることから、工場の本館だったと思われます。現在は民家。
しばらく北へ向かった先にある廃工場。
現在は廃墟となってますが、当時の建物が多数残されています。織物工場かと思いましたが、どうやら製薬工場跡だったよう。
ここから北へ坂を上ります。
洋館建物。西脇。昭和初期頃か。元事務所?郵便局に見えましたが、〒マークが見当たらなかったので別の建物だったっぽい。
美喜亭。西脇。大正〜昭和初期頃か。
造りから料理旅館だったようです。織物業で儲けた人たちが宴会してたんでしょうか。全体を写せる引きのアングルが撮影できる箇所に後から気づき、結局こんな写真しか残せず。
玄関前にある照明。美喜亭の文字の横に消えかかった「料理」の文字。意匠を凝らした近代和風の名建築ですが、だいぶ傷んでいます。現在は廃業し民家となっていますが、いずれ無くなりそうな感じです。
A邸。西脇。昭和初期頃か。1階部分は改変がありますが、全体的に戦前の洋風住宅の雰囲気が良く残されています。
このA邸の向かいが旧来住邸の敷地の一角。ようやく一周してきました。
西脇市内は事前の下調べで多くの近代建築が残されているのを確認して向かいましたが、探索した結果、参考にした他サイトにも載っていない多くの近代建築が残されていることが分かり、多くの成果を得られた探索となりました。
今回都合で訪問できなかった西脇小学校・旧下比延公会堂・大伏公会堂・市原駅記念館は後日訪問したいと思います。
※2023年8月26日に西脇小学校と旧下比延公民館を訪問しました。
西脇小学校第一・第二・第三校舎。西脇。
昭和9年(第一校舎)、昭和12年(第二・第三校舎)
設計・内藤克雄
※西脇小学校校舎見学会レポ日記
鹿野町ふれあい館(旧下比延公民館)
鹿野町。昭和初期。
設計・内藤克雄
この庇がよい感じでした。
内部の様子。
帰りに丹波篠山市の今田地区・古市地区にある近代建築を探索。
※丹波篠山市今田地区・古市地区の近代建築。
昭和10年代の旧郵便局や明治期の擬洋風建築の旧銀行などを訪問。
お昼は丹波篠山市にある卵かけご飯専門店の「玉の助」へ。
卵は産みたての濃厚な味。卵は食べ放題ではなく5つまでの制限でしたが、3つで十分でした。薬味と合わせて3種類の醤油で食す卵かけご飯は美味しかったです。
2021年8月21日に兵庫県西脇市の近代建築探索をしてきました。事前の下調べで結構な数の近代建築が残されていることは把握していましたが、実際に探索すると、未チェックの物件も多数存在することが分かりました。多くが西脇市の地場産業だった播州織の工場関連の建物でした。なお、昨今重要文化財に指定された西脇小学校校舎群ですが、時節柄、訪問してもまともに見学出来ないと判断し、今回は見送りました。
まず最初に向かったのは、旧来住邸。
旧来住邸勉学洋館。西脇 昭和11年。生糸商の豪商だった来住家の離れの洋館。主屋は大正時代の建築で、共に国登録有形文化財。現在は西脇情報未来館として一般公開されていますが、この時は休館中。設計者は内藤克雄。小野市・西脇市を中心とした北播磨で活躍した建築家で、先述の西脇小学校の設計をした人物でもあります。
ときの郷。西脇 昭和11年。
かつてはT家の洋館だった建物。現在はワークグループ関連の団体が使用。設計は内藤克雄。
西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。
かつての名称の消防屯所は消防団の詰所のこと。消防署ではなく消防団の詰所にしてはかなり立派な建物です。
玄関部分のペディメントにある消防団の紋章。設計は内藤克雄。
ここから杉原川を渡り西方面へ。
洋風商店建築。西脇。軒周りに装飾があります。現在は空家?
旧池田薬局。西脇。細い道を挟んだ向かいにある洋風商店建築。現在は廃業のようです。
西脇温泉。西脇。第一分団本部の近くの銭湯。まだ現役のようです。
岡本洋服店。西脇。全体的に採光部を大きく取った開放的な建物。当時は中々オシャレだった建物だったのでしょう。
さらに西へ向かい、市街地の外れに。
恐らく播州織の工場事務所。木造2階建ての大きな建物。現在は民家。
工場事務所の背面には、当時のノコギリ屋根の工場棟が残ります。
一旦旧来住邸方面へ。
旧水田産婦人科医院。西脇。旧来住邸の西側にある建物。
ここは診察室のある本館のようです。昭和初期頃でしょうか。
背面には病室と思われる2階建ての建物がありました。
再び杉原川を渡り、そこから南下。
高籠商店綿糸布倉庫。西脇。以前は手前側に事務所らしき建物があったようです。播州織関連の倉庫だったようです。
T邸。西脇。
典型的な洋館付き住宅ですが、付属の洋館は中々良い感じです。
蛭田理研。西脇。昭和3年。大正2年に織布と工業薬品の販売会社として設立した会社。
西脇市でも1・2を争う大規模かつレベルの高い洋館です。住宅街のど真ん中にあり、細い路地を抜けると突然現れるこの洋館を見ると度肝を抜かれます。
玄関部分。
ここから北上。
看板建築の町家。西脇。しかし薄っぺらいですね。
正面だと立派なタイル張りの壁面です。
洋館付き住宅。西脇。これは戦後建築かも。
テラサワ文具センター。西脇。
だいぶ改装されていますが、戦前の建物らしい面影が残されています。
洋風住宅。西脇。
外壁をモルタル塗りで仕上げています。
外壁も単純に塗るのではなく、変化を持たせた仕上にしています。
元料理屋?西脇。玄関部分の意匠が和風で元料理屋のように見えますが、元々の用途は不明。
反対側は増築しているようですね。
玄関の持ち送り部分。
町屋建築に挟まれた小さな建物。
藤井福織布株式会社。西脇。住居の主屋に接続する洋館ですが、洋館部分が事務所になっています。
事務所部分。中々味のある建物です。
南旭町公会堂。西脇。今回は訪問してませんが、規模は小さいものの、同じ西脇市内の旧下比延公会堂や大伏公会堂と同じデザイン。
玄関に掲げられた「公會堂」の扁額。竣工当時の物でしょうか。
天理教東西脇分教会。西脇。和風建築の横に接続した洋風建物。2階窓の格子が中々良い感じ。
U邸。西脇。主屋の隣に建てられている大き目の洋風建築。1階が洋風ですが、屋根が伝統的な入母屋屋根なのが面白いです。
織物工場の建物。西脇。播州織の工場だったのでしょうか。この建物は事務所棟かな。
工場棟。お馴染みのノコギリ屋根。
今は稼動していないっぽいですが、当時の木造の建物が良く残されています。
これも工場の建物。
T邸。西脇。当初は織物工場の事務所だったと思われる建物。
洋風の建物で装飾は少ないですが、軒周りとかに意匠が見られます。
持ち送り?の飾り。
近くの気になったビル。
森永カルダス販売所。西脇。昭和初期くらいでしょうか。当初の用途は不明。
村上歯科医院。西脇。昭和13年。
西脇市を代表する近代建築の一つ。1階部分が和風になっています。
玄関脇には丸窓もあります。
旧藤原歯科医院。西脇。昭和初期頃。いかにも戦前の洋館と言った雰囲気ですが、やはり痛みが。かつては左隣にも戦前の洋風商店建築がありましたが、現在は失われています。
さらに北上し、西脇停車場線へ。
洋館付き住宅。西脇。見た感じ商店か事務所だったのでしょうか。現在は空家で主屋の方は崩壊寸前。いずれ取り壊されるものと思います。
洋風商店建築。西脇。元は店舗か事務所だったのでしょうか。
その向かいにある洋風の建物。こちらも商店建築だったように思います。
住宅地の中にある建物。西脇。背後に工場棟があることから、工場の本館だったと思われます。現在は民家。
しばらく北へ向かった先にある廃工場。
現在は廃墟となってますが、当時の建物が多数残されています。織物工場かと思いましたが、どうやら製薬工場跡だったよう。
ここから北へ坂を上ります。
洋館建物。西脇。昭和初期頃か。元事務所?郵便局に見えましたが、〒マークが見当たらなかったので別の建物だったっぽい。
美喜亭。西脇。大正〜昭和初期頃か。
造りから料理旅館だったようです。織物業で儲けた人たちが宴会してたんでしょうか。全体を写せる引きのアングルが撮影できる箇所に後から気づき、結局こんな写真しか残せず。
玄関前にある照明。美喜亭の文字の横に消えかかった「料理」の文字。意匠を凝らした近代和風の名建築ですが、だいぶ傷んでいます。現在は廃業し民家となっていますが、いずれ無くなりそうな感じです。
A邸。西脇。昭和初期頃か。1階部分は改変がありますが、全体的に戦前の洋風住宅の雰囲気が良く残されています。
このA邸の向かいが旧来住邸の敷地の一角。ようやく一周してきました。
西脇市内は事前の下調べで多くの近代建築が残されているのを確認して向かいましたが、探索した結果、参考にした他サイトにも載っていない多くの近代建築が残されていることが分かり、多くの成果を得られた探索となりました。
今回都合で訪問できなかった西脇小学校・旧下比延公会堂・大伏公会堂・市原駅記念館は後日訪問したいと思います。
※2023年8月26日に西脇小学校と旧下比延公民館を訪問しました。
西脇小学校第一・第二・第三校舎。西脇。
昭和9年(第一校舎)、昭和12年(第二・第三校舎)
設計・内藤克雄
※西脇小学校校舎見学会レポ日記
鹿野町ふれあい館(旧下比延公民館)
鹿野町。昭和初期。
設計・内藤克雄
この庇がよい感じでした。
内部の様子。
帰りに丹波篠山市の今田地区・古市地区にある近代建築を探索。
※丹波篠山市今田地区・古市地区の近代建築。
昭和10年代の旧郵便局や明治期の擬洋風建築の旧銀行などを訪問。
お昼は丹波篠山市にある卵かけご飯専門店の「玉の助」へ。
卵は産みたての濃厚な味。卵は食べ放題ではなく5つまでの制限でしたが、3つで十分でした。薬味と合わせて3種類の醤油で食す卵かけご飯は美味しかったです。