2021年10月02日
津市の近代建築探索レポ日記
3年前の2018年10月27日に探索した津市の近代建築探索レポ日記です。
3年経ってしまいましたが、ようやく記事にしようと思い立ちました。
ちなみに、同じ津市にある久居駐屯地内の歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津衛戍病院の探索レポ日記は過去の記事に書いています。
※歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。
日本一短い駅名である津駅を降り、ここからスタート。

O邸。広明町。

残念ながら工事中で工事用シートに覆われてました。大正〜昭和初期頃でしょうか。

近くにある洋館住宅。昭和初期頃。

中々洒落た洋館です。
津新町まで向かい、そこから東へ。

アド・カフェ。南丸之内町。

昭和初期頃でしょうか。入ってみたかったけどまだ開店前でした。

洋館付き住宅。南丸之内町。完全に廃墟化してました。

アトリエシンセン。南丸之内町。戦後かもしれませんが、近代建築のサイトで紹介されていたので。
昭和橋を渡り南へ。

旧安濃津監獄正門。修成町。大正5年。三重刑務所の前に保存されている建物です。
さらに南へ。

旧今中歯科医院。岩田町。和館の前に洋館が造られた歯科医院。

昭和10年代頃でしょうか。自信はありませんが。

チョコホリック。岩田町。だいぶ改装されてますが、腰回りとかに古さを感じます。
南東方向へ。

日本基督教団阿漕教会。下弁才町津興。大正元年。白亜の美しい教会。

旧伊藤医院。柳山津興。昭和16年。

いかにも戦前の個人病院と言った佇まい。

良い雰囲気です。さらに北上。

I邸。船頭町津興。昭和初期か。

偶然見かけた洋館付き住宅。ここから津城方面へ。

津城丑寅櫓。その向かいに。

T邸。丸之内町。昭和初期頃か。

下見板張りの雰囲気ある洋館。ここから近代建築が並ぶ大門町へ。

向かう途中で見かけた洋館付き住宅。東丸之内町。

BARBAR横山。大門町。軒周りの装飾、玄関周りなどレトロ感満載ですが、今は使用されてなさそう。

旧四日市銀行津支店。大門町。大正11年。以前から知られている建物ですが、
この時はアーケードの撤去後でとても見やすくなってました。現在はオーデン大門ビルとして使用されています。国登録有形文化財。

百五銀行大門支店。大門町。大正13年。玄関部分のみ保存されています。

旧大門百貨店。大門町。昭和11年。訪問した時は取り壊しの最中でした。

ただし解体工事が始まったばかりのようで、まだ建物は残されていました。ギリギリ間に合いました。

側面。1階はすでに解体が始まってます。

窓から見える壁面のタイル。大門百貨店は開業当初は売り場の他に企業の事務室や大食堂がありました。戦後、松菱百貨店となりましたが、松菱百貨店の移転後はパチンコ店や風俗店が同居する場末の雑居ビルとなってしまったそうです。末期は1階部分のみパチンコ店が営業する状態だったとか。もう消えゆく運命だったんでしょうね。
大門町を後にし、安濃川方面へ。

M邸。北丸之内町。洋館住宅。ここが最後の探訪先となりました。
で、その近くで見つけたもの。

「電気通信省用地」と刻まれた境界杭。電気通信省という聞きなれない官庁に調べてみたところ、戦前の逓信省が戦後に分離され、郵政省とともに設立した省庁であり、昭和27年に日本電信電話公社(現NTT)へと移行し廃止されたわずか3年間のみ存在した省庁のレアな境界杭と分かりました。
津市は今回の探索と久居駐屯地の探索、そして寺内町である一身田の探索も行いました。
※津市・一身田町の近代建築探索レポ日記
3年経ってしまいましたが、ようやく記事にしようと思い立ちました。
ちなみに、同じ津市にある久居駐屯地内の歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津衛戍病院の探索レポ日記は過去の記事に書いています。
※歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。
日本一短い駅名である津駅を降り、ここからスタート。

O邸。広明町。

残念ながら工事中で工事用シートに覆われてました。大正〜昭和初期頃でしょうか。

近くにある洋館住宅。昭和初期頃。

中々洒落た洋館です。
津新町まで向かい、そこから東へ。

アド・カフェ。南丸之内町。

昭和初期頃でしょうか。入ってみたかったけどまだ開店前でした。

洋館付き住宅。南丸之内町。完全に廃墟化してました。

アトリエシンセン。南丸之内町。戦後かもしれませんが、近代建築のサイトで紹介されていたので。
昭和橋を渡り南へ。

旧安濃津監獄正門。修成町。大正5年。三重刑務所の前に保存されている建物です。
さらに南へ。

旧今中歯科医院。岩田町。和館の前に洋館が造られた歯科医院。

昭和10年代頃でしょうか。自信はありませんが。

チョコホリック。岩田町。だいぶ改装されてますが、腰回りとかに古さを感じます。
南東方向へ。

日本基督教団阿漕教会。下弁才町津興。大正元年。白亜の美しい教会。

旧伊藤医院。柳山津興。昭和16年。

いかにも戦前の個人病院と言った佇まい。

良い雰囲気です。さらに北上。

I邸。船頭町津興。昭和初期か。

偶然見かけた洋館付き住宅。ここから津城方面へ。

津城丑寅櫓。その向かいに。

T邸。丸之内町。昭和初期頃か。

下見板張りの雰囲気ある洋館。ここから近代建築が並ぶ大門町へ。

向かう途中で見かけた洋館付き住宅。東丸之内町。

BARBAR横山。大門町。軒周りの装飾、玄関周りなどレトロ感満載ですが、今は使用されてなさそう。

旧四日市銀行津支店。大門町。大正11年。以前から知られている建物ですが、
この時はアーケードの撤去後でとても見やすくなってました。現在はオーデン大門ビルとして使用されています。国登録有形文化財。

百五銀行大門支店。大門町。大正13年。玄関部分のみ保存されています。

旧大門百貨店。大門町。昭和11年。訪問した時は取り壊しの最中でした。

ただし解体工事が始まったばかりのようで、まだ建物は残されていました。ギリギリ間に合いました。

側面。1階はすでに解体が始まってます。

窓から見える壁面のタイル。大門百貨店は開業当初は売り場の他に企業の事務室や大食堂がありました。戦後、松菱百貨店となりましたが、松菱百貨店の移転後はパチンコ店や風俗店が同居する場末の雑居ビルとなってしまったそうです。末期は1階部分のみパチンコ店が営業する状態だったとか。もう消えゆく運命だったんでしょうね。
大門町を後にし、安濃川方面へ。

M邸。北丸之内町。洋館住宅。ここが最後の探訪先となりました。
で、その近くで見つけたもの。

「電気通信省用地」と刻まれた境界杭。電気通信省という聞きなれない官庁に調べてみたところ、戦前の逓信省が戦後に分離され、郵政省とともに設立した省庁であり、昭和27年に日本電信電話公社(現NTT)へと移行し廃止されたわずか3年間のみ存在した省庁のレアな境界杭と分かりました。
津市は今回の探索と久居駐屯地の探索、そして寺内町である一身田の探索も行いました。
※津市・一身田町の近代建築探索レポ日記