2021年10月02日
津市・一身田町の近代建築探索レポ日記
3年前の津市の近代建築探索レポ日記に続いて、その翌日に訪れた一身田町の近代建築探索レポ日記です。
まずは一身田駅に到着。
一身田駅。大正12年。レトロな木造駅舎。だいぶ少なくなりましたね。
ホーム側から。
旧落合運送。昭和12年。
日通の社屋だったとも。現在はカフェとして使用され、室内も当時の姿が保たれているようですが、朝方に到着したので開店前でした。
まずは本山専修寺へ。
一身田町は浄土真宗高田派の本山・専修寺を中心とした寺内町で、鎌倉時代に専修寺が建立されて以来、室町時代には栄えはじめ、戦国期の兵火により焼失したものの、江戸時代の再建以後、専修寺と一身田町は栄えていきました。現在も寺内町としての雰囲気が良く残されています。
専修寺山門。宝永元年(1704)再建。重要文化財。
専修寺唐門。天保15年(1844)再建。重要文化財。
専修寺御影堂。延宝7年(1679)再建。国宝。
専修寺如来堂。延享5年(1748)再建。国宝。
専修寺茶所。宝暦10年(1740)築。参拝者の接待所。重要文化財。
専修寺鐘楼。正徳3年(1713)再建。重要文化財。
専修寺太鼓門。三層櫓は文久元年(1861)の築。重要文化財。
まるでお城の櫓ですね。さて、この専修寺の境内に近代建築があります。
高田婦人会館。大正4年。旧一身田役場だった建物。
玄関部分。
この専修寺の境内の奥、賜春館に隣接して煉瓦造らしき洋館があるのをGoogleMapで見つけ、現地で何とか写真に収めたいと奮闘しましたが、どうしてもうまく撮影できませんでした。目視では確認は出来ましたが。専修寺の公式HPの境内図にも何故か描かれず、近代建築のどのサイトも載っていない謎の洋館です。
専修寺を後にし、再び一身田の街へ。
1階が洋風の商店建築。
こちらは何となく洋風に改装されている町屋建築。
A邸。平屋の洋風住宅。昭和初期頃。
反対側から
拡大。いい雰囲気ですね。
洋館付き住宅。
洋館部分。玄関部分も装飾がされ凝ってます。
何の変哲もない建物。
壁に説明板がありました。それによると元一身田郵便局だったようで、よく見ると軒周りに装飾が残されていますね。
洋館付き住宅。
洋館部分の拡大。こちらは和風の要素も入ってますね。
さて、一身田にはかつて遊郭がありました。専修寺の参拝客相手に設立したもので、明治初期には200もの数があったようです。恐らく「精進落とし」として利用したんだと思いますが、寺内町の中に俗世の遊郭があったとは何ともw 写真は黒門跡。
遊郭のあった場所には当時の物と思われる建物がいくつか残されています。
洋風の意匠のある卯建。
一身田の探索はこれで終了。寺内町として知られている町ですが、近代建築も割と残されていました。
おまけ。
一身田で出会った猫の親子。
佇む子猫さん。あれから3年。大きくなっていることでしょう。
おしまい。
まずは一身田駅に到着。
一身田駅。大正12年。レトロな木造駅舎。だいぶ少なくなりましたね。
ホーム側から。
旧落合運送。昭和12年。
日通の社屋だったとも。現在はカフェとして使用され、室内も当時の姿が保たれているようですが、朝方に到着したので開店前でした。
まずは本山専修寺へ。
一身田町は浄土真宗高田派の本山・専修寺を中心とした寺内町で、鎌倉時代に専修寺が建立されて以来、室町時代には栄えはじめ、戦国期の兵火により焼失したものの、江戸時代の再建以後、専修寺と一身田町は栄えていきました。現在も寺内町としての雰囲気が良く残されています。
専修寺山門。宝永元年(1704)再建。重要文化財。
専修寺唐門。天保15年(1844)再建。重要文化財。
専修寺御影堂。延宝7年(1679)再建。国宝。
専修寺如来堂。延享5年(1748)再建。国宝。
専修寺茶所。宝暦10年(1740)築。参拝者の接待所。重要文化財。
専修寺鐘楼。正徳3年(1713)再建。重要文化財。
専修寺太鼓門。三層櫓は文久元年(1861)の築。重要文化財。
まるでお城の櫓ですね。さて、この専修寺の境内に近代建築があります。
高田婦人会館。大正4年。旧一身田役場だった建物。
玄関部分。
この専修寺の境内の奥、賜春館に隣接して煉瓦造らしき洋館があるのをGoogleMapで見つけ、現地で何とか写真に収めたいと奮闘しましたが、どうしてもうまく撮影できませんでした。目視では確認は出来ましたが。専修寺の公式HPの境内図にも何故か描かれず、近代建築のどのサイトも載っていない謎の洋館です。
専修寺を後にし、再び一身田の街へ。
1階が洋風の商店建築。
こちらは何となく洋風に改装されている町屋建築。
A邸。平屋の洋風住宅。昭和初期頃。
反対側から
拡大。いい雰囲気ですね。
洋館付き住宅。
洋館部分。玄関部分も装飾がされ凝ってます。
何の変哲もない建物。
壁に説明板がありました。それによると元一身田郵便局だったようで、よく見ると軒周りに装飾が残されていますね。
洋館付き住宅。
洋館部分の拡大。こちらは和風の要素も入ってますね。
さて、一身田にはかつて遊郭がありました。専修寺の参拝客相手に設立したもので、明治初期には200もの数があったようです。恐らく「精進落とし」として利用したんだと思いますが、寺内町の中に俗世の遊郭があったとは何ともw 写真は黒門跡。
遊郭のあった場所には当時の物と思われる建物がいくつか残されています。
洋風の意匠のある卯建。
一身田の探索はこれで終了。寺内町として知られている町ですが、近代建築も割と残されていました。
おまけ。
一身田で出会った猫の親子。
佇む子猫さん。あれから3年。大きくなっていることでしょう。
おしまい。