2021年10月03日
小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記(+後瀬山城・小浜城)
去年の2020年6月20日に探索した小浜市・高浜町の近代建築探索レポ日記です。去年の5月に新車に買い替え、せっかくだからとドライブがてらの探索でした。
まずは小浜市。コインパーキングに車を停め、西側から順に探索開始。

都菓子舗。小浜鹿島。大正15年。

洋風の要素を持つ和菓子店です。

高鳥歯科医院。小浜鹿島。大正14年。国登録有形文化財。

シャレた装飾のある地方の個人医院。

玄関部分の装飾。当時はハイカラな建物の象徴だったんでしょう。

白鳥会館。白鳥町。明治22年。国登録有形文化財。

土蔵造の建物に洋風の煉瓦のアーチという擬洋風建築というか和洋折衷というか変わった建物。
明治21年の大火後に薬品製造販売会社の店蔵として建てられたものだそう。

武藤写真館旧館。小浜竜田。大正13年。当時のままの下見板張りの洋館。いい雰囲気。
ここから車で移動して、フィッシャーマンズワーフ方面へ。

途中で見かけた建物。小浜鈴鹿。

雰囲気的に、戦前建築で間違いなさそう。
ここから北上。

日本聖公会小浜聖ルカ教会。千種町。明治30年。国登録有形文化財。

設計はバーガミニー。小さな教会ですが、明治時代建築の貴重な建物。

小浜聖ルカ教会旧幼稚園。千種。昭和初期頃。

小浜聖ルカ教会のすぐ横の建物。旧幼稚園だったらしいですが、元々は司祭の住宅だったのかも。
ここから、南川・北川を渡り、小浜城方面へ。

大手橋。城内。昭和14年。

南川に架かる今も現役の昭和戦前のRC橋。

大手橋の親柱にある竣工年の銘板。

西津橋。山手。昭和14年。

北川に架かる橋で、大手橋と同じ年の竣工。

戦前のRC橋は雰囲気が良くて好きですね。

西津橋の親柱にある竣工年の銘板。

小浜中学校旧図書館。雲浜。昭和11年。国登録有形文化財。

旧小浜尋常中学校の図書館だった建物。現在は洗心館という記念館。
ここから北にある住宅街へ。

M邸。山手。昭和初期か。偶然見つけた大きな洋館。

植木の隙間から何とか撮影。相当な規模とレベルの洋館です。

同じく植木の隙間から。

門まで近づきましたが、人気が全然ない上に庭も荒れている…。一応表札はありましたが空き家っぽい。門柱はあったけど門扉はなし。

恐る恐る玄関前まで近づくことに。

玄関部分。警備会社のステッカーがありましたが、人気が全然ない上、所々痛みも。
一応管理されているようですが、常住されてないのかも。
というわけで、ここまでで退散。それにしても相当な規模とレベルの洋館。小浜市でも有数の近代建築の一つになると思います。
ちなみに今年(2021年)撮影のGoogleMapの航空写真を見たら、庭木が全て伐採され、作業用らしきワゴン車が2台停まってます。もしかしたら解体の日が近いのかも…。

大下第三歯科医院。山手。気になった建物。

旧今村家住宅。山手。昭和7年。

ドイツ風(?)のオシャレな洋館住宅。

現在は別の方がお住まいですが、大切に住まわれているようです。

O邸。山手。昭和初期頃か。洋館付き住宅。

洋館部分のアップ。

O邸の近くにある洋館付き住宅。昭和初期か。この近辺はこの建物を始め、旧今村家住宅、O邸などが集中し、戦前の住宅街だったようです。
小浜市の探索はこれで終了。他にもいくつかあるようですが、郊外にあったりしたので今回はスルー。
ここから西に向かい、高浜町へ。

旧京都電灯高浜営業所。高浜町宮崎。昭和6年。

結構意匠に富んだ事務所建築にしては華やかな建物です。高浜町を代表する洋館。

現在は高浜まちづくりネットワークという観光施設となっています。

旧山口医院。高浜町事代。昭和8年。

いかにも戦前の地方の個人医院と言った雰囲気の洋館。しかし、私はこういった医院建築が好きですね。

玄関の装飾。独特な模様です。何という模様なんだろう。

たまたま見かけた下見板張りの洋館。高浜町若宮。

昭和初期頃かなぁ。

高浜町事代で見かけた大型の木造建物。戦前っぽい雰囲気で気になり観察してましたが、入り口の横にある小窓がチケット売り場のように見え、確証はないけど劇場か芝居小屋だったのではと推測。
ツイッターにてつぶやいたところ、元は「高浜座」という1960年代まで営業していた劇場だったという情報をいただきました。

城山海水浴場の近くにあるこの旧高浜座。かつては近隣のみならず海水浴客も利用して賑わっていたのかもしれません。しかし今は廃墟状態。いずれ取り壊され町の記憶から消えていくのでしょうね。
以上で小浜市・高浜町の近代建築探索でした。
ここから攻城記録。
小浜市には知られている2つの城跡があります。1つは中世〜戦国期の後瀬山城。もう一つは江戸時代の小浜城。今回、その2つの城跡も訪問しました。
まずは、後瀬山城跡。

後瀬山城は若狭国の守護大名、若狭武田氏の本拠地で、若狭最大級の中世城郭。山上に本丸等の城域を配置し、麓に現在の空印寺あたりに居館を設け守護所としました。

若狭武田氏は丹後の守護大名、一色氏との戦いに勝利し、一時は若狭と丹後を支配する大名でしたが、越前の朝倉氏の攻撃により没落。後瀬山城は朝倉氏の支配となりましたが、織田信長との戦いで朝倉氏滅亡後は丹羽長秀が入城しました。

現在、本丸周囲に残されている豪壮な石垣は、丹羽長秀が改修して造られたものです。

後瀬山城の麓にあった若狭武田氏の居館跡は江戸時代の京極氏時代に空印寺となりました。

空印寺の前にはかつて小学校がありましたが、移転により空き地となってました。ここも若狭武田氏の居館跡の一部で、案内板には史跡整備されかつての土塁や水堀・門を復元する予定のようです。
次は小浜城。

小浜城は江戸時代初期にそれまでの若狭国の支配拠点だった後瀬山城に代わる城として京極高次により着工されましたが、完成を見ずして松江に転封。代わって入封した酒井忠勝が小浜城の築城を引き継ぎ完成。以後、明治維新まで酒井家が小浜藩の藩主を務めました。

明治維新後は建物は取り壊され、堀は埋め立てられ、本丸以外は完全に失われました。


それでも天守台をはじめ、本丸の石垣が良く残されています。小浜城に関しては時期未定ですが、三層三階の天守を始めとした復元整備計画があるようです。

小浜城跡で出会った猫さん。今の小浜城を守る城主かなw

最後に昭和8年に吉田初三郎が描いた「小浜町鳥瞰図」。私の所有資料。
おしまい。
まずは小浜市。コインパーキングに車を停め、西側から順に探索開始。

都菓子舗。小浜鹿島。大正15年。

洋風の要素を持つ和菓子店です。

高鳥歯科医院。小浜鹿島。大正14年。国登録有形文化財。

シャレた装飾のある地方の個人医院。

玄関部分の装飾。当時はハイカラな建物の象徴だったんでしょう。

白鳥会館。白鳥町。明治22年。国登録有形文化財。

土蔵造の建物に洋風の煉瓦のアーチという擬洋風建築というか和洋折衷というか変わった建物。
明治21年の大火後に薬品製造販売会社の店蔵として建てられたものだそう。

武藤写真館旧館。小浜竜田。大正13年。当時のままの下見板張りの洋館。いい雰囲気。
ここから車で移動して、フィッシャーマンズワーフ方面へ。

途中で見かけた建物。小浜鈴鹿。

雰囲気的に、戦前建築で間違いなさそう。
ここから北上。

日本聖公会小浜聖ルカ教会。千種町。明治30年。国登録有形文化財。

設計はバーガミニー。小さな教会ですが、明治時代建築の貴重な建物。

小浜聖ルカ教会旧幼稚園。千種。昭和初期頃。

小浜聖ルカ教会のすぐ横の建物。旧幼稚園だったらしいですが、元々は司祭の住宅だったのかも。
ここから、南川・北川を渡り、小浜城方面へ。

大手橋。城内。昭和14年。

南川に架かる今も現役の昭和戦前のRC橋。

大手橋の親柱にある竣工年の銘板。

西津橋。山手。昭和14年。

北川に架かる橋で、大手橋と同じ年の竣工。

戦前のRC橋は雰囲気が良くて好きですね。

西津橋の親柱にある竣工年の銘板。

小浜中学校旧図書館。雲浜。昭和11年。国登録有形文化財。

旧小浜尋常中学校の図書館だった建物。現在は洗心館という記念館。
ここから北にある住宅街へ。

M邸。山手。昭和初期か。偶然見つけた大きな洋館。

植木の隙間から何とか撮影。相当な規模とレベルの洋館です。

同じく植木の隙間から。

門まで近づきましたが、人気が全然ない上に庭も荒れている…。一応表札はありましたが空き家っぽい。門柱はあったけど門扉はなし。

恐る恐る玄関前まで近づくことに。

玄関部分。警備会社のステッカーがありましたが、人気が全然ない上、所々痛みも。
一応管理されているようですが、常住されてないのかも。
というわけで、ここまでで退散。それにしても相当な規模とレベルの洋館。小浜市でも有数の近代建築の一つになると思います。
ちなみに今年(2021年)撮影のGoogleMapの航空写真を見たら、庭木が全て伐採され、作業用らしきワゴン車が2台停まってます。もしかしたら解体の日が近いのかも…。

大下第三歯科医院。山手。気になった建物。

旧今村家住宅。山手。昭和7年。

ドイツ風(?)のオシャレな洋館住宅。

現在は別の方がお住まいですが、大切に住まわれているようです。

O邸。山手。昭和初期頃か。洋館付き住宅。

洋館部分のアップ。

O邸の近くにある洋館付き住宅。昭和初期か。この近辺はこの建物を始め、旧今村家住宅、O邸などが集中し、戦前の住宅街だったようです。
小浜市の探索はこれで終了。他にもいくつかあるようですが、郊外にあったりしたので今回はスルー。
ここから西に向かい、高浜町へ。

旧京都電灯高浜営業所。高浜町宮崎。昭和6年。

結構意匠に富んだ事務所建築にしては華やかな建物です。高浜町を代表する洋館。

現在は高浜まちづくりネットワークという観光施設となっています。

旧山口医院。高浜町事代。昭和8年。

いかにも戦前の地方の個人医院と言った雰囲気の洋館。しかし、私はこういった医院建築が好きですね。

玄関の装飾。独特な模様です。何という模様なんだろう。

たまたま見かけた下見板張りの洋館。高浜町若宮。

昭和初期頃かなぁ。

高浜町事代で見かけた大型の木造建物。戦前っぽい雰囲気で気になり観察してましたが、入り口の横にある小窓がチケット売り場のように見え、確証はないけど劇場か芝居小屋だったのではと推測。
ツイッターにてつぶやいたところ、元は「高浜座」という1960年代まで営業していた劇場だったという情報をいただきました。

城山海水浴場の近くにあるこの旧高浜座。かつては近隣のみならず海水浴客も利用して賑わっていたのかもしれません。しかし今は廃墟状態。いずれ取り壊され町の記憶から消えていくのでしょうね。
以上で小浜市・高浜町の近代建築探索でした。
ここから攻城記録。
小浜市には知られている2つの城跡があります。1つは中世〜戦国期の後瀬山城。もう一つは江戸時代の小浜城。今回、その2つの城跡も訪問しました。
まずは、後瀬山城跡。

後瀬山城は若狭国の守護大名、若狭武田氏の本拠地で、若狭最大級の中世城郭。山上に本丸等の城域を配置し、麓に現在の空印寺あたりに居館を設け守護所としました。

若狭武田氏は丹後の守護大名、一色氏との戦いに勝利し、一時は若狭と丹後を支配する大名でしたが、越前の朝倉氏の攻撃により没落。後瀬山城は朝倉氏の支配となりましたが、織田信長との戦いで朝倉氏滅亡後は丹羽長秀が入城しました。

現在、本丸周囲に残されている豪壮な石垣は、丹羽長秀が改修して造られたものです。

後瀬山城の麓にあった若狭武田氏の居館跡は江戸時代の京極氏時代に空印寺となりました。

空印寺の前にはかつて小学校がありましたが、移転により空き地となってました。ここも若狭武田氏の居館跡の一部で、案内板には史跡整備されかつての土塁や水堀・門を復元する予定のようです。
次は小浜城。

小浜城は江戸時代初期にそれまでの若狭国の支配拠点だった後瀬山城に代わる城として京極高次により着工されましたが、完成を見ずして松江に転封。代わって入封した酒井忠勝が小浜城の築城を引き継ぎ完成。以後、明治維新まで酒井家が小浜藩の藩主を務めました。

明治維新後は建物は取り壊され、堀は埋め立てられ、本丸以外は完全に失われました。


それでも天守台をはじめ、本丸の石垣が良く残されています。小浜城に関しては時期未定ですが、三層三階の天守を始めとした復元整備計画があるようです。

小浜城跡で出会った猫さん。今の小浜城を守る城主かなw

最後に昭和8年に吉田初三郎が描いた「小浜町鳥瞰図」。私の所有資料。
おしまい。