2021年10月09日
桑名市の近代建築探索レポ日記
3年前の2018年10月21日の探索分の記事です。
桑名市の近代建築と言えばジョサイア・コンドル設計の六華苑が有名ですが、それ以外にもいくつかの近代建築が残されていました。
まずは桑名駅から南下。
松岡産業。安永。昭和初期頃。
昭和戦前期らしい中々雰囲気ある建物。ただ、この時はもう使われていなかった感じ。
資料館として使用されていたという話もありますが、不明。
2021年10月現在、この記事を書くためストビューで確認したら消滅していました。
M邸。安永。松岡産業の隣にある住宅。
洋館付き住宅です。
松岡産業の近くにある洋風住宅。安永。ハーフチンバーの外観。昭和初期でしょうか。
武藤外科医院。安永。昭和初期。木造の割と大きな洋館。
外科医院だから病室もあったのでしょう。
武藤外科医院の近くの墓地にある煉瓦造の火葬場。和泉。
戦前の物であることは間違いないと思います。墓地内に造られた簡易火葬場は地域によっては「三昧」と呼ばれることも。煉瓦造だし中々良いデザインですが、火葬場という性質上、何となく近づきがたい雰囲気がw 桑名市にはもう一ヵ所墓地内の煉瓦造の火葬場を確認しています。
ここから北上。
石取会館。京町。大正14年。旧四日市銀行桑名支店。国登録有形文化財。
現在は展示施設になっています。
坂本木型木工事務所。京町。
昭和初期頃でしょうか。壁面の装飾は社章ですかね。
鍵助商店煉瓦倉庫。三之丸。明治〜大正?
探索していて突然目についた大きな煉瓦建物に驚き。
拡大。諸戸邸の煉瓦倉庫並みの規模があります。当初から鍵助商店の建物だったのでしょうか。
楽翁公百年祭記念宝物館。吉之丸。昭和9年。楽翁公は寛政の改革で知られる松平定信のこと。
老中引退後に息子の定永が桑名藩主となり、それに伴い、定信の藩士たちが桑名藩へ移封した縁で
顕彰の意味で建てられたもの。国登録有形文化財。
鉄筋コンクリート造ですが、全体的に和風のデザインですね。
玄関部分の照明の装飾。
六華苑(旧諸戸清六邸)。桑名。大正2年。桑名市を代表する近代建築。ジョサイア・コンドル設計。国指定重要文化財。
説明不要の名建築ですね。六華苑は初代諸戸清六の4男が自邸として諸戸邸に隣接して建てたもの。
玄関ホール。
1階食堂。
2階階段。
2階書斎。
2階サンルーム。
何度見ても素晴らしい建物。
次紹介するのは六華苑の南にある諸戸邸。初代諸戸清六の邸宅だったお屋敷。
実は諸戸邸の方は長期にわたる解体修復・整備事業で庭園を除き見学不可。あと、解体修復のために現在はその姿を見られなくなってます。
今回は業務で入った際に見せてもらったかつての姿と現在非公開の部分を紹介。
諸戸邸主屋。解体修理前の2009年の撮影。明治22年築。
かつて諸戸家の主屋としてだけでなく、事務所としても使われていた建物。重要文化財。
諸戸邸主屋の仏間の天井。一番格式のある部屋として使用されたようで、装飾を描き、漆塗りに仕上げた豪華な折上格天井。立ち合い時に撮影。
諸戸邸主屋の客間。付書院のある書院造の部屋。
諸戸邸洋館。解体修理により蘇った洋館。明治24年築。
修理前の洋館の姿。黄色は当初の色だそうです。隣接する御殿と合わせて建てられました。御殿の方は写真が見当たらず。
撞球場。明治23年。解体修理後の撮影。
諸戸邸主屋付属洋室。
明治後期か大正期に増築されたもの。
内部の様子。
天井。
暖炉。この洋室の建物は現在解体修理中で見られません。
煉瓦蔵。明治28年。諸戸邸は現在長期修理・整備中で、全ての修復が終わるのはだいぶ先になるようですが、完成したらかつての豪奢なお屋敷の姿が見れることでしょう。
最後に偶然見つけた物件。
旭日の文様と「御銀婚式記念」の文字が彫られたコンクリートの建物。
これは大正天皇の銀婚式を記念して建てられたもののようです。
かつては火の見櫓があったようです。
内部は特に何もありませんでした。倉庫に使用されてたんでしょうか。
以上で桑名市の近代建築探索は終了。
実は他にもあるのですが、今回は時間の都合上行くことが出来ず。
特に諸戸家の3つ目の邸宅、諸戸徳成邸が保存運動もむなしく取得の予算等で折り合いが付かず、見ることが叶わず取り壊されたのは残念でした。
桑名市の近代建築と言えばジョサイア・コンドル設計の六華苑が有名ですが、それ以外にもいくつかの近代建築が残されていました。
まずは桑名駅から南下。
松岡産業。安永。昭和初期頃。
昭和戦前期らしい中々雰囲気ある建物。ただ、この時はもう使われていなかった感じ。
資料館として使用されていたという話もありますが、不明。
2021年10月現在、この記事を書くためストビューで確認したら消滅していました。
M邸。安永。松岡産業の隣にある住宅。
洋館付き住宅です。
松岡産業の近くにある洋風住宅。安永。ハーフチンバーの外観。昭和初期でしょうか。
武藤外科医院。安永。昭和初期。木造の割と大きな洋館。
外科医院だから病室もあったのでしょう。
武藤外科医院の近くの墓地にある煉瓦造の火葬場。和泉。
戦前の物であることは間違いないと思います。墓地内に造られた簡易火葬場は地域によっては「三昧」と呼ばれることも。煉瓦造だし中々良いデザインですが、火葬場という性質上、何となく近づきがたい雰囲気がw 桑名市にはもう一ヵ所墓地内の煉瓦造の火葬場を確認しています。
ここから北上。
石取会館。京町。大正14年。旧四日市銀行桑名支店。国登録有形文化財。
現在は展示施設になっています。
坂本木型木工事務所。京町。
昭和初期頃でしょうか。壁面の装飾は社章ですかね。
鍵助商店煉瓦倉庫。三之丸。明治〜大正?
探索していて突然目についた大きな煉瓦建物に驚き。
拡大。諸戸邸の煉瓦倉庫並みの規模があります。当初から鍵助商店の建物だったのでしょうか。
楽翁公百年祭記念宝物館。吉之丸。昭和9年。楽翁公は寛政の改革で知られる松平定信のこと。
老中引退後に息子の定永が桑名藩主となり、それに伴い、定信の藩士たちが桑名藩へ移封した縁で
顕彰の意味で建てられたもの。国登録有形文化財。
鉄筋コンクリート造ですが、全体的に和風のデザインですね。
玄関部分の照明の装飾。
六華苑(旧諸戸清六邸)。桑名。大正2年。桑名市を代表する近代建築。ジョサイア・コンドル設計。国指定重要文化財。
説明不要の名建築ですね。六華苑は初代諸戸清六の4男が自邸として諸戸邸に隣接して建てたもの。
玄関ホール。
1階食堂。
2階階段。
2階書斎。
2階サンルーム。
何度見ても素晴らしい建物。
次紹介するのは六華苑の南にある諸戸邸。初代諸戸清六の邸宅だったお屋敷。
実は諸戸邸の方は長期にわたる解体修復・整備事業で庭園を除き見学不可。あと、解体修復のために現在はその姿を見られなくなってます。
今回は業務で入った際に見せてもらったかつての姿と現在非公開の部分を紹介。
諸戸邸主屋。解体修理前の2009年の撮影。明治22年築。
かつて諸戸家の主屋としてだけでなく、事務所としても使われていた建物。重要文化財。
諸戸邸主屋の仏間の天井。一番格式のある部屋として使用されたようで、装飾を描き、漆塗りに仕上げた豪華な折上格天井。立ち合い時に撮影。
諸戸邸主屋の客間。付書院のある書院造の部屋。
諸戸邸洋館。解体修理により蘇った洋館。明治24年築。
修理前の洋館の姿。黄色は当初の色だそうです。隣接する御殿と合わせて建てられました。御殿の方は写真が見当たらず。
撞球場。明治23年。解体修理後の撮影。
諸戸邸主屋付属洋室。
明治後期か大正期に増築されたもの。
内部の様子。
天井。
暖炉。この洋室の建物は現在解体修理中で見られません。
煉瓦蔵。明治28年。諸戸邸は現在長期修理・整備中で、全ての修復が終わるのはだいぶ先になるようですが、完成したらかつての豪奢なお屋敷の姿が見れることでしょう。
最後に偶然見つけた物件。
旭日の文様と「御銀婚式記念」の文字が彫られたコンクリートの建物。
これは大正天皇の銀婚式を記念して建てられたもののようです。
かつては火の見櫓があったようです。
内部は特に何もありませんでした。倉庫に使用されてたんでしょうか。
以上で桑名市の近代建築探索は終了。
実は他にもあるのですが、今回は時間の都合上行くことが出来ず。
特に諸戸家の3つ目の邸宅、諸戸徳成邸が保存運動もむなしく取得の予算等で折り合いが付かず、見ることが叶わず取り壊されたのは残念でした。