2022年01月16日
松阪市の近代建築探索レポ日記

2021年12月29日の伊勢市の近代建築探索の翌日30日、宿泊地にしていた松阪市の近代建築探索を行いました。松阪駅の西側市街地一帯を中心に探索。

H邸。松阪市殿町。昭和初期頃かなと思われる洋館。

松阪市内でも一番立派な洋館住宅かも。

下見板張りの洋館。松阪市殿町。大きな洋館ですが、現在は空家。
殿町を一旦離れ、東方面へ。

魚元。松阪市白粉町。

新道公会堂。松阪市大黒田町。

昭和初期くらいですかね。地方の集落でも時々見かけるスタイルの公会堂。

K邸。松阪市大黒田町。

洋館付き住宅が2棟接するように並んでいます。

K邸近くの洋館付き住宅。松阪市大黒田町。

この一帯は戦前に区画整理された住宅街だったのかもしれません。
再び殿町へ。

稲垣商会。松阪市殿町。

元々は個人宅だったのでしょうか。

松阪工業高校資料館。松阪市殿町。明治41年。

元は三重県立工業学校製図室。通称・赤壁校舎。

赤壁校舎のある松坂工業高校の近くには、幕末に紀州藩士が詰めていた重要文化財の御城番屋敷群があります。

下級武士の住まいなので長屋造りですが、武家屋敷らしくちゃんと式台があります。
御城番屋敷は明治以後も旧藩士がそのまま住み続け、現在は藩士の子孫が現在も住みつつ維持に努めています。

御城番屋敷の土蔵。元々は松坂城隠居丸にあった土蔵を明治初期に現在地に移築したもので、松坂城で唯一現存する建物です。

洋館付き住宅。松阪市殿町。御城番屋敷の側にある建物。

料理旅館八千代。松阪市殿町。大正から昭和初期に建てられた大規模な料理旅館。

背面から八千代大広間。八千代は国登録有形文化財となっています。

中井珠算簿記学校。松阪市殿町。

戦後建築の可能性もありますが、昭和10年代のモダニズム建築で良く見られる雰囲気の建物なので、玄関部分のデザインも考慮してここは戦前の建物としておきます。門柱は確実に戦前。
阪内川を越えて北方面へ。

Y邸。松阪市西之庄町。洋館付きの大きな住宅。

洋館部分。応接室だったんでしょうね。

旧鐘紡綿糸松阪工場。外五曲町。大正12年。

現在は松阪市文化財センターの展示施設となっています。

再び阪内川を渡り、松坂城へ。

蒲生氏郷が築いた松坂城は城内に建物こそ残されていませんが、縄張はほぼ完全に残され、かつての威容を感じ取ることができます。その城内にある建物。

松阪市立歴史民俗資料館。松阪市殿町。明治45年。元は飯南郡図書館だった建物。
立派な近代和風建築です。
松阪市は前日探索した伊勢市よりも近代建築の数は少なく感じました。それでも色々な建物に出会えたのは良かったです。ただ、数年前まで存在していた白粉町にあった大正時代の旧松阪水力電気本社の洋館がすでに取り壊されて見ることができなかったのが残念でした。他サイトの写真を見たら、いかにも大正期らしい素敵な洋館だったのに。
ところで・・・・

探索中に見かけたこの怪しげな城。最初に見たときは料理旅館か(アレな)ホテルかと思いましたが、気になるので表側に回り込むことに。

なんと歯医者さんでした。それでも城郭風の表門と唐破風のあるビル。そして背後の天守閣風の建物で、元々は料理旅館とかの別の建物を再利用したのではと思ってました。

現在は廃業され、背後の天守閣風建物は半ば廃墟化してました。で、後程知った事実。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にて紹介されていたようで、それによると、清水歯科の先代の院長さんが戦時中に特攻兵器の人間魚雷「回天」で戦死された長男の供養として建てたもので、「回天山暁ノ城」というそうです。※参照ツイート。
経緯を知るといろんな思いの詰まった建物になるわけですが、すでに廃業され廃墟化が進むこの城、いつまで存在し続けるか分からない状態になってきています。