2022年02月13日
加古川市の近代建築探索レポ日記
加古川市の近代建築の探索をしてきました。
加古川市は日本毛織のお膝元の街で、日本毛織関連の近代建築が数多く残されているため、そちらを期待して向かいました。
まずは、解体か保存かで揺れている名建築へ。

旧加古川町公会堂。加古川市加古川町本町。昭和10年。

最近まで図書館として使用されていましたが、図書館移転により現在は閉鎖。現在、解体か保存かで揺れています。

設計は置塩章。

大阪城内にある大阪陸軍砲兵工廠化学分析場を設計した人物としても知られています。こちらも解体か保存で揺れてますね。

正面の窓にはステンドグラスがあります。内部の写真を見たら中々見事なもの。閉館前に行くべきだったなと後悔。なんとか保存活用して欲しいところですがどうなるか・・・。
旧加古川町公会堂を後にし周辺を回ります。

Y邸。加古川市加古川町木村。

玄関部分が可愛らしいです。

ROOM2。加古川市加古川町寺家町。看板建築の商家をカフェに改装したもの。この日は中には入りませんでしたが、ネットで内部の写真を見たら中々洒落た雰囲気でした。
ここから西へと向かいます。

Y邸。加古川市加古川町木村。煉瓦の煙突がある住宅ですが、戦前かどうかは微妙かも。

日本毛織木村町社宅群。加古川市加古川町木村。大正〜昭和初期。同じデザイン・規模の住宅が10棟ほど建ち並んでいます。

主屋は和風ですが、塀は洋風で、玄関脇の出入り口がアーチになってる等、中々洒落た造りです。

ベランダのある裏側。

基礎は煉瓦造りで古さがあります。

ベランダの持ち送り。戦前の雰囲気を色濃く残す社宅群ですが、すでに全戸空家のようで、半数は半壊している廃墟状態。近いうちに姿を消すかもしれません。

N邸。加古川市加古川町木村。社宅群の隣にある住宅。

主屋が新しく見えたのでどうかなと思いましたが、付属屋や塀が戦前っぽく見えたので一応抑えることに。もしかしたら主屋は外観をリフォームしただけかもしれませんし。

宝湯。加古川市加古川町本町。現在は廃業されているようです。

合名会社神田陶器商店。加古川市加古川町本町。古くて大きい建物。

かつては倉庫だったのでしょうか。

入り口部分はアーチ。木の扉が良い雰囲気です。

神田家住宅洋館。加古川市加古川町。大正期。国登録有形文化財。神田家は煉瓦やタイルなどの生産をしていたようで、先に紹介した合名会社神田陶器商店の経営者のお屋敷と思います。

玄関部分には国登録有形文化財のプレートがあります。

友藤たばこ店。加古川市加古川町本町。昔ながらのたばこ屋さん。たばこ屋さんを兼ねた雑貨店もほとんど見なくなりましたねぇ。

旧銭湯。加古川市加古川町本町。玄関に店名があるのですが、肝心の部分が消えてしまっており、銭湯名は分からず。

本町倶楽部。加古川市加古川町本町。公民館ですね。

外観と造りからして昭和初期とかでしょうか。

玄関部分には立派な看板が。

次に日本毛織の社宅群エリアに入ります。ここは凄かった。

日本毛織社宅洋館。加古川市加古川町本町。大正期。

立派な洋館を持つお屋敷。

社宅で洋館が付属する建物はここだけです。偉いさんの官舎だったんでしょうか。


この界隈は当時の社宅群や工員宿舎が多く残されており、戦前の街並みがそのまま残っている状態。これ、ロケ地にもそのまま使えるのではと思えるくらいでした。

日本毛織社宅倶楽部1号舎。加古川市加古川町本町。明治31年。アメリカンスタイルの素敵な洋館。

日本毛織の社員の倶楽部建物です。

玄関部分に彫り物の装飾が置いてありました。

玄関脇にあるゴミ捨て場。

隣には日本毛織社宅倶楽部2号舎があります。明治44年築。

明治の洋館が並び建つ姿は圧巻です。
ここから加古川を渡りさらに西へ。

船頭公会堂。加古川市米田町。外観は改修されてますが、昭和初期くらいかなと思います。

敷地内にある下見板張りの倉庫。

日本毛織印南工場門衛所。加古川市米田町。大正8年。



印南工場の敷地内には大正期の煉瓦建築が数多く残されています。

特にこの給水塔と思われる煉瓦の塔は遠くからでも目立つランドマーク的な建物。可能ならば敷地内をじっくり見学してみたいなぁ。

東平津公会堂。加古川市米田町。こちらも船頭公会堂と同じく昭和初期かなと。
この先にある井ノ口公会堂を見に行ったのですが、残念ながら新たな公会堂へと建て替えられてました。再び加古川を渡り東へ。

中国銀行加古川支店。加古川市加古川町粟津。どこのサイトも取り上げてないので戦後の建物と思います。

しかし、最近では少なくなった古典様式の銀行建築。たとえ戦後でも貴重かなと。私自身、古典様式の銀行建築は好きですし。仮に最近の建物だとしたらセンスいいですね。

そういえば、姫路市でも同じ中国銀行の古典様式の姫路支店を見ました。

K邸洋館。加古川市加古川町粟津。大きなお屋敷に付属する洋館。

ここのお屋敷に住まわれている方、かなり珍しい名前の方です。

大村株式会社。加古川市加古川町。

煉瓦造の社屋があり、裏側は赤煉瓦ですが、表側はスクラッチタイル張りになってます。

大正期くらいですかね。

水路を挟んで同時期の建築と思われる大きな木造の倉庫があります。
最期に加古川駅方面へ。

准田土地住宅。加古川市加古川町篠原町。習わ初期。ゴシック風の窓を持つ洋館付き建物。

軒周りの装飾も華やかです。

壁にはよく洋館の門扉や玄関にあるノック用に付けられた鉄輪を咥えたライオンと同じ装飾が。

旧日本毛織加古川工場6番倉庫。加古川市加古川町寺家町。大正11年。

かつてこの一帯には日本毛織加古川工場の煉瓦建築がいくつも建っていましたが、再開発で取り壊され、現在はこの1棟のみ。加古川工場で最大の煉瓦建物だった6番倉庫は再活用されています。

以上で加古川市の近代建築の探索終了。数年前より数は減ったものの、それでも数多くのレベルの高い近代建築が残されており、日本毛織のお膝元の街としての隆盛を感じ取ることが出来ました。
加古川市は日本毛織のお膝元の街で、日本毛織関連の近代建築が数多く残されているため、そちらを期待して向かいました。
まずは、解体か保存かで揺れている名建築へ。

旧加古川町公会堂。加古川市加古川町本町。昭和10年。

最近まで図書館として使用されていましたが、図書館移転により現在は閉鎖。現在、解体か保存かで揺れています。

設計は置塩章。

大阪城内にある大阪陸軍砲兵工廠化学分析場を設計した人物としても知られています。こちらも解体か保存で揺れてますね。

正面の窓にはステンドグラスがあります。内部の写真を見たら中々見事なもの。閉館前に行くべきだったなと後悔。なんとか保存活用して欲しいところですがどうなるか・・・。
旧加古川町公会堂を後にし周辺を回ります。

Y邸。加古川市加古川町木村。

玄関部分が可愛らしいです。

ROOM2。加古川市加古川町寺家町。看板建築の商家をカフェに改装したもの。この日は中には入りませんでしたが、ネットで内部の写真を見たら中々洒落た雰囲気でした。
ここから西へと向かいます。

Y邸。加古川市加古川町木村。煉瓦の煙突がある住宅ですが、戦前かどうかは微妙かも。

日本毛織木村町社宅群。加古川市加古川町木村。大正〜昭和初期。同じデザイン・規模の住宅が10棟ほど建ち並んでいます。

主屋は和風ですが、塀は洋風で、玄関脇の出入り口がアーチになってる等、中々洒落た造りです。

ベランダのある裏側。

基礎は煉瓦造りで古さがあります。

ベランダの持ち送り。戦前の雰囲気を色濃く残す社宅群ですが、すでに全戸空家のようで、半数は半壊している廃墟状態。近いうちに姿を消すかもしれません。

N邸。加古川市加古川町木村。社宅群の隣にある住宅。

主屋が新しく見えたのでどうかなと思いましたが、付属屋や塀が戦前っぽく見えたので一応抑えることに。もしかしたら主屋は外観をリフォームしただけかもしれませんし。

宝湯。加古川市加古川町本町。現在は廃業されているようです。

合名会社神田陶器商店。加古川市加古川町本町。古くて大きい建物。

かつては倉庫だったのでしょうか。

入り口部分はアーチ。木の扉が良い雰囲気です。

神田家住宅洋館。加古川市加古川町。大正期。国登録有形文化財。神田家は煉瓦やタイルなどの生産をしていたようで、先に紹介した合名会社神田陶器商店の経営者のお屋敷と思います。

玄関部分には国登録有形文化財のプレートがあります。

友藤たばこ店。加古川市加古川町本町。昔ながらのたばこ屋さん。たばこ屋さんを兼ねた雑貨店もほとんど見なくなりましたねぇ。

旧銭湯。加古川市加古川町本町。玄関に店名があるのですが、肝心の部分が消えてしまっており、銭湯名は分からず。

本町倶楽部。加古川市加古川町本町。公民館ですね。

外観と造りからして昭和初期とかでしょうか。

玄関部分には立派な看板が。

次に日本毛織の社宅群エリアに入ります。ここは凄かった。

日本毛織社宅洋館。加古川市加古川町本町。大正期。

立派な洋館を持つお屋敷。

社宅で洋館が付属する建物はここだけです。偉いさんの官舎だったんでしょうか。


この界隈は当時の社宅群や工員宿舎が多く残されており、戦前の街並みがそのまま残っている状態。これ、ロケ地にもそのまま使えるのではと思えるくらいでした。

日本毛織社宅倶楽部1号舎。加古川市加古川町本町。明治31年。アメリカンスタイルの素敵な洋館。

日本毛織の社員の倶楽部建物です。

玄関部分に彫り物の装飾が置いてありました。

玄関脇にあるゴミ捨て場。

隣には日本毛織社宅倶楽部2号舎があります。明治44年築。

明治の洋館が並び建つ姿は圧巻です。
ここから加古川を渡りさらに西へ。

船頭公会堂。加古川市米田町。外観は改修されてますが、昭和初期くらいかなと思います。

敷地内にある下見板張りの倉庫。

日本毛織印南工場門衛所。加古川市米田町。大正8年。



印南工場の敷地内には大正期の煉瓦建築が数多く残されています。

特にこの給水塔と思われる煉瓦の塔は遠くからでも目立つランドマーク的な建物。可能ならば敷地内をじっくり見学してみたいなぁ。

東平津公会堂。加古川市米田町。こちらも船頭公会堂と同じく昭和初期かなと。
この先にある井ノ口公会堂を見に行ったのですが、残念ながら新たな公会堂へと建て替えられてました。再び加古川を渡り東へ。

中国銀行加古川支店。加古川市加古川町粟津。どこのサイトも取り上げてないので戦後の建物と思います。

しかし、最近では少なくなった古典様式の銀行建築。たとえ戦後でも貴重かなと。私自身、古典様式の銀行建築は好きですし。仮に最近の建物だとしたらセンスいいですね。

そういえば、姫路市でも同じ中国銀行の古典様式の姫路支店を見ました。

K邸洋館。加古川市加古川町粟津。大きなお屋敷に付属する洋館。

ここのお屋敷に住まわれている方、かなり珍しい名前の方です。

大村株式会社。加古川市加古川町。

煉瓦造の社屋があり、裏側は赤煉瓦ですが、表側はスクラッチタイル張りになってます。

大正期くらいですかね。

水路を挟んで同時期の建築と思われる大きな木造の倉庫があります。
最期に加古川駅方面へ。

准田土地住宅。加古川市加古川町篠原町。習わ初期。ゴシック風の窓を持つ洋館付き建物。

軒周りの装飾も華やかです。

壁にはよく洋館の門扉や玄関にあるノック用に付けられた鉄輪を咥えたライオンと同じ装飾が。

旧日本毛織加古川工場6番倉庫。加古川市加古川町寺家町。大正11年。

かつてこの一帯には日本毛織加古川工場の煉瓦建築がいくつも建っていましたが、再開発で取り壊され、現在はこの1棟のみ。加古川工場で最大の煉瓦建物だった6番倉庫は再活用されています。

以上で加古川市の近代建築の探索終了。数年前より数は減ったものの、それでも数多くのレベルの高い近代建築が残されており、日本毛織のお膝元の街としての隆盛を感じ取ることが出来ました。