2022年03月21日
兵庫県丹波市柏原町の近代建築探索レポ日記(柏原藩時代も含めて)

2016年6月に兵庫県丹波市柏原町を探索した時のレポ日記です。柏原町は織田家の柏原藩が治めていた町で、柏原陣屋を始め柏原藩時代の遺構や明治以後の近代建築がいくつか残る情緒ある街です。
まずは柏原藩の藩庁だった柏原陣屋へ。

長屋門。柏原陣屋時代の正門。

柏原陣屋の御殿は文政3年に再建されたものですが、明治維新後に解体され全体の1/5の玄関・式台・書院のみが残されています。



それでも当時の陣屋建物が残されているのは貴重です。
その柏原陣屋の隣にあるのが。

旧氷上第一高等小学校。明治18年。

現在は、たんば黎明館という観光施設として使用されています。

1階廊下。明治期の洋館らしく華やかです。

階段。

2階廊下。

室内の一部は休憩スペースに。

雰囲気もあり、一息つくにはいい建物です。

旧柏原尋常中学校本館。明治30年。

現在は柏陵記念館として保存されています。

正面側は柏原高校の敷地に入らないと見れないので、見るには許可がいります。

旧柏原町役場。昭和10年。

設計者は北播磨地域を中心に作品を残した内藤克雄。
内藤克雄の建物探索に関してはこちらの記事もどうぞ。
※加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)

旧柏原町役場は丹波市役所柏原支所として使用されてましたが、支所機能が移転した後は観光案内所として使用されています。

当時の雰囲気が良く残されていました。
明治以後の近代建築はここまで。ここからはおまけ的な感じで柏原町の名所めぐり。

太鼓櫓。元々、柏原陣屋の大手門近くにあったものを現在地に移築したもの。

織田家墓所。柏原藩の歴代藩主、織田家の墓所です。

市街地から少し離れた場所にあるためか、なんだか寂しい雰囲気でした。

柏原八幡神社。小高い丘の上にある神社。羽柴秀吉が再建させた社殿が残る名刹です。
この神社の特徴は何と言っても境内に鐘楼と三重塔があること。

柏原八幡神社三重塔。文化12年に再建された塔。

柏原八幡神社鐘楼。
明治初期に政府が発令した神仏分離令、そしてそれに伴い広まった廃仏毀釈運動。
古くからの神仏習合により多くの神社の中に建てられた塔や鐘楼といった仏教的建物、神社に付属した神宮寺は廃仏毀釈運動で悉く破壊されていきましたが、この柏原八幡神社は、神社内にあった仏教・経典類は廃棄されることなく全て元神宮寺だった乗宝寺へと移管。三重塔は八幡文庫に、鐘楼は時鐘としてそのまま残されるという全国的にも極めて珍しく円満に神仏分離が進められました。
その結果、現在では貴重な神仏習合の形を残す神社として今に伝わっています。