2022年04月09日
名張市の近代建築探索レポ日記

伊賀市の近代建築探索の翌日、2日目の探索地は名張市。
※伊賀市の近代建築探索レポ日記
近鉄名張駅からスタートし、市街地へ。

旧常盤湯。名張市上本町。昭和初期。

古い商店街(といってもほとんど閉業&住宅地化しつつあるアーケード街)の端にある旧銭湯。

常盤湯のあるアーケード街。完全なシャッター通りで、元店舗自体も一般住宅へと建て替えられつつあります。残されたのは撤去費用も捻出できず放置されている老朽化したアーケード。地元もですが、各地方都市でよく見る光景です。

丁子屋。名張市上本町。気になった建物。
ここから近くにあるという大正期の古い洋館医院へ。

すでに失われていました。現在は門柱があるのみ。ここにかつて大正12年築の洋館の医院があったそうですが。残念。
※参照・旧中村医院 ヘリタビ
気を取り直して次へ。

川地写真館。名張市新町。大正10年。3階建ての大きな建物。

元々はもっと華やかな外観だったようです。この地域のランドマーク的存在だったでしょうね。

中井家住宅。名張市元町。昭和7年。国登録有形文化財。

元は個人医院だった洋館。


旧中村医院が失われた今、名張市では唯一となった貴重な戦前の洋館医院。

洋風住宅。名張市木屋町。トイレを借りたローソンを出て歩いているときに見つけた建物。

ママン。名張市榊町。現在は喫茶店ですが、かつては料理店だったんでしょうか。

ちょいまる。名張市中町。大正期の建物だそう。外観から元銀行っぽく見えましたが、

実は看板建築でした。商店だったのかな。

旧玉乃湯。名張市榊町。昭和初期。

洋風の外観の旧銭湯。近年廃業されたそうです。いい建物だけに何か再活用されればいいですが。
名張市の近代建築探索はこれで終了。名張市の近代建築は伊賀市と比べて数が少なくかつ狭い範囲に収まっているので2時間程度で回り切れました。時間があるので名張陣屋藤堂家屋敷へ。

旧名張陣屋藤堂家屋敷太鼓門。享保年間の築で、昭和10年に現在地の寿栄神社へ移築。

名張陣屋藤堂家屋敷。元々は名張城という城があった場所に名張藤堂家が陣屋を構えたのが名張陣屋の始まりでした。



かつては名張小学校・中学校も陣屋の敷地でしたが、明治期にほとんどが取り壊され現在は奥屋敷のみが現存。それでもかつての陣屋建築を忍ばせる建物として貴重です。

名張陣屋の南側に残る石垣。絵図にも描かれている石垣で、大部分が失われた名張陣屋にとって貴重な遺構。
これにて、伊賀市・名張市の近代建築探索は終了。今回も多くの良い建物たちに出会えた旅となりました。