2022年05月05日
京都市左京区(哲学の道〜北白川界隈)の近代建築探索レポ日記
2018年2月17日探索分のレポ日記です。今回は京都市左京区の哲学の道を北上し北白川界隈を探索しました。スタートは南禅寺近くから。

岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。

アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。

昭和初期と思われる洋館の住宅。

小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。

K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。

正面から。

戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。

A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。

中々可愛らしい洋館。

桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。

敷地内にある煉瓦の小屋。

旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。

藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。

設計・施工は鴻池組。

敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。

ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。



戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。

T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。

住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。

玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。

U邸。浄土寺下南田町。

小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。

O邸。浄土寺下南田町。

平屋の洒落た洋館です。

M邸。浄土寺南田町。昭和初期。

哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。

窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。

洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。

株式会社なかじま。浄土寺石橋町。

小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。

N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。

T邸。銀閣寺前町。

主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。

レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。

K邸。銀閣寺前町。

中々大きな洋館です。

旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。

昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。

背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。

玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。

元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。

横から。

玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。

旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。

京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。

K邸。北白川小倉町。

植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。

背後から。

表札不明の洋館。北白川小倉町。

C邸。北白川小倉町。

昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。

現在は外国人の方のお住まいのようです。

K邸。北白川別当町。

京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。

O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。

T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。

表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。

K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。

S邸。北白川東小倉町。

昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。

H邸。北白川東小倉町。

庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。

K邸。北白川別当町。

角の入り口は後から作られた物ですかね。

K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。

S邸。北白川小倉町。

小さな洋館が付属していますね。

A邸。北白川小倉町。

白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。

旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。

藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。

旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。

ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。

銀月アパート。北白川伊織町。

昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。

外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。

ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。

玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。

百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。

1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・

これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。

旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。

藤井厚二設計の住宅建築。

2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。

旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。

O邸。岡崎天王町。

下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。

背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。

2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。
以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。

岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。

アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。

昭和初期と思われる洋館の住宅。

小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。

K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。

正面から。

戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。

A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。

中々可愛らしい洋館。

桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。

敷地内にある煉瓦の小屋。

旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。

藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。

設計・施工は鴻池組。

敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。

ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。



戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。

T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。

住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。

玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。

U邸。浄土寺下南田町。

小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。

O邸。浄土寺下南田町。

平屋の洒落た洋館です。

M邸。浄土寺南田町。昭和初期。

哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。

窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。

洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。

株式会社なかじま。浄土寺石橋町。

小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。

N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。

T邸。銀閣寺前町。

主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。

レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。

K邸。銀閣寺前町。

中々大きな洋館です。

旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。

昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。

背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。

玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。

元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。

横から。

玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。

旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。

京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。

K邸。北白川小倉町。

植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。

背後から。

表札不明の洋館。北白川小倉町。

C邸。北白川小倉町。

昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。

現在は外国人の方のお住まいのようです。

K邸。北白川別当町。

京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。

O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。

T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。

表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。

K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。

S邸。北白川東小倉町。

昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。

H邸。北白川東小倉町。

庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。

K邸。北白川別当町。

角の入り口は後から作られた物ですかね。

K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。

S邸。北白川小倉町。

小さな洋館が付属していますね。

A邸。北白川小倉町。

白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。

旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。

藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。

旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。

ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。

銀月アパート。北白川伊織町。

昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。

外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。

ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。

玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。

百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。

1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・

これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。

旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。

藤井厚二設計の住宅建築。

2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。

旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。

O邸。岡崎天王町。

下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。

背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。

2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。
以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。