2022年12月04日
福崎町の近代建築探索レポ日記
2022年12月3日に兵庫県福崎町にある近代建築を探索してきました。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。

地方で多くあった洋館の官公庁の建物。

壁の青さが空の青さに映える美しい建物。

正面玄関の飾り。

窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。

中々、モダンな外観です。

一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、

遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

井ノ口公民館。福崎町西田原。

地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。

逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。

正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。

戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。

妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。

主屋に付属して洋館が建っています。

付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。

実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。

洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。

時代を感じる観音開きの縦長窓。


妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。

かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。

門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。

すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。

いかにも明治の洋館と言った外観。

福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。
※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。

福田区公民館。福崎町福田。

洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。

敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。

玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?

玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。

公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。
以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。

地方で多くあった洋館の官公庁の建物。

壁の青さが空の青さに映える美しい建物。

正面玄関の飾り。

窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。

中々、モダンな外観です。

一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、

遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

井ノ口公民館。福崎町西田原。

地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。

逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。

正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。

戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。

妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。

主屋に付属して洋館が建っています。

付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。

実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。

洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。

時代を感じる観音開きの縦長窓。


妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。

かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。

門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。

すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。

いかにも明治の洋館と言った外観。

福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。
※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。

福田区公民館。福崎町福田。

洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。

敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。

玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?

玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。

公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。
以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。