2022年12月25日

舞鶴市・博奕岬防空砲台遺構見学レポ日記

舞鶴市の博奕岬にかつて明治時代に陸軍により建設された探照灯と太平洋戦争中に海軍が建設した防空砲台がありました。現在、海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっているため立ち入り禁止となっていますが、今回、フォロワーさんの粘り強い交渉により、海上自衛隊の方々の案内のもと、博奕岬防空砲台の遺構を見学することが出来ました。(2022年6月24日見学)。
交渉をしてくださったフォロワーさん、案内をしてくださった海上自衛隊の広報の方々には貴重な体験をさせて頂き、厚く御礼を申し上げます。

さて、博奕岬防空砲台ですが、上記の通り元々は明治33年に陸軍の探照灯が造られていました。その後、演習砲台として使用され、
昭和16年に海軍が敷地を取得。防空砲台として再利用されます。
博奕岬防空砲台 舞鶴海軍警備隊戦時日誌昭和17年10月20日









アジア歴史資料センター所蔵「舞鶴海軍警備隊戦時日誌(C08030485700)」より昭和17年10月20日撮影の博奕岬防空砲台。

博奕岬防空砲台遺構位置図








博奕岬防空砲台各遺構配置図。(管理人作成)

博奕岬防空砲台は昭和17年11月に完成します。
海軍の防空砲台は舞鶴市内に舞鶴湾を囲むように8ヵ所設置され、槇山・浦入・建部山のように明治期の陸軍の砲台を利用したものもありましたが、倉梯山防空砲台のように新たに設置された砲台もありました。
10年前に探索した倉梯山防空砲台のレポ日記。

博奕岬防空砲台は前述の通り海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっており、山頂の博奕岬防空砲台がある場所へと向かう山道の入り口には大きなゲートがあり、立ち入り禁止となっています。今回は海上自衛隊の方々の案内のもと、ゲートを通り向かうことになりました。

1軍道擁壁石垣










舗装路をそのまま登ると明治期の陸軍時代と思われる石積擁壁が出現。灯台へ至る舗装路もかつては軍道だったことが分かります。

2灯台前門柱













舗装路を登りきると灯台が見え、その手前にコンクリート製の門柱が現れます。

20220624_130707







岬の山頂にある博奕岬灯台灯台。最近外壁がリフォームされて綺麗になってますが、大正11年築。

IMG_1766













灯台の近くにある石製の門柱。明治期の物でしょうか。

3指揮所壕










灯台を過ぎさらに進むと、上部に荒廃した戦後の監視所の建物がある箇所に。その下のコンクリートの地下壕がかつての指揮所壕でした。

4指揮所壕










指揮所壕の入り口。

5指揮所壕入り口










指揮所壕の入り口に入ると、奥に木製の引き戸があります。

6指揮所壕内部










内部は物置になってましたが戦時中の当時のままでした。

7指揮所壕脇階段













指揮所壕入口脇の階段。戦時中も壕の上に監視の建物があったそうで、戦後に新たに建て替えたようです。

8指揮所壕脇の柵










指揮所壕の周りを囲むコンクリートの柵柱。

9指揮所壕近くの貯水槽










指揮所壕の近くの貯水槽。

IMG_1813










指揮所壕を過ぎ、しばらく歩くと道が分かれており、下へ下る道の方を進んでいくと、自衛隊の施設だったと思われる半ば廃墟と化した建物が見えてきます。そして、その建物の玄関の前に、

17地下式弾薬庫前高射砲座










高射砲の砲座がありました。8センチ高角砲の砲座と思われます。

10地下式弾薬庫










そしてさらに奥にコンクリートの弾薬庫壕が。

12地下式弾薬庫鉄扉










鉄扉も残されています。開いていたので入ってみました。

13地下式弾薬庫内部










14地下式弾薬庫内部










内部の奥壁は煉瓦になってましたが、どうも元々はもっと奥まであったのを途中で煉瓦で塞いだようにしか・・・。理由は不明ですが。

11地下式弾薬庫前貯水槽










弾薬庫壕前の貯水槽。

16地下式弾薬庫前木造建物










弾薬庫壕前、自衛隊施設に付属している木造建物。これも防空砲台時代の物で、別のフォロワーさんが紹介していた東京湾要塞金谷砲台の看守営舎によく似た造りですしかし、痛みもなく綺麗に残っています。

18埋第五号境界石













再び岬の上の道に戻り、そこから岬の先端に向かって尾根道を進みます。その尾根上に立つ「埋第五號」の境界石。見かけたことの無い珍しいタイプ。

19すり鉢状台座










尾根道を進んでいくとこのようなすり鉢状の台座が現れます。何かを据え付けていたボルトが見えるので、当初は砲座かと思ってましたがどうも違うのではという意見がメンバーから。探照灯は別の箇所にあるので、施設リストから聴音機か高角双眼鏡の台座ではと考えてます。

20すり鉢状台座正門










先ほどのすり鉢状台座の手前にはコンクリートの門柱と柵柱が。柵柱には未だに有刺鉄線が残されていました。

21貯水槽










一旦指揮所壕の場所まで戻り、今度は弾薬庫壕と高角砲座のあった地点の反対側の尾根下へ。
整地した平坦地となっており、小さな貯水槽などがありました。

22有蓋式退避壕










その脇にコンクリート製の半地下式の壕のようなものが。
20220624_135725







現地形を見ると、どうも当時は入り口前はスロープ状となってて、中に逃げ込めるようになっていたっぽいです。退避壕だったのでしょうか。

23電灯室










灯台まで戻り、灯台南東側の岬の最高所にある箇所へ。戦国期の山城の横堀のような土塁が回る道を歩いていくと、明治の陸軍時代の探照灯のあった電灯所に至ります。

24電灯室発電機台座










明治期の砲台の掩蔽部と同じ形ですが、奥に煉瓦の電灯井があるので、明治期から電灯所として造られていたようです。ただ、発電機は改められたのかコンクリートの台座となってました。

IMG_1839










内部から。入口脇に木製の壊れた古い椅子が放置されていました。当時の物でしょうか?

25電灯室井










電灯井。ここから探照灯を出し入れしていました。

26電灯室井上から










電灯所の上。先ほど下から見上げた電灯井の穴が見えます。かつてはどうやら屋根が掛けられていたようです。

IMG_1844










電灯所上部の周辺には探照灯の物らしきガラス片が大量に散乱していました。厚さは1cmくらいある分厚いもので、やや黄色がかってました。探照灯の撤去の際に割れたか破壊したのでしょう。

27電灯室門柱










電灯所を過ぎてすぐの所に立派な石製の門柱が建っていました。明治期の物の様で、この門柱の先も軍道らしき道が麓に向かって伸びているので、かつての正門だったのかもしれません。

28貯水槽か










門柱を過ぎて軍道跡を進むと水槽らしきものが見えました。他の旧軍遺構では見たことの無い造りです。雨水を貯めた水溜でしょうか。

29沈砂槽










さらに下って行くとコンクリート製の水槽がありました。形から恐らく沈砂式の浄水槽だったと思われます。

30発電室










電灯所から伸びる軍道跡を下って行くと灯台に至る舗装路に出ます。舗装路をそのまま下って行くと舗装路から枝に延びる旧軍道があり進むと煉瓦造の発電機室の建物が見えてきます。

31発電室門柱










発電機室の前にも石製の門柱と柵柱がありました。

33発電室










屋根は失われてますが煉瓦の躯体は 良好に残されており素晴らしいです。

32発電室内部










内部には煉瓦造の発電機の台座が残されています。明治期の探照灯時代から発電機室として作られたものです。

IMG_1868










発電機室の背後の一角。燃料を入れていたスペースでしょうか。

IMG_1859













木製の窓枠も残されていました。アーチ部分は丁寧に削って作られたもので木材もしっかりしたもので明治期の仕事の丁寧さが伺えます。昭和戦中期の細工の粗さとは対照的です。

34発電室脇基礎










発電機室の脇にある煉瓦基礎の建物跡。何の施設だったかは不明。

35発電室貯水槽










コンクリートの貯水槽。これは防空砲台時代のものと思われます。

38兵舎跡への石橋










発電機室を過ぎ、軍道跡を進むと石橋がありました。

36兵舎跡への石橋










37兵舎跡への石橋










小さな谷に架けた石橋ですが、石積の擁壁も相まって、まるで庭園のような優雅さを感じますw

39石橋脇の井戸










石橋の脇にある井戸。井戸枠は煉瓦積みでした。

40兵舎跡










石橋を過ぎると見えてくる兵舎跡の基礎。当時使われていた食器類の破片が散らばってました。

20220624_150903







便所跡。どうやら防空砲台時代の物のようです。

20220624_150845







反対側から。

20220624_150818













内部を見ると、やはり戦前のようですね。

今回の博奕岬防空砲台の見学会は、フォロワーさんの交渉により実現したもので、海上自衛隊の協力のもと正式な探索をすることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
というわけで、博奕岬防空砲台のある博奕岬は無許可での立ち入りは厳禁です。
そのあたりの話も隊員さんに聞いたのですが、海上自衛隊の敷地内なので、無断の侵入者があれば当然警ら隊がやってくること、海上自衛隊には逮捕権が無いので厳重注意で済むが、これが海上保安庁となると、逮捕される恐れがある(博奕岬灯台は海上保安庁の管轄で、立ち入り禁止区域)とのこと。
施設自体は老朽化しており現在は使われていませんが、以上の理由で無断進入は厳禁なのでご理解いただけたらと思います。博奕岬防空砲台の遺構に関しては拙い内容ですが、当記事で感じて頂けたらと思います。


besan2005 at 11:25│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新のお客様のご意見