2023年01月21日
京都市上京区(御所周辺〜西陣)の近代建築探索レポ日記
2019年5月11日に探索した御所〜西陣までの近代建築探索レポ日記です。一部、それ以前に訪問し現在は失われている建物も合わせて紹介します。上京区は物件が多く今回の記事はかなり長くなります。それでも全ては抑えきれていませんが。
さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。
十両。左京区聖護院山王町。
料理屋さんのようですね。
ここから上京区へ。
旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。
高島医院。俵屋町。
この洋館が診察室だったんでしょうか。
第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。
I・A邸。新烏丸頭町。
洋館付きの住宅が並んでいます。
T邸。松蔭町。昭和7年。
あの藤井厚二の設計です。
吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?
O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。
I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。
京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
2階階段室。
レトロな傘立て。
入り口のドア。
3階階段室。
3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。
N邸。宮垣町。
大きめの洋館が付属する住宅。
旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
玄関のステンドグラス。
この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
離れの建物。倉庫だったかな?
聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。
U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。
I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。
三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。
旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。
S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。
Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。
F邸。扇町。
中々存在感のある洋館です。
K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。
洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。
I邸。藪之下町。
結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。
S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。
洋館住宅。相国寺門前町。
同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。
長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。
京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
入口も当時のままで雰囲気あります。
K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。
バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。
宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。
焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。
旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。
M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。
理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。
Y邸。元土御門町。大正11年。
付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。
S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。
Y邸。一松町。
昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
門は和風なんですね。
キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。
N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。
きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。
F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。
K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。
無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。
M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。
協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。
旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。
旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。
旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。
BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。
昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。
浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。
浄福寺診療所。大黒町。
昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。
洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。
理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。
國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
洋館には凝った装飾が。
M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。
Y邸。末広町。
山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。
西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。
I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。
京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
※京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
※京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記
さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。
桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。
旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。
旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。
旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・
上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。
梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。
みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。
西陣には他にも
京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。
さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。
十両。左京区聖護院山王町。
料理屋さんのようですね。
ここから上京区へ。
旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。
高島医院。俵屋町。
この洋館が診察室だったんでしょうか。
第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。
I・A邸。新烏丸頭町。
洋館付きの住宅が並んでいます。
T邸。松蔭町。昭和7年。
あの藤井厚二の設計です。
吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?
O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。
I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。
京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
2階階段室。
レトロな傘立て。
入り口のドア。
3階階段室。
3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。
N邸。宮垣町。
大きめの洋館が付属する住宅。
旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
玄関のステンドグラス。
この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
離れの建物。倉庫だったかな?
聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。
U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。
I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。
三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。
旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。
S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。
Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。
F邸。扇町。
中々存在感のある洋館です。
K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。
洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。
I邸。藪之下町。
結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。
S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。
洋館住宅。相国寺門前町。
同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。
長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。
京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
入口も当時のままで雰囲気あります。
K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。
バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。
宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。
焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。
旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。
M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。
理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。
Y邸。元土御門町。大正11年。
付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。
S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。
Y邸。一松町。
昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
門は和風なんですね。
キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。
N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。
きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。
F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。
K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。
無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。
M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。
協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。
旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。
旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。
旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。
BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。
昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。
浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。
浄福寺診療所。大黒町。
昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。
洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。
理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。
國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
洋館には凝った装飾が。
M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。
Y邸。末広町。
山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。
西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。
I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。
京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
※京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
※京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記
さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。
桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。
旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。
旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。
旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・
上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。
梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。
みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。
西陣には他にも
京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。