2023年01月22日
姫路市網干区の近代建築探索レポ日記
去年2022年12月29日に行った、たつの市の近代建築探索の翌日、12月30日に行った姫路市網干区の近代建築探索レポ日記です。ちなみにちょうど1年前に姫路市の市街地の近代建築探索を行ってまして、ブログ記事にもしておりますので、そちらもご覧ください。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。
網干商工会館。興浜。昭和15年。
中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。
丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。
旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
毎月2回、日曜日に公開しているようです。
知原眼科。新在家。
大正〜昭和初期くらいでしょうか。
旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。
旧長久医院。余子浜。車が・・・・
別角度から。昭和初期くらいですかね。
旧銭湯。余子浜。現在は閉業。
林商店。余子浜。2階部分が洋風です。
金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。
旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
別角度から。
廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
木造倉庫もいくつか残されています。
旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。
大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
アメリカンスタイルの素敵な洋館。
内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
正面バルコニー。
現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。
旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。
以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。
網干商工会館。興浜。昭和15年。
中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。
丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。
旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
毎月2回、日曜日に公開しているようです。
知原眼科。新在家。
大正〜昭和初期くらいでしょうか。
旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。
旧長久医院。余子浜。車が・・・・
別角度から。昭和初期くらいですかね。
旧銭湯。余子浜。現在は閉業。
林商店。余子浜。2階部分が洋風です。
金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。
旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
別角度から。
廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
木造倉庫もいくつか残されています。
旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。
大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
アメリカンスタイルの素敵な洋館。
内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
正面バルコニー。
現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。
ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。
旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。
以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。