2023年02月12日
奈良市内の近代建築補足探索レポ日記(2023年2月11日)
4年前の2019年1月12日に探索した奈良市内の近代建築ですが、その後記事にするにあたりチェックしたところ、4年前の探索範囲で結構見逃している物件が多くあり、今回改めて補完するため補足探索をしてきました。4年前の探索分の記事と合わせてご覧いただけたらと思います。
※奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
また、有名物件なので何度も見ているけど、いつもスルーしていた建物もこの際なので紹介したいと思います。
今回は近鉄新大宮駅からスタートし、前回探索範囲をなぞる形で回っていきます。
M邸。芝辻町。童話に出てくるような可愛らしい洋館が付属しています。
G邸。法蓮町。住人の方のお名前はとても珍しい名字。庭木の手入れをしている人がいたのであまり近づけませんでしたが、中々レベルの高い洋館です。
背面。窓の先端が尖る尖頭アーチっぽいデザイン。昭和初期頃でしょうか。
洋室付き住宅。法蓮町。
見づらいですが、玄関脇に小さな洋室が付属しています。現在は空家のようでいずれ姿を消しそうです。
D邸。法蓮町。2019年に探索した際に訪問したI邸のすぐ隣の住宅。何故見落としたんだろうか。小さな洋館ですが、前面にドンとあるので存在感があります。
佐保会館。北魚屋西町。昭和3年。奈良女子大学の同窓会館の建物。実は4年前の探索時にこれを見ているのですが、その時は何故か写真を撮らなかった。
H邸。西笹鉾町。奥に大き目の洋館が見えますが取りづらい・・・。
旧南都銀行手貝支店。手貝町。昭和15年。国宝・転害門の隣にある銀行。昭和15年の銀行建築と言えば、RC造のモダニズム建築かもしくは古典建築が主流だったと思いますが、奥に見えている転害門との調和を考えてか、和風の木造建築となっています。近年リフォームされ、転害門観光案内所として使用されています。
旧南都銀行手貝支店と同じ通りに並ぶ洋風の看板建築。
鼓阪小学校講堂。雑司町。昭和11年。転害門の裏、東大寺の敷地に隣接する小学校。そのためか、建物自体はRC造ですが、外観は日本建築。当時から歴史的な景観に関しての配慮があったんですね。
2019年の探索でも訪問した奈良ホテル。辰野金吾設計の名建築は言うまでもないです。
今回訪問したのはこれを見るため。実はこれは防空壕。
宿泊者を空襲から守るために造られた防空壕は、銅鑼で知らせたそうです。
活活亭。紀寺笠屋町。昭和初期頃の洋館住宅を再利用した鰻料理店。
割とリーズナブルな値段で食べられるお店だったようですが、ネットの情報では2020年から休業をしているらしく、私は訪問した際はちょっと荒れ気味で、もう廃業かもしれません。食べログの写真を見ると、1階は和室。2階へ上がる階段はセセッション風の手摺で、是非見たかったですが…。
H邸。高畑町。2019年にも訪問し、記事にも書いてますが、4年前には存在した手前の民家が更地になっており、全体が見渡せる状態になっていました。
スクラッチタイルの門柱・塀柱。高畑町。奥の住宅は建て直されているようですが、門と塀の柱が昭和初期頃の感じに見えるので掲載。
M邸。紀寺町。これと同じような小型の丘屋根の洋館が付属する住宅は、2019年探索時の高畑町のK邸にもありました。
洋館付き住宅群。紀寺町。3軒ほどあります。
M邸。紀寺町。奈良市内の洋館が付属する住宅の洋館は、切妻屋根で妻側を向けているのが多いですね。
イケダ醤油煉瓦倉庫。北京終町。大正10年頃。京終駅へと向かう途中の住宅街にある大きな煉瓦建築。
妻側。
JR京終駅。京終町。明治31年。JR桜井線の駅。
レトロな木造駅舎ですが、近年リフォームされ、駅員室は喫茶店となっています。
ホーム側から。大切に使われているのはいいですね。
京終は「きょうばて」と読みます。由来はかつての平城京の外れという意味。日本でも有数の難読駅名・難読地名ですね。この京終駅から電車に乗りJR奈良駅へ。京終駅から奈良駅は1駅。
旧奈良駅舎。三条本町。昭和9年。RC造の駅舎ですが、外観は寺院の仏塔をイメージした和風の要素のある建物。2001年の立体交差化で取り壊しが検討されましたが、地元住民や観光客から保存を望む声が湧きあがり、2004年に北東へ18m曳家して保存することが決定。2009年に奈良市総合観光案内所としてオープンしました。
内部も和の要素を取り入れたデザインで、天井は折上格天井となっています。現役の頃に行ったことありますが、現在は観光案内所という性格か寺院建築の柱や梁を模したオブジェとかが置かれてちょっと邪魔かな・・・。ちなみに建物内にはスタバもありますので、一息つくにはいい感じの建物です。
H邸。杉ヶ町。
もしかしたら、事務所建築だったのかもしれません。表札は一応ありましたが、上から消されているような感じにも見え、空き家かもしれません。
三条会館ビル。角振町。大正12年。元は帝国実業貯蓄銀行。奈良市の繁華街である三条通りに面するレトロビル。昔から知られている建物で、幾度もテナントが変わり改修もされてきました。現在はうどん屋さんが入っています。
南都銀行本店。橋本町。大正15年。設計・長野宇平治。旧六十八銀行奈良支店だった建物で、三条通りのランドマークと言える建物であり、奈良市を代表する近代建築。
京都市内もですが、20年ほど前はまだ戦前の古典様式の銀行が多く残されていましたが、銀行の合併や再編で10年ほど前から次々と姿を消し、今では貴重な存在となっています。この南都銀行本店は大切に保存されているようです。
日本聖公会奈良基督教会。昭和5年。登大路町。まるで寺院のような教会。奈良という土地に合わせて寺院風の建築で建てられているのが面白いですね。
旧大阪電気軌道富雄変電所。富雄北。大正3年。2023年1月29日の富雄丸山古墳現地見学会に行った際に訪問。保存運動があり、以前はレストランとして再利用されていたみたいですが、現在は再び空き家となっているようで、今後どうなるかが気になります…。
これで奈良市内の近代建築の補足探索は終了。一応把握している建物は廻れたかなと思います(奈良国立博物館は有名すぎるのでスルー)。しかし、まだ場所を把握していない物件が少しあり、また新たな物件が見つかる可能性もあるので、それからまた溜ったら再度補足探索をして追加記事を書きたいと思います。奈良市と洋風建築って中々結びつかないように見えますが、結構残されていたりしますので。
※奈良市内の近代建築探索レポ日記(2019年1月12日)
また、有名物件なので何度も見ているけど、いつもスルーしていた建物もこの際なので紹介したいと思います。
今回は近鉄新大宮駅からスタートし、前回探索範囲をなぞる形で回っていきます。
M邸。芝辻町。童話に出てくるような可愛らしい洋館が付属しています。
G邸。法蓮町。住人の方のお名前はとても珍しい名字。庭木の手入れをしている人がいたのであまり近づけませんでしたが、中々レベルの高い洋館です。
背面。窓の先端が尖る尖頭アーチっぽいデザイン。昭和初期頃でしょうか。
洋室付き住宅。法蓮町。
見づらいですが、玄関脇に小さな洋室が付属しています。現在は空家のようでいずれ姿を消しそうです。
D邸。法蓮町。2019年に探索した際に訪問したI邸のすぐ隣の住宅。何故見落としたんだろうか。小さな洋館ですが、前面にドンとあるので存在感があります。
佐保会館。北魚屋西町。昭和3年。奈良女子大学の同窓会館の建物。実は4年前の探索時にこれを見ているのですが、その時は何故か写真を撮らなかった。
H邸。西笹鉾町。奥に大き目の洋館が見えますが取りづらい・・・。
旧南都銀行手貝支店。手貝町。昭和15年。国宝・転害門の隣にある銀行。昭和15年の銀行建築と言えば、RC造のモダニズム建築かもしくは古典建築が主流だったと思いますが、奥に見えている転害門との調和を考えてか、和風の木造建築となっています。近年リフォームされ、転害門観光案内所として使用されています。
旧南都銀行手貝支店と同じ通りに並ぶ洋風の看板建築。
鼓阪小学校講堂。雑司町。昭和11年。転害門の裏、東大寺の敷地に隣接する小学校。そのためか、建物自体はRC造ですが、外観は日本建築。当時から歴史的な景観に関しての配慮があったんですね。
2019年の探索でも訪問した奈良ホテル。辰野金吾設計の名建築は言うまでもないです。
今回訪問したのはこれを見るため。実はこれは防空壕。
宿泊者を空襲から守るために造られた防空壕は、銅鑼で知らせたそうです。
活活亭。紀寺笠屋町。昭和初期頃の洋館住宅を再利用した鰻料理店。
割とリーズナブルな値段で食べられるお店だったようですが、ネットの情報では2020年から休業をしているらしく、私は訪問した際はちょっと荒れ気味で、もう廃業かもしれません。食べログの写真を見ると、1階は和室。2階へ上がる階段はセセッション風の手摺で、是非見たかったですが…。
H邸。高畑町。2019年にも訪問し、記事にも書いてますが、4年前には存在した手前の民家が更地になっており、全体が見渡せる状態になっていました。
スクラッチタイルの門柱・塀柱。高畑町。奥の住宅は建て直されているようですが、門と塀の柱が昭和初期頃の感じに見えるので掲載。
M邸。紀寺町。これと同じような小型の丘屋根の洋館が付属する住宅は、2019年探索時の高畑町のK邸にもありました。
洋館付き住宅群。紀寺町。3軒ほどあります。
M邸。紀寺町。奈良市内の洋館が付属する住宅の洋館は、切妻屋根で妻側を向けているのが多いですね。
イケダ醤油煉瓦倉庫。北京終町。大正10年頃。京終駅へと向かう途中の住宅街にある大きな煉瓦建築。
妻側。
JR京終駅。京終町。明治31年。JR桜井線の駅。
レトロな木造駅舎ですが、近年リフォームされ、駅員室は喫茶店となっています。
ホーム側から。大切に使われているのはいいですね。
京終は「きょうばて」と読みます。由来はかつての平城京の外れという意味。日本でも有数の難読駅名・難読地名ですね。この京終駅から電車に乗りJR奈良駅へ。京終駅から奈良駅は1駅。
旧奈良駅舎。三条本町。昭和9年。RC造の駅舎ですが、外観は寺院の仏塔をイメージした和風の要素のある建物。2001年の立体交差化で取り壊しが検討されましたが、地元住民や観光客から保存を望む声が湧きあがり、2004年に北東へ18m曳家して保存することが決定。2009年に奈良市総合観光案内所としてオープンしました。
内部も和の要素を取り入れたデザインで、天井は折上格天井となっています。現役の頃に行ったことありますが、現在は観光案内所という性格か寺院建築の柱や梁を模したオブジェとかが置かれてちょっと邪魔かな・・・。ちなみに建物内にはスタバもありますので、一息つくにはいい感じの建物です。
H邸。杉ヶ町。
もしかしたら、事務所建築だったのかもしれません。表札は一応ありましたが、上から消されているような感じにも見え、空き家かもしれません。
三条会館ビル。角振町。大正12年。元は帝国実業貯蓄銀行。奈良市の繁華街である三条通りに面するレトロビル。昔から知られている建物で、幾度もテナントが変わり改修もされてきました。現在はうどん屋さんが入っています。
南都銀行本店。橋本町。大正15年。設計・長野宇平治。旧六十八銀行奈良支店だった建物で、三条通りのランドマークと言える建物であり、奈良市を代表する近代建築。
京都市内もですが、20年ほど前はまだ戦前の古典様式の銀行が多く残されていましたが、銀行の合併や再編で10年ほど前から次々と姿を消し、今では貴重な存在となっています。この南都銀行本店は大切に保存されているようです。
日本聖公会奈良基督教会。昭和5年。登大路町。まるで寺院のような教会。奈良という土地に合わせて寺院風の建築で建てられているのが面白いですね。
旧大阪電気軌道富雄変電所。富雄北。大正3年。2023年1月29日の富雄丸山古墳現地見学会に行った際に訪問。保存運動があり、以前はレストランとして再利用されていたみたいですが、現在は再び空き家となっているようで、今後どうなるかが気になります…。
これで奈良市内の近代建築の補足探索は終了。一応把握している建物は廻れたかなと思います(奈良国立博物館は有名すぎるのでスルー)。しかし、まだ場所を把握していない物件が少しあり、また新たな物件が見つかる可能性もあるので、それからまた溜ったら再度補足探索をして追加記事を書きたいと思います。奈良市と洋風建築って中々結びつかないように見えますが、結構残されていたりしますので。