2023年09月12日

第十六師団司令部 副官官舎の現存確認について

16師団










※旧陸軍第十六師団司令部庁舎。

京都市伏見区深草にかつて陸軍第十六師団司令部がありました。戦後敷地は聖母女学院となりますが、
現在も明治41年完成の師団司令部庁舎や京都偕行社などの建物が現存しています。
京都偕行社










※旧京都偕行社。現在は愛徳修道会。

旧第十六師団司令部関連の現存遺構は良く知られており、様々な文献やサイトで見ることができます
(というわけで、第十六師団の詳細な解説は省略します)。
ですので、まだ知られていない遺構はもう存在しないと思われていたのですが…
今月、とある依頼を受け深草地域の旧軍遺構と戦争遺跡に関して改めて調べていたのですが、何気に第十六師団司令部のあった聖母女学院の一帯の航空写真を見ていると、あることに気づきました。
聖母女学院








※GoogleMapより引用。

赤枠で囲った建物。一見何の変哲もない民家に見えますがどうも引っかかる。
実はこの建物の北側にかつて第十六師団長官舎の建物があったのですが、
師団長官舎1









師団長官舎2









※在りし日の第十六師団長官舎(1995年頃。管理人撮影 )

保存運動が起きたものの、約20年くらい前に取り壊され、跡地は住宅地となりました。
しかし、この建物は新たに建てられた住宅とは規模も形も違い、また敷地の広さや傾きも違う。
戦後に建てられたものかもしれないが、どうも引っかかる。それにもし戦前からの建物であるなら、軍用地の中の建物となるため、第十六師団関連の建物の可能性があるのでは。
というわけで、近代京都オーバーレイマップの戦前の都市計画図および、国土地理院公開の昭和21年の航空写真と現在の航空写真を見比べてみることに。
16師団副官官舎位置図









建物の規模、位置、傾き等を考慮すると、これは当時の第十六師団司令部関連の建物の可能性が高いのではという結果に。特に昭和21年の航空写真を見ると現在と同じ寄棟の屋根であることが分かります。
都市計画図に描かれている太いラインは軍用地の境界である土堤を記したもので、件の建物がかつては軍用地内にあったものだということが分かります。
師団司令部航空写真








こちらは「未来へ紡ぐ深草の記憶から」というサイトにある第十六師団司令部の航空写真(昭和10年頃。所蔵・聖母女学院)。赤枠が問題の建物。この写真でも寄棟屋根であることが分かり、戦前から屋根の形状は変わらないということが判明しました。

これらの結果をいつもお世話になっっています盡忠報國様にお伝えし、意見交換を行いました結果、師団司令部の佐官クラスの副官官舎の可能性が極めて高いという見解を頂きました。
そこで、実際に9/9の土曜日に確認をしてまいりました。
副官官舎1










副官官舎と思われる建物の外観。現在は個人宅となっており(※表札を修正)、外観は大きく変更され屋根瓦も吹き替えられています。また、かつて土堤があったと思われる場所は生垣とブロック塀になっており、面影はありません。
副官官舎2










しかし、聖母女学院の敷地側となる奥側は当時のままの下見板張りの外観が保たれていました。奥には出窓らしきものも見えます。次に副官官舎の入り口、玄関の位置についてですが、現在は建物の東側に門がありますが、昭和10年代の航空写真や、昭和21年の航空写真を見ると、今より北側に門があり、副官官舎の北側の面に向かって道が伸びてます。
副官官舎1










敷地の入り口となる門は現在は東になっていますが、門から建物への導線は北側を通ってます。
玄関か










また、よく見ると今でも玄関入り口と思われる三角の小屋根が確認できます。
第二師団副官官舎










こちらは第二師団の副官官舎の平面図。
「旧陸軍省における官舎建築の供給制度と平面構成について」より引用。
この第二師団の副官官舎も方角は違いますが、建物の長辺側に玄関を設け、玄関を入って左側に浴室や台所、向かって右側に居間と客間があります。居間には出窓があり、先ほど上げた外観の写真と一致します。官舎はほぼ画一化された設計をしており、この第十六師団の副官官舎も第二師団副官官舎とほぼ同じ平面プランと間取りをしていたものと思われます。
平屋の官舎ですが、客間は床の間を備えた書院造となっており、格式を持っています。

盡忠報國様の見解だと、佐官級の丙号官舎の可能性が高いとのことでした。
奥に残る当時の外壁や建物の平面プラン、屋根の形状から躯体も含めて当時の状態で残されているものと思われます。
※本当は奥側へ回り込んで確認したかったんですが、聖母女学院の敷地となっているため不可能でした。ただ、写真は撮ってませんが、北側に立ち並ぶ住宅の隙間から少し確認することはできました。
第16師団副官官舎新築工事の件1









※「第16師団副官々舎新築工事の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031382800、永存書類乙輯第2類 第3冊 明治44年(防衛省防衛研究所)

アジア歴史資料センターに第十六師団の副官官舎新築に関する資料がありました。書かれている仕様書や図面が公開されていないのは残念ですが、新築工事の文書を作成した時期から見て、副官官舎が完成したのは明治45年頃でしょうか。
また、「建築敷地は買収必要なし」と書かれているため、すでに軍用地となっている師団の敷地内に新築したことが分かります。

師団長官舎は戦後大蔵省に移管され、結局取り壊されましたが、副官官舎の方は戦後すぐかどこかの時期で民家となり一部改装はされつつも現在まで残り続けたのでしょう。

第十六師団司令部関連の遺構は有名で、多くの人に知られているため、もうこれ以上の新たな遺構の発見は無いだろうと思われていただけに、今回の副官官舎の現存の確認は大きな成果ではないかと自負しております。

※詳細な考察と見解は、盡忠報國様のブログ記事に委ねることにしますw

besan2005 at 13:07│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 旧軍遺構

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