2023年12月21日
船岡山公園に現存する昭和10年頃のすべり台。(京都市内で現存最古か)
京都市北区にある船岡山は、中世には応仁の乱での西軍の本陣が置かれ船岡山城が築城、明治2年には織田信長を祭神とする建勲神社が創建されるなど、歴史的な丘ですが、昭和10年11月1日に都市公園として整備されて以来、京都市の近代化遺産としての都市公園の遺構を多く残す公園でもあります。
その船岡山公園に残る近代化遺産に関しては2018年に記事にしましたが、
※船岡山公園に残る近代化遺産
この度、開園当初の昭和10年代に撮影されたものと思われる広場の古絵葉書を入手しました。

こちらがその古絵葉書になります。絵葉書には休憩所と手前にすべり台の一部が写っています。
これとほぼ同じアングルで撮影した現在の船岡山公園の広場がこちら。

現存するすべり台や休憩所が同じ位置に写っています。また、船岡山公園広場のすべり台の特徴である2連のすべり台部分も絵葉書でも確認できます。

古絵葉書の通信面。通信面には右書きで「郵便はかき」「船岡山公園」「昭和十年十一月一日開園 京都市」の文字があります。ここで注目したいのは「郵便はかき」の表記。
この「郵便はかき」が「郵便はがき」と濁点がつくのは、昭和8年2月以降。右書きから左書きに変わるのは戦後であるため、昭和10年開園の船岡山公園の絵葉書と年代が一致します。
このことにより、船岡山公園の広場にあるすべり台は開園当時の昭和10年頃のすべり台ではないかと考えられ、もしそそうであれば、確認できる上で京都市内最古のすべり台になるのではと思い、現地で確認をしてきました。

船岡山公園の広場にあるすべり台。

右横から。

左横から

正面から。すべり台の部分は人造石研ぎ出し。後述しますが、人造石研ぎ出しのすべり台は京都市内の児童公園でよく見かけます。

背面から。登り階段は左右にあり、2連のうちどちらかから滑れるようになってます。
この写真でお気づきでしょうけど、階段部分の側板の鉄板はリベット打ちです。

すべり台の下部の様子。底面はL字型の山型鋼と平版鋼をリベット打ちして支えています。支柱もリベット打ち。

戦前の鉄骨は山型鋼と平板鋼でリベット打ちをするのが主流で、今日では主流になっているH型鋼とハイテンションボルト留めは戦後からになります。

絵葉書に唯一写るすべり台の下部を拡大して見ました。打たれたリベットが確認できます。

逆方向の写真ですが、同じ部分。リベットの位置は絵葉書に写るリベットの位置と同じ感じで、まさに昭和10年頃に設置されたすべり台と言えます。絵葉書では鉄製の支えのようなものが見えますが、のちに埋められたようで現在は確認できません。

先ほども書きましたが、京都市内の児童公園にはこの飛鳥井児童公園のすべり台のような昭和30年代位と思われる人造石研ぎ出しのすべり台をよく見かけます。しかし、船岡山公園のすべり台と比較すると、階段は溶接、すべり台自体も鉄骨リベット打ちではありません。ここ最近、京都市内の戦前の児童公園を調査していますが、公園内にある古いすべり台は全て飛鳥井児童公園のタイプの造りで、船岡山公園のタイプは、船岡山公園に残るのみです。

いつもお世話になっているフォロワーのミカンセーキ(@hnnh_mikan)さんに現地で計測したデータを基に図面に起こしていただきました。
この船岡山公園のすべり台、開園当時の昭和10年頃のものであると思われますが、そうなると、今のところ私が把握している中では京都市内最古のすべり台ということになり、近代化遺産として全国的にも非常に貴重な存在と考えられます。
ぜひ、公的機関による調査が行われ、文化財としての近代化遺産、そして現役の戦前の遊具として保存対策をお願いしたいところです。

最後にすべり台に登ってみました。計測では約260cmの高さがあり、立つと結構怖いです。
その船岡山公園に残る近代化遺産に関しては2018年に記事にしましたが、
※船岡山公園に残る近代化遺産
この度、開園当初の昭和10年代に撮影されたものと思われる広場の古絵葉書を入手しました。

こちらがその古絵葉書になります。絵葉書には休憩所と手前にすべり台の一部が写っています。
これとほぼ同じアングルで撮影した現在の船岡山公園の広場がこちら。

現存するすべり台や休憩所が同じ位置に写っています。また、船岡山公園広場のすべり台の特徴である2連のすべり台部分も絵葉書でも確認できます。

古絵葉書の通信面。通信面には右書きで「郵便はかき」「船岡山公園」「昭和十年十一月一日開園 京都市」の文字があります。ここで注目したいのは「郵便はかき」の表記。
この「郵便はかき」が「郵便はがき」と濁点がつくのは、昭和8年2月以降。右書きから左書きに変わるのは戦後であるため、昭和10年開園の船岡山公園の絵葉書と年代が一致します。
このことにより、船岡山公園の広場にあるすべり台は開園当時の昭和10年頃のすべり台ではないかと考えられ、もしそそうであれば、確認できる上で京都市内最古のすべり台になるのではと思い、現地で確認をしてきました。

船岡山公園の広場にあるすべり台。

右横から。

左横から

正面から。すべり台の部分は人造石研ぎ出し。後述しますが、人造石研ぎ出しのすべり台は京都市内の児童公園でよく見かけます。

背面から。登り階段は左右にあり、2連のうちどちらかから滑れるようになってます。
この写真でお気づきでしょうけど、階段部分の側板の鉄板はリベット打ちです。

すべり台の下部の様子。底面はL字型の山型鋼と平版鋼をリベット打ちして支えています。支柱もリベット打ち。

戦前の鉄骨は山型鋼と平板鋼でリベット打ちをするのが主流で、今日では主流になっているH型鋼とハイテンションボルト留めは戦後からになります。

絵葉書に唯一写るすべり台の下部を拡大して見ました。打たれたリベットが確認できます。

逆方向の写真ですが、同じ部分。リベットの位置は絵葉書に写るリベットの位置と同じ感じで、まさに昭和10年頃に設置されたすべり台と言えます。絵葉書では鉄製の支えのようなものが見えますが、のちに埋められたようで現在は確認できません。

先ほども書きましたが、京都市内の児童公園にはこの飛鳥井児童公園のすべり台のような昭和30年代位と思われる人造石研ぎ出しのすべり台をよく見かけます。しかし、船岡山公園のすべり台と比較すると、階段は溶接、すべり台自体も鉄骨リベット打ちではありません。ここ最近、京都市内の戦前の児童公園を調査していますが、公園内にある古いすべり台は全て飛鳥井児童公園のタイプの造りで、船岡山公園のタイプは、船岡山公園に残るのみです。

いつもお世話になっているフォロワーのミカンセーキ(@hnnh_mikan)さんに現地で計測したデータを基に図面に起こしていただきました。
この船岡山公園のすべり台、開園当時の昭和10年頃のものであると思われますが、そうなると、今のところ私が把握している中では京都市内最古のすべり台ということになり、近代化遺産として全国的にも非常に貴重な存在と考えられます。
ぜひ、公的機関による調査が行われ、文化財としての近代化遺産、そして現役の戦前の遊具として保存対策をお願いしたいところです。

最後にすべり台に登ってみました。計測では約260cmの高さがあり、立つと結構怖いです。
この記事へのコメント
1. Posted by aki 2023年12月24日 00:03
この様な書込大変失礼致します。日本も当事国となる台湾有事を前に 日本の国防を妨げる国内の反日の危険性が共有される事を願い書込ませて頂きます。
今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。
世論誘導が生んだ民主党政権、中韓を利す為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など数知れぬ韓国への利益誘導の為に働きました。
メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や“身を切る改革”に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、
日本弱体と利益誘導に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。
世論誘導が生んだ民主党政権、中韓を利す為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など数知れぬ韓国への利益誘導の為に働きました。
メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や“身を切る改革”に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、
日本弱体と利益誘導に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。