2024年02月25日

あおい(下鴨膳部)児童公園に残る都市公園としての近代化遺産

京都市左京区下鴨東梅ノ木町にあるあおい(下鴨膳部)児童公園を探索しました。(※戦前は下鴨膳部児童公園という名前でしたが、現在は「あおい児童公園」となっています。以下は「あおい児童公園」と称します)。
あおい児童公園
は昭和10年5月14日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳児童公園に残る都市公園としての近代化遺産

1あおい児童公園東門 左京区下鴨東梅ノ木町 昭和10年5月14日










あおい児童公園東門。

2あおい児童公園東門










門柱脇の袖塀はアールデコ調のデザイン。
3あおい児童公園東門










反対側も同じデザインで、シンメトリーになっています。

4あおい児童公園東門










公園側から。
5あおい児童公園南門










あおい児童公園南門。南門も東門と同じデザインです。
13あおい児童公園土地区画整理記念碑










公園内には大きく「記念」と彫られたインパクトのある石碑があります。
14あおい児童公園土地区画整理記念碑










背面の碑文。昭和8年に下鴨土地区画整理事業を記念して設置された記念碑です。
京都市内の児童公園は周辺の分譲地開発に伴い造られたものが多く、紫野柳児童公園・萩児童公園にも記念碑が残されています。
9あおい児童公園国旗掲揚台










あおい児童公園には国旗掲揚台も残されています。装飾の少ないモダニズムなデザイン。
10あおい児童公園国旗掲揚台










戦前の日本では、公園などの多くの人が集まる公共の場において、国旗の掲揚が推奨されました。そのため日本各地の公園内や町内に国旗掲揚台が設置されていきました。それらは町内会や個人・団体の寄付により建てられました。今でも京都市内の戦前の公園内や街角にいくつか残されています。
11あおい児童公園国旗掲揚台










国旗掲揚台は背後に金属のポールを設置し、そのポールに国旗を掲げました。
あおい児童公園の国旗掲揚台の背面にもポールを立てるための窪みがあり、固定していた金具の跡も残されています。
16あおい児童公園砂場










あおい児童公園には砂場もありますが、あまり使われていないのか荒れていました。

あおい児童公園は少ないながらも質の高い戦前の児童公園の遺構が残されており、この地域の分譲地としての開発の歴史を伝える貴重な近代化遺産と言える公園です。


besan2005 at 10:08│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 京都府 | 戦前の都市公園

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