2024年03月24日
富雄丸山古墳・造り出し部埋葬施設出土木棺等現地説明会レポ日記
去年、国宝級の発見と言われた鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡と東アジアでも最大級の蛇行剣が出土した富雄丸山古墳の造り出し部の埋葬施設。その埋葬施設内部の発掘調査が行われ、木棺や銅鏡、竪櫛などが出土し、3/17に現地説明会が行われたので行ってきました。
写真は盾形銅鏡と蛇行剣が出土した状態の去年の写真で、木棺を粘土で覆った埋葬施設(粘土槨と言います)の上に置かれていました。
※去年参加した富雄丸山古墳の現地説明会レポ日記
今回の富雄丸山古墳の現地説明会は、16日午後と17日に開催されれ、16日には3000人くらい訪れたと聞き、10時からの開始予定でしたが、8時に到着。古墳の近くには新たな案内板が設置されていました。看板が富雄丸山古墳の形で、矢印が蛇行剣w ちなみにもう一つ、鼉龍文盾形銅鏡の形をした案内板も設置されているようです。
8時に到着しましたが、誰もおらず。8時30分くらいから列が出来始め、1時間早めた9時から県が゛区開始となりました。
発掘された埋葬施設。埋葬施設の上には屋根がかけられ、その中を通路を歩きながら見学する感じでした。
しかし、1番乗りだった私はまだそんなに多くの人がいなかったため、じっくりと見学することができました。
埋葬施設全体。出土した木棺は非常に保存状態が良く驚きました。粘土槨の上に乗せられていた盾形銅鏡と蛇行剣から溶け出した金属イオンが作用して、木棺の腐食を防いだそうですが、古墳の木棺は大抵残っていないため、当時の木棺の姿を伝える貴重な発見です。木棺は割竹形木棺。木棺本体はコウヤマキで作られ、小口板はスギで作られています。
木棺の南東側には銅鏡が3枚重ねられて埋葬されていました。
銅鏡をアップで撮影してみました。表面(鏡面)を上にしているので文様はまだ不明ですが、縁の感じを見ると、三角縁というより平縁に見えます。当時日本にも多く伝わった漢式の内行花文鏡かなと思ってます。しかし、アップにすると益々木棺の保存状態の良さに驚きます。
木棺内に残された水銀朱。当時、朱の赤色は魔除けの意味合いがあり、古墳に埋葬された木棺や石棺の内部に塗られていました。水銀朱は金属なので、1700年以上経った現在でも鮮やかにその朱の色が残されています。ちなみに、竪櫛も9個ほど埋葬されていたそうですが、保存のために取り上げられていました。
さて、この造り出し部に埋葬された人物はどのような人だったのか。棺内に剣や刀、鏃などの武具が埋葬されていないこと、竪櫛が埋葬されていることから、被葬者は女性ではとの見方がされています。富雄丸山古墳の主である墳頂部に埋葬された人物の姉か妹ではとの説もあるようですが、それにしては副葬品が質素に見えます。それこそ首飾りである玉類とかあってもおかしくはないと思いますが、一切ないのが。私は富雄丸山古墳の主に仕えていた側近的な人物で、巫女的な存在だったのではと考えてます。棺外に置かれた盾形銅鏡と蛇行剣は主を守る魔除けの意味があったのではと。あくまで私の推測ですが。
1巡したあともう1度見たくなって2巡。その際にスマホにある3Dモデルが作成できるアプリを試してみることに。流れに沿って連続写真を撮るだけで簡単に3Dモデルが出来ました。便利な時代になりましたね。
2巡目を終えて富雄丸山古墳を後にした直後に見学者が一気に増えたようで40分待ちとかになったようです。やはり早めに来てよかった。
富雄丸山古墳の調査はまだ続くようなので、今後どんな発見があるのか楽しみですね。
※今回の富雄丸山古墳の現地説明会資料のPDFはこちらからDLできます。