2024年10月14日
福知山市・河守防空監視哨跡探索レポ日記
京都府福知山市大江町にある河守防空監視哨跡を探索してきました。
防空監視哨とは、戦時中に敵機の来襲を監視するために設けられた民防空による見張り所で、軍の指導の下に在郷軍人や青年団、青年学校生徒などが防空監視隊を編成し交代で任務にあたってました。
大江町の河守地区に防空監視哨が存在し、記念の石碑が建てられているのを知ったのは、上記の2016年4月15日付の両丹日日新聞に載せられた、「中高生らが戦争遺跡を調査 防空監視哨訪ね」の記事を見たことからでした。非常に興味がある記事でしたが、肝心の元ページは文字化けにより判読不可。何とか場所を探そうと試みましたが、どうしても分からず行き詰っていたところ、フォロワーさんよりエンコードした記事を送ってくださり、ようやく場所を知ることが出来ました。
河守防空監視哨跡の場所。集落の道から伸びる山道をひたすら歩いていくと15〜20分で到着。
山道は倒木が多いものの、割と分かりやすい山道でした。
到着した河守防空監視哨跡。記念碑とお堂があります。
記念碑の正面には「大東亜戦争河守監視哨跡」
左側面には「元監視哨員及有志者一同」
右側面には「昭和四十四年四月建之」の文字が刻まれています。
河守防空監視哨跡の石碑のある場所を裏側から。整地された痕跡が見られます。
実はこの場所は麓の清園寺の奥の院に当たる場所で、明治期に整備されたようです。
ただし、記念碑の横に建つお堂は戦後に建てられたもののようで、戦時中は奥の院に至る山道や平坦地を利用して防空監視哨が設置されたものと思われます。
河守防空監視哨は集落から歩いて20分程度の場所にあり、おそらく普段の生活は麓の集落で行い、交代の際に登ったものと思われます。
「昭和十九年度京都府防空計画」に記載されている京都府内の防空監視哨。防空監視哨は各防空監視隊本部の下、任務にあたってました。防空監視省の多くは木造の櫓状のものだったようで、現在、防空監視哨は建物は失われ、山中に埋もれており、場所が分からなくなっているものも多くあります。
その中で、京都市右京区京北町の黒田防空監視哨は地元の方の尽力により、跡地に模擬櫓と説明板が設置されました。
防空監視哨を記した地図を基に作成した京都府内防空監視哨の位置図。
多くが山中に埋もれ、場所も分からなくなっている防空監視哨跡が多い中、記念碑として残されている河守防空監視哨跡は、戦時中の民防空の痕跡を伝える貴重な存在と言えます。
登山口の下にある護国神社の社号標。
その裏には「河守町軍友会」の文字が刻まれています。その他、紀元二千六百年記念の石碑がありました。
小さな集落の中の小さな神社の境内にも、戦前・戦中の姿を伝える遺物が残されています。