商業施設
2022年12月18日
村野藤吾の設計・ルビノ京都堀川見学&宿泊レポ日記

2022年12月15日、京都市にあるホテル、ルビノ京都堀川に宿泊を兼ねた見学をしてきました。
ルビノ京都堀川は公立学校関係の宿泊施設として、1972年に完成しました。設計は戦前・戦後のモダニズム建築の大家として知られる村野藤吾。京都市内にある村野藤吾の設計のホテルと言えば、ウェスティン都ホテルや都ホテル京都八条、ザ・プリンス京都宝ヶ池等がありますが、ツイッターのフォロワーさんが、このホテルも村野藤吾の作品だとつぶやいており、興味を持ったこと、さらには来年2023年3月31日に閉館ということもあり、宿泊料金も一般のビジホ程度いう価格もあって宿泊兼見学をしてみようと思いました。まずは外観。ホテルについたのは夜だったので、写真は翌朝の撮影になります。

角のベランダ。

客室棟の外観。出窓は村野藤吾が好んだデザイン。

正面玄関。ここからはホテルに着いた前日の夜の撮影。

玄関横にある柵。これも村野藤吾のデザインでしょうか。
では中に入りましょう。

玄関ホール脇のロビー。

この手摺の感じは村野藤吾っぽさが出てますね。

玄関ホールの天井の照明。70年代のモダンさを感じます。
フロントでチェックインして、ホテルの人に許可をもらい、教えてもらいながら館内を探索。
まずは、一番村野藤吾らしさを感じるメインの場所へ。

中央玄関。

ルビノ京都堀川で一番の見所。

3階まで続く赤絨毯の階段はレトロモダンな懐かしさも感じさせます。

上から。

手摺の装飾。

村野藤吾といえば階段。この絶妙なカーブの造作は素晴らしい。

何度も上り下りしてましたw
次も階段ですが、ちょっと隠れた場所の穴場な階段へ。
しかし、ここはより村野藤吾らしさの出ている階段でした。

1階から6階の屋上まで続く非常階段。

一見、何の変哲もない無機質な階段に見えますが、この手摺に注目。

この絶妙な手摺のカーブのデザインはまさに村野藤吾といった感じなのです。

ウェスティン都ホテルもですが、村野藤吾と言えば階段の手摺と言われるほど、その優美な曲線が言われますが、このルビノ京都堀川の非常階段の手摺もまさにそんな感じ。

特に最上階のこの手摺の優美な曲線は必見。

手摺の優美な曲線は、女性らしさを感じるような柔らかな美しさを感じました。

上から階段をのぞき込む。

実際に手摺を伝いながら上から下まで何度か上り下りしてみましたが、階段の踊り場のカーブとかでも誘導されるような感じに伝うことができ、また、持つのに程よい高さと斜度で、美しさだけでなく機能性も考えられている感じでした。まさに機能美。

十分に非常階段を堪能したあとは、2階と3階のフロアを探索。
まずは2階から。

2階にある小階段。

2階大宴会場前のフロア。奥は吹き抜けになっています。
こちらも手摺が見どころ。

吹き抜けの照明。この下にエスカレーターがあるのですが、封鎖されていました。

大宴会場の扉。

2階ロビー。

モダンなデザインですが、どことなく和風な感じもします。

2階の小カウンター。格子の造りがいい感じ。

天井の照明も昔のモダンな雰囲気があります。

2階宴会場のガラス扉。こういう模様の入ったガラス戸も見なくなりましたねぇ。

廊下。

廊下の鏡台にも装飾が。

会議室の雰囲気もいわゆるレトロモダンさを感じる雰囲気です。

次は3階へ。3階のロビー。

3階のロビーは2階のロビーに比べて開放感があります。

天井の照明のデザインは、何となくアールデコっぽさを感じます。

これは翌日撮影した和室の大広間。実は同じ日に中学校の修学旅行生が宿泊していて、
修学旅行生が出発した後に撮影させてもらいました。まだ蒲団がw

3階の奥にあるチャペル。ルビノ京都堀川は結婚式場としても使われていました。

チャペル前の部屋。かつては多くのカップルがここで結婚式を挙げたのでしょうね。

チャペル前の照明。チャペルらしく華やかな証明です。

正面の照明も花をモチーフにした華やかなもの。

チャペルの扉。チャペルには入れなかったのは残念。

さて、本日泊る客室へと向かいます。これは先ほど見学した階段の階数表。
文字がいい感じ。

本日泊る部屋は5階。廊下を歩き部屋へ。

本日のお部屋。部屋はビジホと変わらないシンプルさ。


しかし、設備の照明にレトロさを感じニヤニヤ。

机や椅子は木目を生かした家具調のもの。

特にこの椅子のデザインは気になりました。
村野藤吾の家具を調べた感じでは木目を生かした家具が多いようで、村野さんの得意とするカーブも家具にはよく取り入れられているようです。この椅子には曲線が少なくどうかなと思いましたが、背もたれの折れの部分が丁寧な造りで、もしかしたらと感じました。どちらにせよ、最近のホテルでは見かけない木製の椅子ですから、開業時からのものの可能性があります。

机の脚は先に向かうにつれ細くなる造り。村野さんのデザインのテーブルを見ていると似たようなデザインです。ちなみにホテルの方に聞いたら、客室の家具は村野藤吾のデザインかは分からないけど、開業当初からのものだそう。とすると、村野藤吾のデザインの家具の可能性もありますね。閉館後はどうなるんだろう。

ベッドと横の照明装置は当初からのもので間違いないかと。柔らかな木調の調度品に触れながら一夜を過ごします。

客室から眺める京都の夜明け。おはようございます。

客室から出たあとは無料の朝食(パンと飲み物のみ)を頂くために1階のレストランホールへ。

照明とかを眺めたり。

以前はレストランをやっていたそうですが、今はもう営業していないとか。

朝食とコーヒーを頂き、ルビノ京都堀川を後にしました。

ルビノ京都堀川の今後についてチェックアウト時にスタッフの方に聞きました。
閉館後は別の施設に使われるかもしれないが、老朽化もあり今後の予定は未定とのこと。
今年で開業50年ですから致し方が無い面もありますが、村野藤吾のデザインがふんだんに見られるホテルが無くなるのは惜しい気もします。これまで戦後のモダニズム建築には全く興味が無かった自分ですが、改めて鑑賞すると、丁寧にデザインされた階段や手すり、内装など見所満載で、さらには懐かしさを感じるレトロモダンな雰囲気に大いに楽しめ満足することが出来ました。
閉館まであとわずか。機会があれば訪れてみてください。
2021年11月21日
旧亀岡商工会館内部探索レポ日記

今年の10/17に探索した旧亀岡商工会議所。前回は内部には入れず外観のみの見学でしたが、
今回、内部でちょっとした展覧会が内部全体で行われていると知り、更には今回が最後の内部を見れる機会という事で、再び旧亀岡商工会議所へと向かいました。
旧亀岡商工会館は昭和33年に保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初で、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用され今に至ってます。数年前までは半地下の1階に店舗があり、各階の部屋の一部も事務所として利用されていましたが、老朽化が進み来年2022年2月に解体が決定しました。
※前回の探索レポ日記
旧亀岡商工会館探索レポ日記
あれから1ヶ月。一気に冷え込んだせいか、建物の外壁を伝う蔦は赤く紅葉していました。

正面玄関は2階にあります。玄関エントランスの案内図。

1階階段。横のスクリーンが特徴的です。

2階の表示。レトロなロゴです。

2階の物品運搬用のエレベーター。

エレベーターのボタン。もう長い間使われてなかったようです。
まずは1階を探索。

1階廊下。

反対側から。左側は改装されています。

レトロな「TOILET」の文字があるドア。

1階の部屋。やや改装されています。

比較的新しく見える机と椅子。ちょっとしたオシャレなホテルの洋室にも見えます。

机には何故かガンプラと

アルペジオのコミックが置かれていました。

別の部屋の休憩室の表示。保津川観光会館当時の表示でしょうか。レトロな字体です。

内部は廃品とかか放置されかなり雑多になっていました。かつての従業員の休憩部屋だったのでしょうか。

1階の小部屋。秋の柔らかな光が差し込んでいます。

1階には宿泊施設として機能していた保津川観光会館時代の名残を残す箇所があります。
ドアに家族風呂の文字がある浴場。

こちらは小さめの浴場。

隣には大き目の浴場があります。

大浴場の窓。

洗い場の蛇口。かつては多くの宿泊客で賑わっていたのでしょうか。

洗い場にはまだ木製の手桶が残されていました。

床には外から吹き込んだ落ち葉がもう使われなくなって久しい大浴場の床を彩っていました。

浴槽のタイル。今ではもうタイル張りの浴槽も見かけなくなりました。

保津川観光会館時代の姿を色濃く残す家族風呂跡。宿泊客で賑わっていた様子が目に浮かびます。

続いて3階へ。階段の手摺などのデザインがまさに戦後モダニズムといった感じです。

中々良い雰囲気の階段。

3階廊下の窓。保津川が良く見えます。

見晴らしは良かったのでしょう。

3階廊下。

3階小部屋の窓。

3階廊下。3階は宿泊客の客室だったようで、廊下を挟んで両側に部屋が並んでいます。

廊下の洗面台。こういうのを見ると、かつては宿泊施設だったんだなと感じます。

旧客室。元々は畳等が敷かれていたのでしょうか。

木製のドアは当時のままのようです。

旧客室の窓。

旧客室から廊下側の窓を見る。

別の客室。

保津川が良く見えます。保津川側の部屋の方が割高だったのかもしれません。

亀岡駅側の客室からは新しくできた亀岡サンガスタジアムと去年開業したサンロイヤルホテルが見えます。かつての宿泊施設から今の宿泊施設を眺める。

客室から廊下側を望む。

この客室は何か凄いことになってました。

3階廊下奥にある大部屋。

最近までは事務室として使用されていたようです。
不在の文字が寂しく感じます。

3階角部屋。恐らく和室だったと思われます。

続いて4階へ。

4階階段。戦後モダニズムは基本私にとっては範疇外ですが、この階段のデザインは気に入りました。

この手摺の感じのよさ。しばらく眺めていました。

4階にある和室集会所。

和室という性質からか、他の部屋より痛みが大きいです。

それでもかつては凝った造りだったことが分かります。
天井は船底天井。保津川下りも意識して採用したのでしょうか。

床の間もあります。

床柱も杉の絞り柱。結構いい材を使ってます。

天井の照明。

縁側。

縁側の照明のカバーは組木細工といった凝りよう。

床の間の横、平書院は塗り残し窓になってます。
保津川観光会館時代は宴会場としても使用されていたのでしょうか。
数寄屋造と書院造を合わせた本格的な和室です。

4階小部屋から亀岡サンガスタジアムを望む。

4階洗濯室。宿泊客の浴衣などを洗濯していたのでしょうか。右のドアは便所。

4階廊下。右側は改修されて最近まで使われていたようで、セコムのロックがありました。

4階廊下から外を眺める。

4階廊下奥にある大きな部屋。大会議室だったのでしょうか。

何故かぽつんと置かれているレトロな扇風機。部屋自体は綺麗に管理されています。

4階窓。

4階角の大部屋。今はゴミで溢れていますが、かつては宴会場とかだったのかもしれません。

残された牡丹の部屋名表と思われるもの。ちなみに一般客向けの食堂は1階にありましたが、今回は入れませんでした。食堂へは玄関とは別の入口があり、そこから入って利用していたようです。

4階までを見学し外に出ます。

1ヶ月前はまだ青々としていた木々の葉はすっかり色づいてました。

今回の内覧で本当の見納めとなる旧亀岡商工会議所。
約60年間、保津川下りの観光客等を見続けてきたこの建物は、来年2月に姿を消します。
2021年10月17日
旧亀岡商工会館探索レポ日記

※11/21、内部の見学をしてきました。最後の内部公開です。
旧亀岡商工会議所内部探索レポ日記
亀岡駅南口にある亀岡サンガスタジアムの南側に半ば廃墟化した古いビルがあります。これは旧亀岡商工会館という建物で、昭和33年に完成した建物。老朽化により2022年2月末までに解体されることが決定しており、戦後建築ではありますが、記録に留めようと向かいました。
元々は保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初(噂では阪急嵐山駅から亀岡市まで沿線を延ばす予定があったとか)でしたが、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用されたとのこと。しばらくはそのまま宿泊施設・商業施設として使用されてたものと思われますが、私が知る限り(20年前)にはすでに半ば廃墟状態だったと思います。

近年まではテナントが1つ入り、あとは亀岡市関連の団体の事務所として使用されていたようですが、現在はほぼ使われていません。

亀岡商工会館の看板。

エントランス。自販機が現役で綺麗なのがミスマッチに見えます。

近年まで入っていたレストラン。

現在は看板も蔦に覆われ荒れ果ててます。

エントランスの照明。

エントランスの案内板。一応組合などの団体の文字がありますが、どうなんでしょう。もう訂正されずに放置されている気が。

内部。一応照明は点灯していたので、完全な廃墟ではないようです。

残存しているテナント名。花屋さんだったのでしょうか。

背面。元々は宿泊施設としても建てられた建物なのでかなり大きさがあります。
内部には当時の大浴場も残されているようです。※読売新聞記事より

裏側へ。

外階段が螺旋階段とは中々洒落てますが、ちょっと怖いかも。

裏側の2階以上はベランダになっており、かつての宿泊施設としての名残があります。

1階部分は広い空間で、売店か大食堂の空間だった感じに見えます。現在は希少生物の研究施設(アユモドキ)という張り紙がされていますが、ほぼ物置状態。

建物を一通り見て後にしました。昭和レトロ感と廃墟感を今に残す亀岡商工会館。あと数ヶ月でその姿を消していきます。
2019年04月07日
京都市・辻商店取り壊し前の最後の内覧会レポ日記

2019年3月30日、京都市中京区の四条堀川角にある辻商店の旧店舗の内覧会に参加してきました。

辻商店は昭和3年に建てられた商店建築で、ロマネスク風の外観が特徴的な歴史的建造物でしたが、解体が決まり、それに合わせて最後の内覧会が開催されました。

辻商店のタイル製の看板。

辻商店は「市民が選ぶ文化財」に選ばれてますが、残念ながら解体が決定しました。

玄関に入って最初の部屋の営業室。木製のカウンターも当時のままです。

営業室奥の通り庭。基本的に間取りは町屋ですが、建物は鉄筋コンクリートのようです。

営業室の横の洋室。恐らく応接間として使われた部屋と思います。

営業室奥の和室。

掲げられていた「瑞雲」の扁額。まぁ、そうなるな。

和室の屋には坪庭があり、右手側には倉もあります。

次に二階へ。1階から2階へ通じる階段の途中に2股に分かれる箇所が。こんな造りの階段って見たことないですね。

まずは左手側の階段へ。そこは堀川通が見下ろせる洋室でした。事務室だったのでしょうか。カフェとかにすればオシャレな空間になると思いますが…。

再び階段へ。小窓から差し込む光が良い雰囲気を出してました。

2階階段。

そして2階廊下。階段と廊下は洋風で各部屋はそれぞれ独立し道線にはなっていないなど、洋館でありオフィス的な性格が見えてます。

廊下側の扉は洋風ですが…

部屋は完全に和室。床の間や違い棚まである書院造です。

先ほどの廊下の奥にはもう一つ階段がありました。

親柱のデザインは統一されています。

再び最初の階段に戻り3階へ。

3階の階段室。

3階階段から階下を見下ろす。階段のこの空間って好きですね。

3階洋室。

3階和室。ここは生活空間だったようですね。

3階の更に上には屋根裏部屋があり、そちらも見せてもらいました。鉄骨のトラスの小屋組みを見ることができ、戦前の建物の構造等がよく分かります。

棟札も見せてもらいました。棟札には「昭和三年五月二十五日 願人 辻徳治郎 施行人 益井重成」とあります。貴重な資料だと思います。
残念ながら辻商店の建物は取り壊されますが、最後に内覧会という貴重な機会を設けて頂いたオーナー様他には感謝いたします。素晴らしい建物を堪能することが出来ました。
2017年10月15日
京丹後市峰山町の古い工場建築群

京丹後市峰山町の府道17号線沿いにある古い木造洋館。
峰山の市街地へと向かう途中で見かけ、帰りに寄ることに。

下見板張りの2階建ての洋館は、典型的な村役場建築に見えました。

窓越しから1階内部を撮影。奥の階段の親柱含め当時の姿が保たれている感じ。

屋根瓦は昔懐かしいセメント瓦。その正面には「福」の字が。
役場建築でこの文字は?と疑問に思ってましたが…

上記の洋館の隣に別の入り口を発見。正門らしき奥にこれまた古い建物が。

下見板張りの建物が。基礎は煉瓦積み。

正面玄関もほぼ当時のままかと。

窓枠も正面以外は当時のままっぽい。

先ほどの建物の背後には鋸屋根のまんま工場の建物が。
屋根に日本瓦が葺かれているのは珍しい気がするけど、
当時からなのか後からなのか。

工場棟に付属する木造建物も同じ時期に建てられたように見えます。

帰宅して一連の工場群について調べたところ、現在でも吉村機業という織物会社が所有していて使用されていたことが分かりました。
吉村機業は峰山町の老舗会社吉村商店から昭和29年に独立した会社で、吉村商店は江戸時代の天保元年創業、大正9年に株式会社化した企業で、これら一連の工場群は戦前に工場として建てられたものかと思われます。訪ねたときは誰もおらず話を聞くことはできませんでしたが、最初の2階建ての洋館は事務所棟、奥の建物は本館棟ではないかと推測します。GoogleMAPの航空写真には南側に大型の建物が写されており、現在は取り壊されて跡形もありませんが、こちらも現存する施設と同時期の昭和初期頃の建物だったのではないかと思います。