医療機関
2014年05月31日
丹波笠次病院 京丹波町須知地区
旧須知小学校のある須知地区は旧山陰道の街道沿いの町として
発展してきた町でした。
現在は集落の前を拡張された国道9号線を通り、そちらが本通りとなっていますが、
かつては須知地区を通る道がかつての街道でした。
現在もかつての旧須知町の中心だった面影が残されています。
その中で戦前の洋館の医院が現在も残されています。
丹波笠次病院の旧館。典型的な昭和初期の地方の木造病院建築。
だいぶ老朽化はしているものの、当時の面影は良く残されています。
裏手はペンキも無くかなり傷んでいる様子が。
丹波笠次病院はこの旧館のそばに新館が建てられておりますが、
老朽化しているとはいえ、よく残していただいていると思えます。
街道沿いには古い町屋もいくつも残され、
かつての旧山陰道の面影を伝えています。
発展してきた町でした。
現在は集落の前を拡張された国道9号線を通り、そちらが本通りとなっていますが、
かつては須知地区を通る道がかつての街道でした。
現在もかつての旧須知町の中心だった面影が残されています。
その中で戦前の洋館の医院が現在も残されています。
丹波笠次病院の旧館。典型的な昭和初期の地方の木造病院建築。
だいぶ老朽化はしているものの、当時の面影は良く残されています。
裏手はペンキも無くかなり傷んでいる様子が。
丹波笠次病院はこの旧館のそばに新館が建てられておりますが、
老朽化しているとはいえ、よく残していただいていると思えます。
街道沿いには古い町屋もいくつも残され、
かつての旧山陰道の面影を伝えています。
2007年05月28日
10年目の再会
今日はちょっと朝から調子悪くて(頭痛がひどかった)休んでしまいました。もう良くなりましたので、更新。ネタは少々前のものですけど。
今月はじめ、図面の納品のために自転車を走らせていて出会った洋館。実は言うと、この洋館を見たのは10年ぶりでした。私が学生だったころ、近代建築に興味を持ちはじめ、京都市内の戦前の洋館などを見て回っていたことがあります。(今も時々ですがやってます)そのときに見つけたのがこの洋館で、明治〜大正期のモノと思われるこの洋館、規模もそこそこ大きく、窓枠や鉄製の飾りなど当時のものらしき物が残っていて、驚いた記憶があります。
メインHPにそのとき写した写真を掲載していたのですが、それから見る機会もなく、どの辺にあったのか記憶もあいまいになり、もうないだろうと思ってもいました。
そして10年ぶりに見たこの洋館。窓枠も鉄の窓飾りも木の扉もあのときのまま。すぐ近くにマンションが建っていましたが、がんばって踏みとどまっていました。嬉しさでしばし立ち止まって眺めておりました。どうです。この味のある玄関の木の扉。
京都は神社仏閣のイメージが先行しますが、実は言うと戦前までの西洋館がかなり多いことでも有名。煉瓦建築に当っては日本の都市で一番多いといわれるくらいですが、年々それら歴史的建築物は取り壊され、ここ数年も旧三菱銀行京都支店や旧住友銀行京都支店といった一級の建物も失われました。最近では、立替が進みつつあるJR嵯峨嵐山駅(京都鉄道時代の駅舎で、明治の洋館。JR西日本管内では最古級)も失われようとしています。大好きな近代建築が失われつつある中で、こういう建物が残っているのを見かけると嬉しくなります。もっとうれしいのは、綺麗に修理されて生き生きと再利用されている建物ですけど。
2006年02月06日
ほっとするような医院
*革島医院 昭和11年築 国指定登録文化財。
京都の繁華街からちょっとだけ外れた場所に建つツタの絡まる洋館。
現役の個人医院で、すでに築70年余り経った古株。
しかし、まるで外国のお屋敷のようなオシャレなその建物は
長い時間を過ごしてもその輝きを失っていません。
且つ、どことなく感じるノスタルジーな雰囲気
四角い白一色の無機質な病院にはない、温かみのあるその雰囲気。
やっぱ、こういうオシャレな医院には、薄幸の美少女が似合うと思うのは
私だけかな?
戦前の個人医院には、こういうオシャレな建物が多いですね。
私の子供の頃のかかりつけの小児科医院も、小さいながらも戦前のオシャレな
洋館でした。