城郭
2024年02月12日
坂本城発掘調査現地説明会参加レポ日記。
2024年2月11日に滋賀県大津市の坂本城の発掘調査現地説明会に参加してきました。
坂本城は元亀2年(1571)に織田信長の命を受け、明智光秀が琵琶湖の湖畔に築いた城です。
明智光秀が討たれ坂本城が落城した後、丹羽長秀が入城しましたが、天正地震で破損した後に廃城となり、建物や石垣のの石は大津城に使われたため地上から姿を消しました。
完全に地上から姿を消した坂本城は、江戸時代には完全に忘れ去られ絵図も残されていないことから
長らく「幻の城」と呼ばれました。近年の琵琶湖の渇水で琵琶湖畔に面した本丸部分の石垣が姿を現し話題となりましたが、石垣は基底部の1段のみであり、往時の姿からはかけ離れたものでした。しかし、坂本城の唯一の遺構として話題を集めていました。
しかし、2024年2月7日、今まで地上部分には存在していなかったと思われていた坂本城の石垣と堀が発見されるという驚きのニュースが報じられました。
2月10日と2月11日に現地説明会が行われるという話を聞いて、11日分のの説明会に参加してきました。
前日の説明会では、開始前に整理券が無くなったと聞き、当日は9時30分整理券配布ののところ、6時30分に配布場所の石積みの郷公園に到着。さすがに私1人だろうと思っていたけど、すでに10人くらい並んでいてびっくり。7時30分くらいから続々と人が集まり、配布時となった9時30分には3重くらいの列になってました。
イメージとしてこんな感じ。
※現地説明会資料より。今回発見された石垣は三の丸に位置する場所で、さらに平成30年の調査で外堀と推定されていた場所の発掘調査が行われましたが、外堀にあたる遺構が確認されなかったことから、これまで考えられていた坂本城の外郭が狭くなる可能性があるようです。
※現地説明会資料より。今回の発掘調査地の調査区と各遺構の位置図。
発見された石垣。堀底に近い部分の石垣が高さ1mほど残されてました。
手前にはかつて上に積まれていたであろう石垣の部材が堀底に転落しています。廃城時に地上部分の石垣は崩され石材は大津城に運ばれ、堀下の部分の石垣はそのまま堀と一緒に埋め立てられたのでしょう。
石垣は約30m検出しました。恐らく調査区外へも同様の状態で残存石垣が残されていると思います。
この石垣で報道時から気になってた箇所が1つ。左右の石垣と積み方に差異がある箇所があり、石垣の隅のようなラインも見えることから、もしかしたら改修をした後ではと考えています。
私の解釈を画像に記載してみました。
なお、石垣の背後に溝が検出されていますが、詳細は不明とのこと。
また、現場の西側、現場の外になりますが、用水路とコンクリートの擁壁があるのですが、調査担当者によれば、これが今回発見された石垣の対岸になるラインではと想定しており、この下に同様の石垣が眠っている可能性があります。堀幅は推定12mとなり、中々の広さの堀となります。
先ほどの石垣の続き。手前に出土した転用石が並べられています。転用石が使用されているのはいかにも織田配下の家臣の城といったところ。明智光秀の城では福知山城の石垣が有名ですね。
石垣の北側から検出された石垣。石積み遺構とされてますが、どうやら先ほどの石垣と続いているようです。
この石積み遺構、説明では船着き場ではと推定されているようです。
説明では「船着き場」とだけ説明されてましたが、遺構の状況をよく見ると堀へと至る石段らしきものも確認できました。また、その堀へと至る階段とするための石垣の構築(石垣を直交させて石段の壁としている)も確認できました。私の解釈を画像に記載してみました。
ちなみに堀の水深自体は浅かったと思われ、いわゆる高瀬舟のような底が平らな船ではと考えられています。
島津家久が記した天正3年の日記には坂本城を訪れた際、船による出迎えを受け、船で坂本城を巡った後、光秀の歓待を受け、船で宴会をしたことが書かれています。今回の発掘調査では、その島津家久の記述を裏付ける発見と言えます。
出土遺物としては、瓦が少なく土師器皿やすり鉢、瓦質土器など雑器が多く、中国青磁とかの輸入陶磁器の数は僅か。今回の調査で礎石建物や井戸が確認されており、屋敷があったことが分かってますが、瓦の数が極端に少ないこと、雑器が多いことから、板葺きのような建物の下級武士の屋敷ではなかったかと考えられています。
そして今回出土した木製品で注目されるのが「オール状木製品」が見つかったこと。
いわゆる船の櫂 (かい。つまりオール)とみられ、船があった裏付けとされています。
今回発見された坂本城の石垣はかなり貴重な成果で、遺構の保存に関しては現在協議中とのこと。開発による調査のため、開発原因者次第になりますが、何とか保存の方向に向かってくれればと願ってます。
参加した11日の現地説明会もかなりの大盛況で、整理券が配布された9時30分からわずか1時間で4回800人分の整理券が無くなったとのこと。坂本城石垣発見の関心の高さがうかがえる説明会でした。
2020年12月30日
ドローンによる城跡の空撮
2020年9月よりドローンを導入し、撮影等を行ってます。まだ国土交通省のDID地区への飛行許可を得ていないので、飛ばせる範囲は限られてますが、それでも飛行可能区域内にある山城跡を中心に空撮を始めてます。ドローンを導入したことにより、今まで撮影できなかったアングル、見る事の出来なかった光景を得ることが出来ました。以下、2020年12月現在までに撮影した城跡の空撮写真を紹介していきます。今後も撮影していく予定なので随時追加します。
※画像の無断転載・無断使用は一切お断りします。
※2021年5月30日 置塩城跡・上中城跡・上林城跡追加。
兵庫県丹波市山南町・岩尾城跡。2020年10月31日撮影。
丹波国の国人、和田斉頼により築城。明智光秀による攻撃により落城。
落城後は佐野栄有が入城し、現在のような総石垣の城となるものの慶長2年に廃城。
岩尾城跡全景・南から
岩尾城跡全景・東から
岩尾城跡全景北から
岩尾城跡全景・真上から。
岩尾城跡天守台部分。
岩尾城跡西の丸食い違い虎口部分。
※地上から。
兵庫県豊岡市出石町・此隅山城跡&有子山城跡。2020年12月5日撮影。
此隅山城は但馬国守護大名、山名氏の本拠地の居城であり但馬国の守護所。応仁の乱の際は此隅山城より山名宗全が出陣した。山名祐豊の時、羽柴秀吉に攻められ落城。
此隅山城を追われた山名祐豊は後に織田方と和睦し新たに有子山城を築く。
しかし、再び羽柴秀吉より攻撃を受け落城する。江戸時代、下館だった場所に小出吉政が出石城を築き、有子山城は廃城となる。両城とも国史跡。
此隅山城跡全景・西から
此隅山城跡全景・南から
此隅山城跡全景・真上から
有子山城跡全景・西から
有子山城跡全景・南から
有子山城跡全景・真上から
兵庫県篠山市・丹波八上城跡。2020年12月12日撮影。
丹波国の国人、波多野氏の居城。波多野秀治の時代に明智光秀の丹波攻略戦により
一度は黒井城の赤井直正との共闘で撃退するも、後に落城。
落城後に前田茂勝が入城に八上藩を立藩するが、茂勝の改易により新たに篠山城が築城されたため廃城。
丹波八上城跡全景・南から
丹波八上城跡全景・南東から
丹波八上城跡全景・東から
丹波八上城跡全景・西から
丹波八上城跡全景・真上から
兵庫県丹波市春日町・黒井城跡。2020年12月26日。
丹波の赤鬼で知られる赤井直正の居城。明智光秀による落城後は、光秀の家臣の斎藤利三が入城し、
現在の石垣造りの姿に改築。麓に居館跡である興禅寺がある。
黒井城跡全景・南西から
黒井城跡全景・北東から
黒井城跡全景・南東から
黒井城跡全景・北西から
黒井城跡本丸石垣部分
黒井城跡全景・真上から
京都府南丹市・埴生城跡。2021年1月2日。
丹波国船井郡の国人、野々口左衛門尉親永により築城。
野々口西蔵坊の時、丹波攻めを行う明智光秀と丹波八上城主・波多野氏との仲を取り持ったと言われる。
埴生城跡全景・南から
埴生城跡全景・西から
埴生城跡全景・西から
埴生城跡全景・東から
埴生城跡全景・北から
埴生城跡全景・北から
埴生城跡全景・真上から
京都府福知山市・猪崎城跡。2021年1月16日
猪崎城は丹波国天田郡の国人、塩見利勝の居城。明智光秀により落城し廃城。
猪崎城跡全景・北から
猪崎城跡全景・南西から
猪崎城跡全景・南から
猪崎城跡全景・真上から
猪崎城跡主郭から福知山城を望む。
兵庫県姫路市・置塩城跡。2021年2月13日
置塩城は播磨国守護大名、赤松氏が5代治めた居城。羽柴秀吉による攻撃により落城し廃城となる。
国史跡。
置塩城跡・本丸全景東から
置塩城跡・本丸全景北東から
置塩城跡・本丸全景真上から
京都市右京区京北町・上中城跡。2021年5月8日
平安末期の12世紀頃に築城したと言われるが詳細は不明。
上中城跡全景・北西から
上中城跡全景・北から
上中城跡全景・南から
上中城跡全景・真上から
京都府綾部市・上林城跡。2021年5月29日
丹波国何鹿郡の国人、上林氏の居城。織田方の高田治忠の攻撃により城を追われ、
高田治忠が入城。関ヶ原の戦いで西軍についた高田治忠は改易され、後に藤懸永勝が入城し、
麓に藤懸陣屋を構え、幕末まで旗本として存続。
上林氏は後に宇治にて幕府の御用茶師となる。
上林城跡全景・北から
上林城跡全景・南から
上林城跡全景・真上から
兵庫県丹波篠山市・丹波金山城。2021年11月13日
明智光秀が丹波攻略戦において波多野氏の丹波八上城を攻撃した際、
同盟関係にあった赤井直正の居城、黒井城との連絡網を絶つため築いた陣城。
築城後、丹波八上城と黒井城への本格的な攻撃が始まり、両城は落城する。
西の曲輪部分に、奇岩として知られる鬼の架け橋がある。
丹波金山城全景・南から
丹波金山城全景・北から
丹波金山城全景・西から
丹波金山城全景・真上から
丹波金山城・主郭南石垣
丹波金山城・西曲輪内、鬼の架け橋全景
丹波金山城より黒井城を望む。
2018年02月02日
城跡探索記録・攻城レポ日記のリンク集
攻城レポ日記という名の訪城レポートを書きだしたのは2014年頃から。以来訪城した城跡はこまめに日記を書いてます。
ただ、書いている日記はmixiの日記。「みんなの日記」というmixiに登録しなくても誰でも閲覧できる公開にしてますが、ライブドアのこちらでも公開したいと思うようになりました。
ただ、これまで書いた攻城レポ日記は割と量が溜まっており、こちらへの転載も結構手間なのでこのたびmixiにて書いたこれまでの攻城レポ日記のリンクを張ることにしました。
今後、mixi内で書いたレポ日記はこちらにもリンクを張ることにしますのでよろしくお願いいします。
※mixiの日記ではありますが閲覧だけなら登録していなくても誰でも見ることができます。ただし、コメントは登録していないとつけることはできませんので、何か気になることがありましたらこちらのコメント欄にお願いします。
色の違う城名をクリックしたら、レポ日記が開きます。リンクの無いものは訪城はしたが日記は書いてないものです。
※2017年
〇1月1日 京都府福知山市山崎 山崎城跡
〇1月7日 京都府南丹市園部町 埴生城跡
〇2月4日 京都府京丹波町 中畑城跡
〇2月4日 京都府南丹市日吉町 亀田城跡
〇3月5日 京都府南丹市日吉町 東胡麻城跡
〇3月5日 京都府南丹市日吉町 野化館跡
〇3月12日 京都府亀岡市 保津城跡
〇3月18日 京都府亀岡市 千軒寺跡(数掛山城跡下)
〇3月19日 京都府亀岡市 余部城(丸岡城)跡
〇3月20日 京都府亀岡市 穴太城跡
〇4月3日 京都府亀岡市 猪倉城跡
〇4月8日 京都府南丹市 丹波八木城西支城・内藤法雲曲輪
〇5月2日 京都府綾部市 高津八幡山城跡 段山城跡 将監城跡
2009年11月30日
竹田城の雲海2009.11.29
「天空の城」として有名な竹田城。
山城ファンにとっての聖地だけでなく、写真家にとっても有名な場所。
私自身5回も訪れているまさに「聖地」です。
しかし、今まで有名な「雲海に浮かぶ竹田城」の姿を見たことはなかった。季節が晩秋から初冬に限られるうえ、さまざまな気候の要素が重なり合わないといけないから。
しかし、昨日11/29の日曜日早朝、ようやく雲海を見ることができた。それも濃く厚い雲海を。
上の写真は、竹田城の向かいにある「立雲峡」という山からの撮影。雲の上に浮かぶ石垣の古城はまさに天空の城の名にふさわしい。
つづきから、竹田城からの雲海の写真を紹介します。
2008年11月24日
雲海見れず…
竹田城の雲海が見たくて、この3連休に出かけましたが、
雲海は見れず残念…
でも、山の紅葉がきれいだったのと、城跡の下草が
いい感じでなくなっていたので、夏よりさらに
見ごたえがありました。
夏になると曲輪内に結構草が生えるのですが、
この時期は草も枯れる上にちゃんと草刈もしてあるので
広々とした曲輪を実感できます。
朝の7時半くらいに到着したのですが、
すでにふもとの駐車場は満杯状態。
雲海狙いで来た人が多いようですが、
城跡を見るために来た人も多く、
いつの間にか有名になってしまいました。
城内も結構人が多かった。
来月再びチャレンジする予定。
今度は雲海が見れたらいいなぁ。
竹田城の紹介、説明なんかは自分の
こちらの記事を見てください。
2008年10月17日
城好き再燃
昔から城が好きで、小さい頃は祖父に連れられて
いろんな城に行っていたことがあります。
姫路城や大阪城、二条城といった有名な城から、
園部城・山家城・出石城など小さな城まで。
全国ではないですが、京都・兵庫あたりはだいたい巡りました。
大学に入ってから、明治以降の近代建築(近代化遺産)に興味を示し
そちらに比重が偏ってきました。城好きは消えませんが
少し情熱が薄れかけていたことも事実。
だが、最近城の仕事とかやるうちに再び城への興味が湧き上がり。
城とかのサイトを以前より多く見るようになりました。
ホント影響されやすい自分ですw
ただ、昔は城=天守閣だったのが、
今は天守は城の一部で、天守だけでなく櫓や門、石垣、縄張りすべてが
城という認識に変化したのが以前との大きな差ですね。
城好きの人のサイト見ていたらそういう変化した人が多い。
なので、最近はどっちかというと、天守より櫓とか石垣に魅かれます。
特に石垣はいいねぇ。
高くそびえる石の城壁はやっぱり感動する。
ちなみに、もう少し城好きレベルが上がると、石垣のない
中世城郭へと走るようですw
土塁や切岸や堀切でハァハァww
さっきから貼ってるこれら写真は福知山城。
上にも書いた意識の変化により
復元天守は取らずに石垣ばっか撮ってますw
夕暮れの城は絵になると思う。小さい城だけど。
まぁ、福知山城は城好きの人にとっては天守より
転用石が数多く使用されている石垣ということで有名ですが。
五輪塔やら宝筐印塔の部材がやたら使われている石垣は
見ものですよ。
そういえば、最近天守丸の釣鐘門が復元されました。
しかし、寺の門みたいに見えるなぁ。
いずれは櫓も復元される予定で、それはそれで楽しみ。
なんだかんだいって、建物があるほうがいいよね。やっぱ。
以前書いた竹田城の記事。
個人的に日本一の山城と思う。
今の時期、雲海見れるからまた行かないとー。
てか、いろんな城をゆっくり見て回れる時間と金が欲しい。
二条城なら気軽に行けますが・・・
2007年05月05日
天空の城
実家に帰っていた5/4、久しぶりにあるお城を見たくなり出かけてきました。その城とは、朝来市和田山町にある竹田城跡。この城は知る人は知っている山城好きな人なら聖地とも言うべき城。石垣しか残ってないんですが、山全体が総石垣で覆われ、堅固で複雑な縄張りをめぐらす姿はそれは見事なものです。なにせ、国指定史跡に指定されてますから。で、この城に朝6時前に出発して7時には到着したのですが、それには理由がありまして、それは後ほど。この写真は出城である観音寺山城からの撮影です。遠目からでも分かる石垣。観音寺山城も後ほど紹介します。では、大手から順番に紹介していきますね。続きを読む