学校建築
2021年10月23日
京都市・旧新道小学校、宮川町歌舞練場訪問レポ日記

本日は京都市東山区にある旧新道小学校と宮川町歌舞練場を訪問しました。
新道小学校と宮川町歌舞練場は今年度中に取り壊され、跡地はNTT都市開発により大規模宿泊施設及び新歌舞練場を含めた一帯の開発が行われることとなり、旧新道小学校の一般公開が行われていることを知り、解体が始まった隣の宮川町歌舞練場と合わせて訪問することとしました。

まずは旧新道小学校。現在残る建物は昭和11年から昭和12年に建てられた鉄筋コンクリート造の校舎。近年の少子化・ドーナツ化現象による児童数減少により平成23年に閉校しました。
その後は色んな団体等による再利用がされてきましたが、今回いよいよ再開発による取り壊しが決定しました。

最近は閉校した小学校や中学校の校舎を再利用したり、もしくは一部保存して別の施設に建て替えという例が良く見られますが、旧新道小学校は全面建て替えとなりこの姿を見ることは出来なくなります。
今回、一般公開という機会を設けて頂いた関係者の方々には感謝です。
では、内部へ。

旧新道小学校玄関。

玄関タイル。とても丁寧な仕事ですね。

頂いたパンフにある旧新道小学校の平面図。

1階廊下。レトロな木造のドアや窓がいかにも戦前の学校建築といった雰囲気。

1階階段。親柱と手摺は人造石かな。1階は入る箇所があまり無かったので2階へ。

2階廊下。

家庭科室らしいですが、キッチン無いですね。

曲がった先の2階廊下。

2階階段。学校の階段・・・怪談では、4時44分とかにこの鏡の前に立つと、この世の者ではないものが写ったり・・・が定番ですね。

階段の先の突き当りにある理科室。

別角度から。

実験器具とかを洗ってた流し台。

理科室の隣の理科準備室。準備室とか懐かしい響き。
照明に貼られた「残置」の紙がいよいよ取り壊されることを物語ってます。

2階階段から3階へ。

2階の階段を上った3階のすぐ横にある音楽室。

壇上で唄ったり演奏したりするためか、他の教室より教壇が広いです。

合唱とかで唄ったりするため、児童側も段が造られています。丁寧な造りです。

3階廊下。

3階にある作法室。

格天井に付書院・床の間・床脇の天袋に地袋。違い棚は無いですが、教科書通りの書院造の和室。

作法室の襖。ちゃんと上部に欄間もある。

床脇の天袋と地袋。違い棚がないですね。ちん潜りはあるのに。

地袋の模様はカルタをあしらったもの。

作法室は他の教室と同じ造りの中に入れ子状に和室を造ってます。

戦前の学校、特に女子教育ではお茶や生花、作法などの教育が盛んにおこなわれていました。
戦後も茶道部とかか使用していたんでしょうか。小学校の作法教室だと手を抜かずにちゃんと様式にのっとり丁寧に作られた書院造の作法室、しかも格天井という格式の高さ。こういった伝統的な部屋を手かけられるのは京都ならではでしょうが、学校側や職人がこの新道小学校の児童にはちゃんとした格式のある書院造の作法室でしっかり学んでほしいという願いがあったのかもしれません。

校庭に出て講堂へ。

講堂はだいぶ改装されてましたね。新道小学校の紹介がビデオで流されてました。

講堂の窓。

再び校庭へ。かつては児童が休み時間で遊ぶ声で賑わっていたのでしょう。


訪問した日はいい天気で、風は寒かったものの、校舎内へは秋の柔らかな日差しが窓から差し込んできました。閉校し児童がいなくなった学校の建物は、他でも感じましたがやはり物寂しい感じがしますね。
続いて隣にある宮川町歌舞練場へ。

宮川町歌舞練場は大正5年に完成した大規模な近代和風建築で、春の京おどりの公演の場として知られていましたが、老朽化と旧新道小学校との一帯の開発により取り壊しが決定。訪問した時はすでに覆いがかけられていましたが、建物はまだ健在でギリギリ間に合いました。

反対側から。3年前の3月にこの一帯を探索し、新道小学校の前も通り写真に収めていたのに、なんで宮川町歌舞練場は写真に収めなかったのだろう…

大屋根部分。新たな宮川町歌舞練場もこの象徴的な大屋根を再現するらしいですが。

フェンスの隙間から。階段がちらっと見えます。

旧新道小学校の教室から見た宮川町歌舞練場。来年度には宮川町の歴史を伝えるこの象徴的な2つの建物は取り壊され姿を消します。
2020年05月24日
綾部市・旧奥上林小学校木造校舎&近代建築探訪レポ日記
京都府綾部市の奥地に素晴らしい木造校舎が残されているのを知り、探訪に向かいました。
場所は綾部市奥上林地区。国道27号線の山家の交差点からひたすら走って行きます。
そこにあったのは・・・

立派な木造校舎。旧奥上林小学校校舎。

以前探訪した京丹波町の旧須知小学校の木造校舎群を彷彿とさせる見事な建物。

玄関部分。

旧校舎前には昭和3年銘の記念碑があり、奥上林小学校の文字もあったことから、この建物は戦前の物だと思われます。昭和12年築の旧須知小学校の木造校舎群と同じく昭和10年代の築かと思われます。

裏側も当時の面影が良く残されています。まさに奇跡的。

内部の様子。現在はイベント関連に時々使われているようです。
さて、この戦前の旧奥上林小学校の校舎の隣には体育館があり、そこから見下ろす場所に戦後の旧奥上林小学校の校舎が残されているのですが・・・

その戦後の校舎と体育館をつなぐ木造の渡り廊下が残されています。

まるで跨線橋のような佇まい。

廃校・木造校舎ファン、廃墟ファンには有名な物件らしく、色々なサイトやブログで取り上げられています。誰が名付けたか通称「余部鉄橋」。

下から見上げると、確かに鉄橋に見えなくもない。

渡り廊下部分は開放されていて入れるようなので歩いてみました。

橋脚が木造なので歩くとそれなりに揺れちょっと怖いですw現役の頃、この渡り廊下を走った子供は怒られただろうなぁと。今はまだ大丈夫ですが、今後手入れされず老朽化が進めば危険ですね。
それでもこの渡り廊下は見応えあります。先の旧奥上林小学校の戦前の木造校舎と合わせて訪れる価値は十分あります。
さて、この旧奥上林小学校へ向かう途中、中々良い感じの建物を見かけました。

中上林診療所。綾部市中上林地区。

見るからに戦前の建物。京都府近代化遺産調査報告書には未掲載でしたが、昭和初期の築かと思われます。

外観は当時の面影が良く残されています。

玄関部分。車寄せの柱も戦前の雰囲気があります。現在も中上林診療所と中上林歯科医院として現役の診療所。内部はさすがに改装されていましたが、こんな近代建築が綾部市の山間部に残っていたのが驚き。この建物、全くノーマークだっただけに走っていて見かけたときは興奮して即引き返しましたw


その中上林診療所から交番を挟んだ場所にある木造建築。地域のコミュニティー場所として使用されている建物ですが、かつては戦前の公民館だったのではと思います。
今回訪問した旧奥上林小学校の木造校舎と渡り廊下は行く価値のある見事なものでした。途中、中上林診療所という予期せぬ収穫もあり、充実した探訪となりました。
場所は綾部市奥上林地区。国道27号線の山家の交差点からひたすら走って行きます。
そこにあったのは・・・

立派な木造校舎。旧奥上林小学校校舎。

以前探訪した京丹波町の旧須知小学校の木造校舎群を彷彿とさせる見事な建物。

玄関部分。

旧校舎前には昭和3年銘の記念碑があり、奥上林小学校の文字もあったことから、この建物は戦前の物だと思われます。昭和12年築の旧須知小学校の木造校舎群と同じく昭和10年代の築かと思われます。

裏側も当時の面影が良く残されています。まさに奇跡的。

内部の様子。現在はイベント関連に時々使われているようです。
さて、この戦前の旧奥上林小学校の校舎の隣には体育館があり、そこから見下ろす場所に戦後の旧奥上林小学校の校舎が残されているのですが・・・

その戦後の校舎と体育館をつなぐ木造の渡り廊下が残されています。

まるで跨線橋のような佇まい。

廃校・木造校舎ファン、廃墟ファンには有名な物件らしく、色々なサイトやブログで取り上げられています。誰が名付けたか通称「余部鉄橋」。

下から見上げると、確かに鉄橋に見えなくもない。

渡り廊下部分は開放されていて入れるようなので歩いてみました。

橋脚が木造なので歩くとそれなりに揺れちょっと怖いですw現役の頃、この渡り廊下を走った子供は怒られただろうなぁと。今はまだ大丈夫ですが、今後手入れされず老朽化が進めば危険ですね。
それでもこの渡り廊下は見応えあります。先の旧奥上林小学校の戦前の木造校舎と合わせて訪れる価値は十分あります。
さて、この旧奥上林小学校へ向かう途中、中々良い感じの建物を見かけました。

中上林診療所。綾部市中上林地区。

見るからに戦前の建物。京都府近代化遺産調査報告書には未掲載でしたが、昭和初期の築かと思われます。

外観は当時の面影が良く残されています。

玄関部分。車寄せの柱も戦前の雰囲気があります。現在も中上林診療所と中上林歯科医院として現役の診療所。内部はさすがに改装されていましたが、こんな近代建築が綾部市の山間部に残っていたのが驚き。この建物、全くノーマークだっただけに走っていて見かけたときは興奮して即引き返しましたw


その中上林診療所から交番を挟んだ場所にある木造建築。地域のコミュニティー場所として使用されている建物ですが、かつては戦前の公民館だったのではと思います。
今回訪問した旧奥上林小学校の木造校舎と渡り廊下は行く価値のある見事なものでした。途中、中上林診療所という予期せぬ収穫もあり、充実した探訪となりました。
2010年04月12日
豊郷小学校旧校舎群
昭和12年にヴォーリズの設計により建てられた校舎で、鉄筋コンクリート造の建物は当時「東洋一」と呼ばれました。
2002年に解体問題が浮上し、保存運動が起きた結果、旧校舎は耐震工事を行った上に保存。背後に新校舎を建てることで決着しました。
その後旧校舎は町の施設として使用されていますが、2009年に放送されたテレビアニメ「けいおん!」の学校のモデルとされたことから、けいおん!ファンが訪れるようになり、「聖地」として賑わうようになりました。
豊郷小学校のシンボルとも言える存在。
ファンが張ったイラストなどが多数。
コメントやイラストで埋まっています。
作中で主人公たちがティータイムを過ごす
シーンを再現しています。
入口側から奥に向かうにつれて
高さが下がっていき、奥からでも
壇上が見えるようになってます。
アールデコ調のデザインでまとめられ、
豊郷小学校内で一番装飾的な建物です。
こちらは現在観光案内所として使われ、
特に「けいおん!」関連のものが
たくさん展示されています。
今年4月から2期が放送開始となり、
ますます見学者で賑わうことでしょう。
http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-441.html
こちらに、建設当時の竣工記念絵葉書を紹介しています。
すべて揃っていないのが残念ではありますが、ほぼ現在の姿と変わっていないことがわかります。
※今回紹介した豊郷小学校旧校舎群の画像は時系列に差があります。