京都府

2023年03月08日

京都市役所本庁舎屋上に残る高射機関砲座について。

1.外観全体










武田五一の設計により第1期工事の昭和2年と第2期工事の昭和6年に完成した京都市役所本庁舎。以前は建て替えの話もありましたが、本庁舎の歴史的価値が認められ、免震等の改修により保存が決定しました。その京都市役所本庁舎ですが、あることをきっかけに戦時中に高射機関砲が設置され、その高射機関砲座の遺構が残されていると知りました。

2.資料













所蔵書籍による記載。「語りつぐ京都の戦争と平和」より。これによると、京都市役所本庁舎の屋上にある円形のコンクリート構造物は、高射機関砲の砲座だったと書かれています。また、市内には西大路七条西、深泥池北の京都博愛病院の裏山、将軍塚、伏見区久我に高射砲陣地があり、これ以外にも花山天文台の南にも高射砲陣地があったことが判明しています。
京都市役所は近代建築という観点で何度も公私ともに訪れていましたが、高射機関砲座が残されていることは全く知らなかったため、それについては着目していませんでした。そこで近くですし用事がてら京都市役所へ向かう事にしました。

6.地上から










河原町通り側から見た京都市役所本庁舎。今まで気づかなかったですが、屋上に怪しい円形のものが見えます。

7.地上から










アップにしましたが、1ヵ所が開口しています。今まで新しく作られたタンクかなと思ってスルーしていましたが、これは確かに。近くで観察するために屋上へと向かいます。

16.屋上全体










京都市役所本庁舎の屋上は屋上庭園に整備され、平日であれば誰でも入ることができます。

3.東側砲台










京都市役所本庁舎東側の階段室の塔屋屋上にあるコンクリートの円形構造物。これが京都市役所本庁舎の屋上に残る高射機関砲座のようです。円形のコンクリート構造物は高射機関砲の障壁。
4.東側砲台障壁










拡大。コンクリートの型枠の感じを見ると、最近のものではなくやはり戦前の特徴を感じます。
11.平面図











京都市役所のHPで公開されていた本庁舎実施設計の平面図より引用。高射機関砲座の障壁は円ではなく、螺旋状になっています。これは恐らく開口部の前面を塞いで被害をより少なくするためと思われ、大牟田市の宮浦高射砲陣地の砲座の類例があるようです。
13.西側階段室内部










東側階段室塔屋の内部。屋上の高射機関砲座へと上がる梯子や階段は無いため、外付けの梯子で登ったのでしょう。その梯子が残ってないか探してみましたが、庭園側には痕跡はなく、裏側は入ることができないため、確認はできませんでした。

8.西側砲台










続いては西側階段室塔屋屋上の高射機関砲座。東側にある障壁は西側にはありませんが、円形の砲座は残されています。
9.西側砲台










西側階段室塔屋。
10.西側砲座上空













京都市役所HPの現在の市庁舎整備工事の写真より引用。ちょっと分かりづらいですが、確かに西側階段室塔屋屋上に円形の砲座が残されています。
12.改修前






こちらも京都市役所HPの市庁舎整備基本構想の写真より引用。改修前の京都市役所本庁舎の写真を見ると、本来は西側階段室塔屋の高射機関砲にも障壁があったことが分かります。
市役所古絵葉書001








所蔵の竣工時の京都市役所本庁舎。西側階段室塔屋の上部には何も無く、東側もそれらしい構造物が確認できないことから、本来は無かったものだということが分かります。
13.西側階段室内部










西側塔屋の内部にも屋上に上がる階段や梯子が無いことから、外付けの梯子で登っていたことが分かります。

市役所庁舎の建物を戦時中に防空砲台として利用した例として、大牟田市役所庁舎があります。こちらは高射機関砲座の他に防空監視哨や防空監視員詰所が残されています。恐らく戦時中に後から増築されたものでしょう。京都市役所本庁舎も防空監視哨があったはずだと思いますが、それらしい建物は見当たりません。

14.塔屋













恐らくですが、京都市役所はこの中央に建つ塔屋を防空監視哨及び防空監視員の詰所として利用したのではないでしょうか。高い構造物な上に開口部も小さめで都合が良かったのだと思います。ただし、大牟田市役所の方も中央に塔屋を建てていながら防空監視哨を造っているため、京都市役所にも本来は塔屋とは別の防空監視哨があった可能性もあります。

15.市役所から御所方面










京都市役所本庁舎から京都御所方面を望む。京都市に配置された高射砲陣地は京都市街の防空目的の他に京都御所の防空も重要任務だったのではないかと思われます。
京都市内の高射砲陣地2















最初に紹介した所蔵書籍に記述のある高射砲陣地と花山天文台南の高射砲陣地の場所を配置してみました。※花山天文台南の高射砲陣地に関しては、いつもお世話になっています盡忠報國様のブログ「大日本者神國也」に詳細なレポ記事があります。
右の古写真は国土地理院公開の航空写真より引用。分かったものだけ引用しましたが、はちょっと怪しいかも。
各高射砲陣地の位置を見ますと、市街地もですが、京都御所・梅小路機関区・京都駅など重要施設の防空を考慮した感じに思えますね。

京都市には空襲が無かったと思われがちですが、他の都市みたいな市街地丸ごと焼き尽くす大規模空襲は無かったものの、空襲自体は何度もありました。大きいものでは西陣・馬町・太秦の空襲があります。
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所蔵書籍「語りつぐ京都の戦争と平和」に記載のある体験談では、上京区と中京区の空襲では、高射砲の砲撃音を聞いたとあります。どこの高射砲かは不明ですが、場所的に一番近いのは京都市役所になります。この証言によるなら、防空砲台として機能はしていた可能性はあります。

今回確認した京都市役所本庁舎屋上の高射機関砲座の遺構ですが、京都市役所公開資料を見ますと、障壁がパース図や平面図に描かれており、市側は恐らく理解して保存したように思えます。もしそうだとするなら、是非解説板を設置して欲しいところですが…。
あと、防空監視員や高射機関砲部隊の戦時日誌等の資料による裏付けが欲しいところですので、もし現存しているのならぜひ確認してみたいところです。

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2023年03月05日

京都市右京区嵐山・嵯峨野界隈の近代建築探索レポ日記

渡月橋










日本や世界で有数の観光地、京都市右京区の嵐山・嵯峨野界隈の近代建築を探索してきました。
嵯峨嵐山は神社仏閣や渡月橋など、まさに京都と言ったイメージの観光地ですが、市内中心部より数は少ないものの、洋風建築の近代建築もいくつか残されています。今回はそれらを探索。
まずは、JR嵯峨嵐山駅の南側に位置する嵐山地区へ。

1.嵯峨郵便局 大正10年










旧嵯峨郵便局。大正10年。JR嵯峨嵐山駅の旧駅舎が取り壊された現在、嵯峨嵐山界隈では一番有名な近代建築かも。近年までクラフト工房の店として使用されていましたが、現在はイギリス式の紅茶とスコーンの専門店となっています。

嵯峨駅舎









取り壊し前に撮影したJR嵯峨嵐山駅の旧駅舎。明治28年築の洋風駅舎で、京都市内でも最古に当たる洋風駅舎でしたが、高架駅化工事に伴い残念ながら取り壊し。残っていたら、国登録有形文化財にはなってたかも。
渡月橋方面へ。

2.西邸










N邸。渡月橋の近くに切妻屋根の同じ形をした洋館が並んでいる一角があります。
3.嵐山の洋館住宅群










恐らく戦前に区画整理され分譲されたエリアのようです。
4.嵐山の洋館住宅群










この洋館は建売だったのでしょうか?
5.嵐山の洋館住宅群










多くの住宅は外観が改装されていますが、N邸は当時と思われる外観が保たれています。
6.ベランダ










このベランダの柵は当時の物でしょうか。
6.洋館住宅群の煉瓦










切妻屋根の洋館が建ち並ぶ向かいには赤煉瓦の基礎の板塀を持つ住宅が並びます。こちらも同じ形の住宅が並んでおり、当時の建物と思われます。
ここから少し東へ。

7.早川邸










H邸。2軒の洋館が1つになっている感じに見える住宅。右側の方は表札無しなので空き家のようですが、左側は表札有。しかし、住人かいるようには見えませんでした…
ここから北に上がり車折神社方面へ。

8.六宇洞 写経道場










六宇洞。隣にある報徳寺の関連の建物と思います。写経道場の看板が出てましたが、報徳寺の庫裏かも。
9.六宇洞










建物は寺院風のデザインの中に洋風の要素も含むちょっと珍しい外観。お寺の施設なので寺院風の外観にしつつも、住宅としての性格のある建物だから洋館っぽい外観も取り入れたんでしょうか。
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車折神社は枝垂れ梅が満開でした。
嵐山界隈の探索はここまで。次はJR嵯峨嵐山駅の北側、嵯峨野エリアへと向かいます。

10.HATA邸










H邸。住宅地の狭い道を進んだ奥まった所にある洋館。アメリカンスタイルっぽい外観の洋館です。
11.HATA邸










本格的な洋館で、しっかりとした設計者の手によるものに思えます。昭和初期でしょうか。
設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書には記載がありません。

12.今井邸










I邸。ハーフティンバーのこちらも本格的な洋館住宅。
13.今井邸










こちらも大規模な洋館で、設計者が気になりますが、京都市近代化遺産調査報告書に記載なし。
見た感じは、あめりか屋設計の昭和初期の洋館に思えるのですが。

14.秋山邸










A邸。こちらも昭和初期と思われる洋館住宅。昭和初期に良く使われた丸窓が玄関部分にあります。
15.秋山邸










外観のデザイン的に、熊倉工務店の設計のように思えますが、これも京都市近代化遺産調査報告書に記載は無し。
16.秋山邸










裏側にベランダがあるようです。

これにて阿鷲山・嵯峨野界隈の近代建築探索は終了。嵐山地区は古くからの景勝地ですが、中流家庭向けと思われる分譲地に建つ洋館群が見られる一方、嵯峨野は本格的な大型の洋館が残り、高級住宅地だった可能性が考えられています。嵯峨野の3件の洋館はどれも本格的で、名のある建築家か建設会社が設計しているような印象ですが、どれも京都市近代化遺産調査報告書に記載はなく不明なのが残念です。


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2023年02月19日

京都市・西七条〜西京極〜西院〜壬生界隈の近代建築探索レポ日記

今回は京都市の西七条から西京極、西院、壬生界隈の近代建築探索をしました。
西院と壬生界隈の近代建築探索については、2019年11月27日に行っており、今回はその補足探索も兼ねていますので、過去記事の方もご覧ください。
京都市・二条〜西院〜壬生・大宮界隈の近代建築探索レポ日記

JR梅小路西駅からスタート。


1.第一工業製薬 下京区東久保町 昭和12年 










第一工業製薬本館。下京区東久保町。昭和12年。
2.第一工業製薬










3階建ての大きなオフィスビル。
6.第一工業製薬










かっては本館の横に同じ昭和12年築の工場棟と研究棟が建っていました。
3.第一工業製薬









工場棟と研究棟が建っていた頃の写真。だいたい20年くらい前。
4.第一工業製薬









現在は本館のみ残され、跡地にはマンションが建てられています。
このまま西へ。

7.日下部邸 下京区梅小路石橋町










K邸。下京区梅小路石橋町。洋館付き住宅ですが、洋館部分が大きく目立ち、主屋は控えめ。門柱も当時の物のようです。

8.旧工場か 下京区西七条中野町







旧工場。下京区西七条中野町。町工場でしょうか。和風の工場棟。
9.旧工場か







縦に長い建物です。

10.洋館付き住宅 下京区西七条南西野町










洋館付き住宅。下京区西七条南西野町。2棟の建物は接続しており、長屋的な構造になっています。

11.ハピネスハウス 下京区西七条比輪田町










ハピネスハウス。下京区西七条比輪田町。現在は何に使われているか不明。

12.岩井たばこ店 下京区西七条南衣田町










岩井たばこ店。下京区西七条南衣田町。七条通りには戦前の古い商店建築がちらほら残されていますが、このたばこ屋さんは戦前の文字とかが残っていて中々貴重。
13.岩井たばこ店










建物の雰囲気も良い感じですね。
14.岩井たばこ店










壁面にある「たばこ」の文字。軒周りの装飾も良い感じ。
15.岩井たばこ店










正面にはマークと「印判彫刻」「諸印刷」の文字があり、印刷関係の業務もしていた感じです。
ここから北上し右京区へ。

16.宝田工業 右京区西京極南庄境町










宝田工業。右京区西京極南庄境町。玄関側の角を丸く仕上げている手が込んでいる事務所建築。
17.宝田工業










こういったモザイクタイル張りの建物もあまり見なくなりましたね。
18.宝田工業










現在は使われていないようで空き家状態。良い建物だと思うので、再活用されればいいのですが。

19.京都友禅文化会館 右京区西京極豆田町 1968年










京都西陣文化会館。右京区西京極豆田町。戦後建築の昭和43年(1968年)の築ですが、レトロモダンなその雰囲気が気になって撮影。最近のアパートはポストモダン的な要素が多く、こういった純粋なモダニズム建築のアパートは少なく、やはりレトロな雰囲気を感じます。
20.京都友禅文化会館










かつてはモダンな建物だったこのアパートもすでに築55年。もう老朽化の影響が出ていそうな気がします。まだまだ入居できるようですが、今後どうなるか。

21.勝浦邸 右京区西京極西川町










K邸。右京区西京極西川町。主屋に2階建ての洋館が付属する住宅。もしかしたら、商店だったかも。
22.勝浦邸










喫茶リエは洋館の隣にある別の建物。

23.北尾邸 右京区西京極西川町










K邸。右京区西京極西川町。
25.北尾邸










外観は中々本格的な洋風。なんとなく元医院だった気がします。
24.北尾邸










立地は三角形の土地に建っているためか、不定形な形です。

26.旧西京極変電所 右京区西京極畑田町










旧西京極変電所。右京区西京極畑田町。現在の西京極変電所の横に建つ建物なので、建物の形などから変電所の旧建屋ではと思います。

27.旧西京極変電所










見た感じは昭和10年代の建築に見えます。取り壊さず倉庫か何かに再利用したのでしょうか。
ここから阪急に乗り西院へ。

28.京都市農業協同組合西院支部 右京区西院春日町










京都市農業協同組合西院支部。右京区西院春日町。農協の建物で、春日神社の隣にある建物。
29.京都市農業協同組合西院支部










元々は公民館とかそんな感じの建物だったのでしょうか。奥に洋館が付属しています。
次は東へ進み壬生方面へ。

30.理容那須 中京区壬生森町










理容那須。中京区壬生森町。外観はシンプルですが、中々味のある建物。

31.理容那須










いつまでも現役で続けて欲しいです。

32.芥川医院 中京区壬生森町










芥川医院。中京区壬生森町。前回訪問済みの建物。理容那須はこの芥川医院のすぐ近くで、なんで前回の探索で理容那須をスルーしてしまったのか。戦前の個人医院の洋館はどれも素晴らしいものが多いです。

33.芋松温泉 中京区壬生森町










芋松温泉。京都市中京区壬生森町。これも前回訪問済み。最近はこういう趣のある銭湯も減りましたね。

34.翠明荘 中京区壬生森町










翠明荘。中京区壬生森町。芋松温泉の向かいにある古いアパート。向かいなのに何故前回スルーしたのか。
35.翠明荘










で、このアパートですが、普通のアパートにしては雰囲気がなんか違う。
36.翠明荘










入口に唐破風が。あと玄関脇に意味深な丸窓とのぞき窓っぽいのが。
これ、遊郭関連の建物じゃないかと。普通、アパートの入口にこんな唐破風屋根は設けない。
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近くの通りには遊郭建築っぽい建物が並んでいたり。壬生には確かに壬生寺近辺に遊郭街があったそうですが、ここは少し離れているのが気になります。小規模な遊郭街が゛あったのでしょうか。
ここから二条駅方面へ。

37.植村邸 中京区壬生神明町










U邸。中京区壬生神明町。洋館付き住宅ですが、戦後かもしれません。

今回の探索はこれで終了。まだ未探索エリアだった西七条〜西京極界隈の物件を把握することができ、前回の探索で見逃した物件も埋めることが出来ました。

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2023年01月21日

京都市上京区(御所周辺〜西陣)の近代建築探索レポ日記

2019年5月11日に探索した御所〜西陣までの近代建築探索レポ日記です。一部、それ以前に訪問し現在は失われている建物も合わせて紹介します。上京区は物件が多く今回の記事はかなり長くなります。それでも全ては抑えきれていませんが。

さて、上京区の近代建築探索ですが、まず左京区の建物を2つほど。
1.洋館付き商店 左京区聖護院川原町










洋館付き住宅。左京区聖護院川原町。1階部分に貼られまくってるポスターがちょっと邪魔ですが、洋館はいい感じかと。

2.十両 左京区聖護院山王町










十両。左京区聖護院山王町。
3.十両










料理屋さんのようですね。

ここから上京区へ。
4.旧京都中央電話局上分局 上京区駒之町 吉田鉄郎 大正13年










旧京都中央電話局上分局。駒之町。大正13年。吉田鉄郎設計の有名な建物。以前は博物館でしたが、現在はスーパーになっています。

5.高嶋医院 上京区俵屋町










高島医院。俵屋町。
6.高島医院













この洋館が診察室だったんでしょうか。

7.旧第一銀行丸太町支店 上京区東東椹木町 昭和2年 西村好時










第一銀行丸太町支店。東椹木町。昭和2年。こちらも有名。設計は銀行建築を多く手掛けた西村好時。


8.石田・新井邸 上京区新烏丸頭町










I・A邸。新烏丸頭町。

9.石田・新井邸










洋館付きの住宅が並んでいます。

10.高木邸 上京区松蔭町 昭和7年 藤井厚二










T邸。松蔭町。昭和7年。
11.高木邸










あの藤井厚二の設計です。

12.吉田商店 上京区荒神町













吉田商店。荒神町。昭和初期らしい洋風の商店ビル。よく見たら裏側の屋根が丘屋根ではなく切妻風の屋根でシャレてます。
13.西川薬品 上京区宮垣町










西川薬局。宮垣町。看板建築でいいのかな?

14.岡村邸 上京区東桜町










O邸。東桜町。昭和初期。ハーフチンバーの大きな洋館。
15.岡村邸










こんな凄い洋館が街中に残されているのは京都ならではかもしれませんね。

16.石田邸 上京区東桜町










I邸。東桜町。煉瓦塀の住宅。

17.京都府立医科大学附属旧図書館上京区梶井町 昭和4年 










京都府立医科大学旧図書館。梶井町。昭和4年。これも有名な建物。ゴシックアーチがいかにも大学の建物っぽいですね。
京都府立医大講堂









かつては旧図書館の前に講堂がありました。写真は20年前くらいに撮影したもの。
この日は室内には入れませんでしたが、階段は登ることが出来ました。
18.京都府立医科大学附属旧図書館 










ゴシックアーチの玄関を入ると、1階階段があります。
19.京都府立医科大学附属旧図書館 










2階階段室。
23.京都府立医科大学附属旧図書館 










レトロな傘立て。
21.京都府立医科大学附属旧図書館 













入り口のドア。
20.京都府立医科大学附属旧図書館 










3階階段室。
22.京都府立医科大学附属旧図書館 













3階のゴシックアーチの窓。いい感じですね。

24.二宮邸 上京区宮垣町










N邸。宮垣町。
26.宮垣邸










大きめの洋館が付属する住宅。

27.旧山口玄洞邸 上京区梶井町 大正12年










旧山口玄洞邸。梶井町。大正12年。
28.旧山口玄洞邸










武田五一設計の名建築。巨大な玄関車寄せが特徴の洋館。
29.旧山口玄洞邸










玄関のステンドグラス。
30.旧山口玄洞邸










この大きな洋館は内部も贅を尽くした素晴らしいものだそうですが、現在、聖トマス学院の所有となっており、残念ながら非公開。内部、見てみたいなぁ。
31.旧山口玄洞邸










離れの建物。倉庫だったかな?

32.聖ドミニコ女子修道院 上京区梶井町










聖ドミニコ女子修道院。梶井町。ここもかつてのお屋敷だった模様。奥に洋館が見えます。

33.上山邸 梶井町










U邸。突抜町。和洋折衷の住宅ですね。

34.石崎邸 上京区新夷町 大正15年 藤井厚二










I邸。新夷町。大正15年。藤井厚二の設計。
35.石崎邸










玄関部分。煉瓦敷の階段がいいですね。

35.三共不動産 梶井町










三共不動産。梶井町。昭和初期くらいでしょうか。

35.了徳寺洋館 梶井町 旧伏見宮邸 昭和2年










旧伏見宮邸。梶井町。昭和2年。近年まで了徳寺の所有で荒れ放題でしたが、現在は真宗大谷派の所有。洋館もかなり傷みが目立ちます。
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「昭和大礼京都府記録」に掲載されている伏見宮邸の洋館内部の写真。さすが宮家のお屋敷だけあって内部も豪華。このまま朽ちるのは惜しいですね。

36.塩路邸 梶井町










S邸。梶井町。鴨川に面して建つ洋館住宅。

36.山本邸










Y邸。梶井町。S邸の隣に建つ洋館住宅。
36.山本邸 梶井町










鴨川側から見ると、より雰囲気を感じられます。

 36.藤田邸 扇町 










F邸。扇町。
37.藤田邸













中々存在感のある洋館です。

38.木村邸 突抜町










K邸。突抜町。奥に良い感じの洋館があります。

39.洋館付き住宅










洋館付き住宅。すいません。場所を失念しました。

40.石野邸 藪之下町










I邸。藪之下町。
41.石野邸










結構変化に富んだ見所のある昭和初期の洋館住宅です。

43.鈴木邸 桜木町










S邸。桜木町。これは本格的な洋館ですね。煉瓦の門柱と塀も合わせて、結構なお金持ちが建てた感じが。内部もさぞかし立派な造りなんでしょうね。個人宅だから無理だけど見てみたいなぁ。

44.洋館住宅 相国寺門前町










洋館住宅。相国寺門前町。
45.洋館住宅










同じデザインの洋館住宅が2棟並んでいます。

長田学舎2










長田学舎。相国寺北門前町。RC造と思われる和風建築。
長田学舎 相国寺北門前町










現在は演劇関係の施設として使用されてますが、2階窓が伝統的な寺院建築の花頭窓だったりと、元は相国寺の関連施設だったのかなと思います。

京都大学室町寮 竹園町 昭和17年







京都大学室町寮。竹園町。昭和17年。
京都大学室町寮2







吉田寮もですが、京都大学って戦前からの古い寮を今でも使ってますよね。しかし、何とも雰囲気のある建物。まるでタイムスリップしたかのよう。
京都大学室町寮3







入口も当時のままで雰囲気あります。

46.勝間邸 柳図子町 大正13年 藤井厚二










K邸。柳図子町。大正13年。こちらも藤井厚二の設計。

47.バザールカフェ 岡松町










バザールカフェ。岡松町。大正8年。宣教師の住宅としてヴォーリズ建築事務所が設計した建物。現在はカフェとして使用されています。

48.宇之助 築山北半町










宇之助。築山北半町。現在はお弁当屋さんの洋館付き住宅。

49.焼肉ホルモンニューみよし 北公次室町










焼肉ホルモン・ニューみよし。北公次室町。少し前までは空き家だった気がします。大型の商店建築で行く末が気になってましたが、新たな店舗が入って良かったです。

50.旧柳本邸 観三橘町 昭和4年 上野伊三郎










旧柳本邸。観三橘町。昭和4年。知る人ぞ知る有名物件。
51.旧柳本邸










設計者の上野伊三郎はブルーノ・タウトと深い関わりがあった建築家として知られています。

52.松浦邸 観三橘町










M邸。観三橘町。昭和初期頃の白亜の洋館。

62.室町通りの旧理髪店













理容キタムラ。北小路室町。大正期と言われるレトロな理髪店。1階が洋風で2階が和風なのが雰囲気あっていいですね。現在は廃業みたいですが。

56.山内邸 元土御門町 大正11年










Y邸。元土御門町。大正11年。
57.山内邸










付属の洋館、結構大きいですね。応接室だと思いますが、経営者の邸宅だったんでしょうか。

58.下川邸 仲之町










S邸。仲之町。こちらも立派な洋館が付属するお屋敷。

60.山本邸










Y邸。一松町。
59.山本邸 一松町










昭和初期頃でしょうか。大きな洋館住宅です。
61.山本邸













門は和風なんですね。


63.キョーラク 龍前町













キョーラク。龍前町。大正〜昭和初期頃。タイル張りの洋館事務所。


64.野村邸 西橋詰町










N邸。西橋詰町。主屋に付属する洋館ですが、洋館の方がデカくて主屋の存在感が薄くなってますね。

65.きらく堂薬局 大黒町










きらく堂薬局。大黒町。元は町工場の事務所でしょうか。

66.福本邸 菱屋町










F邸。菱屋町。元は個人医院かなと思われる洋館住宅。

68.木村邸 天秤町










K邸。天秤町。京都市内ではまだまだよく見かける平屋の小洋館付きの住宅。
69.木村邸













小さい洋館ですが、丁寧な仕事だと思います。

70.無風洞 中務町










無風洞。中務町。一応公式サイトがあり、藤井厚二の設計による洋館住宅らしい。しかし、建築年とかの記述がなく不明。

71.松永邸 松之下町










M邸。松之下町。和洋折衷な大きい住宅。

73.協織株式会社 元伊佐町 大正10年










協織株式会社。元伊佐町。大正10年。ここから西陣地区。西陣界隈はやはり織物関係だった建物が多く見られますね。

74.旧西陣織物館 大正3年 本野精吾










旧西陣織会館。元伊佐町。大正3年。本野精吾の代表作として知られる建物。現在は京都市考古資料館。

75.旧西陣織物会館事務所 元伊佐町 昭和11年













旧西陣織物会館事務所。昭和11年。考古資料館の背後にあるビルも戦前建築。モダンな建物です。現在は京都市埋蔵文化財研究所の事務所。

76.旧西陣小学校 幸在町 昭和10年








旧西陣小学校本館。幸在町。昭和10年。
77.旧西陣小学校








戦前の学校建築ってなんでこんなに素敵なんだろうなぁ。

78.BARBERやまぎし 下石橋南半町










BARBARやまぎし。下右橋南半町。ちょっと気になった理髪店。

79.昌栄織物 如水町










昌栄織物。如水町。洋館付き住宅が会社の事務所として使われている形です。

80.浅田商店 聖天町










浅田商店。聖天町。これも素敵な洋館の商店建築。
81.浅田商店










こういう建物、ずっと残ってほしいなぁ。

82.浄福寺診療所 大黒町










浄福寺診療所。大黒町。
83.浄福寺診療所








昭和初期頃の診療所。スクラッチタイルの外壁がいいですね。

84.洋館付き住宅 聖天町










洋館付き住宅。聖天町。こちらは一体化してますね。そのせいかモダンに見えます。

85.理容室いこい 大猪熊町










理容室いこい。大猪熊町。京都市内には戦前の洋風理髪店が割と残ってますね。

86.國定織物 大猪熊町










國定織物。大猪熊町。奥にレベルの高い付属洋館があります。
87.國定織物










洋館には凝った装飾が。

88.三上邸 牡丹鉾町













M邸。牡丹鉾町。現在は個人宅ですが、かつては事務所とかだったのでしょうか。昭和初期頃かな。

90.吉岡邸 末広町










Y邸。末広町。

91.山田立志堂 南上善寺町













山田立志堂。南上善寺町。かつては時計店だった昭和初期頃のビル。

92.西陣接骨鍼灸院 三軒町










西陣接骨鍼灸院。三軒町。軒周りに凝った装飾のある建物。1階部分とかかつてはもっと装飾に富んでいたのかもしれません。

93.茨木邸 二番町










I邸。二番町。大きな洋館が付くお屋敷です。

京都市上京区、御所界隈〜西陣までの近代建築探索はここまで。ちなみに中京区になるのでここでは取り上げませんでしたが、隣接した界隈の過去の探索分を記事にしてますので、合わせてご覧ください。
京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記
京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記

さて、この4年の間に今回の探索界隈でも失われた近代建築はいくつかあります。ここからはそれ以前に撮影して失われたものも含め、それらを取り上げたいと思います。

38.桂弘薬局 米屋町










桂弘薬局(※現存せず)。米屋町。アーチ窓が可愛い看板建築でした。

53.青柳邸 観三橘町 大正11年 武田五一










旧青柳邸(※現存せず)。観三橘町。大正11年。武田五一の設計の大型洋館住宅。残念ながら5年くらい前に取り壊され現存していません。写真はたまたま用事で通りかかった時に見つけて撮影したもの。
54.青柳邸










外観から分かる通り、手の込んだかなり立派な洋館。内部もレベルの高いものだったと思われますが、今となってはもう知ることは出来ず…。

55.旧富岡鉄斎邸書庫(旧府議会議員官舎) 薬屋町 大正期










旧富岡鉄斎邸書庫(※現存せず)。薬屋町。大正期。明治・大正期の文人画家として知られる富岡鉄斎邸の洋館の書庫で、近年まで京都府議会議員公舎として京都府北部の府議会議員の宿舎として使用されていましたが、去年主屋と共に取り壊されたようです。一応、保存活用の案もあったようですが、著名人の邸宅でも取り壊されてしまうんですね。ちなみにこちらのブログに書庫内部の写真がありますが、宿舎として使用するためかなり改造されています。


護王神社南の洋館4










旧大井邸洋館(※現存せず)。近衛町。護王神社の南側にあった洋館。
護王神社南の洋館2













主屋に隠れて見えづらかったですが、それでもレベルの高さを感じる洋館でした。
大井邸・大正期の洋館










その旧大井邸の洋館が、通りかかった際に取り壊されていました・・・

上京区役所2










上京区役所。(※現存せず)。堀出町。昭和12年。
上京区役所1










1階から3階まで真っ直ぐ伸びたステンドグラスが特徴的でした。

梅香荘2017年12月取り壊し1










梅香荘。(※現存せず)。明治28年。元々は京都電燈堀川変電所だった建物。
梅香荘2017年12月取り壊し2










その後、アパートに改装されましたが、6年前に取り壊されました。

旧みずほ銀行西陣支店










みずほ銀行西陣支店。(※現存せず)。昭和11年。旧第一銀行西陣支店。京都市考古資料館の向かいにあった古典様式の銀行建築。第一勧業銀行からみずほ銀行になったとき、多くの戦前の銀行建築が取り壊された気がします。

西陣には他にも
旧びわこ銀行西陣支店









京都市考古資料館の隣にあった、びわこ銀行西陣支店(大正10年)や、
山口銀行西陣支店1









山口銀行西陣支店2








旧山口銀行西陣支店などの銀行建築がありましたが、すべて失われました。


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2023年01月14日

旧三井家下鴨別邸特別公開レポ日記

2022年8月の夏の文化財特別公開で公開された旧三井家下鴨別邸へ行った際の記事です。
旧三井家下鴨別邸は1階と庭園は普段から公開していますが、2階と3階は特別公開の日にしか入ることができません。今回は2階まででしたが、行ってみることにしました。

1.三井下鴨別邸正門







旧三井家下鴨別邸の正門。
2.三井下鴨別邸外観







旧三井家下鴨別邸の主屋。旧三井家下鴨別邸は元々明治13年に木屋町に建てられていた三井家の別邸を大正14年に三井家の祖霊社のある現在地の下鴨神社南の敷地に移築。増築を行い竣工しました。三井家の祖霊社は明治42年に完成しましたが、その敷地には元々屋敷があったらしく、旧三井家下鴨別邸の移築建築の際、元々の屋敷にあった茶室は残し旧三井家下鴨別邸の茶室としたようで、修理の際に慶応四年の年号がある棟札が見つかっています。旧三井家下鴨別邸は戦後、財閥解体により三井家から国へと移譲。国有地となった旧三井家下鴨別邸は昭和24年に京都家庭裁判所の官舎となりました。平成19年に官舎は廃止となり、平成24年に重要文化財に指定。修復され現在は文部科学省に移管されています。
3.三井下鴨別邸玄関







旧三井家下鴨別邸は江戸時代末期の茶室、明治時代の主屋、大正時代の玄関棟からなる近代和風建築です。写真は玄関棟。ここから入ります。
4.応接室







玄関入ってすぐの所にある洋室の広間。和風を基調とした旧三井家下鴨別邸の中で、玄関両脇にある応接室と洋室広間は数少ない洋風の部屋です。現在はレストランになっています。
5.1階座敷







1階座敷。旧三井家下鴨別邸の部屋で一番広い部屋。
6.1階座敷







1階座敷の床の間。
17.1階座敷次の間







1階座敷次の間。
10.1階8畳間







1階座敷次の間。奥には坪庭が。
11.1階中庭







坪庭部分。
32.1階廊下







1階廊下。
34.1階廊下










1階廊下。
18.1階座敷水屋













1階座敷の水屋。茶室だけでなく座敷でも茶を立ててたようです。
13.1階3畳間







1階3畳間。奥の板戸の絵は江戸時代後期の画家、原在正の作。
7.三井下鴨別邸蹲







1階座敷の縁側にある蹲。奥の建物が慶応4年の茶室。
8.三井下鴨別邸蹲







蹲。庭園へは1階の縁側から降りれます。
9.三井下鴨別邸庭園から







庭園側から見た旧三井家下鴨別邸。こうして見ると大きな建物です。三井家所有時は祖霊社の休憩所として使用されていたようです。
14.百日紅







庭園には百日紅や
15.桔梗







桔梗や
16.蓮







蓮の花が咲いていました。再び建物へ。
19.2階座敷







2階座敷。
21.2階座敷








庭園側は濡れ縁となっており、庭園を眺めることができます。木屋町時代は高瀬川側になってました。
22.2階座敷から







2階座敷から眺める。庭園。庭園は池泉回遊式。
20.2階座敷床の間







2階座敷の床の間。
23.2階4畳半間







2階4畳半間。
24.2階6畳半間







2階6畳半間。2階の上には中3階の部屋と3階望楼がありますが、今回の特別公開はここまで。
3階の特別公開も年に何回かあるようです。
25.2階東階段







2階東側階段の横には浴室と便所があります。
26.2階東階段







東側階段の手摺。
27.2階東階段








手摺のデザインは結構モダンなデザインで、大正14年移築時の物かと思います。
28.脱衣所







脱衣所の洗面台。
29.浴室













2階浴室。ちなみに1階には2ヵ所浴室があります。
30.2階便所







2階便所。当時としては珍しい洋式。これも大正期のものでしょう。1階にも3ヵ所便所があります。
31.2階洗面台













洗面台。水回りは近代的な方が使い勝手がいいのか、洋式で統一されています。
旧三井家下鴨別邸は取り壊しの話もあったようですが、近代和風建築としての価値が認められ、修復され重要文化財に指定されたことで、新たな京都観光の1つとして人気となっています。この日も多くの観光客が訪ねていました。



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2022年12月25日

舞鶴市・博奕岬防空砲台遺構見学レポ日記

舞鶴市の博奕岬にかつて明治時代に陸軍により建設された探照灯と太平洋戦争中に海軍が建設した防空砲台がありました。現在、海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっているため立ち入り禁止となっていますが、今回、フォロワーさんの粘り強い交渉により、海上自衛隊の方々の案内のもと、博奕岬防空砲台の遺構を見学することが出来ました。(2022年6月24日見学)。
交渉をしてくださったフォロワーさん、案内をしてくださった海上自衛隊の広報の方々には貴重な体験をさせて頂き、厚く御礼を申し上げます。

さて、博奕岬防空砲台ですが、上記の通り元々は明治33年に陸軍の探照灯が造られていました。その後、演習砲台として使用され、
昭和16年に海軍が敷地を取得。防空砲台として再利用されます。
博奕岬防空砲台 舞鶴海軍警備隊戦時日誌昭和17年10月20日









アジア歴史資料センター所蔵「舞鶴海軍警備隊戦時日誌(C08030485700)」より昭和17年10月20日撮影の博奕岬防空砲台。

博奕岬防空砲台遺構位置図








博奕岬防空砲台各遺構配置図。(管理人作成)

博奕岬防空砲台は昭和17年11月に完成します。
海軍の防空砲台は舞鶴市内に舞鶴湾を囲むように8ヵ所設置され、槇山・浦入・建部山のように明治期の陸軍の砲台を利用したものもありましたが、倉梯山防空砲台のように新たに設置された砲台もありました。
10年前に探索した倉梯山防空砲台のレポ日記。

博奕岬防空砲台は前述の通り海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっており、山頂の博奕岬防空砲台がある場所へと向かう山道の入り口には大きなゲートがあり、立ち入り禁止となっています。今回は海上自衛隊の方々の案内のもと、ゲートを通り向かうことになりました。

1軍道擁壁石垣










舗装路をそのまま登ると明治期の陸軍時代と思われる石積擁壁が出現。灯台へ至る舗装路もかつては軍道だったことが分かります。

2灯台前門柱













舗装路を登りきると灯台が見え、その手前にコンクリート製の門柱が現れます。

20220624_130707







岬の山頂にある博奕岬灯台灯台。最近外壁がリフォームされて綺麗になってますが、大正11年築。

IMG_1766













灯台の近くにある石製の門柱。明治期の物でしょうか。

3指揮所壕










灯台を過ぎさらに進むと、上部に荒廃した戦後の監視所の建物がある箇所に。その下のコンクリートの地下壕がかつての指揮所壕でした。

4指揮所壕










指揮所壕の入り口。

5指揮所壕入り口










指揮所壕の入り口に入ると、奥に木製の引き戸があります。

6指揮所壕内部










内部は物置になってましたが戦時中の当時のままでした。

7指揮所壕脇階段













指揮所壕入口脇の階段。戦時中も壕の上に監視の建物があったそうで、戦後に新たに建て替えたようです。

8指揮所壕脇の柵










指揮所壕の周りを囲むコンクリートの柵柱。

9指揮所壕近くの貯水槽










指揮所壕の近くの貯水槽。

IMG_1813










指揮所壕を過ぎ、しばらく歩くと道が分かれており、下へ下る道の方を進んでいくと、自衛隊の施設だったと思われる半ば廃墟と化した建物が見えてきます。そして、その建物の玄関の前に、

17地下式弾薬庫前高射砲座










高射砲の砲座がありました。8センチ高角砲の砲座と思われます。

10地下式弾薬庫










そしてさらに奥にコンクリートの弾薬庫壕が。

12地下式弾薬庫鉄扉










鉄扉も残されています。開いていたので入ってみました。

13地下式弾薬庫内部










14地下式弾薬庫内部










内部の奥壁は煉瓦になってましたが、どうも元々はもっと奥まであったのを途中で煉瓦で塞いだようにしか・・・。理由は不明ですが。

11地下式弾薬庫前貯水槽










弾薬庫壕前の貯水槽。

16地下式弾薬庫前木造建物










弾薬庫壕前、自衛隊施設に付属している木造建物。これも防空砲台時代の物で、別のフォロワーさんが紹介していた東京湾要塞金谷砲台の看守営舎によく似た造りですしかし、痛みもなく綺麗に残っています。

18埋第五号境界石













再び岬の上の道に戻り、そこから岬の先端に向かって尾根道を進みます。その尾根上に立つ「埋第五號」の境界石。見かけたことの無い珍しいタイプ。

19すり鉢状台座










尾根道を進んでいくとこのようなすり鉢状の台座が現れます。何かを据え付けていたボルトが見えるので、当初は砲座かと思ってましたがどうも違うのではという意見がメンバーから。探照灯は別の箇所にあるので、施設リストから聴音機か高角双眼鏡の台座ではと考えてます。

20すり鉢状台座正門










先ほどのすり鉢状台座の手前にはコンクリートの門柱と柵柱が。柵柱には未だに有刺鉄線が残されていました。

21貯水槽










一旦指揮所壕の場所まで戻り、今度は弾薬庫壕と高角砲座のあった地点の反対側の尾根下へ。
整地した平坦地となっており、小さな貯水槽などがありました。

22有蓋式退避壕










その脇にコンクリート製の半地下式の壕のようなものが。
20220624_135725







現地形を見ると、どうも当時は入り口前はスロープ状となってて、中に逃げ込めるようになっていたっぽいです。退避壕だったのでしょうか。

23電灯室










灯台まで戻り、灯台南東側の岬の最高所にある箇所へ。戦国期の山城の横堀のような土塁が回る道を歩いていくと、明治の陸軍時代の探照灯のあった電灯所に至ります。

24電灯室発電機台座










明治期の砲台の掩蔽部と同じ形ですが、奥に煉瓦の電灯井があるので、明治期から電灯所として造られていたようです。ただ、発電機は改められたのかコンクリートの台座となってました。

IMG_1839










内部から。入口脇に木製の壊れた古い椅子が放置されていました。当時の物でしょうか?

25電灯室井










電灯井。ここから探照灯を出し入れしていました。

26電灯室井上から










電灯所の上。先ほど下から見上げた電灯井の穴が見えます。かつてはどうやら屋根が掛けられていたようです。

IMG_1844










電灯所上部の周辺には探照灯の物らしきガラス片が大量に散乱していました。厚さは1cmくらいある分厚いもので、やや黄色がかってました。探照灯の撤去の際に割れたか破壊したのでしょう。

27電灯室門柱










電灯所を過ぎてすぐの所に立派な石製の門柱が建っていました。明治期の物の様で、この門柱の先も軍道らしき道が麓に向かって伸びているので、かつての正門だったのかもしれません。

28貯水槽か










門柱を過ぎて軍道跡を進むと水槽らしきものが見えました。他の旧軍遺構では見たことの無い造りです。雨水を貯めた水溜でしょうか。

29沈砂槽










さらに下って行くとコンクリート製の水槽がありました。形から恐らく沈砂式の浄水槽だったと思われます。

30発電室










電灯所から伸びる軍道跡を下って行くと灯台に至る舗装路に出ます。舗装路をそのまま下って行くと舗装路から枝に延びる旧軍道があり進むと煉瓦造の発電機室の建物が見えてきます。

31発電室門柱










発電機室の前にも石製の門柱と柵柱がありました。

33発電室










屋根は失われてますが煉瓦の躯体は 良好に残されており素晴らしいです。

32発電室内部










内部には煉瓦造の発電機の台座が残されています。明治期の探照灯時代から発電機室として作られたものです。

IMG_1868










発電機室の背後の一角。燃料を入れていたスペースでしょうか。

IMG_1859













木製の窓枠も残されていました。アーチ部分は丁寧に削って作られたもので木材もしっかりしたもので明治期の仕事の丁寧さが伺えます。昭和戦中期の細工の粗さとは対照的です。

34発電室脇基礎










発電機室の脇にある煉瓦基礎の建物跡。何の施設だったかは不明。

35発電室貯水槽










コンクリートの貯水槽。これは防空砲台時代のものと思われます。

38兵舎跡への石橋










発電機室を過ぎ、軍道跡を進むと石橋がありました。

36兵舎跡への石橋










37兵舎跡への石橋










小さな谷に架けた石橋ですが、石積の擁壁も相まって、まるで庭園のような優雅さを感じますw

39石橋脇の井戸










石橋の脇にある井戸。井戸枠は煉瓦積みでした。

40兵舎跡










石橋を過ぎると見えてくる兵舎跡の基礎。当時使われていた食器類の破片が散らばってました。

20220624_150903







便所跡。どうやら防空砲台時代の物のようです。

20220624_150845







反対側から。

20220624_150818













内部を見ると、やはり戦前のようですね。

今回の博奕岬防空砲台の見学会は、フォロワーさんの交渉により実現したもので、海上自衛隊の協力のもと正式な探索をすることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
というわけで、博奕岬防空砲台のある博奕岬は無許可での立ち入りは厳禁です。
そのあたりの話も隊員さんに聞いたのですが、海上自衛隊の敷地内なので、無断の侵入者があれば当然警ら隊がやってくること、海上自衛隊には逮捕権が無いので厳重注意で済むが、これが海上保安庁となると、逮捕される恐れがある(博奕岬灯台は海上保安庁の管轄で、立ち入り禁止区域)とのこと。
施設自体は老朽化しており現在は使われていませんが、以上の理由で無断進入は厳禁なのでご理解いただけたらと思います。博奕岬防空砲台の遺構に関しては拙い内容ですが、当記事で感じて頂けたらと思います。


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2022年12月18日

村野藤吾の設計・ルビノ京都堀川見学&宿泊レポ日記

1.ルビノ京都堀川外観







2022年12月15日、京都市にあるホテル、ルビノ京都堀川に宿泊を兼ねた見学をしてきました。
ルビノ京都堀川は公立学校関係の宿泊施設として、1972年に完成しました。設計は戦前・戦後のモダニズム建築の大家として知られる村野藤吾。京都市内にある村野藤吾の設計のホテルと言えば、ウェスティン都ホテルや都ホテル京都八条、ザ・プリンス京都宝ヶ池等がありますが、ツイッターのフォロワーさんが、このホテルも村野藤吾の作品だとつぶやいており、興味を持ったこと、さらには来年2023年3月31日に閉館ということもあり、宿泊料金も一般のビジホ程度いう価格もあって宿泊兼見学をしてみようと思いました。まずは外観。ホテルについたのは夜だったので、写真は翌朝の撮影になります。
2.ルビノ京都堀川パルコニー







角のベランダ。
5.ルビノ京都堀川客室棟







客室棟の外観。出窓は村野藤吾が好んだデザイン。
6.ルビノ京都堀川玄関







正面玄関。ここからはホテルに着いた前日の夜の撮影。

7.ルビノ京都堀川柵







玄関横にある柵。これも村野藤吾のデザインでしょうか。
では中に入りましょう。
8.ルビノ京都堀川ラウンジ







玄関ホール脇のロビー。
9.ルビノ京都堀川ラウンジ







この手摺の感じは村野藤吾っぽさが出てますね。
10.ルビノ京都堀川玄関ホール照明







玄関ホールの天井の照明。70年代のモダンさを感じます。
フロントでチェックインして、ホテルの人に許可をもらい、教えてもらいながら館内を探索。
まずは、一番村野藤吾らしさを感じるメインの場所へ。
11.ルビノ京都堀川階段







中央玄関。
12.ルビノ京都堀川階段







ルビノ京都堀川で一番の見所。
13.ルビノ京都堀川階段







3階まで続く赤絨毯の階段はレトロモダンな懐かしさも感じさせます。
14.ルビノ京都堀川階段







上から。
15.ルビノ京都堀川階段手摺







手摺の装飾。
16.ルビノ京都堀川階段







村野藤吾といえば階段。この絶妙なカーブの造作は素晴らしい。
17.ルビノ京都堀川階段







何度も上り下りしてましたw
次も階段ですが、ちょっと隠れた場所の穴場な階段へ。
しかし、ここはより村野藤吾らしさの出ている階段でした。
18.ルビノ京都堀川非常階段







1階から6階の屋上まで続く非常階段。
19.ルビノ京都堀川非常階段







一見、何の変哲もない無機質な階段に見えますが、この手摺に注目。
20.ルビノ京都堀川非常階段







この絶妙な手摺のカーブのデザインはまさに村野藤吾といった感じなのです。

23.ルビノ京都堀川非常階段6階







ウェスティン都ホテルもですが、村野藤吾と言えば階段の手摺と言われるほど、その優美な曲線が言われますが、このルビノ京都堀川の非常階段の手摺もまさにそんな感じ。
24.ルビノ京都堀川非常階段6階







特に最上階のこの手摺の優美な曲線は必見。
25.ルビノ京都堀川非常階段6階







手摺の優美な曲線は、女性らしさを感じるような柔らかな美しさを感じました。
26.ルビノ京都堀川非常階段6階







上から階段をのぞき込む。
28.ルビノ京都堀川非常階段













実際に手摺を伝いながら上から下まで何度か上り下りしてみましたが、階段の踊り場のカーブとかでも誘導されるような感じに伝うことができ、また、持つのに程よい高さと斜度で、美しさだけでなく機能性も考えられている感じでした。まさに機能美。
27.ルビノ京都堀川3階非常階段







十分に非常階段を堪能したあとは、2階と3階のフロアを探索。
まずは2階から。
30.ルビノ京都堀川2階小階段







2階にある小階段。
31.ルビノ京都堀川2階大宴会場前







2階大宴会場前のフロア。奥は吹き抜けになっています。
こちらも手摺が見どころ。
32.ルビノ京都堀川吹き抜け照明







吹き抜けの照明。この下にエスカレーターがあるのですが、封鎖されていました。
33.ルビノ京都堀川大宴会場扉







大宴会場の扉。
34.ルビノ京都堀川2階ロビー







2階ロビー。
35.ルビノ京都堀川2階ロビー







モダンなデザインですが、どことなく和風な感じもします。
36.ルビノ京都堀川2階カウンター







2階の小カウンター。格子の造りがいい感じ。
38.ルビノ京都堀川1階照明







天井の照明も昔のモダンな雰囲気があります。
25.ルビノ京都堀川2階宴会場扉







2階宴会場のガラス扉。こういう模様の入ったガラス戸も見なくなりましたねぇ。
40.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下。
39.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下の鏡台にも装飾が。
41.ルビノ京都堀川2階会議室







会議室の雰囲気もいわゆるレトロモダンさを感じる雰囲気です。
42.ルビノ京都堀川3階ロビー







次は3階へ。3階のロビー。
43.ルビノ京都堀川3階ロビー







3階のロビーは2階のロビーに比べて開放感があります。
44.ルビノ京都堀川3階フロア照明







天井の照明のデザインは、何となくアールデコっぽさを感じます。
45.ルビノ京都堀川和室広間







これは翌日撮影した和室の大広間。実は同じ日に中学校の修学旅行生が宿泊していて、
修学旅行生が出発した後に撮影させてもらいました。まだ蒲団がw
46.ルビノ京都堀川3階チャペル







3階の奥にあるチャペル。ルビノ京都堀川は結婚式場としても使われていました。
47.ルビノ京都堀川3階チャペル







チャペル前の部屋。かつては多くのカップルがここで結婚式を挙げたのでしょうね。
48.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







チャペル前の照明。チャペルらしく華やかな証明です。
49.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







正面の照明も花をモチーフにした華やかなもの。
50.ルビノ京都堀川3階チャペル扉







チャペルの扉。チャペルには入れなかったのは残念。
22.ルビノ京都堀川非常階段階数







さて、本日泊る客室へと向かいます。これは先ほど見学した階段の階数表。
文字がいい感じ。
51.ルビノ京都堀川5階廊下







本日泊る部屋は5階。廊下を歩き部屋へ。
52.ルビノ京都堀川客室







本日のお部屋。部屋はビジホと変わらないシンプルさ。
55.ルビノ京都堀川客室照明







56.ルビノ京都堀川客室照明







しかし、設備の照明にレトロさを感じニヤニヤ。
53.ルビノ京都堀川客室







机や椅子は木目を生かした家具調のもの。
57.ルビノ京都堀川客室椅子















特にこの椅子のデザインは気になりました。
村野藤吾の家具を調べた感じでは木目を生かした家具が多いようで、村野さんの得意とするカーブも家具にはよく取り入れられているようです。この椅子には曲線が少なくどうかなと思いましたが、背もたれの折れの部分が丁寧な造りで、もしかしたらと感じました。どちらにせよ、最近のホテルでは見かけない木製の椅子ですから、開業時からのものの可能性があります。
58.ルビノ京都堀川客室机







机の脚は先に向かうにつれ細くなる造り。村野さんのデザインのテーブルを見ていると似たようなデザインです。ちなみにホテルの方に聞いたら、客室の家具は村野藤吾のデザインかは分からないけど、開業当初からのものだそう。とすると、村野藤吾のデザインの家具の可能性もありますね。閉館後はどうなるんだろう。
54.ルビノ京都堀川客室







ベッドと横の照明装置は当初からのもので間違いないかと。柔らかな木調の調度品に触れながら一夜を過ごします。
59.ルビノ京都堀川客室からの眺め







客室から眺める京都の夜明け。おはようございます。
60.ルビノ京都堀川レストラン







客室から出たあとは無料の朝食(パンと飲み物のみ)を頂くために1階のレストランホールへ。
20221216_082951







照明とかを眺めたり。
61.ルビノ京都堀川レストラン







以前はレストランをやっていたそうですが、今はもう営業していないとか。
4.ルビノ京都堀川玄関







朝食とコーヒーを頂き、ルビノ京都堀川を後にしました。
62.ルビノ京都堀川ルームキー







ルビノ京都堀川の今後についてチェックアウト時にスタッフの方に聞きました。
閉館後は別の施設に使われるかもしれないが、老朽化もあり今後の予定は未定とのこと。
今年で開業50年ですから致し方が無い面もありますが、村野藤吾のデザインがふんだんに見られるホテルが無くなるのは惜しい気もします。これまで戦後のモダニズム建築には全く興味が無かった自分ですが、改めて鑑賞すると、丁寧にデザインされた階段や手すり、内装など見所満載で、さらには懐かしさを感じるレトロモダンな雰囲気に大いに楽しめ満足することが出来ました。
閉館まであとわずか。機会があれば訪れてみてください。


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2022年11月20日

旧愛宕駅・愛宕山ホテル跡探索レポ日記

火伏の神様で知られる愛宕神社の総本宮、愛宕神社のある愛宕山には、戦前までケーブルカーやホテル、遊園地がありました。

吉田初三郎鳥瞰図昭和5年









※所有の吉田初三郎作「愛宕嵐山鳥瞰図」昭和5年に描かれている愛宕鋼索鉄道。
昭和5年、愛宕神社の参詣者を目的とした鉄道として開業。現在の阪急嵐山駅から麓の清滝駅までの平坦線、清滝から愛宕山八合目にある愛宕駅までの鋼索線の2つの路線から構成されていました。
25.昭和10年代








※所有の愛宕駅の絵葉書。昭和10年前後。
日本地理体形 昭和4年










※所有の昭和4年刊「日本地理大系 近畿編」より、愛宕鋼索鉄道の図版。
愛宕山鉄道の開業と共に、昭和4年に愛宕山遊園地と愛宕山スキー場が、昭和5年には愛宕山ホテルが開業しました。しかし、戦時中の昭和19年に不要不急線に指定され愛宕山鉄道は廃業。ホテルや遊園地、スキー場も閉鎖されました。戦後、再開の計画もありましたが、結局復活することはなく現在に至ります。
現在、愛宕鋼索鉄道の路線跡や愛宕駅の建物、愛宕山ホテルと愛宕山遊園地の遺構が廃墟状態で残されています。実はこの記事を書いている2022年から15年前の2007年に一度探索をし当ブログの記事にもしています。※旧愛宕鉄道関連遺構探索 しかし、当時撮影した写真のいくつかが失われていること、ブログの写真も消えてしまっていることから、15年ぶりに改めて詳細な写真撮影を目的とした探索に赴きました。
清滝







朝7時に清滝に到着。15年ぶりの愛宕山登山です。
水口屋旅館







八合目付近の水尾分かれを少し上った場所から脇に伸びる道を進めば旧愛宕駅に着きます。
脇道を入ってすぐに表れるコンクリートの遺構。
44.水口屋旅館跡







かつて「水口屋旅館」だった建物の遺構です。
45.水口屋旅館跡







1階は木造で、半地下部分がコンクリートになっています。
かつては参詣客の宿泊で賑わっていたようです。

4.愛宕駅







約1時間で8合目の旧愛宕駅に到着。15年経って体力的にちょっと不安がありましたが、15年前と同じペースで登ってこられました。
5.愛宕駅







15年ぶりの旧愛宕駅。

23. 2007年の愛宕駅










15年前の2007年に撮影した旧愛宕駅。15年経ってやはり老朽化が進んでいるようです。
6.愛宕駅







初夏に訪れた15年前と比べ、秋に訪問した今回は落葉で駅舎が見やすくなってますが、木もいくつか伐採されているようです。あと、以前は無かった説明板がありました(2015年設置)。
7.愛宕駅







横から。
8.愛宕駅







斜面側から。
9.愛宕駅







斜面側のベランダ下。
10.愛宕駅







ホーム側から。

11.愛宕駅1階







1階内部。1階は待合室や売店があったようです。
13.愛宕駅1階







反対側から。
12.愛宕駅1階







内部は15年前とそんなに変わらないような気がしましたが、床のいくつかに穴が開いてて、地階の機械室が見えた状態になっており怖かったです。
13.愛宕駅タイル







15年前は注目してなかったけど、1階壁の腰回りのタイルが褐色釉をかけた布目タイルで、もしかしたら泰山タイルかも!?と思いましたが、詳細は不明。また調べたいと思います。
14.愛宕駅1階







階段から2階へ。
15.愛宕駅階段







階段踊り場から。
24.2007年の愛宕駅










15年前の2007年撮影の同じアングル。窓の鉄枠が失われています。
16.愛宕駅階段







2階から階段を望む。
17.愛宕駅2階







2階部分。2階には愛宕食堂という食堂があったようです。
2階も老朽化が進み、コンクリートは溶解しかかっており、鍾乳石みたいに垂れている箇所がいくつもあります。
18.愛宕駅2階







2階窓から。ここは鉄枠がまだ残ってました。
19.愛宕駅2階







かつては外を眺めながら食事していたんでしょうね。ベランダはちょっと怖くて行けませんでした。
20.愛宕駅機械室







外に出て地下の機械室へ。ここにはかつてケーブルカーのケーブル巻上機がありました。
21.愛宕駅機械室







風雨にさらされる1階・2階と違い、地下の機械室の状態は割と良かったです。
22.愛宕駅の崩壊







旧愛宕駅は確実に崩壊が進んでいます。ホーム側の柱はコンクリートが崩壊し鉄筋のみで支えている状態に。駅舎が完全に崩壊することはすぐには起きないと思いますが、柱の倒壊や床の崩壊は10年持たずに起きるかもしれません。現在は立ち入り禁止にはなっていないので自由に見学できますが、いずれは立ち入り禁止になるかもしれません。現状でも割と危険かと思います。

次に、旧愛宕駅の向かいから登ったところにある愛宕山ホテル跡へ。
26.愛宕山ホテル







旧愛宕山ホテルの愛宕駅側の玄関部分。かつては自動ドアがあったようです。
27.愛宕山ホテル玄関タイル







玄関ホールのタイル張りの床。
28.2007年の愛宕山ホテル










15年前の2007年の時はもっと床のタイルがはっきりと見えてました。
どうやら数年前の台風とかで荒れてしまったようです。
29.愛宕山ホテル







斜面を降り、麓側のホテル壁面。石積風の外壁は15年前と変わらぬ姿でした。
30.愛宕山ホテル







1階部分に上がってきました。

33.愛宕山ホテル







愛宕神社参詣道側の玄関。ここからロビーに通じていました。
34.愛宕山ホテル







奥にある石積みのオブジェ。花を生けた花瓶とか置かれていたのでしょうか。
31.愛宕山ホテル







ロビー内部。愛宕山ホテルは洋室15室、和室1室の小さなホテルでしたが、食堂や浴室も完備し、ホテルからの眺望も良く、宿泊客には好評だったようです。
愛宕山ホテルフロントか







ロビーにあるアーチ部分。先ほどの参詣道側から入った目の前にあり、この横に別の出入り口もあることから、フロントだったと思われます。
32.愛宕山ホテルタイル







ロビー内部にはタイルが貼られています。施釉された横長のスクラッチタイルで、スクラッチタイル自体は昭和初期に流行ったものですが、ほとんどは素焼きなため、施釉のスクラッチタイルは余りありません。泰山タイルでは施釉のスクラッチタイルを製造していたようですが・・・・
35.愛宕山ホテル







従業員用と思われる出入り口。

愛宕山ホテル1階ロビー







ロビー奥の一画。

36.愛宕山ホテル







1ヵ所個室がありました。麓側に面していて、大きな窓付きです。何の部屋だったんでしょうか。
37.愛宕山ホテル













窓から見る景色。かつては木々も無く眺望は良かったことでしょう。
愛宕山ホテル1階ロビー







愛宕山ホテルは1階が鉄筋コンクリート造、2階は木造だったようで、現在は1階部分のみが残されています。
38.愛宕山ホテル背面







愛宕山ホテルの背面。
39.愛宕山ホテル倉庫か







コンクリート造の建物が独立して建っています。
40.愛宕山ホテル倉庫か







内部。何の建物だったかは分かりませんが、倉庫とかだったのでしょうか。

41.愛宕遊園地跡







愛宕山ホテルの背後には愛宕遊園の跡があり、飛行塔や山上テント村の跡が残されています。
42.愛宕山ホテル遺物







その近くには、大量の陶磁器やガラス瓶の散乱した場所が。
43.愛宕山ホテル遺物







愛宕山ホテルの食堂で使われていた食器が廃業と共に廃棄されたあとだと思います。
食器は和食器や洋食器だけでなく、レンゲも落ちていたので、和洋中のメニューが揃っていたと思われます。残念ながら全て破損していました。もしかしたら、割れていない食器は訪れた人が持って帰ったのかも。15年前は電球が落ちているのを見たことあります。

46.紅葉







15年振りに訪問した旧愛宕駅と愛宕山ホテル跡の廃墟。やはり15年前と比べて緩やかに風化しつつあるようです。90年ほど前は多くの参詣客や観光客で賑わった旧愛宕駅・愛宕ホテル跡・愛宕遊園跡。この日は行楽シーズンもあってか多くの登山客とすれ違いました。しかし、旧愛宕駅方面へ行く人はほぼ皆無。参詣道の賑わいをよそに、これらの廃墟群はかつての賑わいの面影を残しつつ静かに山へと溶け込んでいくようでした。



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2022年11月13日

京都モダン建築祭・参加建築見学レポ日記

京都モダン建築祭001













京都市では初の試みである京都の近代建築公開イベント「京都モダン建築祭」が11/11から13日までの3日間、開催されました。クラウドファンディング出資者でもある私は、初日の11日に参加いたしました。
一番見たかった大丸ヴィラのツアーは残念ながら落選。パスポート(1500円)で見れる建物のうち、普段非公開とまだ内部を見たことが無い戦前建物に絞って回ることに。
今回巡ったのは・・・
革島医院・元成徳中学校・旧寺江家住宅・八竹庵・京都ハリストス正教会・平安女学院大学明治館・聖アグネス教会・京都市役所本館・時忘館・京都市京セラ美術館。
まずは、今回一番の目的である革島医院へ。
※今回記事で紹介する建物の内部写真は全て撮影OKの箇所のみです。見学可でも撮影NGの場所は当然載せていません。またSNS等へのUPに関しては、革島医院での事前注意事項を含め、少なくとも私の時は一切言及されていませんでしたので、撮影OK箇所=SNS等へのUP可と判断させていただきます。

2.革島医院







まず到着したのは革島医院。昭和11年築の洋館医院で、あめりか屋の設計。
普段内部を見る機会が無いため、今回どうしても見たかった建物。

1.革島医院 昭和11年 設計・あめりか屋







10時開場の30分前に到着しましたが、すでに20人ほどの待機列が。やはりここが一番の目当ての人が多かったようで。
24.革島医院











10時になった時点で先頭から15人ほどだけ整理券を配られ、残りは近くの公園へ移動。そこで、待機列をさらに作ることになったのですが、スタッフさんが不慣れなのか動かない。仕方なく私含めて待機者で列整理をする羽目に。さらに1時間ごとに見学人数の整理券を渡すと言われ、後方の人からこのまま何時間も待てというのかと不満続出。結局、10時40分にすでに並んでいた人に対しては整理券が配られましたが、段取りや対応の不手際が目立ちました。
3.革島医院







私の回は11時に入場。事前の注意事項として案内のスタッフさんから説明ありましたが、
〇撮影不可の場所では絶対撮影しないこと。
〇必ず5人1組で行動すること(少しでも外れたら怒られました)
〇荷物は事前に待合室に置くこと
〇室内のものには一切触らないこと(ドアノブや手すりもダメ)
とかなり制約が厳しかったです。確かに痛みは多く、個人宅であるから今回問題起きたら次回からは公開してくれなくなる可能性があるのでピリピリするのは分かりますが、だからと言ってちょっと外れただけで声を荒げなくてもいいのに。正直、スタッフに気を使いながら見学という感じになって落ち着かなかったですね。あと、「私らはただの案内スタッフだから、専門的質問されても答えられない」というのはどうよ?ある程度は頭に入れとくべきじゃないの?
あと、見学時の注意事項で立ち入り禁止箇所や撮影不可の箇所はかなり細かく指示され、見学中もその都度指示がありましたが、SNS等へのUPに関しては一切言及がなかったので、私としては赤字に書いた上記の判断で行かせてもらいます。
まぁ、とりあえずめったにない機会なのでワクワクしつつ内部へ。
4.革島医院







玄関部分。腰回りのタイルは布目タイルで恐らく泰山タイルかと。後に書きますが、革島医院の建設に当たり、泰山製のタイルを用いることと書いてありました。
6.革島医院







玄関上部の丸窓。
6-2.革島医院







こちらも丸窓。
7-2.革島医院







受付と投薬口。治療費・薬代即納と書いてます。ツケはダメという事ですかね。
戦前からのものでしょう。

5.革島医院







待合室。ここで荷物を置くように言われました。
8.革島医院







待合室のステンドグラス。アールデコ調。

7.革島医院







玄関ホールのタイルの構造物。手洗いだったのでしょうか。タイルは泰山タイルの可能性あり。

9.革島医院







1階の階段。
11.革島医院







階段の横に診察室と処置室。内部を見せてもらいましたが、撮影は不可。
10.革島医院







1階廊下。左の部屋が処置室。つまり手術室。
12.革島医院







階段踊り場。

13.革島医院







2階廊下。2階は病室になってます。
14.革島医院







反対側から。
15.革島医院







病室の丸窓。
16.革島医院







病室番号。
17.革島医院













病室廊下には戦前のものらしい注意書きが今でも。
18.革島医院













病室内で自炊してた人がいたのか・・・
19.革島医院







病室内1。
20.革島医院







ベッド堅そう・・・
21.革島医院







病室内2
22.革島医院







病室内3。こちらは他と違い収納があります。
23.革島医院







角部屋。窓が大きく作られ、採光が多くなるようになってます。サンルーム的な感じだったのでしょうか。
撮影不可でしたが、資料の展示室も見学。建築設計で目に付いたのは「外壁ニ鉄柵ヲ設ケテ蔦ヲ這ワス事」「外壁腰部分ハ泰山製ヲ用ル事」の記述。外壁の蔦は当初から這わせる形だったようで、タイルも泰山タイルを用いるよう決められていたようですね。
ピリピリした中の見学でしたが、貴重な体験が出来ました。

25.元成徳中学校 昭和6年







次に向かったのが元成徳中学校。
26.元成徳中学校







昭和6年築のレトロな学校建築。
27.元成徳中学校







玄関ホール。
28.元成徳中学校







受付ですかね。
28-2元成徳中学校







1階廊下。アーチが良い雰囲気。
29.元成徳中学校







1階階段。この階段が良い感じ。
30.元成徳中学校







この造形!アールデコでいいのかな。素晴らしい。
31.元成徳中学校







階段を登っていきます。
32.元成徳中学校







踊り場から。
33.元成徳中学校







踊り場のアーチ窓。
34.元成徳中学校







階段上から。
35.元成徳中学校







階段上がった所の教室の角はなんとカーブに仕上げられてました。凄く仕事が丁寧。
このカーブ、めちゃお気に入り。
36.元成徳中学校







2階廊下。
37.元成徳中学校







もう一つの階段。
38.元成徳中学校







階段の装飾。
39.元成徳中学校







3階廊下。元成徳中学校は広々としてゆったり見学できました。
素敵なレトロ校舎、新道小学校が無くなった今、ここはいつまでも残ってほしいですね。

40.旧寺江家住宅 昭和10年 設計・橋本工務店







次に向かったのが旧寺江家住宅。昭和10年築。設計・橋本工務店。
以前探索で外観だけはチェックしてたんですが、内部に入るのは初めて。
41.旧寺江家住宅







洋館部分外側。
42.旧寺江家住宅







洋館内部。
43.旧寺江家住宅







洋館内部の別アングル。オシャレですねぇ。
45.旧寺江家住宅







洋館の奥はお座敷になってます。
44.旧寺江家住宅







床の間。
46.旧寺江家住宅







京都の町家らしい坪庭。
47.旧寺江家住宅







通り庭の天井高いなぁ。
48.旧寺江家住宅







おくどさん。今も現役なのかな。素敵な町屋建築でした。

49.八竹庵







次に向かったのは八竹庵。元紫織庵で旧川崎邸。取り壊しの危機にあった建物。武田五一設計の洋館があり、昔入ったことがあるのですが、再び中に入るのは10年ぶりかも。
50.八竹庵







のはずでしたが、パスポートとは別に入場料1700円!?うち1000円は文化財としての維持管理費ということらしく分からんでもないですが、さすがに高い・・・。期間中くらいは割り引いて欲しかった。
なのでここはスルー。

100.ハリストス正教会













お次は京都ハリストス正教会。明治36年築の重要文化財。設計は京都府庁旧本館を設計した松室重光。
中では解説をされてました。撮影不可なので内部を拝見して撤収。
ちなみに京都府庁旧本館も公開されてますが、私は何度も行ってるので今回はパス。

50.平安女学院大学明治館 明治28年







次に向かったのは、平安女学院大学明治館。建物は有名でもちろん知ってましたが、場所柄、中に入るのは初めて。
51.平安女学院大学明治館







明治28年築の煉瓦建築。歴史を感じます。
52.平安女学院大学明治館







正面玄関のレリーフ。
53平安女学院大学明治館







1階階段。
54.平安女学院大学明治館







さすが明治建築と言った華やかな造りです。
55.平安女学院大学明治館







1階部屋。
59.平安女学院大学明治館







1階のシャンデリア。
56.平安女学院大学明治館







階段踊り場。
57.平安女学院大学明治館







2階講堂。
58.平安女学院大学明治館







天井の造りも凝ってます。
60.平安女学院大学明治館







講堂の暖炉。暖炉は各部屋にあります。
62.平安女学院大学明治館







3階階段。
61.平安女学院大学明治館







3階部屋。
64.平安女学院大学明治館







3階広間の暖炉。暖炉のデザインは全部同じっぽいです。
63.平安女学院大学明治館







古いオルガン。明治のころからのものでしょうか。

65.聖アグネス教会 明治31年 設計・ガーディナー







続いて隣の聖アグネス教会へ。明治31年築。設計・ガーディナー。この建物も有名で、何度も外観は見ているけど、中に入るのは初めて。一応、日曜礼拝やクリスマスには入れるみたいですが。
66.聖アグネス教会







内部空間は広々としていて開放感があり、さすが教会という感じ。
67.聖アグネス教会







祭壇も広い。
68.聖アグネス教会







ここの空間、いい感じ。
69.聖アグネス教会







70.聖アグネス教会







71.聖アグネス教会







72.聖アグネス教会













この日は天気も良く、光が差したステンドグラスがとても美しかったです。
平安女学院大学明治館や聖アグネス教会では学生さんが親切に案内してくれました。ありがとうございました。

73.京都御幸町教会 大正2年 設計・ヴォーリズ建築事務所







続いて京都では聖アグネス教会と同じく煉瓦の教会で知られる京都御幸町教会。大正5年。設計・ヴォーリズ建築事務所。ここは日曜礼拝で自由に見学でき、礼拝後は写真も自由に撮れるので、以前入ったことがあった記憶がある建物。
74.京都御幸町教会







聖アグネス教会より装飾がシンプルで、ステンドグラスも無いので派手さは無いですが、逆に落ち着いた雰囲気を感じます。
75.京都御幸町教会







祭壇。
76.京都御幸町教会







階段。
77.京都御幸町教会







階段の手摺のこのカーブの造詣がたまらなくいい!
79.京都御幸町教会







2階へ上ると堂内が見渡せます。
このあと、旧島津製作所のフォーチュンガーデンに行ったのですが、かなり並んでいて断念。

81.京都市役所 昭和6年







というわけで、京都市役所へ。京都市役所はしょっちゅう中に入っているし、改修前の市議会場の一般公開にも行きましたが、正庁の間はまだ見たこと無かったので。
82.京都市役所







まずはちらっと市議会場へ。
改修で議長席が大きく造り替えられたんですよねぇ。
P1120258










こちらは改修前の市議会議場の議長席。やはり重厚な改修前の方が良かったなぁ。
83.京都市役所







そして目当ての正庁の間へ。
84.京都市役所







さすが正庁だけあって装飾が凝ってます。
ここから地下鉄に乗り東山で降りて岡崎方面へ。

85.時忘舎(旧竹中精麦所) 大正5年







時忘舎。大正5年。元は竹中精麦所という工場だった建物。
86.時忘舎







この辺よく歩いてますが、初めて知りました。今はオシャレなカフェになっており、改めて行きたいと思ったり。
87.時忘舎







高い天井。
88.時忘舎







元々は応接室だったのかな。
89.時忘舎







名前のごとく、ここでお茶をしていたら時を忘れそう・・・
90.時忘舎







オシャレですねぇ。
91.時忘舎







奥の部屋は和室を改装したっぽい。
今回の一般公開で人気でそうですね。
本来なら取り壊しの予定だった工場がこうしてオシャレなカフェに生まれ変わっているのは素晴らしい。

92.京都市京セラ美術館 昭和8年







最後に訪れたのは京都市京セラ美術館。ここもお馴染みの場所ですが、今回の目当ては普段非公開の貴賓室。
93.京都市京セラ美術館







貴賓室だけあって流石豪華。和風を基調とした京都美術館なので、貴賓室も天井は格天井になってたりと和風のスタイルを感じます。
94.京都市京セラ美術館













この扉のブドウの彫刻が凄かった。
95.京都市京セラ美術館







暖房施設も金蒔絵っぽい和風デザイン。

以上で私の京都モダン建築祭は終了しました。
今回初の試みとはいえ、やはり革島医院とかウェストイン都ホテルとかフォーチュンガーデンとか人気ある建物には希望者が殺到し早々に打ち切りになったり、革島医院も土日の見学のやり方で2転3転して混乱を招いたのは大きな反省点だと思います。まぁ私は一通り希望の建物を見れたから良かったですが、遠方から来て見れずに終わった人とかは納得いかなかったでしょう。次回もやるなら、大いに反省して次に生かして欲しいです。私は今回パスした旧西陣織物館や武徳殿、新たに公開される建物があればそちらを中心にめぐりたいですね。あと、大丸ヴィラを次こそは見たい!


besan2005 at 11:57|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2022年07月30日

第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構探索レポ日記

2022年6月24日、フォロワーさんと舞鶴市の旧軍遺構探索ツアーで、海上自衛隊舞鶴造修補給所に残る旧軍遺構を見学してきました。この場所、昭和20年の終戦の段階で第三十一海軍航空廠の敷地だったそうです。
第三十一海軍航空廠といえば、宮津市栗田半島にある現・関西電力エネルギー研究所と栗田漁港の敷地にあった水上機製造専用の工廠だったことは知られており、私も何度か探索を行いましたが、舞鶴市の東舞鶴軍港内にもあったのは知りませんでした。
※過去に探索した第三十一海軍航空廠関連の記事。
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠官舎・工員宿舎遺構配置図








宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

海上自衛隊舞鶴造修補給所の敷地がかつて第三十一海軍航空廠だったと知ったのは、舞鶴市の公式HPである「舞鶴鎮守府エリア 1945年 舞鶴鎮守府家屋営造物配置図」を見たのがきっかけでした。
以下、このサイトに表記されている情報を元に記事を書いていきます。各遺構の名称は、第三十一海軍航空廠時代の名称で表記します。

第三十一海軍航空廠浜地区工場遺構配置図









※第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構配置図。
この舞鶴造修補給所の敷地となっている第三十一海軍航空廠についてですが、現在、確たる資料が見つけられず、この施設が当時どのように呼ばれていたかも不明です。とりあえず現段階では「第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)」としておきます。

海上自衛隊の隊員さんの案内で敷地内へ。

1.起重機(5トンクレーン)1







ゝ重機。船からの荷物を上げたり降ろしたりする5tクレーンです。白線で旋回範囲を書いてある通り、現役のクレーンです。赤れんがパークからも見えるクレーンです。
P1020696










こちらは現役ではありませんが、呉市のアレイからすこじまにある起重機のクレーンと同じですね。
2.起重機台







起重機台の部分。
3.起重機銘板







操縦室には「製造 昭和16年」の文字が。海軍時代から現役の古参。
ただし、クレーンのアーム部分は見る限り戦後に交換したように見えます。
ちなみに宮津市栗田の第三十一海軍航空廠の開設は昭和18年。この起重機はそれより2年古いため、元々は海軍の別の施設で、昭和18年以後に第三十一海軍航空廠の敷地となったと思われます。

6.啓正式格納庫1







啓正式格納庫。木造の大きな建物です。
7.啓正式格納庫2







啓正式格納庫とは移動式の格納庫のことらしいですが、この建物、移動できるんでしょうか。
8.啓正式格納庫3







内部は当時の鉄骨が残されています。格納庫時代の姿を留める貴重な建物です。
P1330504










対岸の赤れんがパークから見た啓正式格納庫。

4.汽缶場







2消談蟒ね工場(左奥)とさゴ名譟2消談蟒ね工場の写真を撮り忘れていた失態。
5.汽缶場洗面台







汽缶場の洗面台。コンクリート製の長いもの。汽缶場という施設という事で、煤とか色んなものが顔や服に付着したのを洗ったのでしょう。
9洗濯場










こちらは宮津市の栗田半島にある第三十一海軍航空廠工員宿舎街跡に残る洗濯場の洗い場。似たような感じですね。あと、舞鶴市の朝来地区にある第三海軍火薬廠跡にもコンクリート製の洗面台が残されています。

9.事務所か







セ務所としていますが、上記の舞鶴市のHP掲載の配置図では位置が違います。しかし、建物の造り、基礎の煉瓦など明らかに戦前の物。とりあえず事務所の建物と仮定しておきます。
10.事務所か







反対側より。

11.自動車庫







自動車庫。改造されてますが、面影は残されています。

P1050373










舞鶴造修補給所の遺構は赤れんがパークから起重機と啓正式格納庫を見ることができるため、以前からその存在は知ってましたが、他にもいくつか遺構が残されていること、また終戦時には第三十一海軍航空廠の敷地だったことは初めて知る成果となりました。

IMG_4768










ちなみに背後の東山には木造2階建ての司令部建物を丸ごと収めた、巨大な地下壕が残されています。
舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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