京都府

2022年07月03日

舞鶴平海兵団(現・舞鶴教育隊)遺構見学レポ日記

1.舞鶴教育隊







2022年6月24日に舞鶴市にある舞鶴教育隊を見学してきました。
0.平海兵団001








舞鶴教育隊は元々、旧海軍の平海兵団の敷地でした。舞鶴海兵団は舞鶴鎮守府開庁とともに設立。しかし、大正12年のワシントン海軍軍縮会議により舞鶴鎮守府は要港部へと格下げ。舞鶴海兵団は廃止され、旧舞鶴海兵団の敷地は海軍機関学校の敷地として使用されました。
昭和14年の鎮守府再昇格により海兵団も復活。しかし敷地は海軍機関学校となっていたため、東舞鶴の平地区に昭和15年に新たに設置されました。
舞鶴教育隊戦後001








戦後、平海兵団の敷地はそのまま海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地となり、現在に至ります。
舞鶴教育隊の敷地内には庁舎を始め平海兵団時代の建物が数多く残っていたのは知っていたのですが、施設の性質上、中々見学できる機会がありませんでした。今回、フォロワーさんのご尽力と海上自衛隊の隊員さんの協力により見学する機会を得ることが出来ました。ありがとうございました。
平海兵団歩哨舎跡







2枚目の古絵葉書の端に写ってますが、かつて正門の前には歩哨舎がありました。今でも基礎が残ります。正門も当時の物がそのまま使われています。

舞鶴教育隊(旧平海兵団)遺構配置図









平海兵団遺構配置図。この位置図に沿って紹介していきます。
2.庁舎1







(審な蔀痛槁庁舎。昭和10年代らしいモダニズムデザインの建物。筑波海軍航空基地の本部庁舎に似た感じですね。
3.庁舎2







正面に車寄せを設けた威厳ある造り。
4.庁舎国旗掲揚台













正面上部には国旗掲揚台が残されています。軍艦の艦橋を模した感じに見えます。
5.庁舎内部







玄関内部。階段も当時のまま。

6.自動車庫







⊆動車庫。鉄骨造りの建物です。
7.自動車庫2







現在も車庫として使用されていますが、平海兵団当時の車両より大型化しているため、収まり切れません。
8.自動車庫







内部の様子。
自動車庫背面







背面。

9.水上機格納庫







水上機格納庫。2棟残されています。
水上機格納庫







旧軍の航空機の格納庫自体、多くが失われている中、ここはちゃんと残されているのが貴重。

10.桟橋







せ袈供コンクリートの部分とかに当時の意匠が見えます。

11.覆土式弾薬庫1







ナづ攫芦侈庫。
12.覆土式弾薬庫迷彩







戦後にコンクリート壁が塗り直されましたが、塗装の剥がれた部分に当時の迷彩を確認することが出来ました。

13.弾薬庫1







γ凸庫。やや小高い場所にあります。
14.弾薬庫2







入り口部分。現在は使われていないようです。

15.ボイラー実習室1







平屋のコンクリート建物。開口部を大きく取った特異な建物。
16.ボイラー実習室2







かつて背面部には煙突があったようです。そのため、軍艦の機関のボイラーの実習等を行う施設だったのではと推測。現在はダメコン用の木材を保管する建物として使用。

17.機関講堂1







木造建物。教育隊では機関講堂と呼んでるようですが、当初の用途は不明。しかし規模の大きさからやはり講堂か実習棟だったのでしょうか。
18.機関講堂2







側面から。
19.機関講堂3







反対側から。現在は使用されておらず、内部もかなり痛みが激しく、今年中に取り壊される予定とのこと。

20.烹炊場







木造建物。教育隊では烹炊場と呼ばれ、炊事の演習場だったようです。当初の用途は不明。この建物も今年中に取り壊しとのこと。

21.便所1







便所。
22.便所2







平海兵団当時から便所だった建物で、建物の前半分は現代用に改修されてますが、後半分は当時のままとのこと。
23.便所3







手前の防火水槽も当時の物。
24.便所4







背面から。この建物も今年中に取り壊されるようです。
ちなみに便所の奥に写る白い建物も当時の木造建物で、こちらは今後も使用されるとか。

25.木造建物







木造建物。長大な建物。
26.木造建物2







こちらは今でも使われています。

28.風呂場2







風呂場。正面に屋根付き廊下が付属します。支えの柱は旧陸軍の建物でも時々見る形ですね。
27.風呂場1







背面から。

29.演武場1







演武場。鉄骨造の大きな建物。現在も演武場として使用されています。
30.演武場2







内部を見せてもらいました。鉄骨の小屋組みが凄い。

舞鶴海兵団兵舎










兵舎。現在は建て替えられて現存していませんが、かつては現隊舎の場所に平海兵団時代の兵舎があり、近年まで隊舎として使用されていました。写真は10年ほど前に軍港クルーズ船から撮影したかつての兵舎。

31.戦艦長門主砲弾













舞鶴教育隊の敷地には旧海軍時代のゆかりのものがいくつか置かれています。これは戦艦長門の主砲弾。
32.川内主錨







庁舎の脇には軽巡洋艦・川内の主錨が置かれています。
33.川内主錨







解説板。昭和17年に舞鶴海軍工廠で改装時に外されたもので、昭和52年にここに置かれたようです。
それまではどこにあったんだろう。

今回はフォロワーさん・海上自衛隊の隊員さんのご尽力により、普段は見れない舞鶴教育隊の敷地に残る平海兵団時代の遺構を見ることが出来ました。ありがとうございました。



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2022年05月06日

舞鶴市・愛宕山防空砲台探索レポ日記

1愛宕山防空砲台遠景










※2021年4月11日再探索分追加。加筆修正。
東舞鶴の海上自衛隊舞鶴教育隊の東に標高282m比高差270mの愛宕山があります。中世(室町期)に山頂に泉源寺城が築かれましたが、戦時中に海軍の防空砲台が築かれました。山城関連のブログに泉源寺城跡を取り上げたサイトがあり、そちらのレポを拝見すると山頂の砲台施設は中世の泉源寺城の曲輪を再利用したような感じで、砲台跡やコンクリートの構造物が見られ、どうやら愛宕山防空砲台の遺構が残されていることが分かりました。しかし、あくまで中世山城である泉源寺城跡をメインに取り上げているため、防空砲台の遺構に関してはちょろっと写真に写っている程度。そこで実際に探索し愛宕山防空砲台としてのレポを計画しました。

愛宕山防空砲台配置図修正版











今回の探索で確認した愛宕山防空砲台の遺構群。同じ防空砲台である倉梯山防空砲台に比べると規模が小さく見劣りする感じではありましたが、それでも各遺構群が多数現存し、また倉梯山防空砲台と比べて防空砲台として探索した人がおらず、知られていない遺構という点でも探索する価値はあったかと思います。
愛宕山防空砲台発電施設群











麓から旧軍道と思われる道を登っていくと4合目あたりで削平地に到達します。そこは愛宕山防空砲台の発電施設エリアと思われ、冷却用の水槽・発電機室跡・燃料庫と思われるコンクリート壕が残されています。
2愛宕山防空砲台水槽










冷却水用の水槽。
3愛宕山防空砲台発電機室










発電機室の建屋跡。恐らく木造の建屋だったのでしょう。
7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台2










7愛宕山防空砲台発電機室発電機土台










建屋の中には発電機の台座と思われるコンクリートの台座があり、脇には冷却水を流していたと思われる排水溝があります。
愛宕山防空砲台発電機室平面図













簡易的ですが、発電機室の平面図。
4愛宕山防空砲台燃料庫壕










一番山側にある燃料庫壕。愛宕山防空砲台で唯一現存していると思われるコンクリート壕です。
5愛宕山防空砲台燃料庫壕内部1










燃料庫壕の内部。ほぼ同じ時期に造られた倉梯山防空砲台と同じ感じの造り。
6愛宕山防空砲台燃料庫壕内部2










内部から。
8愛宕山防空砲台燃料庫壕上部遺構










燃料庫壕の上にはコンクリートの構造物があります。
9愛宕山防空砲台燃料庫壕煙突










燃料庫壕の上部にある通気口らしきもの。
10愛宕山防空砲台コンクリート残骸










発電施設エリアを過ぎ、少し上がった場所にあるコンクリートの残骸。
11愛宕山防空砲台軍道










上記のコンクリート残骸辺りから軍道と思われる道が九十九折れで山頂まで続いています。
愛宕山防空砲台山頂遺構群修正







山頂部の各遺構配置図。
12愛宕山防空砲台軍道分かれ道










山頂付近の軍道分かれ道。恐らく中世の泉源寺城跡の帯曲輪や城道遺構を再利用していると思われる軍道で、真っ直ぐ向かうとコンクリート壕の残骸と便所跡。右の登り道を進むと山頂に出ます。右の登り道は主郭へと至る虎口への道を再利用したものではと考えられます。
まずはまっすぐの道を進みます。
13愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸










大量のコンクリートの残骸。明らかに破壊された跡です。
14愛宕山防空砲台コンクリート壕残骸2










コンクリートの残骸の上にはアーチ状に残るコンクリートの構造物が。
これはコンクリートの壕の残骸ではないでしょうか。別のサイトでは「砲側庫の残骸と思われる」としています。
15愛宕山防空砲台便所跡1










先ほどのコンクリート壕の残骸の側にあるコンクリート構造物。
16愛宕山防空砲台便所跡2













便所跡で、未だに便壺が残されてました。
19愛宕山防空砲台浄化槽1










コンクリート壕の残骸の上部にあるコンクリートの構造物。
20愛宕山防空砲台浄化槽2










3つ連なる水槽状の造りのコンクリートの構造物には水を通せる穴があけられていることから、貯水槽ではと思います。下の便所や兵舎等に配水していたのでしょうか。
21愛宕山防空砲台煉瓦構造物










浄化槽の横にある煉瓦の壁。用途は不明ですが、浄化施設に付随する施設だったのでしょうか。この構造物のものと思われる煉瓦が下のコンクリート壕の残骸と一緒に散らばっていました。愛宕山防空砲台で煉瓦構造物を確認したのはここだけです。
17愛宕山防空砲台機銃砲座跡










便所跡から西側へ回り込むと穴が2ヵ所開けられた場所に出ます。用途は不明。
18愛宕山防空砲台コンクリート残骸










先ほどの機銃砲座跡を上がった山頂にあるコンクリートの残骸。ただの残骸ではなく、形が割と保たれており、この場所に何か施設があったことをうかがわせます。
23愛宕山防空砲台高角砲座










山頂部分にある砲座1。引渡リストにある12cm高角砲座かと。
22愛宕山防空砲台円形台座










高角砲座跡の南側にあるコンクリートの円形台座。下部の土が流失して半分浮いた危険な状態となっています。何の台座だったかは分かりません。
26砲座2










砲座2。
27コンクリート構造物










砲座2に隣接するコンクリート構造物(2021年4月11日確認遺構)
観測所の遺構ではと思われます。
26砲座3










砲座3。
25愛宕山防空砲台山頂砲座4










砲座4。
26機銃座










機銃座。引渡リストの13mm機銃の銃座と思われます。
28コンクリート基礎建物










山頂部から東に進み下がった場所にある遺構(2021年4月11日確認遺構)。中世の泉源寺城跡の曲輪に造られた建物のコンクリート基礎。
29コンクリート基礎建物










泉源寺城跡の曲輪をほぼ生かして建てられた建物跡で、旧軍遺構としてだけでなく、中世の山城跡でもこれくらいのスペースの曲輪なら駐屯できる建物が建てられるという一つの目安になる面白い箇所です。
30境界柵










さらに東に進んだ尾根上にコンクリートの柵柱が並んでいます(2021年4月11日確認遺構)。
31境界杭













柵柱の側に「海界2」の境界杭がありました。これで愛宕山防空砲台の東側の境界を確認できました。西側の境界ですが、谷を越えた西側の尾根上に松ヶ崎防空機銃砲座があったようで、その西端辺りになるのでしょうか。

愛宕山防空砲台の山頂部分はは中世の泉源寺城跡の縄張を完全に破壊して造られた防空砲台ではなく、泉源寺城跡の縄張を最大限利用して造られた防空砲台という所に特色があります。かつて丹後一色氏の居城だった建部山城の遺構を完全に破壊して造られた建部山堡塁とは違い、中世の泉源寺城跡と昭和の戦時中の防空砲台の2つの遺構を観察できる面白い遺構となっています。


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2022年05月05日

京都市左京区(哲学の道〜北白川界隈)の近代建築探索レポ日記

2018年2月17日探索分のレポ日記です。今回は京都市左京区の哲学の道を北上し北白川界隈を探索しました。スタートは南禅寺近くから。
1岡崎天王町の洋館3










岡崎天王町にあるお屋敷の洋館。空家なのか表札はなし。大正から昭和初期と思われますが、かなり大きな洋館です。ここから北上。

2アトリエ茉莉花 南禅寺北ノ坊町 










アトリエ茉莉花。南禅寺北ノ坊町。
3アトリエ茉莉花3










昭和初期と思われる洋館の住宅。

4小川邸 鹿ケ谷下宮ノ前町 大正11年










小川家住宅。鹿ケ谷下宮ノ町。大正11年。武田五一の設計でドイツ風の外観の大きな洋館です。国登録有形文化財。
ここからちょっと西へ。

13唐崎邸1 鹿ケ谷上宮ノ前町 大正から昭和初期










K邸。鹿ケ谷上宮ノ前町。大正から昭和初期の洋館住宅。
16唐崎邸2










正面から。
17唐崎邸3










戦前では珍しいRC造の住宅。
再び東へ向かい哲学の道方面へ。

5青木邸1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前










A邸洋館。大きなお屋敷に付属する洋館。
6青木邸2













中々可愛らしい洋館。

7桜鹿荘1 鹿ケ谷桜谷町 1947年以前 近年改修













桜鹿荘洋館。鹿ケ谷桜谷町。広大なお屋敷に付属する洋館。敷地外からちらっと見えます。
9桜鹿荘3










敷地内にある煉瓦の小屋。

10旧藤井繁次郎邸 鹿ケ谷桜谷町 昭和11年










旧藤井繁次郎邸。鹿ケ谷桜谷町。昭和11年。
P1100877










藤井繁次郎は実業家、藤井彦四郎の次男の邸宅でイギリス風ハーフティンバーの広大な洋館。
P1100878










設計・施工は鴻池組。
P1100880










敷地外から少し見えますが、それでもこの建物の大きさが分かります。国登録有形文化財。
現在は個人宅。どんなお金持ちが住んでいるんだろう。

P1050466










ちなみに藤井彦四郎の邸宅だった和中庵洋館はノートルダム女学院の敷地内に保存されています。
P1050467










P1050469










P1050478










戦後、ノートルダム修道女会が布教拠点を探していた際、藤井彦四郎が邸宅を安く譲ったもの。
写真は2016年の一般公開の時のもの。
話を戻して再び北上。

13田中邸1 鹿ケ谷寺ノ前町 1947年以前










T邸。鹿ケ谷寺ノ前町。
14田中邸2










住宅地の奥まった場所にある洋館。中々洒落た良い洋館です。
15田中邸3










玄関部分。昭和初期頃でしょうか。
哲学の道に沿って北上。

18内田邸 浄土寺下南田町の洋館付き住宅1










U邸。浄土寺下南田町。
19内田邸浄土寺下南田町の洋館2










小さいながら存在感のある洋館付き住宅。応接室だったんでしょうね。

20岡本邸1 浄土寺下南田町 大正から昭和初期










O邸。浄土寺下南田町。
21岡本邸2










平屋の洒落た洋館です。

22水谷邸1 浄土寺南田町 昭和初期










M邸。浄土寺南田町。昭和初期。

23水谷邸2










哲学の道沿いにある立派な洋館住宅。
24水谷邸3










窓にはなんとモガのステンドグラスが。施主はそうとうオシャレな方だったんでしょう。
哲学の道を離れ銀閣寺方面へ。

31洋館付き住宅 銀閣寺町










洋館付き住宅。銀閣寺町。表札不明。見づらいですがタイル張りの洋館があります。
再び西へ。

25株式会社なかじま 浄土寺石橋町 










株式会社なかじま。浄土寺石橋町。
26株式会社なかじま2










小さいですがタイル張りの壁、基礎周りの乱積み風の石張りなど中々凝ってます。

30中山邸 浄土寺石橋町










N邸。浄土寺石橋町。地味ですが古さのある建物。

27高折邸1 銀閣寺前町










T邸。銀閣寺前町。
28高折邸2










主屋は普通ですが、玄関のベランダが素晴らしい。隅石やベランダの手すりの装飾が良い感じ。

29ノアノア 橋本関雪邸洋館 昭和4年










レストラン・ノアノア。画家・橋本関雪の広大な旧邸宅・白沙村荘の敷地は橋本関雪記念館として保存されていますが、洋館の方はレストランとして活用されています。昭和6年築。

32清家邸 銀閣寺前町










K邸。銀閣寺前町。
33清家邸










中々大きな洋館です。

1旧岡本医院 浄土寺石橋町 大正〜昭和初期







旧岡本医院。浄土寺石橋町。大正〜昭和初期。
2旧岡本医院







昭和初期らしい立派な洋館の旧医院。
3旧岡本医院







背後には和館が併設してます。洋館には丸窓もあります。
4旧岡本医院







玄関のガラス窓から内部を拝見。昔ながらの投薬口が懐かしい。
ここから西へ向かい北白川のかつての高級住宅街へ。

5可〇医院 浄土寺西田町







元医院。浄土寺西田町。現在は個人宅のようです。
6可〇医院







横から。
7可〇医院







玄関の扉に可〇医院の文字があります。2文字目が読めない。

35旧神戸邸 浄土寺西田町 昭和6年 あめりか屋










旧神戸邸。浄土寺西田町。昭和6年。戦前に京都市内の近代住宅の多くを手掛けた熊倉工務店の設計。
北上して北白川の高級住宅地へ。ここは京都帝大の教授や関係者の邸宅が多くあった場所。

36京都大学人文科学研究所 北白川東小倉町 昭和5年 東畑謙三










京都大学人文科学研究所。北白川東小倉町。昭和5年。武田五一の弟子である東畑謙三設計の名建築。内部は凄いらしいですが入る機会が中々無い。

37貝塚邸 北白川御倉町










K邸。北白川小倉町。
38貝塚邸










植木で見づらいですが、奥に大きな洋館が見えます。
39貝塚邸










背後から。

40洋館住宅 北白川小倉町










表札不明の洋館。北白川小倉町。

41CEAMisson 北白川小倉町










C邸。北白川小倉町。
42CEAMisson










昭和初期頃でしょうか。大きくモダンな洋館。
43CEAMisson










現在は外国人の方のお住まいのようです。

44滝本邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
45滝本邸










京都ではよく見る洋館付き住宅ですが、軒周りの装飾が凝ってますね。
46太田邸 北白川東小倉町










O邸。北白川東小倉町。昭和初期らしいモダンな住宅。

47竹内邸 北白川東小倉町










T邸。北白川東小倉町。可愛らしい洋館付き住宅。

48洋館付き住宅










表札無しの洋館付き住宅。北白川小倉町。背の高い洋館ですが、窓の数が少ないのが気になります。

49桂邸 北白川小倉町










K邸。北白川小倉町。窓の感じが良いですね。

50澤井邸 北白川東小倉町










S邸。北白川東小倉町。
51澤井邸










昭和初期と思われる洋館住宅。右の出窓が良いアクセントになってます。

53堀井邸










H邸。北白川東小倉町。
52堀井邸 北白川東小倉町 藤井厚二










庭木が生い茂っていてほとんど見えませんが、藤井厚二の設計とか。全体を見てみたいなぁ。

54革島邸 北白川別当町










K邸。北白川別当町。
55革島邸










角の入り口は後から作られた物ですかね。

56河村邸 北白川小倉町 昭和6年 あめりか屋










K邸。北白川小倉町。昭和6年。あめりか屋の設計だそう。

57鈴木邸 北白川小倉町










S邸。北白川小倉町。
58鈴木邸










小さな洋館が付属していますね。

59芥川邸 北白川小倉町










A邸。北白川小倉町。

60芥川邸










白亜の中々洒落た洋館。2階のラティス窓が良い感じ。
ここから西方面へ。

61旧喜多源逸邸 北白川伊織町 昭和元年 藤井厚二










旧喜多源逸邸。北白川伊織町。昭和元年。
62旧喜多源逸邸










藤井厚二設計の住宅。最近整備されたようです。

63旧駒井家住宅 北白川伊織町 昭和2年 ヴォーリズ










旧駒井邸。北白川伊織町。昭和2年。
64旧駒井家住宅










ヴォーリズ建築の代表作の一つ。年に何回か一般公開されてます。昔、部屋を借り切ってオフ会したことあったなぁ。

65銀月アパート 北白川伊織町










銀月アパート。北白川伊織町。
66銀月アパート










昭和初期建築の有名物件。これで現役のアパートなんだから凄い。
67銀月アパート










外観はスパニッシュ風。設計は不明ですが雰囲気的に熊倉工務店っぽい気もします。
68銀月アパート










ステンドグラスの丸窓。当時はかなり洒落たアパートだったんでしょうね。
69銀月アパート










玄関から内部を少し。この雰囲気が気に入って住み続ける人、セカンドハウスにする人が結構いるとか。
ここから南下。

70和洋折衷建築 田中西樋ノ口町










百万遍方面へ向かう途中で見かけた和洋折衷住宅。田中西樋ノ口町。
71和洋折衷建築










1階が和風で2階が洋風の建物って時々見かけますがアンバランスな感じも・・・

72商店建築 田中西樋ノ口町










これも途中で見かけた建物。田中西樋ノ口町。商店だった建物でしょうか。
ここから京大方面へ。

73旧池田邸 北白川追分町 昭和2年 藤井厚二










旧池田邸。北白川追分町。昭和2年。
74旧池田邸










藤井厚二設計の住宅建築。
76旧池田邸










2018年当時、売りに出されていました。現在どうなってるか分かりませんが、状態もいいですし理解ある方の所有になればと願ってます。

77京大施設 北白川追分町










旧池田邸の側にある京大施設の建物。北白川追分町。昭和初期の建物かと。
北白川の探索はここまで。帰りに1ヵ所気になってた物件に立ち寄りました。

8大野邸 岡崎西天王町 明治期







O邸。岡崎天王町。
9大野邸







下見板張りの洋館は明治期の建物だそう。
10大野邸







背面から。かつては著名な画家のアトリエだったとか。
11大野邸













2階窓にステンドグラスがありますが、これは後補ではないでしょうか。

以上で哲学の道〜北白川界隈の近代建築探索は終了。さすが名士たちが住んだ場所だけにレベルの高い住宅建築がたくさん密集する界隈でした。

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2022年05月03日

京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)近代建築探索レポ日記

※2021年11月3日分探索の都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記と探索エリアが一部重複しており、同じ建物を取り上げている部分があります。
2018年5月12日に行った近代建築探索のレポ日記で、今回は二条城〜四条〜御所南界隈を中心に一部四条エリアの探索となります。
まず、二条駅からスタート。

1喜多尾邸 西ノ京職司町 大正〜昭和初期













K邸。西ノ京職司町。
2喜多尾邸













1階部分が塞がれてますが、元は商店だったんでしょうか。

3西村邸 西ノ京北聖町 大正〜昭和初期










N邸。西ノ京北聖町。よく見かける洋館付き住宅。
4西村邸










でも、こういう戦前の洋館付き住宅ってちょっと憧れます。
南方面へ。

5中西医院 今新在家西町 大正〜昭和初期













中西医院。今新在家西町。大正〜昭和初期。
6中西医院













小さいながらも中々いい感じの洋館。
7中西医院













街中の細い道に面して建つ白亜の洋館。当時はランドマークだったのでしょう。
東方面へ。

8川部邸 中京区宗林町 大正〜昭和初期










K邸。宗林町。大正〜昭和初期。
9川部邸










現在は個人宅ですが、かつては事務所建築だったのかも。

11ふくさの一商 中京区六角町 大正〜昭和初期










ふくさの一商。六角町。大正〜昭和初期。
12ふくさの一商










呉服関係の建物のようです。
13ふくさの一商










中々モダンです。
14宮内歯科医院 中京区小結棚町 大正〜昭和初期













宮内歯科医院。小結棚町。大正〜昭和初期。スクラッチタイルの外壁の洋風の個人医院、京都市内では割と見かけます。

15膳處漢ぽっちり 中京区天神山町 昭和10年










膳處漢ぽっちり。天神山町。昭和10年。以前は呉服商だった記憶。
16膳處漢ぽっちり










今は中華料理店となってます。中々のお値段なので入る機会が・・・

17旧明倫小学校 中京区山伏山町 昭和6年










旧明倫小学校。山伏山町。昭和6年。京都市内に残る昭和戦前期の小学校建築の中でもひときわ豪華な小学校。特に講堂は必見ですが、イベント事とかでないと見れないのが残念。現在は京都芸術センター。

18旧明倫幼稚園 中京区山伏山町 昭和14年










旧明倫幼稚園。山伏山町。昭和6年。旧明倫小学校の向かいにある建物。建築時期が同じでデザインも似通っているので、同じ設計者かと。

19岩瀬歯科 中京区阪東屋町 昭和初期










岩瀬歯科医院。東屋町。昭和初期。1階の階段か気になります。

20辻医院 中京区阪東屋町 昭和初期










辻医院。車屋町。昭和初期。四条通から東洞院通を北に上がった場所にある洋館。昔から目立つ建物。隣に岩瀬歯科医院の建物があります。
21辻医院










背面。かつてはいくつものテナントが入る雑居ビルみたいな感じだったのでしょうか。デザイン的にも優れた建物なので、残り続けて欲しいです。
22洋館付き住宅










S邸。場所失念。洋館付き住宅の大きな建物。周囲にいつくかヒントとなる店や薬局写ってますが、検索しても該当のものが出てこず・・・

24武田邸










T邸。丸屋町。昭和初期。※現存せず。2棟並ぶ洋館。
23武田邸 中京区丸屋町 昭和初期










元々集合住宅として建てられた感じです。

25村上開新堂 中京区常盤木町 昭和初期













村上開進堂。常盤木町。昭和初期。京都でも有名な老舗の洋菓子店。
26京都アンティークセンター 中京区常盤木町 昭和初期













京都アンティークセンター。常盤木町。昭和初期。

27旧森田牛乳 中京区指物町 大正14年













旧森田牛乳店。指物町。大正14年。割と知られている建物。
28旧森田牛乳













白亜のモダンな洋風ビル。壁にあの仁丹の町名標があるのが良いですね。

29たこ焼き大文字 中京区大文字町 昭和初期










ニュー大文字。大文字町。昭和初期。
30たこ焼き大文字













現在はお好み焼き屋さんのようですが、2階の凝った装飾を見ると、かつてはどんなお店だったんでしょうか。

31小林裕史写場 中京区行願寺門前寺町 昭和初期













小林裕史写場。行願寺門前町。昭和初期。
32小林裕史写場













中々立派な建物。戦前の写真館はこれだけの建物が建てられるくらい需要があったんですね。

33森川邸 中京区松本町 昭和初期










M邸。松本町。昭和初期。
34森川邸













すっきりとした外観の洋館住宅。

35タツミ写真館 中京区魚屋町 昭和初期










タツミ写真館。魚屋町。昭和初期。
36タツミ写真館










先ほどの小林裕史写場もですが、戦前の写真館はどこも立派な建物ですね。今と違い当時はかなり需要があり、地域の主要な施設でもあったのでしょう。

37南部邸 中京区笹屋町 昭和初期













N邸。笹屋町。昭和初期。
38南部邸













2階建てのアーチ窓の中々洒落た洋館。2018年当時は左側に町家がありました。

39大久保司法書士事務所 中京区笹屋町 昭和初期










大久保司法書士事務所。笹屋町。昭和初期。
40大久保司法書士事務所










かつては企業の事務所だったのでしょうか。大きな洋館です。

42寿山荘 










寿山荘。大炊町。明治29年。
41寿山荘 中京区大炊町 明治29年










実業家、中江種造の邸宅だった屋敷。敷地内に煉瓦造の洋館があり、隣から少しだけ見れます。

43京都ハリストス正教会













京都ハリストス正教会。明治36年。京都府庁旧本館を設計した松室重光の設計。2021年に重要文化財となりました。

44A岡邸 中京区俵屋町 昭和初期










A岡邸。俵屋町。昭和初期。奥まった場所にある洋館。

45小杉邸 中京区天守町 昭和初期 あめりか屋










K邸。天守町。昭和初期。
46小杉邸










あめりか屋設計の立派な洋館住宅。
47小杉邸










ステンドグラスの窓もあります。

48杉島法律特許事務所 中京区壺屋町 昭和初期










杉島法律特許事務所。壺屋町。昭和初期。大きな洋館付きの住宅。かつては結構な方のお屋敷だったのでしょう。

49橋田邸 中京区左京町 昭和初期










H邸。左京町。昭和初期。近代建築界隈では有名な建物。
50橋田邸 










元医院だった気がする立派な洋館。京都市内でも有数の近代建築だけにいつまでも残ってほしいです。
51橋田邸













入口の扉も当時の物でしょうか。立派な造りです。

52上西邸 中京区少将井御旅町 昭和初期













U邸。少将井御旅町。昭和初期。
53上西邸













堂々たる洋館を付属するお屋敷。応接室だったんでしょうね。

54二条薬業会館 中京区玉屋町 昭和11年













二条薬業会館。玉屋町。昭和11年。
55二条薬業会館













こちらも近代建築界隈では知られた建物ですね。

57伽 中京区松竹町 昭和初期










御料理伽。松竹町。昭和初期。
58伽













現在は料理店となってますが、以前は何の建物だったのでしょう。商店かな。

59嘉祥閣 中京区西方寺町 昭和初期










嘉祥閣。西方寺町。昭和初期。
嘉祥閣は能楽堂のようです。伝統芸能の能楽堂に洋館は面白い取り合わせですね。

61高木理容室










高木理容室。東竹屋町。昭和初期。見た瞬間「おおっ!」と思ったレトロ感満載の散髪屋さん。
60高木理容室 中京区東竹屋町 昭和初期










1階部分の洋風造に2階の和風造の取り合わせもそそられますが、ちゃんと現役なこと、看板も建物に合わせたレトロ感なのが最高。いつまでも続けて欲しいです。

これにて中京区の二条城〜四条、京都御苑南界隈の近代建築探索は終了。中京区は広いのでまだ未探索、未チェックの物件があるので、その辺りも網羅したいところです。


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京都市中京区(旧待賢小学校〜旧新道小学校界隈)の近代建築探索レポ日記

※今回の探索レポ日記は2018年5月12日に探索した「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」と探索エリアが重複しており、一部同じ建物を紹介しています。

古写真・古絵葉書ブログの待賢尋常小学校校舎改築記念の古絵葉書の記事を書くため、旧待賢小学校の写真撮影と先月行われた旧新道小学校お別れ一般公開後の様子を見に、2021年11月3日に二条駅界隈から旧待賢小学校〜旧新道小学校までのルートで探索してきました。
まずは二条駅周辺の界隈。
2奥井邸










O邸。聚楽廻東町。
1奥井邸 中京区聚楽廻東町 










中々立派な洋館付き住宅です。

3日本聖公会京都聖三一教会 昭和5年










日本聖公会京都聖三一教会。聚楽廻中町。昭和5年。どことなく和風の教会です。

4瀬川邸 中京区寿楽廻西町










S邸。聚楽廻西町。
5瀬川邸










前面に洋館を備えた住宅。窓の上に小さな装飾があります。
ここで引き返し東へ。

6中小路邸 上京区主税町 昭和初期










N邸。主税町。
7中小路邸













擬石造の洋館が前面に建ちます。2階の出窓は後付けでしょうか。

8龍宮温泉 中京区主税町










龍宮温泉。主税町。レトロな温泉。戦前かもしれません。

9新美邸 中京区主税町










N邸。主税町。
10新美邸










やや改造されていますが、戦前の住宅建築と思われます。門や塀も当時の物っぽい感じ。

11横井米穀店 中京区主税町










横井米穀店。主税町。古い商店建築。
ここで少し戻り南へ。

旧京都市児童院 昭和6年 (1)










旧京都市児童院。主税町 昭和6年。
旧京都市児童院  (2)










現在は京都市児童福祉センターの建物の1つとして使用されています。昭和初期らしい中々オシャレな建物です。

中路邸










N邸。主税町。大きな日本建築の角に小さな洋館が付属しています。角に造ったことで一つのアクセントになってますね。別のサイトで紹介された写真には窓に猫ちゃんがいて可愛い写真になってました。
さらに東へ。

12タイル張り洋館 中京区主税町










タイル張りの洋風商店。主税町。恐らく昭和初期の建物かなと。

13日暮荘 中京区主税町










日暮荘。主税町。昭和初期頃の洋館付き住宅を宿泊施設としてリノベートした建物。
14日暮荘










サイトを見たら当時の雰囲気が良く残されているようです。まぁまぁ手頃なのでいつかは泊ってみたいかなと。

15佐々木邸 中京区主税町










S邸。主税町。こちらも良い感じの洋館付き住宅。
このまま丸太町通を進みます。

16待賢小学校










旧待賢小学校。藁屋町。昭和13年。今回の目的の1つ。
17待賢小学校










当時としてはモダンな校舎だったことでしょう。現在はコミュニティーセンター等に利用されているようです。
ここから一気に烏丸通方面へ。なお、今回と探索エリアが被る形の「京都市中京区(二条城〜四条〜御所南界隈)の近代建築探索レポ日記」の記事を作成しますので、そちらも合わせてご覧ください。

18洋風の蔵 中京区冷泉町










洋風の倉。冷泉町。コンクリートブロックでしょうか。

19中嶋医院 中京区御池之町










中嶋医院。御池之町。
20中嶋医院










洋館付き住宅の医院ですが、洋館部分が診察室だったのでしょうか。

21町田邸 中京区御池之町










M邸。下妙覚寺町。見づらいですが奥に洋館があります。

22洋風商店 中京区塗師屋町










洋風の商店。塗師屋町。
23洋風商店










戦後建築かもしれませんが、気になったので撮影。
このまま北方向へ。

24ヒカリ美容室 中京区仁王門町突抜町










ヒカリ美容室。仁王門突抜町。
25ヒカリ美容室













中々立派な洋館建築。現在は廃業でしょうか。

26吉田商店 中京区仁王門町










吉田商店。仁王門町。レトロな洋風商店。
27吉田商店










玄関脇にある看板が中々味があって良いです。

28杉島法律事務所 中京区壺屋町










杉島法律特許事務所。壺屋町。戦前の洋館付き住宅を再利用したものでしょうか。

29平野邸 中京区三本木町 昭和初期










H邸。三本木町。
30平野邸










丸窓もあり昭和初期の住宅と思われます。
31平野邸










玄関部分にはステンドグラスの窓も。
32平野邸










玄関上部のステンドグラス。
33平野邸













玄関横のステンドグラス。ステンドグラスのある家って憧れますね。
東方面へ。

34南部邸 中京区笹屋町










N邸。笹屋町。中々立派な洋館。
35南部邸













実は4年前の探索では洋館の左側に日本建築がありました。洋館だけ残された感じです。
35大久保書士事務所 中京区笹屋町










大久保司法書士事務所。笹屋町。大き目の洋館。何かの企業の事務所だったのでしょうか。
ここから東へ。

36西本邸 中京区梅ノ木町













N邸。梅ノ木町。スクラッチタイル張りの洒落た洋館。
ここから一気に三条通方面へ。

37梅園 三条寺町










梅園三条寺町店。天性寺前町。三条寺町角の喫茶店。以前は洋食屋さんで何度か行ったことあります。今の店になってからは敷居が高くてなかなか入りづらいw

38舟田邸 中京区松ヶ枝町










F邸。松ヶ枝町。
39舟田邸










元喫茶店でしょうか。新しくも見えますが、京都市近代化遺産調査報告書掲載の建物。
五条通まで下り、旧新道小学校方面へ。

40武藤医院 東山区博多町










武藤医院。博多町。新しく見えますが、よく見ると玄関周りや壁面の装飾など戦前らしさが垣間見られます。
42武藤医院










気になる建物なので撮影。

43西村邸 東山区博多町










N邸。博多町。背後に大きな洋風倉庫が建っています。

IMG_2594










旧新道小学校はこの時はまだ健在でした。
IMG_2599










旧宮川町歌舞練場の方は完全に覆われていました。


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2022年03月13日

新居家住宅見学会レポ日記

1.まいまい京都














京都市伏見区淀にある新居家住宅の見学会に参加しました。

2.新居邸外観







新居家住宅は大正15年に建てられた洋館付き住宅で、国登録有形文化財となっている住宅です。
現在も新居さんの個人宅で普段は非公開ですが、見学会に参加することが出来たので晴れて内部を拝見することが出来ました。
3.新居邸外観







この新居家住宅の見学会には過去に何度か応募していたのですが、中々抽選に受からず、3回目にしてようやく当選しました。過去に外観だけは見ていましたが。
4.新居邸洋館1階







洋館1階内部。比較的シンプルな内装ですが、雰囲気のある部屋です。
右側の棚の下は物入にはなっておらず、所有者様の不思議がっておられました。
5.新居邸洋館1階







奥のテーブルは後から購入されたものだそうですが、手前の椅子は当時の物だそう。
6.新居邸洋館1階







入り口方面。奥が玄関と和館です。
7.新居邸洋館1階







入口にあるカウンター。これは所有者様が後から設置したもの。照明は当時の物。
8.新居邸洋館1階







入り口部分のアーチ。
9.新居邸洋館暖炉













暖炉。タイルはなんと泰山タイル。貴重なものです。
次に2階へ。

10.新居邸洋館2階







2階部分。2階の窓にはステンドグラスがはめられています。
12.新居邸洋館2階







別角度から。
11.新居邸洋館2階







南側の窓のステンドグラス。
13.新居邸洋館2階







西側のステンドグラス。ステンドグラスは改修の際に外されていたのを再び戻したのだそう。
洋館は戦時中、久御山町にあった陸軍の航空隊の将校宿舎として使用されていたとのことで、以前は名前入りの服を掛ける棚があったそう。
お聞きした話では、久御山の航空隊が知覧へと向かう際、目立つ緑色の屋根の洋館の上空に来た際、翼を振って感謝の挨拶をして知覧へと向かったそうです。そう、知覧へ…
次に和館へ。

14.新居邸和館







玄関を入り向かって左が洋館、そして向かって右が和館となります。この部屋は表の間。
元々は別邸として建てられたもので、普通は玄関からの導線は廊下へと繋がるのですが、新居家住宅は玄関を上がった取次の間からすぐに洋館と和館の部屋に直結し、来客をもてなすための造りだとか。
来客は近くの京都競馬場の来客をもてなす用途もあったらしいです。当時の競馬は高貴な紳士の社交場でしたので。
15.新居邸和館







床の間。床柱はさすがの四方柾ですが、これだけのお屋敷に対して控えめで、本宅ではなく別邸だからではという理由が考えられるとか。
16.新居邸和館照明







照明も当時のまま。
17.新居邸和館襖







障子には矢の意匠が。新居家住宅の和館には矢を用いた装飾が多く見られます。
18.新居邸和館欄間







床の間平書院の欄間。
19.新居邸和館













縁側奥の付書院。縁側奥に造るのは珍しい。
次に離れへ。

20.新居邸和館離れ







昭和12年に完成した離れも書院造風の数寄屋造の部屋ですが、遊郭の意匠を取り入れているため、遊び心のある部屋です。遊郭建築の意匠を取り入れたのは、近くに橋本遊郭があったのもあるのだとか。
22.新居邸和館網代天井













向かって右側の天井は網代天井となり、分けられています。
24.新居邸離れ







床の間の横には塗り残し窓があり、通常の数寄屋建築や書院造の部屋とは違った造りです。
新居家住宅は元々別邸として建てられ、昭和19年に所有者様の先代が購入されたそうですが、本来は建物を取り壊して小さめの住宅に建て替える予定だったそうです。しかし、平成24年に京都市文化財保護課の勧めにより保存が決定。一部の改修を行い現在はこうして一般公開をする機会を設けるなど保存と周知に尽力されています。
私の実家も大正4年築の古い農家建築ですが、古い建物は今の生活事情から考えると使い勝手は悪く、また維持管理も大変。それを知っているだけに新居家住宅の所有者様の尽力は並大抵のものではないことは分かります。

25.河津櫻







新居家住宅の見学ついでに淀の河津桜を見てきました。まさに見ごろの満開で多くの人が駆け付け、中には美人のお姉さんをモデルに撮影会をしている人も。
26.河津櫻







河津桜の見ごろが過ぎた後は、いよいよ本格的に桜の季節ですね。


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2022年03月09日

京都市右京区京北町他の近代建築探索レポ日記(公民館建築を訪ねて)

京都市右京区の京北町内に戦前の建築と思われる公民館建築が割と多く、さらに多くが知られていない建物なので探索をしてみようと思いました。
まずは隣町の南丹市から。

1.旧神吉小学校及時館 南丹市美山町神吉







神吉診療所。南丹市八木町神吉。旧神吉小学校及時館。
2.旧神吉小学校







2年ぶりの訪問。あの時と変わらず建っていました。その時の探索レポ日記。
※南丹市・京丹波町の戦前木造校舎&近代建築探訪レポ日記
3.旧神吉小学校







学校があった当時は記念館として残されていたようで、大正〜昭和初期の建物と思われます。
4.旧神吉小学校







正面にあるサイレンも当時のまま。
次に今回のメインの京都市右京区京北町へと入ります。

5.旧宇津郵便局 右京区京北町宇津







旧宇津郵便局。京都市右京区京北町宇津。
6.旧宇津郵便局







以前から一度見たかった昭和初期の洋館。
7.旧宇津郵便局







隣に現在の郵便局がありますが、やはり存在感はこちらの方が上。
8.旧宇津郵便局







屋根の棟瓦には今でも〒マークが。
9.旧宇津郵便局







建物の脇にはなんと公衆電話室が。これは珍しい。

10.下熊田公民館 右京区京北町下熊田







下熊田公民館。京都市右京区京北町下熊田。
11.下熊田公民館







静かな集落の中にある洋館。
12.下熊田公民館







水色の板壁が映える洒落た建物。
13.下熊田公民館







内部も当時の雰囲気が残されています。

14.下熊田公民館







背後の付属屋にある持ち送り。


15.塩田公民館 右京区京北町塩田







塩田公民館。京都市右京区京北町塩田。
16.塩田公民館







一部外観が改修されていますが、戦前の雰囲気は残されています。
17.塩田公民館







中々大きな建物。
18.塩田公民館







内部は壁に当時の面影が残されています。

19.筒江公民館 右京区京北町筒江







筒江公民館。京都市右京区京北町筒江。
20.筒江公民館







オリジナルの姿が良く残されています。
21.筒江公民館







しかも綺麗に保たれており、大切に使われていることが分かります。
22.筒江公民館







内部も当時の姿がそのまま残されています。
23.筒江公民館







給湯室はさすがに改修されていますが、いかにこの建物が愛されているかが分かります。

24.下中公民館 右京区京北町下中







下中公民館。京都市右京区京北町下中。
26.下中公民館







こちらも当時の姿が残されています。
27.下中公民館







34.大野公民館







内部も当時のままのようですね。
28.下中公民館







屋根にはサイレンの櫓が残されています。正午のサイレンとかを鳴らしていたのでしょう。

35.洋館 右京区京北町







探索中に見かけた気になる建物。
37.洋館







なんとなく元郵便局の建物に見えますが、詳細不明。
29.大野公民館 右京区京北町大野







大野公民館。京都市右京区京北町大野。
30.大野公民館







中々渋い雰囲気の建物。
31.大野公民館







元々は他の公民館と同じくペンキが塗られていたのかもしれません。
32.大野公民館







屋根のサイレンの櫓は和風。
34.大野公民館







内部も当時のままのようです。

38.周山の洋館







京北町内では一番かもしれない周山にある洋館。
39.周山の洋館







他の公民館より意匠に富んでいます。

40.周山の洋館







建物の感じから公民館よりも元役場だったように思えます。
現在は正面に増設された玄関から入るようですが、当時は左右の2ヵ所から出入りしていたようですね。
41.周山の洋館







屋根のサイレンの櫓。他の公民館と違いこちらは洋風。
44.周山の洋館







内部も当時のまま。
42.周山の洋館







43.周山の洋館







当時の付属屋も残されています。

45.田貫公民館 右京区京北町田貫







田貫公民館。京都市右京区京北町田貫。
46.田貫公民館







元々は田貫分校という学校だったようです。
47.田貫公民館







背面に当時の面影が残されていますね。
48.田貫公民館







建物の脇には、二宮金次郎像と記念碑がありました。
最後は帰りに立ち寄った南丹市にある公民館へ。

49.原和田公民館 南丹市美山町腹和田







原和田公民館か。南丹市美山町原和田。
50.原和田公民館







戦前かなと思われる公民館。
51.原和田公民館







内部も古そうです。所在地名から原和田公民館としましたが、玄関の額の文字は消えかかっていて読めませんでした。

これにて京都市右京区京北町の近代建築探索は終了。今回はほぼ知られていない戦前の公民館建築をメインに探索しました。他の近代建築サイトでは紹介されていない建物群、公民館に絞った下調べで予想以上に多く残されていることが分かり、大きな成果となりました。他の地域にもまだまだ残されているようで、引き続き探索をしたいと思っています。


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2022年01月25日

京都市南区の近代建築探索レポ日記

4年前の2018年4月28日に探索した時のものです。まずは、京都駅の線路南あたりを探索。
2鈴木組










鈴木組。京都市南区八条坊門町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館住宅。
3鈴木組










鈴木組社屋の側にある戦前の防火用水の貯水槽。タイルで「用水」の文字を書いてます。

18六大新報社










六大新報社。京都市南区戒光寺町。大正から昭和初期。
19六大新報社










スクラッチタイルの素敵な洋館。
20六大新報社













六大新報社は真言宗関連の出版社。とある用事で内部を見たことありますが、当時のままの階段とか残されてました。
次に当時方面へ。

4中村邸 南区東寺町 昭和初期










N邸。京都市南区東寺町。昭和初期。
5中村邸













2階部分に当時の雰囲気が残ってます。

6武田邸 南区八条内田町










T邸。京都市南区八条内田町。スクラッチタイルの洋館。昭和初期でしょうか。

8無表札










無表札の建物。京都市南区八条源町。昭和初期。元事務所っぽい雰囲気の洋館です。

9大藪邸洋館 南区唐橋平垣町 大正期













O邸。京都市南区唐橋平垣町。大正期。町家建築の背後にある大きな洋館。
10大藪邸













こんなすごい洋館が残ってるとは…
11大藪邸










遠景から。お屋敷もかなり広大です。

12戦前のアパートか 南区吉祥院九条町










戦前のアパート? 南区吉祥院九条町。
13戦前のアパートか










蔦に覆われてしまってます。今でも住人がいるのでしょうか。

14浅田邸 南区東九条烏丸町 昭和初期










A邸。京都市南区東九条烏丸町。昭和初期。洋館付き住宅ですが、洋館部分も大きくベランダ部分も立派な造りです。

15洋風ビル 南区東九条烏丸町













洋風のビル。京都市南区東九条烏丸町。閉まっていたので今の用途は分かりませんでしたが、スクラッチタイルと軒周りの装飾で戦前物件と分かりました。
16洋風ビル













角地に建つビルで、三角形の平面プランになってます。

17稲垣医院 南区東九条北烏丸町 昭和初期










稲垣医院。京都市南区東九条北烏丸町。昭和初期。スクラッチタイルの洋館医院。割と知られている建物ですね。

南区では吉祥院界隈は下調べの資料として使用した京都市近代化遺産調査報告書に掲載されてなかったので未探索ですが、もしかしたら残されている可能性もありますので、また探索してみたいと思います。


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2021年11月23日

舞鶴市・五老岳防空砲台西尾根遺構探索レポ日記

IMG_2970










舞鶴の観光スポットとして有名な五老岳。舞鶴湾を一望にできるスポットとして現在公園化され、山頂には五老岳スカイタワー等が建てられています。かつてここには海軍の五老岳防空砲台がありました。
※写真は五老岳公園から望んだ建部山。建部山の山頂には明治期の建部山堡塁砲台の遺構があります。
五老岳防空砲台は昭和16年より工事が行われ、終戦時には12.7cm連装高角砲2門、8cm高角砲4門、探照灯や指揮所・待避所・兵舎・弾薬庫・発電所・油庫・各種倉庫などがあり、五老山全体を防空砲台施設とした大規模なものでした。
この五老岳防空砲台は戦後に米軍が撮影したカラーフィルムの映像が残されています。
※米国国立公文書館 情報管理局公開資料


YouTubeにUPされた映像。

8センチ高角砲










米軍が撮影した五老岳防空砲台の12.7cm連装高角砲。
南側砲座と照射指揮所










米軍が撮影した五老岳防空砲台。北側から南側を望む。手前の建物は照射指揮所。奥にあるのが南側の砲座。現在は五老岳公園および電波の中継局となり遺構は滅失しています。

五老岳防空砲台は前述の通り公園化され、五老岳スカイタワー等の観光施設が建てられたため、ほとんどの防空砲台時代の遺構が消滅しています。
昭和22年写真








国土地理院HP公開、昭和22年撮影の五老岳防空砲台
※赤丸が探索範囲。

10.滅失地下壕










20年ほど前までは現在の第1駐車場の遊歩道階段付近に、コンクリート製の地下壕施設が残されていましたが、駐車場の整備により現在は滅失しています。
※『京都の戦争遺跡をめぐる』(つむぎ出版 1996年)より引用。
現在は五老岳防空砲台の遺構は完全に消滅している物と思われましたが、ツイッターのフォロワーさんが探索。西尾根上にいくつか遺構が残されていることが判明。今回私も探索してみることにしました。

五老岳防空砲台西尾根遺構位置図










※探索により確認した五老岳防空砲台西尾根遺構の位置図。
1.平坦地










五老岳公園第1駐車場へ入る手前のカーブ、日本郵政所有のガードフェンスのある敷地の脇に共楽公園へと至る山道があります。そこを進んでいくと西尾根の各遺構が存在します。
まずは西尾根へと向かう階段を下ると現れる平坦地。昭和22年の航空写真にも写っているため、何かしらの施設があったと思われます。コンクリート等の構造物は見当たりませんでした。
2.陶製ケーブル覆い










尾根道の脇に転がっていた陶製のケーブル覆い。
3.陶製ケーブル覆い













恐らく常滑製。土管を半分にしたような形で、地下ケーブルを覆っていたものです。
近くに発電施設があったものと思われます。同じ物を舞鶴市の空山防空砲台の探索時に確認しています。
舞鶴市・空山防空砲台探索レポ日記
舞鶴市・空山防空砲台第一・第二聴測照射指揮所跡探索レポ日記

4.溝状遺構










尾根上を掘り込んだ形の溝状遺構。フォロワーさんによると、さらに西側にあった探照灯を引き出すための溝ではないかのこと。

5.機銃座










溝状遺構の北側にある窪地。

6.機銃座か










同じくもう一つの窪地。フォロワーさんによれば探照灯を防護するための機銃座ではとのこと。

7.発電機室壕










溝状遺構の先にあるコンクリート構造物。
8.発電機室壕










上から。
9.発電機室壕内部










入口は土砂が蓄積し、内部には入れませんが、開口部から撮影すると、奥までは土砂が溜まらず、
良好な状態で残されていることが分かりました。恐らく発電機室と思われます。となると、近くに冷却用の貯水槽や燃料庫が残されている可能性があります。
現在、五老岳防空砲台で唯一現存が確認されたコンクリート構造物です。

フォロワーさんの成果の後追いとなる探索ですが、完全に消滅したと思われる五老岳防空砲台の遺構がまだ現存しているという確認が出来たのは大きな成果だと思います。
※位置図に記している8cm高角砲座跡の確認を今回見落としてました。次回、貯水槽等の確認も含めて追加探索したいと思います。

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2021年11月21日

旧亀岡商工会館内部探索レポ日記

1.外観










今年の10/17に探索した旧亀岡商工会議所。前回は内部には入れず外観のみの見学でしたが、
今回、内部でちょっとした展覧会が内部全体で行われていると知り、更には今回が最後の内部を見れる機会という事で、再び旧亀岡商工会議所へと向かいました。
旧亀岡商工会館は昭和33年に保津川下りの経営権を取得した阪急電鉄が保津川観光会館という宿泊施設を兼ねた商業施設として建設したのが最初で、昭和48年に保津川遊船企業組合が発足し、阪急電鉄が経営権を手放してからは亀岡商工会議所として使用され今に至ってます。数年前までは半地下の1階に店舗があり、各階の部屋の一部も事務所として利用されていましたが、老朽化が進み来年2022年2月に解体が決定しました。

※前回の探索レポ日記
旧亀岡商工会館探索レポ日記
あれから1ヶ月。一気に冷え込んだせいか、建物の外壁を伝う蔦は赤く紅葉していました。
2.2階案内










正面玄関は2階にあります。玄関エントランスの案内図。
3.2階階段













1階階段。横のスクリーンが特徴的です。
4.2階標識










2階の表示。レトロなロゴです。
5.2階エレベーター










2階の物品運搬用のエレベーター。
IMG_3041










エレベーターのボタン。もう長い間使われてなかったようです。
まずは1階を探索。
6.2階廊下










1階廊下。
7.2階廊下










反対側から。左側は改装されています。
65.2階トイレドア










レトロな「TOILET」の文字があるドア。
8.2階部屋










1階の部屋。やや改装されています。
9.2階部屋










比較的新しく見える机と椅子。ちょっとしたオシャレなホテルの洋室にも見えます。
10.2階部屋ガンプラ










机には何故かガンプラと
11.2階アルペジオ










アルペジオのコミックが置かれていました。
12.2階休憩室










別の部屋の休憩室の表示。保津川観光会館当時の表示でしょうか。レトロな字体です。
13.2階休憩室










内部は廃品とかか放置されかなり雑多になっていました。かつての従業員の休憩部屋だったのでしょうか。
14.2階部屋










1階の小部屋。秋の柔らかな光が差し込んでいます。
15.2階家族風呂










1階には宿泊施設として機能していた保津川観光会館時代の名残を残す箇所があります。
ドアに家族風呂の文字がある浴場。
16.2階家族風呂













こちらは小さめの浴場。
17.2階家族風呂










隣には大き目の浴場があります。
18.2階家族風呂










大浴場の窓。
19.2階家族風呂蛇口










洗い場の蛇口。かつては多くの宿泊客で賑わっていたのでしょうか。
20.2階家族風呂手桶










洗い場にはまだ木製の手桶が残されていました。
21.2階家族風呂










床には外から吹き込んだ落ち葉がもう使われなくなって久しい大浴場の床を彩っていました。
22.2階家族風呂浴槽










浴槽のタイル。今ではもうタイル張りの浴槽も見かけなくなりました。
23.2階家族風呂窓










保津川観光会館時代の姿を色濃く残す家族風呂跡。宿泊客で賑わっていた様子が目に浮かびます。
24.3階階段










続いて3階へ。階段の手摺などのデザインがまさに戦後モダニズムといった感じです。
25.3階階段










中々良い雰囲気の階段。
26.3階窓










3階廊下の窓。保津川が良く見えます。
27.3階窓










見晴らしは良かったのでしょう。
28.3階廊下










3階廊下。
29.3階窓










3階小部屋の窓。
30.3階客室廊下










3階廊下。3階は宿泊客の客室だったようで、廊下を挟んで両側に部屋が並んでいます。
32.3階客室洗面所










廊下の洗面台。こういうのを見ると、かつては宿泊施設だったんだなと感じます。
33.3階客室










旧客室。元々は畳等が敷かれていたのでしょうか。
IMG_3048










木製のドアは当時のままのようです。
35.3階客室窓










旧客室の窓。
34.3階客室廊下窓










旧客室から廊下側の窓を見る。
36.3階客室










別の客室。
37.3階客室窓










保津川が良く見えます。保津川側の部屋の方が割高だったのかもしれません。
38.3階客室窓










亀岡駅側の客室からは新しくできた亀岡サンガスタジアムと去年開業したサンロイヤルホテルが見えます。かつての宿泊施設から今の宿泊施設を眺める。
39.3階客室










客室から廊下側を望む。
40.3階客室










この客室は何か凄いことになってました。
41.3階会議室










3階廊下奥にある大部屋。
42.3階名札










最近までは事務室として使用されていたようです。
不在の文字が寂しく感じます。
IMG_3069










3階角部屋。恐らく和室だったと思われます。
43.4階階段










続いて4階へ。
44.4階階段










4階階段。戦後モダニズムは基本私にとっては範疇外ですが、この階段のデザインは気に入りました。
45.4階階段










この手摺の感じのよさ。しばらく眺めていました。
46.4階和室集会所













4階にある和室集会所。
47.4階和室集会所










和室という性質からか、他の部屋より痛みが大きいです。
48.4階和室集会所










それでもかつては凝った造りだったことが分かります。
天井は船底天井。保津川下りも意識して採用したのでしょうか。
49.4階和室集会所










床の間もあります。
50.4階和室集会所床柱













床柱も杉の絞り柱。結構いい材を使ってます。
51.4階和室集会所室内灯










天井の照明。
52.4階和室集会所縁側










縁側。
53.4階和室集会所室内灯組木










縁側の照明のカバーは組木細工といった凝りよう。
54.4階和室集会所塗り残し窓










床の間の横、平書院は塗り残し窓になってます。
保津川観光会館時代は宴会場としても使用されていたのでしょうか。
数寄屋造と書院造を合わせた本格的な和室です。
55.4階廊下窓










4階小部屋から亀岡サンガスタジアムを望む。
56.4階洗濯場










4階洗濯室。宿泊客の浴衣などを洗濯していたのでしょうか。右のドアは便所。
57.4階廊下










4階廊下。右側は改修されて最近まで使われていたようで、セコムのロックがありました。
58.4階廊下窓から










4階廊下から外を眺める。
59.4階大会議室










4階廊下奥にある大きな部屋。大会議室だったのでしょうか。
60.4階大会議室










何故かぽつんと置かれているレトロな扇風機。部屋自体は綺麗に管理されています。
61.4階小部屋窓










4階窓。
IMG_3088










4階角の大部屋。今はゴミで溢れていますが、かつては宴会場とかだったのかもしれません。
IMG_3087










残された牡丹の部屋名表と思われるもの。ちなみに一般客向けの食堂は1階にありましたが、今回は入れませんでした。食堂へは玄関とは別の入口があり、そこから入って利用していたようです。
62.4階階段













4階までを見学し外に出ます。
63.紅葉










1ヶ月前はまだ青々としていた木々の葉はすっかり色づいてました。
64.遠景










今回の内覧で本当の見納めとなる旧亀岡商工会議所。
約60年間、保津川下りの観光客等を見続けてきたこの建物は、来年2月に姿を消します。


besan2005 at 21:58|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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