京都府

2023年12月15日

旧京都府警察本部庁舎(現・文化庁京都庁舎)の塔屋屋上に存在した防空監視哨に関して

京都府警察本部1










現在、文化庁京都庁舎となっている旧京都府警察本部庁舎は、昭和2年に昭和天皇即位の昭和大礼を記念して建てられた歴史的建造物です。
京都府警察本部2










その庁舎に低めの塔屋があるのですが、そこにかつて防空監視哨があったことを知ったのは、「京都空襲 8888フライト」という本の記述でした。
そこには鉄網コンクリートで造られた防空監視哨についての記述があり、民防空の防空隊本部としての中心的役割を担っていたとありました。防空監視哨の具体的な造りの記述に興味を持ち、原資料をあたったところ、京都府の歴史資料を数多く所蔵する北区の歴彩館に所蔵されていることが分かり、閲覧の申し込みをしました。
府庁内防空施設工事綴 (1)










歴彩館所蔵、国指定重要文化財・京都府行政文書「昭和十三年度 府廰内防空施設工事綴」。
この簿冊の中に仕様書や図面が収められていました。
府庁内防空施設工事綴 (24)










昭和13年に造られた防空監視哨。その請負業者は京都市中京区西ノ京にあった中野組。簿冊は45ページに渡り仕様書などが綴られています。
府庁内防空施設工事綴(46)










そしてこれが防空監視哨の設計図面。この図面をトレースして再作図して見ました。
府庁内防空施設工事綴(66)










また、同封されていた手描きの設計図面も参考にしました。
京都府警察本部屋上防空監視哨トレース図









こちらがトレースした図面。国指定重要文化財の資料のため、資料の保護からスキャニングは不可で、写真の直撮りしかできなかった上に、折り目で歪みが大きいため、無理矢理補正しながらトレースしました。なので、縮尺に幾分かの差異があると思います。
ここから外観・断面図・配置図に分けて見ていきます。
外観






外観。平面形は亀甲型をしており、各面にガラス窓の監視窓があり、上部には嵌め殺しの天窓もあり、四方・上空を監視できるようになっていました。入口のドアはペンキ塗りの檜材の防音扉。
断面図










断面図。防空監視哨は鉄網コンクリート造、屋根は防腐剤入りのモルタル塗り、床板は松材で、腰板は檜材。内部の壁と天井はブラスター塗り、内部にはオーク材の座面がレザー仕上げの高さが調節可能な回転椅子が2つと電話。監視員は回転椅子に座り四方を監視し、異常を発見したら階下の防空課直通の電話で即座に知らせることになっていました。
配置図









防空監視哨は庁舎の塔屋の上にあり、そこへは松材で造られたペンキ塗りの木製階段で上がることになっていました。塔屋の上にはサイレンもあり、空襲警報のサイレンを鳴らしていたものと思われます。
3.東側砲台










ちなみに、京都市役所本庁舎の屋上には今も高射機関砲の砲座が残されていますが、上へ上る階段や梯子が見当たらないため、もしかしたら、京都府警察本部庁舎の防空監視哨のように木製の階段が取り付けられていたのかもしれません。

※関連記事 
京都市役所本庁舎屋上に残る高射機関砲座について。(資料追加修正)

この防空監視哨の設計図を見る限り、コンクリートを使った防御性のある堅牢な建物だったというだけでなく、美観や内部の過ごしやすさも考慮した手の込んだ造りとなっています。
塔屋










現在の航空写真を見ると、今でも塔屋のう上には亀甲型の防空監視哨の基礎や、サイレンの台座が残されていますが、防空監視哨の位置が図面と違うため、変更があったのかもしれません。
防空監視隊配置図ブログ用










戦前の防空には、高射砲や基地航空隊の迎撃機による兵器を用いた軍が管轄する「軍防空」と、各防空監視哨や特設見張所にて監視を行い、敵機の来襲や空襲を知らせる警察が主体の「民防空」がありました。警察や軍の指導の下、民間人による防空監視隊が組織され、各地域の防空監視哨で任務にあたりました。上の図はフォロワーさんからの提供の京都府内の防空監視隊配置図で、いくつかのエリアに分けられ、そのエリア内に防空監視哨とそれをまとめる監視隊本部があり、本部は警察署に置かれていました。京都府警察本部庁舎に置かれた京都監視隊本部は京都市内だけでなく、京都府全体の防空監視任務も束ねる中枢だったのではと思います。その京都府警察本部庁舎に造られた防空監視哨はそれに見合った立派なものにする必要があったのかもしれません。(郊外の防空監視哨は山の上に丸太を組んだ粗末な櫓のようなものが多かった)

今でも日本全国に何か所かコンクリート製の防空監視哨が残されていますが、この京都府警察本部庁舎屋上にあった防空監視哨の設計図は、当時の防空監視哨の構造を知ることができる貴重な資料と考えられます。


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2023年12月10日

比永城児童公園に残る都市公園としての近代化遺産

京都市南区西九条比永城町ある比永城児童公園を探索しました。比永城児童公園は昭和13年5月24日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園としての近代化遺産

123比永城公園北側東門 南区西九条比永城 昭和13年5月24日 










比永城児童公園北側東門。時代を反映したものか装飾のないシンプルなデザインです。
124比永城公園北側東門










公園側から。
125比永城公園北側西門










比永城児童公園北側西門。こちらもシンプルなデザイン。
126比永城公園北側西門










公園側から。
127比永城公園西門










比永城児童公園西門。こちらも同じ。
昭和10年くらいまでは各門柱ももう少し意匠的だったりするのですが。
雰囲気的に開園当時のものかなとは思うのですが、もしかしたら戦後に作り直したのかも。
128比永城公園西門










公園側から。塀は失われています。
132比永城公園バーゴラ










バーゴラ。京都市内の戦前戦後の古い児童公園には休憩所としての藤棚のあるバーゴラが大抵設置されています。
133比永城公園バーゴラベンチ










別方向から。長方形の敷地の両側の角に藤を植えるスペースがあり、藤棚を設け、その下にテーブルとベンチを設けるスタイルはほぼ共通しています。
134比永城公園砂場










砂場。隅丸タイプ。
129比永城公園水飲み場










比永城児童公園には当初のものと思われる水飲み場が残されています。
130比永城公園水飲み場










反対側から。
131比永城公園水飲み場アップ










水飲み場のアップ。
現在は使われていませんが、開園当初の昭和13年の水飲み場を物語る貴重な遺構だと思います。
135比永城公園地蔵尊










公園敷地の外になりますが、地蔵尊もあります。
公園造成の際に予定地にあった祠を公園内や公園のすぐ脇に移したのか、京都市内には地蔵尊が設置されている児童公園をよく見かけます。京都市内の街中にも地蔵尊の祠が多く存在しますが、公園に設置したのは、京都で盛んな地蔵盆の存在があり、その地蔵盆を通じて地域のコミュニティの場としての中心的役割を果たすためだったのではと思います。


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2023年12月03日

橘児童公園に残る都市公園の近代化遺産(ラジオ塔)

京都市上京区智恵光院通笹屋町下る橘町にある橘児童公園を探索しました。橘児童公園は昭和14年7月10日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

橘公園ラジオ塔2










橘児童公園にはかつて門・塀だけでなく、特徴的な水飲み場やプール跡など数多くの開園当初の遺構が残されていましたが、近年の大改修によりほとんどが撤去され、現在は地蔵尊とこのラジオ塔しか残されていません。橘児童公園のラジオ塔は燈籠型をしており、公園の西端にあります。
橘公園ラジオ塔1










ラジオ塔の下部には大きな開口部があり、ここに機器が収められ燈籠の火袋にあたる部分にスピーカーがあったのでしょう。
橘公園ラジオ塔4










ラジオ塔には「橘公園愛護会」の大理石の銘板があります。ラジオ塔は多くが寄付によって建てられています。
橘公園ラジオ塔5










内部はこんな感じ。橘児童公園の大改修の際、このラジオ塔だけが残されたのは、徐々にラジオ塔の認知度が進み、京都市も近代化遺産としての価値を認め、補修まで行っているのは素晴らしいですが、それなら、高原児童公園のように開園当初の門・塀・水飲み場・プール跡も生かした改修をしてほしかったです。プール跡は保存の要望もあったらしいですし・・・


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紫野宮西児童公園に残る近代化遺産

京都市北区紫野宮西町ある紫野宮西児童公園を探索しました。紫野宮西児童公園は昭和10年5月14日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。紫野宮西児童公園は、昭和期に開園した京都市の児童公園でも初期の開園に位置し、紫野柳公園・下鴨ガ前公園・あおい公園と同じ開園日です。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

紫野宮西児童公園は改修により当初の門や塀は失われ、他の施設もほとんどが当初の物ではありませんが、その中で2つのみ当初のものが残されています。
101紫野宮西公園ベンチ










紫野宮西児童公園のベンチ。
100紫野宮西公園ベンチ 昭和10年5月14日 北区紫野宮西町










アーチ型をしたこのベンチは中々目を引く存在で、開園当時も公園のシンボル的な存在だったと思われます。
102紫野宮西公園ベンチ










背面。別サイトでは国旗掲揚台と書いてましたが、支柱を支える場所などが無いため、ベンチでいいでしょう。これだけ残された理由は不明ですが、補修して今後も大切にしてもらいたいものです。
103紫野宮西公園地蔵堂










そして2つ目はおなじみ地蔵尊。地蔵盆が盛んな京都市で、公園内に地蔵尊を設置することで、地域のコミュニティの場としての中心的役割を持たせようとしたのかもしれません。

紫野宮西児童公園は改修により開園当初の遺構がほとんど失われましたが、唯一残されたベンチと地蔵尊が当時の雰囲気を今に伝えています。


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一條町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市北区大将軍南一条町ある一條町児童公園を探索しました。一條町児童公園は昭和15年11月5日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

54一條町児童公園南門 北区大将軍南一条町 昭和15年11月5日










一條町児童公園南門。
55一條町児童公園南門










階段に手すり状にとりつく形で、門柱部分は丸く仕上げられています。
56一條町児童公園南門










反対側も同じ形でシンメトリーとなっています。
57一條町児童公園南門










南門を公園内から。
58一條町児童公園西門










一條町児童公園西門。南門とデザインは同じですが、こちらは高低差が無いため階段にはなっていません。
59一條町児童公園西門










60一條町児童公園西門










門柱も左右対称のデザイン。
61一條町児童公園西門










西門を公園内から。
62一條町児童公園北門










一條町児童公園北門。こちらも南門・西門と門柱は同じデザインですが、北門には手前にもう一つ門柱があり、右側に公園名の銘板があります。そのため、公園の正門はこの北門だったと思われます。
63一條町児童公園北門










北門を公園内から。
64一條町児童公園北門銘板










一條町児童公園北門の銘板。当時のものかどうかは不明ですが、もしかしたら当初のものかも。
塀はどうやら作り替えられているようです。
65一條町児童公園砂場










一條町児童公園砂場。角は丸く仕上げられ、内部に段があります。
66一條町児童公園砂場










縁は蒲鉾型に仕上げられており古いかも。
67一條町児童公園ベンチ










よく見る一般的な形のベンチ。開園当時のものかは不明。
68一條町児童公園地蔵尊










公園の東端に地蔵尊がありました。京都市内の児童公園内では地蔵尊をよく見かけます。
京都では盛んな地蔵盆があるためか、公園内に地蔵尊を置くことにより、地域のコミュニティの場としての中心的役割を持たせようとしたのかもしれません。

一條町児童公園は遊具等は開園当時と思われるものは砂場が可能性ありという程度ですが、門は開園当時のものが残されており、当初の姿を伺えることができます。


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鹿垣児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市中京区西ノ京西鹿垣町ある鹿垣児童公園を探索しました。鹿垣児童公園は昭和13年5月24日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

※今回の鹿垣児童公園ですが、最初に訪問した時は地域の方々が公園の掃除をされており、写りこみなどで一部撮影ができない箇所があったため、後日撮影しなおしたものも含んでます。
39鹿垣児童公園南門 昭和13年5月24日 中京区西ノ京鹿垣 










鹿垣児童公園南門。
40鹿垣児童公園南門










門柱は丸くした造りで、花壇も備えています。
41鹿垣児童公園南門










反対側にも花壇が付けられ、左右対称となっています。

42鹿垣児童公園南門銘板










鹿垣児童公園南門の銘板。右書きで「児」の字が旧字体なので、開園当初のものでしょう。
43鹿垣児童公園北門










鹿垣児童公園北門。鹿垣児童公園は東側と西側が住宅地で塞がれているため、入り口は北側と南側の1つずつ。
44鹿垣児童公園北塀










北門は南門と違い門柱も塀のような薄さで重厚感はなく、花壇も設置されていない簡素な感じ。
45鹿垣児童公園北塀










鹿垣児童公園の大きな特徴といえるのがこの透かし塀。北塀も南塀も同じデザインとなっており、京都市内の児童公園ではここだけです。京都市内の戦前の児童公園の門柱や塀・柵は公園ごとにデザインに違いがあり中々興味深いものがあります。
46鹿垣児童公園北門銘板










鹿垣児童公園北門の銘板。こちらも開園当初のものと思われます。
北門と南門では、南門の方が意匠的であり、丸太町通に近いことから、南門が鹿垣児童公園の正門的な感じだったのかもしれません。
47鹿垣児童公園地蔵尊










園内には南門側に地蔵尊があります。京都市内の児童公園ではよく見かけます。恐らく京都は地蔵盆が盛んで、地域のコミュニティの場として地蔵盆の中心的場所の役目を果たす目的があったのかもしれません。
48鹿垣児童公園砂場










鹿垣児童公園砂場。北門側にあります。
49鹿垣児童公園砂場










ここの砂場は角隅。しかし縁の蒲鉾型の仕上げや、段を設けていることから、開園当時の可能性があります。
50鹿垣児童公園アーチ脚ベンチ










アーチ脚のベンチ。外側にも持ち送りを作っています。これは開園当時のものでしょう。
これと同じものが西町児童公園にも2つ残されています。
52鹿垣児童公園ベンチ










アーチ脚以外のベンチはシンプルな作りのベンチです。
51鹿垣児童公園ベンチ










別のベンチ。脚の埋まり具合のためか、高さに差があります。
53鹿垣児童公園ベンチ










別のベンチ。これら3つのベンチはコンクリート洗い出しの技法がされており、割と手が込んでます。
※コンクリート洗い出しとは、コンクリートを打設したあと乾く前に表面を水で洗い流し、セメントに混ぜている骨材の砂利の表面を露出される技法。通常のコンクリートの表面より見栄えが良く変化に富むので、建物の腰回りの壁などによく使われる。

鹿垣児童公園はトイレや遊具に古さがあるためいずれ改修の手が入ると思われますが、特徴的な門と塀、ベンチは是非残して活用してほしいです。


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北町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市上京区天神通上ノ下立売上る北町にある北町児童公園を探索しました。北町児童公園は昭和15年10月10日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

32北町児童公園西側北門 昭和15年10月10日 上京区北町










北町児童公園西側北門。北町児童公園は北側・東側・南側を住宅地に囲まれているため、西側のみ2か所入口が設けられています。
33北町児童公園西側北門銘板










北町児童公園西側北門銘板。当初のものかは分かりません。
34北町児童公園西側南門










北町児童公園西側南門。北町児童公園の門柱はシンプルな角柱です。
35北町児童公園西塀










西側の柵。
36北町児童公園砂場










北町児童公園砂場。北町児童公園の砂場は角丸。京都市内の児童公園の砂場には隅が角型と角丸型があります。確証はないですが、角丸の方が古いのかなと。
37北町児童公園ベンチ










ベンチ。よく見る形です。
38北町児童公園ベンチ










もう一つのベンチ。古いですが、戦前か戦後かは分かりません。

北町児童公園は当初の遺構は少ないものの、開園当時の面影を残しています。近年、新たなトイレが造られたり、最近よく見る健康器具的なベンチなどが設置され、開園当初の門柱や柵を残しつつ、より使いやすいように改修された良い事例になっています。


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2023年11月26日

西町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市上京区一条通紙屋川下る西町にある西町児童公園を探索しました。西町児童公園は昭和16年6月10日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

20西町児童公園北門 昭和16年6月10日 上京区西町










西町児童公園北門。
21西町児童公園北門










西町児童公園北門公園内から。
22西町児童公園










北門の門柱には、半球の装飾があります。入口のカーブが絶妙。
23西町児童公園北門銘板










北門の銘板。旧字体が使われており、開園当時のものと思われます。
24西町児童公園西門










西町児童公園西門。北門と違い装飾はシンプルです。
25西町児童公園西塀










西門と塀。
26西町児童公園東門










西町児童公園東門。西門と同じデザイン。北門には半円級の装飾と銘板があり、北門が公園の正門だったことが分かります。
27西町児童公園北東角










西町児童公園北東角の塀。隅切りがされています。土地区画の関係でこうなった可能性はありますが、もしかすると鬼門除けの意識もあったのかもしれません。
28西町児童公園ベンチ










公園内には開園当時と思われるベンチが残されています。脚のアーチが古さを感じます。
29西町児童公園ベンチ










別のベンチ。同じ形です。
30西町児童公園砂場










砂場。不定形の形をしており、角は丸く仕上げられています。
31西町児童公園水飲み場跡か










公園の東端にあったコンクリート構造物。コの字のコンクリートの縁と真ん中の設置跡から、手洗い場か水飲み場と思われます。

西町児童公園は開園当時の遺構が豊富に残されています。しかし、充分に管理されているとはあまり言えない状況。いずれ改修でこれらの遺構が失われる恐れがあります。


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円町児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市中京区西ノ京北円町にある円町児童公園を探索しました。円町児童公園は昭和15年10月10日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。
※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

14円町児童公園西側北門 昭和15年10月10日 中京区西ノ京北円町










円町児童公園西側北門。
15円町児童公園西側北門銘板










西側北門の門柱には円町児童公園の銘板があります。旧字体で書かれているため、開園当時のものと思われます。
16円町児童公園西側南門










円町児童公園西側南門。西側北門と全く同じデザインです。
こちらに銘板はありません。
17円町児童公園西塀










円町児童公園西側ライン。公園の敷地が佐井通りより高いため、石垣の擁壁の上に塀を設けています。
18円町児童公園東塀










対して東側は公園との敷地境程度の低い塀があります。
19円町児童公園東側北門










円町児童公園東側北門。塀や門柱は西側の2つの門と同じシンプルなデザインです。
ちなみに南側にも公園入口が設けられており、かつては門があったと思われますが、現在は失われています。
IMG_5449










円町児童公園は新しくトイレが作られた際に一緒に改修されたのか、公園内には開園当時のものと思われるものはありませんでした。しかし、西側の2つの門と東側の門と東西の塀、西側北門の銘板は開園当時のものと思われ、戦前の京都市の児童公園の様子を伝える貴重な遺構となっています。


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2023年11月18日

西ノ京児童公園に残る都市公園の近代化遺産

京都市中京区西ノ京笠殿町にある西ノ京児童公園を探索しました。
西ノ京児童公園は昭和14年8月1日に開園した児童公園で、昭和10年代に土地区画整理事業や住宅地の改良事業等で京都市内各地に造られたものの1つです。

※昭和10年代に京都市内各地に開園した児童公園・都市公園に関しては、紫野柳公園の記事にて触れています。
紫野柳公園に残る都市公園の近代化遺産

3西ノ京児童公園北門










西ノ京児童公園西門。
4西ノ京児童公園北門










西門を公園側から。京都市内の戦前の児童公園はほぼ門柱と塀はコンクリート製ですが、各公園によって意匠が異なりますし、同じ公園でも門ごとにデザインが異なる場合もあります。
西門は開口部側の角をアールにしただけのシンプルなもの。
1西ノ京児童公園西門 昭和14年8月1日 中京区西ノ京笠殿町










北側西門。西門と同じデザイン。
2西ノ京児童公園西門










北側西門を公園側から。
5西ノ京児童公園北門










北側東門。西ノ京児童公園の3つの門は全て同じデザイン。
6西ノ京児童公園北門










北側東門を公園側から。
7西ノ京児童公園北西隅塀










西ノ京児童公園の北西角の塀。隅が切られています。
8西ノ京児童公園西塀










北側の塀。四角を基調としたシンプルなデザイン。
西ノ京児童公園内には数は少ないですが、開園当時の遺構がいくつか残されています。
9西ノ京児童公園ベンチ










コンクリート製のベンチ。角を丸く仕上げています。古いタイプのもの。
10西ノ京児童公園ベンチ










別のベンチ。同じデザイン。
11西ノ京児童公園国旗掲揚台










公園の東端にあるコンクリート構造物。
12西ノ京児童公園国旗掲揚台










裏側を見ると国旗掲揚台だとわかります。戦前の公園には大抵国旗掲揚台がありました。
紀元二千六百年記念で設置されたものも多く見かけます。
13西ノ京児童公園地蔵堂










京都市内の児童公園・都市公園ではお地蔵さんの祠をよく見かけます。京都では一般的な地蔵盆。地区の地蔵盆の際のお祭りの場として住民が集う場として最適だったのでしょう。

西ノ京児童公園は比較的開園当初の姿を留めていますが、外周の門や塀など痛みも目立ち、開放的でより地域住民に利用しやすい公園整備を目指す京都市は近いうちに改修を行い、古いコンクリートの塀や門などは撤去される可能性もあります。

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