兵庫県

2024年01月14日

神戸海軍操練所跡・神戸港第一波止場防波堤跡発掘調査現地説明会レポ日記

2神戸海軍操練所現場入口










神戸市で開催された、神戸海軍操練所跡と神戸港第一波止場防波堤跡の発掘調査の現地説明会に参加してきました。神戸港のウォーターフロント再開発事情に伴う工事の事前発掘調査で見つかった遺構群であり、幕末〜明治期にかけての神戸港の成り立ちを物語る貴重な発見となりました。
今回の調査で重要な点は3つ。
)詼期の江戸幕府により築造された神戸海軍操練所の石積み遺構。
⊃生由港時に築造された明治初期の第一波止場の石積み防波堤。
L声C羇までに行われた第一波止場防波堤を修築・増築した遺構と信号灯・信号所の基礎遺構。
となります。
3調査区全体図









※現地説明会で配布された資料に掲載されている発掘現場の全体図。赤枠で囲んでいる部分の遺構が、第鬼の幕末期の神戸海軍操練所時代の石積み遺構(赤枠はブログ管理者による加筆)。

まずは幕末期の神戸海軍操練所跡の遺構。
1神戸海軍操練所記念碑










神戸海軍操練所は元治元年、幕府の軍艦奉行であった勝海舟の進言で設立した海軍士官の養成機関と海軍工廠を合わせた日本海軍発祥の地ともいえる施設でした。
塾頭は坂本龍馬。神戸海軍操練所は幕府の機関でありながら、幕府の終焉を予想していた勝海舟により、討幕派の志士も多く集っていました。
勝海舟は禁門の変で軍艦奉行を罷免され、神戸海軍操練所は慶応元年に閉鎖。明治に入り、神戸海軍操練所の跡地を利用して第一波止場の防波堤が築造されました。

3現場全体










発掘現場全体。幕末期の神戸海軍操練所跡と神戸開港時の明治初期の第一波止場の防波堤遺構、明治中期までの防波堤増築部分からなる近世近代の複合遺構です。
4神戸海軍操練所石積










北から撮影した幕末期の神戸海軍操練所跡の石積み遺構。遺構は手前の石積みで、表面は見学路の反対になるので、鏡で映しています。
5神戸海軍操練所石積










一番北側で確認された神戸海軍操練所跡の石積みの表目面。
いわゆる城郭にも使われた切込み接ぎともいえる布積み。
6神戸海軍操練所石積










その南側で確認された石積み遺構。
7神戸海軍操練所石積










一番南側で確認された石積み遺構。神戸海軍操練所跡の石積みは第一波止場防波堤の下に埋もれる形で、約26mほど現存しているようです。
これらの石積みを勝海舟や坂本龍馬が見ていたかもしれないかと思うと、感慨深いものがあります。

そして、明治初期の神戸開港時に築造された第一波止場防波堤、それ以後の明治中期までに行われた防波堤の修築・増築の跡と信号灯・信号所の基礎遺構。
8第一波止場防波堤石積










明治初期〜明治中期までの第一波止場防波堤遺構。西から撮影。
9第一波止場防波堤石積










第一波止場防波堤の石積み表面。第鬼の幕末の神戸海軍操練所時代の石積みを土台として利用し、その上に第挟の神戸開港時の第一波止場防波堤が築造され、明治中期までにさらにその上にほ防波堤が増築されました。
10第一波止場防波堤石積










北から。防波堤の構造がよく分かります。
11信号灯基礎










明治中期までに建設された信号灯の基礎。新旧の2時期あります。
12信号所基礎










同時期の信号所の基礎。
13明治時代中期第一波止場の様子








※現地説明会資料より引用・加筆。
この第一波止場の防波堤と信号灯・信号所は、明治中期に撮影された古写真に写されています。
奥に見える白亜の洋館は初代神戸税関。そこから左側は外国人居留地で、現在の海岸通りになります。
14古写真アングル










古写真とだいたい同じアングルで撮影。今から130年以上前に撮影された古写真に写る防波堤や施設と同じものを実際にこの目で見ている感動。
IMG_7127










見学路の足元には明治期の石積み防波堤の天端が露出していました。
第一波止場防波堤は時代とともに埋められていき、阪神高速道路建設の際に完全に埋め立てられました。そのおかげか良好な状態で遺構が発見され、神戸港の成り立ちを知る重要な近代の遺跡と判明しました。今回発見された遺構はまだ検討中ですが、敷地が神戸市所有であるため、保存整備の方向が検討されているようです。整備された後の姿を楽しみにしたいものです。
15出土遺物










その他、出土品など。中世の室町時代の五輪塔や宝篋印塔の部材なども使用されていたようです。
16出土遺物










石製の建物の部材も見つかっています。居留地時代の洋館の部材を修築や増築時に利用したのでしょうか。

今回の現地説明会は事前予約制で、土曜日と日曜日に確か4回、100名ずつくらい枠があったと思いますが、12日の締め切りを待たずに定員が埋まってましたね。やはり幕末。それも坂本龍馬ゆかりの遺構発見となると人気を呼びますね。

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2023年08月27日

西脇小学校校舎見学会レポ日記。

1.西脇小学校 西脇町西脇 昭和9年・昭和12年 内藤克雄










2023年8月26日に行われた西脇小学校の校舎の見学会に参加してきました。
西脇小学校は昭和12年に完成した木造校舎で国指定重要文化財となっています。
設計者は内藤克雄。内藤克雄は昭和戦前期に北播磨地域を中心に活躍した建築家で、生涯800件以上の作品を手掛けましした。しかし、老朽化等の建て替えにより現存している作品はごくわずかです。

※関連記事
内藤克雄の作品を訪ねて

今回訪問した西脇小学校も建て替えの話がありました。特に高度経済成長期は利便性を優先する傾向があり、また新築の補助金は鉄筋コンクリート造に限られていたそうで、全国の古い木造校舎は次々と建て替えられていきました。(私の母校の小学校も在校中は木造校舎でしたが、建て替えられています。)
しかし、西脇小学校は保存の道を選びました。しかもただ保存するだけでなく現役の小学校校舎として使用し続けることを目的とし、児童の学校生活にも支障がきたさないよう現代的な改修がされています。西脇小学校は2021年に国の重要文化財に指定。それがきっかけとなり、今まで無名だった内藤克雄が注目され始め再評価へとつながっています。
2年ほど前に西脇市の近代建築を探索した際に内藤克雄の事を知り、以来、兵庫県下の探索の際は内藤克雄の作品を意識するようになりました。

※関連記事
西脇市の近代建築探索レポ日記

2年前の西脇市の探索では西脇小学校にはどうせ見れないだろうと行かなかったのですが、
今回、見学会の機会を得られましたので参加することにしました。

2.西脇小学校










西脇小学校の校舎は一番手前の第一校舎が昭和9年、第二・第三校舎が昭和12年に完成しました。
3年の時間差がありますが、基本設計は同じです。しかし、とある出来事のために、第二・第三校舎の
一部に設計変更がされました。それは後程。
3.西脇小学校










運動場側から。この日も暑い日でした。
4.西脇小学校










第一校舎のファサード。切妻屋根と縦ラインを強調したセセッション風のスタイル。
これは内藤克雄が設計した他の学校でも見られるデザインです(現存せず)。
5.西脇小学校










玄関切妻部分の装飾。
6.西脇小学校










第一校舎全景。ファサード以外は装飾を控えたデザインです。
7.西脇小学校










玄関車寄の天井に残る座繰り。
8.西脇小学校










第一校舎内部から玄関を望む。
8.西脇小学校2










玄関から第二・第三校舎方面。西脇小学校は第一校舎の玄関から第三校舎まで渡り廊下で繋がれた一直線に突き抜ける導線となっており、その中心の通路の左右に各教室などが配置されています。
ちなみにかつては校舎と渡り廊下の間には階段がありましたが、現代に合わせてバリアフリーとなっています。
9.西脇小学校










第一校舎の廊下。私の世代には懐かしさを感じます。
ちなみに手前にトイレがありますが、元々ここにトイレは無くかつては校舎の東端の外にありました。
3.西脇小学校










この第一校舎の横に付属する建物がトイレでした。
まだ水洗ではなく汲み取りだった昔は、臭いの関係で外にトイレが作られていました。
しかし水洗トイレが普及した現在、従来のトイレの配置だと逆に不便となり、各棟の各階の教室の一部を改修してトイレにしています。
ちなみに元々トイレだったこの付属屋も綺麗に改修されて、今もトイレとして使用されています。
10.西脇小学校










反対側から。

11.西脇小学校










第一校舎の教室。一見昔ながらの教室に見えますが、天井部分に空調設備を隠すなど当時の姿を残しつつ、児童が快適に過ごせるよう工夫されています。
昔の教室には先生が立つ教壇がありましたが、現在は児童との距離が出来てしまうこと、先生が足を踏み外す危険もあることから、最近の学校では教壇は廃止されているところが多いそうです。この西脇小学校も同様で、当時の姿を伝えるために2か所の教室のみ教壇を残している以外は教壇を無くしているそうです。
12.西脇小学校










教室の窓から外を眺める。内藤克雄の作品は窓を大きく取っているものが多かったりします。
よく外を眺めていて怒られたっけなぁ。
ちなみに各教室の窓にはカーテンがつけられていますが、これは播州織で再現されたもの。
播州織は播磨地域での主力地場産業ですが、最近は衰退しており、その産業を再興する目的で織られたようです。 
13.西脇小学校










次に2階へと向かいます。階段は手すりのみ作り替えてますが、どうも仮っぽい気がします。いずれ当初の姿に復元するかもしれません。
14.西脇小学校










階段の踊り場。結構広いです。ちなみに2階部分の手すりの前にさらに金属の柵が作られていますが、これは児童が手すりを超えて飛び降りて遊ぶのを防ぐためとか。子供ってそういう無茶をしがちですしね。
15.西脇小学校










踊り場の窓が見上げる夏の空。
16.西脇小学校










第一校舎の2階廊下。
17.西脇小学校










窓から第二校舎を望む。
23.西脇小学校










まずは集会所となっている部屋。
24.西脇小学校










元は教室だったのを改修しています。かつての講堂の役割でしょうか。
18.西脇小学校










西端には記念室があります。
19.西脇小学校










記念室の内部。
20.西脇小学校










現在は畳敷きの展示室となってますが、かつては家庭科室だったようです。
21.西脇小学校










西脇小学校の改修後の模型。

22.西脇小学校










記念室前の階段。この上部の梁ですが、第二・第三校舎とは違いがあります。
27.西脇小学校










これが第二校舎の開口部の梁部分。両側に持ち送りがつけられています。これは第一校舎完成した年の昭和9年、室戸台風が発生し近畿地方を中心に大きな被害が出ました。そして第二校舎建設の際、学校や保護者からの要望で開口部の梁を補強する形で持ち送りが追加される設計変更がなされたとのことでした。なので、第二・第三校舎の開口部の梁には持ち送りが追加されています。
25.西脇小学校










で、続いて第二校舎へ。
26.西脇小学校










中庭に百葉箱がありました。これも懐かしい。今の学校って他にもまだあるのかなぁ。
28.西脇小学校










第二校舎2階廊下。第二校舎は1階は職員室や保健室、校長室、2階は教室と図書室があり、部屋の見学はできなかったので、そのまま第三校舎へ。
29.西脇小学校










第三校舎は1階の家庭科室を見学。
30.西脇小学校










かつては理科室でした。確かに机の配置とか見たらそんな雰囲気が。第一校舎2階にあった家庭科室をこちらに移したんですね。現在の理科室は鉄筋コンクリート造の校舎にあると思います。
31.西脇小学校










理科室と言えば隣に実験の器材なんかが置かれている理科準備室がありましたが、西脇小学校にも残されています。
32.西脇小学校










かつては実験器具とか標本とかが収められていた棚は、家庭科の実習で使う調理道具や食器類が収められています。
33.西脇小学校










最後にかつて存在した昭和3年完成の講堂の名残を見に行きます。講堂はかつて第一校舎の南側にありました。各校舎を繋ぐ渡り廊下も当時のもの。
34.西脇小学校










第二校舎の西側の渡り廊下には車寄せがあります。これは校長室や応接室のある第二校舎へ来客を通すためでしょうか。
35.西脇小学校










現在の体育館に講堂の車寄せ玄関部分が移築され保存されています。講堂は現在の木造校舎に先駆けて、昭和3年に内藤克雄の設計で完成しました。
36.西脇小学校










天井裏部分。講堂自体は洋風の外観でしたが、車寄せ玄関は和風の唐破風でした。
37.西脇小学校










講堂に掲げられていた扁額。

西脇小学校の見学会はこれで終了。建て替えの危機がありましたが、多くの方の保存運動や努力で保存が決定し、重要文化財にまで指定されました。しかも西脇小学校の素晴らしいところは、ただ保存しただけでなく、現役の小学校として使用され続けることを前提とした「生きた文化財」であることです。文化庁が指定文化財建築をただ残すだけでなく積極的に活用する方針を取り始めた今、一つの好例としてあり続けることでしょうね。ここで学んで卒業した児童は自慢の母校になると思います。

※西脇市のHPに西脇小学校校舎改修工事竣工式の時のパンフのPDFが公開されていますので、リンクを張っておきます。

西脇小学校校舎改修工事竣工式用パンフレット(表紙・裏表紙)
西脇小学校校舎改修工事竣工式用パンフレット(中面)

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2023年08月26日

内藤克雄の作品を訪ねて

内藤克雄










※画像は株式会社内藤設計より。内藤設計は内藤克雄の息子様が引き継いでおられます。

内藤克雄は昭和初期頃に北播磨地域を中心に活動した建築家で、北は現在の丹波市、南は姫路市に
わたって役場や学校といった公的機関から病院や商業施設、個人宅まで800件もの数を手がけました。しかし老朽化等で次々と失われ、現存している数はごくわずかです。内藤克雄はこれまでほとんど知られてきませんでしたが、西脇小学校の保存活動と国指定重要文化財の指定により注目され、創業の地であり自宅兼設計事務所のあった小野市では特別展が開かれるなど再評価が進んでいます。
私が内藤克雄の存在を知ったのは2年前に探索した西脇市からでした。
西脇市の近代建築探索レポ日記
以来、小野市・加東市を探索するにあたり北播磨地域を中心に内藤克雄の作品がいくつか残されていることを知り興味を持った次第です。
加東市・小野市の近代建築探索レポ日記(内藤克雄作品を訪ねて)
内藤克雄は色んな顧客の依頼に応える形で設計をしているためか、様々なデザインの建物を残しています。私的には様々な建物の設計を卒なく無難にこなす器用な方だったように思えます。
今回は私が訪問した内藤克雄の作品を市町村ごとにまとめてみました。
※今後追加する可能性もあります。

西脇市

1.西脇小学校 西脇町西脇 昭和9年・昭和12年 内藤克雄









2.西脇小学校









4.西脇小学校









6.西脇小学校









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西脇小学校第一〜第三校舎(旧西脇尋常高等小学校校舎)
第一校舎・昭和9年
第二〜第三校舎・昭和12年
国指定重要文化財

1.旧来住邸勉学洋館。西脇 昭和11年 内藤克雄










旧来住邸勉学洋館。昭和11年。国登録有形文化財。

2.ときの郷。西脇 昭和11年。内藤克雄










ときの郷(旧高瀬家洋館)。昭和11年。

3.西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。内藤克雄









4.西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。内藤克雄









5.西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。











西脇市消防団第一分団本部(旧西脇消防屯所)。西脇。昭和10年。

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鹿野町ふれあい館(旧比延公民館)。昭和初期頃。




小野市

10.内藤克雄設計事務所 小野市久保木町 昭和10年







11.内藤克雄設計事務所








旧内藤克雄設計事務所。昭和10年。
※現在も息子様がお住まいです、

21.旧小野小学校講堂







20.旧小野小学校講堂 小野市西本町 昭和11年 内藤克雄








小野市立好古館(旧小野尋常小学校講堂)。昭和11年。

22.旧小野小学校掲揚台 昭和15年








小野小学校掲揚台。昭和15年。

13.旧浄谷町公会堂 小野市浄谷町 昭和8年 設計・内藤克雄







14.旧浄谷町公会堂








浄谷公会堂。昭和8年。




加東市

8.旧東古瀬公会堂 加東市東古瀬 昭和10年 設計・内藤克雄








東古瀬公会堂。昭和10年。

23.長濱良三商店 加東市新定 昭和初期







24.長濱良三商店








長濱良三商店。昭和初期。

26.旧東条町役場 加東市天神 昭和9年







27.旧東条町役場








旧東条町役場。昭和9年。※現在は個人宅。

6.中古瀬公民館 加東市中古瀬








中古瀬公民館。昭和初期頃か。
※内藤克雄の設計の可能性がありと考えられるため紹介。

4.沢辺営農組合格納庫








沢辺営農組合格納庫(旧公民館か)。昭和初期頃か。
※内藤克雄の設計の可能性がありと考えられるため紹介。




丹波市

1.旧柏原町役場 丹波市柏原町 昭和8年 内藤克雄







2.旧柏原町役場







3.旧柏原町役場







4.旧柏原町役場








旧柏原町役場。昭和8年。※現在は観光案内所。

私が訪問した内藤克雄作品の建物は以上になります(内藤克雄設計と思われる建物も含む)。
内藤克雄が設計した建物の設計図の多くは現存しているそうです。それ以外にも内藤克雄が設計した建物が残されているかもしれません。また未訪問で現存している建物もあると思います。それらが判明し訪問ができましたら、またこの記事にて追加したいと思います。


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2023年01月22日

姫路市網干区の近代建築探索レポ日記

去年2022年12月29日に行った、たつの市の近代建築探索の翌日、12月30日に行った姫路市網干区の近代建築探索レポ日記です。ちなみにちょうど1年前に姫路市の市街地の近代建築探索を行ってまして、ブログ記事にもしておりますので、そちらもご覧ください。
スタートは山陽電鉄網干駅。そこから南下し東へと向かいます。


1.網干商工会館 興浜 昭和15年







網干商工会館。興浜。昭和15年。
2.網干商工会館







中々良い感じの洋館ですが、残念ながら去年の11月に閉鎖。もう少し早ければ。
3.網干商工会館







玄関ドアから内部。内部も当時の雰囲気が残されています。この建物も近いうちに取り壊されるようです。別サイトで内部の写真がありましたが、一度見てみたかったくらいの室内でした。

4.丸万料理鮮魚店 興浜







丸万料理鮮魚店。興浜。金比羅神社のすぐ横にある鮮魚店。かつては料理旅館だったのではと思います。現在も鮮魚販売だけでなく、魚料理の仕出しもしているようです。


5.旧山本邸 興浜 大正7年







旧山本家住宅。興浜。大正7年。旧網干銀行の創業者の邸宅。
6.旧山本邸







毎月2回、日曜日に公開しているようです。

7.知原眼科 新在家







知原眼科。新在家。
8.知原眼科







大正〜昭和初期くらいでしょうか。

9.旧網干銀行本店 新在家 大正12年







旧網干銀行本店。新在家。大正12年。網干区で一番有名な近代建築。さすがに存在感があります。以前は洋品店でアーケードが邪魔していましたが、現在はアーケードも撤去され見やすくなってます。現在は湊倶楽部というフレンチレストランですが、ランチのお値段が4500円で断念…。

10.旧長久医院 余子浜 昭和5年







旧長久医院。余子浜。車が・・・・
11.旧長久医院







別角度から。昭和初期くらいですかね。

12.旧銭湯 余子浜







旧銭湯。余子浜。現在は閉業。

13.林商店 余子浜







林商店。余子浜。2階部分が洋風です。

14.金井時計店 新在家







金井時計店。新在家。装飾に富んだ見ごたえのある看板建築。
15.金井時計店







軒の装飾。ちなみに隣にも看板建築がありますが、改修中でした。

16.旧赤穂塩務局網干出張所 新在家 明治33年頃







旧赤穂塩務局網干出張所。新在家。明治33年頃。かつて塩の販売は専売制でした。その名残の洋館。さすが役所の建物だけあって立派です。
17.旧赤穂塩務局網干出張所







別角度から。
18.旧赤穂塩務局網干出張所













廊下。現在は東京電機工業の本館で、国登録有形文化財。
19.旧赤穂塩務局網干出張所倉庫







木造倉庫もいくつか残されています。

19.旧タムラ技研本社 新在家







旧タムラ技研本社。新在家。外観は洋風に改装している町屋建築。現在は民家のようですが、大切に使われています。

20.大和産業 新在家







大和産業。新在家。敷地奥に気になる建物がありました。モダニズム建築ですが、バットレスの感じから昭和10年代っぽく見えます。

21.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。新在家。明治43年。日本セルロイド人造絹糸の時代に外国人技師の邸宅として建てられた洋館。設計は設楽貞雄。近年の整備で異人館として見学可能になりました。
22.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







アメリカンスタイルの素敵な洋館。
24.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







内部を見学したいですが、平日じゃないとダメみたい。

25.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。異人館のすぐ近くに建つ洋館。ひちらも異人館と同様に外国人技師の邸宅として建てられました。こちらはダイセル網干工場の迎賓館となっているため見学不可。設計は同じく設楽貞雄。

26.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧外国人技師住宅。明治43年。こちらは平屋建て。
27.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







2階建てのアメリカンスタイルの洋館と違い、こちらはコロニアル様式っぽい感じで、やや古風に見えます。
28.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







正面バルコニー。
29.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場・旧外国人技師住宅







現在はダイセル網干工場社員のレクリエーション施設となっています。

30.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所 新在家







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場事務所。新在家。
31.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場建物。ダイセル網干工場の敷地内には戦前の建物が今でも残されています。

36.ダイセル化学工業姫路製造所網干工場発電所







ダイセル化学工業姫路製造所網干工場旧発電所。新在家。明治43年。大きな煉瓦造の建物。

32.旧岡田燐寸製造所倉庫 新在家 昭和初期







旧岡田燐寸製造所倉庫。新在家。昭和初期。まるで取り残されたかのように存在する煉瓦の倉庫。
33.旧岡田燐寸製造所倉庫







かつて姫路市周辺にはマッチ工場がいくつもありました。この煉瓦倉庫はその名残です。
34.旧岡田燐寸製造所倉庫







周りの建物は建て替えられましたが、この煉瓦倉庫だけがそのまま残されている感じ。
35.旧岡田燐寸製造所倉庫







裏側。現在は大和産業の危険物倉庫となっていますが、倉庫の周囲が整備されているように見えます。現在の大和産業の前身が岡田燐寸製造所であり、もしかしたら記念碑的な感じで残しているのかもしれません。もしそうなら、説明板とか置いて欲しいですね。

以上で姫路市網干区の近代建築探索は終了。すでに知られている物件ばかりで新たな発見はありませんでしたが、それでも優れた近代建築に出会えた良い探索となりました。


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2023年01月08日

たつの市の近代建築探索レポ日記

昨年、2022年12月29日に年末年始の休暇を利用して、兵庫県たつの市の近代建築探索をしてきました。
まずは本竜野駅前を探査。

1.洋風商店 龍野町堂本







駅前にある商店建築。たつの市龍野町堂本。
2.洋風商店







角の部分のベランダが良い感じです。
3.洋風商店







現在は使われていないようですが、元は美容室だったようです。

4.洋風商店 龍野町富永







洋風商店建築。たつの市龍野町富永。
5.洋風商店







事務所建築かもしれません。

7.田中邸







T邸。たつの市龍野町富永。
6.田中邸 龍野町富永







塔屋のある大きな建物。新しい建物かなと思いましたが・・・

9.田中邸







側面の窓がアーチになっていて古さを感じたので、一応撮影。

10.富永橋 龍野町富永







富永橋。たつの市龍野町富永。多分昭和初期。
11.富永橋そばの建物








12.富永橋そばの建物







富永橋の側にある建物。

13.ガレリアアーツ 龍野町富永







ガレリアアーツ。たつの市龍野町富永。揖保川の側に立つ洋風建築。

14.ガレリアアーツ







ツイッターで頂いた情報では元銀行だったとか。
ここから揖保川を渡り龍野城のある対岸の街へ。

15.洋風アーチ門のある屋敷 龍野町下川原







揖保川の対岸にある洋風アーチ門のあるお屋敷。たつの市龍野町下川原。
16.洋風アーチ門のある屋敷







アーチ門部分。中々の門構え。スパニッシュ風ですね。
17.洋風アーチ門のある屋敷













装飾部分。
18.洋風アーチ門のある屋敷







通用門の装飾。

19.3階建ての建物 龍野町下川原







3階建ての和風建築。リノベートされています。

20.大阪屋 龍野町下川原







大阪屋。たつの市龍野町下川原。洋風の商店建築。

21.古林医院 龍野町下川原







古林医院。たつの市龍野町下川原。
22.古林医院







町屋造りの病院。
23.古林医院







玄関部分も趣あります。

25.古林邸







F邸。たつの市龍野町下川原。楼閣付きの立派な4階建て木造建築。

26.洋風住宅 龍野町旭町







洋風住宅。たつの市龍野町旭町。この辺りには龍野町遊郭がありました。

28.龍野町遊郭建築 龍野町旭町







龍野町遊郭の建物。たつの市龍野町旭町。まさに遊郭建築といった大きな建物。
29.龍野町遊郭建築







置屋建築でしょうか。
30.龍野町遊郭建築







正面からでは入りきれないくらい大きい建物。

31.カネヰ醤油 龍野町上川原







カネヰ醤油。たつの市龍野町上川原。煉瓦の宇建が中々洒落てます。
32.カネヰ醤油







カネヰ醤油の工場。煉瓦の煙突が見えます。

33.遊郭建築か 龍野町上川原







近くにある気になった建物。

34.商店建築 龍野町旭町







商店建築。たつの市龍野町旭町。たまたま見つけた建物ですが、中々のインパクトがあり思わず撮影。
35.商店建築







全体にタイルを貼っていますが、かなり年季が入ってます。戦後建築かもしれませんが、この古色ぶりは中々のもの。

36.半壊の洋館 龍野町柳原







廃墟の洋風住宅。たつの市龍野町柳原。ほぼ半壊していて、近いうちに姿を消すでしょう。

37.旧龍野醤油協同組合本館(大正ロマン館) 龍野町上霞城 大正13年







旧龍野醤油協同組合本館。たつの市龍野町上霞城。大正13年。
38.旧龍野醤油協同組合本館(大正ロマン館)







たつの市を代表する近代建築の1つ。現在は大正ロマン館として使用され、内部にも入れますが、この日は年末休館で入れず…

39.満田邸 龍野町上霞城 







M邸。たつの市龍野町上霞城。
40.満田邸







かなり立派な洋館付き住宅。

41.うすくち龍野醤油資料館 昭和7年







うすくち龍野醤油資料館。たつの市龍野町大手。昭和7年。たつの市を代表する近代建築の1つ。
42.うすくち龍野醤油資料館







元々はヒガシマル醤油の本社屋でした。たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の街。
43.うすくち龍野醤油資料館







そしてここも年末休館で入れず。29日まではやってて欲しかったなぁ。

ふるさと 龍野町立町







ふるさと。たつの市龍野町立町。外観が洋風の小料理屋さん
44.ふるさと







軒下の装飾。
45.ふるさと













玄関部分のタイル張り。

46.洋風住宅 龍野町立町







洋風外観の住宅。たつの市龍野町立町。2階窓がT邸のようなアーチ窓です。

47.旧中川医院 龍野町立町 明治30年







旧中川医院。たつの市龍野町立町。明治30年。貴重な明治の擬洋風建築。現在はカフェになっていますが、やはりお休み…

48.元理髪店 龍野町本町







旧理髪店。たつの市龍野町本町。洋風の散髪屋さん。
50.元理髪店







現在は廃業しているようですが、内部を覗くとそのまま残されていました。

51.写真の店トラヤ 龍野町川原町







写真の店トラヤ。たつの市龍野町川原町。洋館の写真館。
52.写真の店トラヤ







玄関部分が意匠的です。大正期の建物でしょうか。

53.サイレントリリィ 龍野町川原町







サイレントリリィ。たつの市龍野町川原町。 
54.サイレントリリィ







現在は雑貨店。大きな窓がモダンさを出してます。

55.サイレントリリィ







2階の装飾。折り紙の風車のような変わった装飾。

56.金葉会 龍野町川原町







金葉会。たつの市龍野町川原町。何かの会館だったのでしょうか。

58.川原町公民館







川原町公民館。たつの市龍野町川原町。
57.川原町公民館 龍野町川原町







スクラッチタイルを外壁に用いた昭和初期らしい外観。
59.川原町公民館







ただし、建物自体は木造の看板建築だと分かります。

60.杉原邸 龍野町川原町







S邸。たつの市龍野町川原町。
61.杉原邸







建物の半分が洋館で、半分が和風という変わった建物。

62.山下邸 龍野町曰山







Y邸。たつの市龍野町曰山。明治36年。まるで神戸の北野にあるようなレベルの高い洋館。
63.山下邸







明治36年築という古さも貴重。相当な資産家が建てたと思われる洋館。
65.山下邸







たつの市の洋館住宅としては一番のレベルの高さかと。
66.山下邸







玄関のアーチ窓にいるフクロウの像。内部とかも凄いんだろうなぁとは思いますが、何せ個人宅なので。最近外壁を塗り直しているようで、大切に使われていることが分かります。

67.ヒガシマル醤油第二工場事務所 龍野町曰山







旧ヒガシマル醤油第二工場事務所。たつの市龍野町曰山。たつの市の中心街から少し外れた場所にある工場。昭和初期でしょうか。
68.ヒガシマル醤油第二工場事務所







今は工場としては使われていないかも。

70.洋館平屋 龍野町曰山







洋風の平屋住宅。たつの市龍野町曰山。ヒガシマル醤油第二工場の近くにあります。

71.洋室のある町屋 龍野町曰山







洋室のある町屋。たつの市龍野町曰山。洋室部分は応接室だったんでしょうね。元商家かな。

73.洋館付き住宅







洋館付き住宅。たつの市龍野町中霞城。玄関部分が良い感じですね。

74.中塚邸 龍野町中霞町







N邸。たつの市龍野町中霞城。主屋を中心に洋館と洋風の玄関が付属する住宅。
76.中塚邸







洋館部分。背後の主屋も洋館側は外観が洋風になってます。
75.中塚邸







玄関部分も洋風。もしかしたら個人医院だったのかも。

77.ドイツ風洋館住宅 龍野町中霞町







ドイツ風の洋館住宅。たつの市龍野町中霞城。塀の奥に本格的な洋館住宅がありました。昭和初期でしょうか。
78.ドイツ風洋館住宅







門も意匠的。やや和風っぽくも見えますが。
79.ドイツ風洋館住宅







門の格子から敷地内を拝見。表札も出ていないため、空き家っぽいです。

80.近代和風建築 龍野町中霞町







数寄屋風近代和風建築。たつの市龍野町中霞城。元料理旅館でしょうか。レベルの高い数寄屋建築がありました。

81.常木邸 龍野町下霞城







T邸。たつの市龍野町下霞城。
82.常木邸







中々本格的な洋館が付属した住宅がありました。昭和初期でしょうか。

83.下見板張りの平屋 龍野町下霞町







下見板張りの平屋建物。たつの市龍野町下霞城。ちょっと気になった建物。
20221229_125651







向かいに建つ和風建築も良い感じでした。

84.加瀬タイル 龍野町下川原







加勢タイル。たつの市龍野町下川原。駅へと向かう途中に見つけた建物。

85.加瀬タイル







建物は町屋造りですが、タイル店だけあって本来は漆喰を塗るはずの壁はモザイクタイルでびっしりと貼られています。
86.加瀬タイル













1階部分に貼られたモザイクタイルで書かれた「タイル衛生陶器」の文字。
87.加瀬タイル













反対側には「KASETILE」の文字。タイル店としての誇りと自信を感じる細工です。

20221229_102423







20221229_104331







たつの市は播磨の小京都と言われるくらい古い建物が多く残る風情ある街で、近代建築にも多く出会えました。ただ、年末ということで普段なら内部に入れる建物が軒並み休館だったのが残念。龍野城も外観は見れましたが、本丸御殿は入れず・・・。機会があったら今度は入りたいですね。

ヒガシマル醤油







上にも書きましたが、たつの市はヒガシマル醤油のお膝元の醤油の街。
うすくち醤油ラーメン







その醤油の街たつの市で頂いた「うすくち醤油ラーメン」。たつの市の薄口醤油を使用したラーメンはあっさりかつ醤油の風味や出汁が良く効いていて美味しかったです。


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2022年12月25日

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構探索レポ日記

兵庫県福崎町にかつて大阪陸軍航空補給廠姫路出張所という陸軍の施設がありました。
大阪陸軍航空補給廠姫路出張所は大阪陸軍航空支廠の機材や燃料の管理部門として昭和17年に完成しました。
今回、福崎町の近代建築探索のついでに大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の遺構の探索もすることにしました。ただし、遺構の詳細に関してはあまり分からなかったので、いつもお世話になっています「大日本者神國也」の管理人、盡忠報國様よりアドバイスを得て探索しました。
※大日本者神國也 大阪陸軍航空補給廠姫路出張所
しかし、目当てにしていたいくつかの遺構に関しては確認できなかったり、辿り着けなかったりと未探索に終わった遺構もあり、不完全燃焼な結果に。なので、当記事は探索できた遺構のみ紹介いたします。
なので、詳細な情報が知りたいという事でしたら、盡忠報國様のブログの記事を閲覧される方が良いかと思います。

大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構配置図










大阪陸軍航空補給廠姫路出張所遺構位置図。
戦後、大阪陸軍航空補給廠姫路出張所の跡地は町の誘致により養鶏場が完成しますが、杜撰な経営により新たに工業団地となることが決定し、現在は福崎工業団地となっており、その際に主要な遺構はほぼ取り壊されたものと思われます。現在は敷地の中心から離れた箇所や山中に残された遺構が点在する形となっています。

1.正門







\橘隋L渦箸力討稜鴫阿力討忙弔気譴討い泙后L膸イ寮廚残っています。
2.正門







裏側。国旗を掲揚していた金輪が残されています。かつては門扉の金属製の蝶番がありましたが、恐らく戦後すぐに取られたものと思われます。

3.裏門







⇔¬隋B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の遺構では一番知られているもので、正門と違い門柱は2つ残さています。写真は敷地外から。
4.裏門







敷地内から。蝶番が全て取られています。
5.裏門説明板







裏門の脇には説明板が設置されています。

6.コンクリート構造物







コンクリート構造物。裏門の敷地内側のすく近くにある遺構。

7.コンクリート構造物







何の遺構かは不明。盡忠報國様は焼却炉ではと書かれています。

8.土堤







づ敖蕁B膾緡Ψ街匐補給廠姫路出張所の敷地を区切る境界の土堤。
9.土堤







断面は三角形です。

この他にも山中に乾燥火薬庫の跡が2ヵ所あり、火薬庫基礎や石垣擁壁や貯水槽が明瞭に残っているようですが、向かったはいいものの、進入路が全く分からず断念。 消化不良の残念な結果となりました。
あと、周辺には地下壕もいくつか残されているようです。

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2022年12月04日

加西市の近代建築探索レポ日記

兵庫県福崎町の近代建築探索を行った同日(2022年12月3日)に、通過点だった加西市の北条町の近代建築も帰りに探索してきました。加西市の近代建築探索は同じ加西市にある姫路海軍航空基地跡の探索や、川西航空機姫路製作所鶉野工員宿舎街の探索時に訪問した建物もいくつかあるので合わせて紹介します。
※翌週の2022年12月10日に新たに確認した建物含めて補足探索をしてきました。後半に追記しています。

西村医院










西村医院。加西市中野。大正〜昭和初期。
西村医院 加西市中野










地方の戦前の個人医院らしい佇まいの洋館。
西村医院2










当時の外観が良く残されていていいですね。

法華口駅 大正15年










北条鉄道法華口駅。加西市東笠原町。大正15年。北条鉄道には他にも古い木造駅舎が残されています。

38.松乃屋食堂 加西市北条町







松乃屋食堂。加西市北条町。
39.松乃屋食堂







昔ながらの激渋食堂の雰囲気が漂う建物。
40.松乃屋食堂







昔のマークの入ったアサヒビールの看板が良いですね。
41.松乃屋食堂







隣には古い日本建築が。壁に古いメニュー表とかあり、かつては料理旅館だったっぽいです。ただ、現在は閉業しているのか、隣の食堂も閉まっていました。

42.植田鉱油店 加西市北条町







植田鉱油店。加西市北条町。
43.植田鉱油店







洋館部分に店名と装飾を施しています。

43.西村医院 加西市北条町







西村医院。加西市北条町。昭和初期頃。
44.西村医院







外観はかなり改装されていますが、一部戦前の洋館の面影が残されています。
うーん、逆光・・・
45.西村医院







背面に回ると当時の面影が少し残されていました。

加西市の近代建築の探索はここまでですが、他にもまだ未探索の建物がいくつか残っていますので、探索が完了したら、この記事に追加したいと思います。

※12月10日補足探索分
探索を行いました翌週の12月10日に補足探索を行いました。事前に把握していた未訪問の物件に加え、公民館建築を含めた新たな物件を把握したため、補完のために再探索しました。

1.法華口駅 加西市東笠原町 大正15年







まずは前回も訪問した北条鉄道法華口駅。加西市西笠原町。大正15年。国登録有形文化財。
2.法華口駅







内部の待合室。綺麗にリフォームされています。
3.法華口駅







別角度から。現在は駅の待合室だけでなく、地域のイベントにも使用されているようです。
5.法華口駅







ホーム下の踏切から。朝焼けに照らされるホームがいい感じでした。
4.法華口駅







駅舎には古い駅名標があります。
戦争末期の昭和20年3月31日、試験飛行のため鶉野飛行場を飛び立った紫電改がエンジントラブルを起こし失速。運悪く法華口駅を出発した列車と接触し列車は横転。12人の犠牲者が出る事故が起きています。
北条鉄道には古い木造駅舎が法華口駅を含めて3つあり、全て国登録有形文化財となっています。
まずはそれらの木造駅舎を巡ります。

6.播磨下里駅 加西市王子町 大正7年







北条鉄道播磨下里駅。加西市王子町。大正7年。国登録有形文化財。
こじんまりとした可愛らしい駅舎。
7.播磨下里駅







正面から。
8.播磨下里駅







背面。後ろの付属屋はトイレ。
9.播磨下里駅







入口部分の待合室。昔のままですが、入り口にドアが無いので冬は寒そう。
10.播磨下里駅







現在は無人駅なので、旧駅員室も待合室として使用されています。
12.播磨下里駅







駅舎にある古い駅名標。
11.播磨下里駅







ホーム。

13.播磨長駅 加西市西長町 大正4年







北条鉄道播磨長駅。加西市西長町。大正4年。国登録有形文化財。
こちらも可愛らしい木造駅舎。
14.播磨長駅







別角度から。
15.播磨長駅







待合室。やはり冬は寒そう。かつてはストーブとか置いてたんでしょうか。
16.播磨長駅







窓口も当時のまま。旧駅員室を見たかったのですが、法華口駅や播磨下里駅と違い、地域の施設として使用されていて、関係者以外立入禁止になってました。
18.播磨長駅







駅舎に付けられた古い駅名標。
17.播磨長駅







ホーム。懐かしい風景。北条鉄道の3つの木造駅舎は、地域の人々に愛され大切にされているのが良く感じ取れました。
北条鉄道を後にして次の場所へ。

19.福住東町公民館 加西市福住 昭和8年







福住東区公民館、加西市福住。昭和8年。
20.福住東町公民館







地区でも良い立地の小高い丘に建ってます。
21.福住東町公民館







背面。外壁は今はトタン張りですか、かつては下見板張りだったのでしょう。

22.旧賀茂郵便局 加西市福住 昭和8年







旧賀茂郵便局。加西市福住。昭和8年。
福住東区公民館の近くにある建物。こちらは外観のオリジナルを保ってますね。
23.旧賀茂郵便局







田舎の小さな集落でも戦前の郵便局は立派なのが多いですね。
24.旧賀茂郵便局







玄関の屋根に掲げられた「賀茂郵便局」の文字が入った棟瓦。
25.旧賀茂郵便局







玄関入口の賀茂郵便局の扁額。貴重な戦前の洋館建築ですが、扉の隙間から内部を覗くと、荷物が山積みになって一杯に…。現在は物置扱いになっていていつ無くなるか分からない感じ。
地区の歴史を物語るとともに、いい建物だから、公民館と同じく利用して欲しいですが。
ここから北条町方面へ向けて北上。

26.旧西村織物工場 加西市北条町 昭和初期







旧西村織物工場。加西市北条町。昭和初期頃。閑静な住宅地の中に当時の建物群がそのまま残されています。これは正門。
27.旧西村織物工場







事務所棟と思われる建物。

28.旧西村織物工場







敷地内側から。
29.旧西村織物工場







工場棟。
30.旧西村織物工場







少し離れた場所に建つ6棟が連続する工場棟。
31.旧西村織物工場







敷地外から。当時の姿をよく留めています。
32.旧西村織物工場







敷地の隅には小さな煉瓦倉庫があります。
33.旧西村織物工場







敷地内から。右手側に鉄扉の入口がありました。燃料庫でしょうか。
旧西村織物工場は現在は使われておらず、どうやら廃墟状態のようです。敷地の塀も道路側はブロック塀で仕切られていますが、正門側やノコギリ屋根の工場棟のある裏側は塀すらなく、正門の脇門も開け放ち状態。朽ちていくのを待つだけのように見えますが、今後どうなるのでしょうか。
ここからは他サイトでは現時点(2022年12月11日)で紹介されてない物件を紹介。

34.東南公民館 加西市北条町







東南公民館。加西市北条町。
35.東南公民館







昭和初期頃の築と思われます。先週訪問した福崎町の井ノ口公民館と同じスタイルの地方の田舎に多い下見板張りの公民館建築。
36.東南公民館







正面。離れた場所には火の見櫓もあります。(撮り忘れ)

37.西谷公民館 加西市西谷







西谷公民館。加西市西谷。
39.西谷公民館







こちらも同じく下見板張りの公民館建築ですが、西谷公民館はペンキが塗られており、華やかな印象を受けます。これも昭和初期かな。
38.西谷公民館







正面。玄関の造りとか見ても井ノ口公民館や東南公民館と同じ感じで、設計者とか同じなのかなと思ったりします。以前探索した加東市・小野市の探索で訪問した公民館建築もよく似た造りで、1つは播磨地域の建築家、内藤克雄が手掛けており、これらの公民館も内藤克雄が関わったりしていたのかもしれません。
40.西谷公民館







裏側。
41.西谷公民館







公民館の裏側には古い倉庫が2棟ありました。
42.西谷公民館







基礎が煉瓦のモルタル塗りの倉庫。感じからして燃料庫だったものでしょうか。
20221210_093656













公民館の側には火の見櫓も残されていました。

43.旧織物工場 加西市畑町







加西市から福崎町へと向かう途中にたまたま見かけた古い木造の洋風工場。加西市畑町。
44.旧織物工場







これは!?と思い慌てて立ち寄ることに。
45.旧織物工場







手前の長大な建物は工場棟だったようで、後ろへ回るとノコギリ屋根になってました。
旧西村織物工場と同じ織物工場だったのでしょうか。
46.旧織物工場







事務所棟と思われる洋館。
47.旧織物工場







中々立派です。外観とかペンキが塗り直されている感じに見えるので、今でもお住まいなのかも。
旧西村織物工場と比べても小規模で、工場棟も2棟しか無いから、元々は敷地が広かったのかと思ってたのですが、戦後すぐの航空写真を見たらどうもそうではないようです。
以上で加西市の近代建築探索は終了となります。

besan2005 at 12:03|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

福崎町の近代建築探索レポ日記

2022年12月3日に兵庫県福崎町にある近代建築を探索してきました。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

1.旧辻川郵便局 西田原 大正12年







旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。
2.旧辻川郵便局







地方で多くあった洋館の官公庁の建物。
3.旧辻川郵便局







壁の青さが空の青さに映える美しい建物。
4.旧辻川郵便局







正面玄関の飾り。
5.旧辻川郵便局







窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

6.旧大澤医院 西田原







旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。
7.旧大澤医院







中々、モダンな外観です。
8.旧大澤医院







一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、
9.旧大澤医院







遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

10.井ノ口公民館 西田原







井ノ口公民館。福崎町西田原。
11.井ノ口公民館







地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。
12.旧井ノ口公民館







逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。
13.旧井ノ口公民館







正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。
14.旧井ノ口公民館火の見櫓













戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

15.上村商店 福崎新







上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。
16.上村商店













妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

17.志水歯科医院 福崎新 大正9年頃 







志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。
18.志水歯科医院







主屋に付属して洋館が建っています。
19.志水歯科医院







付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科







旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。
21.旧眼科







実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

22.旧眼科







この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。
23.旧眼科







洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。
24.旧眼科







時代を感じる観音開きの縦長窓。

25.旧眼科







26.旧眼科







妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

29.大野酒造正門







歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。
27.大野酒造事務所か 福田







かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

28.大野酒造事務所か







裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

31.大野酒造物置







事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。
30.大野酒造井戸







門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。
32.大野酒造







すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

33.大野酒店 福田 大正期か







大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

34.津川邸 福田







T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

35.旧神崎郡役所 西田原 明治19年 







福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。
36.旧神崎郡役所







いかにも明治の洋館と言った外観。
37.旧神崎郡役所







福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。

※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。
48.福田区公民館 福崎町福田







福田区公民館。福崎町福田。
49.福田区公民館







洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。
50.福田区公民館







敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

51.旧神谷公民館 福崎町高岡







旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。
52.旧神谷公民館







玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?
53.旧神谷公民館







玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。
54.旧神谷公民館







公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。

以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。



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2022年09月04日

高砂市の近代建築探索レポ日記

2022年8月12日に兵庫県高砂市の近代建築の探索をしてきました。
まず向かったのは。

1.梅ヶ枝湯 次郎助町







梅ヶ枝湯。次郎助町。
2.梅ヶ枝湯







昭和初期くらいでしょうか。レトロな銭湯です。
3.梅ヶ枝湯







側面は煉瓦壁。なんと薪でお湯を沸かしているっぽい!?
4.梅ヶ枝湯







「水」の文字のある石の覆い。

5.旧高砂通運本社 鍛冶屋町 昭和14年







旧高砂通運本社。鍛冶屋町。昭和14年。
6.旧高砂通運本社







今は鰻屋さんになっているようです。

7.旧三星化学合資会社 鍛冶屋町 昭和5年







旧三星化学合資会社。鍛冶屋町。昭和5年。
8.旧三星化学合資会社







装飾に富んだ中々いい感じの建物ですが、現在は空家?以前はカフェだったようですが。
そのまま南へ。

9.M邸 釣船町  







M邸。釣船町。明治〜大正期?
10.M邸







大きな洋館です。三菱製紙の社宅だったとか。
11.M邸







反対側から。
ここから西へ。

12.出汐館(旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華クラブ) 西畑町 昭和11年







旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華倶楽部出汐館。西畑町。昭和11年。
13.出汐館





スパニッシュ様式の洋館が2棟並んでます。
14.出汐館





東側の洋館。
16.出汐館










東側の洋館のステンドグラス。
15.出汐館





西側の洋館。
17.出汐館










西側の洋館のステンドグラス。
18.出汐館





道路側から。現在も倶楽部施設として使用されているようです。

19.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か 沖浜町





カネカ工業高砂工場の社宅街にある洋館。沖浜町。
20.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か





もしかしたら、倶楽部建物かもしれません。
ここから引き返し東へ。

21.カネカ工業高砂工場事務所か





カネカ工業高砂工場事務所。宮前町。
奥に見える洋館。さすがに近づけないので離れた場所から撮影。

22.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所 南本町 昭和10年





旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所。南本町。昭和10年。
23.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





横に付属する派出所が消防会館に比べ装飾的なのは、警察としての威厳を示そうとしたのでしょうか。
24.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





背面から。
ここから少し東へ。

25.洋館付き住宅 東宮町





洋館付き住宅。東宮町。

20220811_104242





旧銭湯。西宮町。
この近くに煉瓦倉庫があるんですが、完全に忘れてました…
再び西へ。

26.三菱製紙魚町倶楽部 魚町 明治35年





三菱製紙魚町倶楽部。魚町。明治35年。
立派な洋館です。ただ、庭木が邪魔して上手く撮影できない。
一般公開されているらしいですが、この日は閉まってました。

27.片岡医院 横町 昭和10年代





片岡医院。横町。昭和10年代。中々洒落た洋館。今は医院は止めて個人宅かも。

28.旧高砂銀行本店 北本町 昭和7年





旧高砂銀行本店。北本町。昭和7年。古典様式のこれぞ昭和初期の銀行と言った佇まい。
現在は高砂商工会議所として使用。

29.デラコンチャ 北本町





デランコッチャ。北本町。洋風の商店建築。
30.デラコンチャ





現在は雑貨店。デランコッチャってどういう意味だろう。
ここから東へ。

31.鍛冶医院 高瀬町





鍛冶医院。高瀬町。昭和初期頃?

32.鍛冶医院





片岡医院と同じく洒落た洋館の医院です。

33.由井邸 高瀬町





Y邸。高瀬町。
34.由井邸





モダンな洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
35.由井邸





反対側から。
36.由井邸





玄関にはステンドグラスがあります。

清水町会館





清水町会館。清水町。古そうで気になった建物。

37.古い住宅 船頭町





旧高砂湯。船頭町。
38.古い住宅





何となく気になって撮影した建物。後で調べたら高砂湯という銭湯だったそうで、
数年前までは高砂湯の看板があったようです。今は住宅になっているようです。

39.旧清栄館(元映画館) 大正期





旧清栄館。清水町。大正期。
40.旧清栄館





かつては映画館だったそう。現在は焼酎専門店セイエイカン。居酒屋もやってます。
ここから川沿いに北上。

20220811_113834





川沿いの古い建物。藍屋町。
20220811_113909





船着き場関係の建物でしょうか。

41.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場煉瓦建物。栄町。明治34年〜大正6年頃。
42.三菱製紙高砂工場





大きな煉瓦建築です。

43.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場。栄町。明治34年〜大正7年。
44.三菱製紙高砂工場 





付属建物の横にある煙突は、加古川市にあった陸軍飛行場から飛び立つ航空機の妨げになるとのことで一度半分にされ、戦後に撤去された部分を再度作り直したらしいです。

20220811_114954





山陽電鉄加古川橋梁。大正11年。長さ約330mの山陽電車の鉄橋では一番長い鉄橋。
100年超えた今でも現役。

以上で高砂市の近代建築探索を終了。高砂市は三菱製紙など戦前からの大規模工場があったせいか、今でも数多くの戦前の建物が残されていました。


besan2005 at 11:18|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2022年08月06日

青野原陸軍演習場高岡廠舎(青野原俘虜収容所)遺構探索レポ日記

1.説明板







兵庫県加西市にあった青野原陸軍演習場高岡廠舎の遺構を探索してきました。
青野原陸軍演習場高岡廠舎は明治32年に開設された青野原陸軍演習場の演習廠舎であった大門演習廠舎が手狭になったため、明治45年に新たに設置された演習廠舎でした。

大門廠舎位置図










兵庫県加西市・青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構探索レポ日記
大正3年、第一次世界大戦の俘虜として日本に来たドイツ軍俘虜をしゅうようするため、高岡演習廠舎の南側に新たに青野原俘虜収容所が建設されました。大正8年、青野原俘虜収容所の閉鎖に伴い、俘虜収容所の施設はそのまま高岡演習廠舎として再利用されました。

高岡廠舎001








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門。

高岡廠舎002








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門と廠舎建物。

日記016青野原演習場へ出発













※祖父の一等兵時代の日記にある青野原陸軍演習場の記載(昭和14年11月9日)
昭和に入っても青野原陸軍演習場は祖父が在籍した福知山市の歩兵第20連隊はじめ、各地から部隊が演習に来たようで、それらの兵士を収容する廠舎施設が必要だったようです。
青野原陸軍演習場高岡演習廠舎は戦後、大門演習廠舎と同じく住宅地となって現在に至り、大門演習廠舎ほどではないですが、演習廠舎時代の建物や遺構がいくつか残ります。

高岡廠舎配置図













※青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構位置図。
以下はこの遺構位置図に従い紹介します。

2.廠舎1







‐骸坊物1。民家の一部となっています。
3.廠舎2







裏側。

4.廠舎3







⊂骸坊物2。こちらも民家の1部になってますが、外観は当時の姿を留めています。
5.廠舎前井戸







廠舎建物の前にある煉瓦の井戸枠のある井戸。

6.将校用風呂棟







将校用風呂棟。兵庫県登録文化財として高岡演習廠舎で唯一内部公開されている建物。
7.将校用風呂棟2







将校用風呂棟の内部。
8.将校用風呂棟3







かまど?風呂の焚口にしては位置がおかしい。後世のものかも。
9.将校用風呂棟4







浴槽。現代のユニットバスより狭いです。

10.井戸







ぐ羝唯院将校用風呂棟の向かいにあります。

12.井戸







グ羝唯押L渦箸良瀉脇發砲△蠅泙后

11.コンクリート基礎







Ε灰鵐リート基礎。何かの建物の基礎だったのが残されています。

13.貯水槽







貯水槽。高岡演習廠舎の北側にありますが、戦後のものかもしれません。
ちなみに大門演習廠舎の外周には陸軍の境界杭が何本も残されていますが、高岡演習廠舎では1本も見かけませんでした。

高岡演習廠舎は大門演習廠舎より遺構の数は少ないですが、俘虜収容所だったという歴史的経緯があったためか、大門演習廠舎には全くなかった案内板や説明板が設置されており、見学しやすくなっています。

besan2005 at 11:55|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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