近代化遺産

2022年12月25日

舞鶴市・博奕岬防空砲台遺構見学レポ日記

舞鶴市の博奕岬にかつて明治時代に陸軍により建設された探照灯と太平洋戦争中に海軍が建設した防空砲台がありました。現在、海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっているため立ち入り禁止となっていますが、今回、フォロワーさんの粘り強い交渉により、海上自衛隊の方々の案内のもと、博奕岬防空砲台の遺構を見学することが出来ました。(2022年6月24日見学)。
交渉をしてくださったフォロワーさん、案内をしてくださった海上自衛隊の広報の方々には貴重な体験をさせて頂き、厚く御礼を申し上げます。

さて、博奕岬防空砲台ですが、上記の通り元々は明治33年に陸軍の探照灯が造られていました。その後、演習砲台として使用され、
昭和16年に海軍が敷地を取得。防空砲台として再利用されます。
博奕岬防空砲台 舞鶴海軍警備隊戦時日誌昭和17年10月20日









アジア歴史資料センター所蔵「舞鶴海軍警備隊戦時日誌(C08030485700)」より昭和17年10月20日撮影の博奕岬防空砲台。

博奕岬防空砲台遺構位置図








博奕岬防空砲台各遺構配置図。(管理人作成)

博奕岬防空砲台は昭和17年11月に完成します。
海軍の防空砲台は舞鶴市内に舞鶴湾を囲むように8ヵ所設置され、槇山・浦入・建部山のように明治期の陸軍の砲台を利用したものもありましたが、倉梯山防空砲台のように新たに設置された砲台もありました。
10年前に探索した倉梯山防空砲台のレポ日記。

博奕岬防空砲台は前述の通り海上自衛隊と海上保安庁の敷地となっており、山頂の博奕岬防空砲台がある場所へと向かう山道の入り口には大きなゲートがあり、立ち入り禁止となっています。今回は海上自衛隊の方々の案内のもと、ゲートを通り向かうことになりました。

1軍道擁壁石垣










舗装路をそのまま登ると明治期の陸軍時代と思われる石積擁壁が出現。灯台へ至る舗装路もかつては軍道だったことが分かります。

2灯台前門柱













舗装路を登りきると灯台が見え、その手前にコンクリート製の門柱が現れます。

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岬の山頂にある博奕岬灯台灯台。最近外壁がリフォームされて綺麗になってますが、大正11年築。

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灯台の近くにある石製の門柱。明治期の物でしょうか。

3指揮所壕










灯台を過ぎさらに進むと、上部に荒廃した戦後の監視所の建物がある箇所に。その下のコンクリートの地下壕がかつての指揮所壕でした。

4指揮所壕










指揮所壕の入り口。

5指揮所壕入り口










指揮所壕の入り口に入ると、奥に木製の引き戸があります。

6指揮所壕内部










内部は物置になってましたが戦時中の当時のままでした。

7指揮所壕脇階段













指揮所壕入口脇の階段。戦時中も壕の上に監視の建物があったそうで、戦後に新たに建て替えたようです。

8指揮所壕脇の柵










指揮所壕の周りを囲むコンクリートの柵柱。

9指揮所壕近くの貯水槽










指揮所壕の近くの貯水槽。

IMG_1813










指揮所壕を過ぎ、しばらく歩くと道が分かれており、下へ下る道の方を進んでいくと、自衛隊の施設だったと思われる半ば廃墟と化した建物が見えてきます。そして、その建物の玄関の前に、

17地下式弾薬庫前高射砲座










高射砲の砲座がありました。8センチ高角砲の砲座と思われます。

10地下式弾薬庫










そしてさらに奥にコンクリートの弾薬庫壕が。

12地下式弾薬庫鉄扉










鉄扉も残されています。開いていたので入ってみました。

13地下式弾薬庫内部










14地下式弾薬庫内部










内部の奥壁は煉瓦になってましたが、どうも元々はもっと奥まであったのを途中で煉瓦で塞いだようにしか・・・。理由は不明ですが。

11地下式弾薬庫前貯水槽










弾薬庫壕前の貯水槽。

16地下式弾薬庫前木造建物










弾薬庫壕前、自衛隊施設に付属している木造建物。これも防空砲台時代の物で、別のフォロワーさんが紹介していた東京湾要塞金谷砲台の看守営舎によく似た造りですしかし、痛みもなく綺麗に残っています。

18埋第五号境界石













再び岬の上の道に戻り、そこから岬の先端に向かって尾根道を進みます。その尾根上に立つ「埋第五號」の境界石。見かけたことの無い珍しいタイプ。

19すり鉢状台座










尾根道を進んでいくとこのようなすり鉢状の台座が現れます。何かを据え付けていたボルトが見えるので、当初は砲座かと思ってましたがどうも違うのではという意見がメンバーから。探照灯は別の箇所にあるので、施設リストから聴音機か高角双眼鏡の台座ではと考えてます。

20すり鉢状台座正門










先ほどのすり鉢状台座の手前にはコンクリートの門柱と柵柱が。柵柱には未だに有刺鉄線が残されていました。

21貯水槽










一旦指揮所壕の場所まで戻り、今度は弾薬庫壕と高角砲座のあった地点の反対側の尾根下へ。
整地した平坦地となっており、小さな貯水槽などがありました。

22有蓋式退避壕










その脇にコンクリート製の半地下式の壕のようなものが。
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現地形を見ると、どうも当時は入り口前はスロープ状となってて、中に逃げ込めるようになっていたっぽいです。退避壕だったのでしょうか。

23電灯室










灯台まで戻り、灯台南東側の岬の最高所にある箇所へ。戦国期の山城の横堀のような土塁が回る道を歩いていくと、明治の陸軍時代の探照灯のあった電灯所に至ります。

24電灯室発電機台座










明治期の砲台の掩蔽部と同じ形ですが、奥に煉瓦の電灯井があるので、明治期から電灯所として造られていたようです。ただ、発電機は改められたのかコンクリートの台座となってました。

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内部から。入口脇に木製の壊れた古い椅子が放置されていました。当時の物でしょうか?

25電灯室井










電灯井。ここから探照灯を出し入れしていました。

26電灯室井上から










電灯所の上。先ほど下から見上げた電灯井の穴が見えます。かつてはどうやら屋根が掛けられていたようです。

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電灯所上部の周辺には探照灯の物らしきガラス片が大量に散乱していました。厚さは1cmくらいある分厚いもので、やや黄色がかってました。探照灯の撤去の際に割れたか破壊したのでしょう。

27電灯室門柱










電灯所を過ぎてすぐの所に立派な石製の門柱が建っていました。明治期の物の様で、この門柱の先も軍道らしき道が麓に向かって伸びているので、かつての正門だったのかもしれません。

28貯水槽か










門柱を過ぎて軍道跡を進むと水槽らしきものが見えました。他の旧軍遺構では見たことの無い造りです。雨水を貯めた水溜でしょうか。

29沈砂槽










さらに下って行くとコンクリート製の水槽がありました。形から恐らく沈砂式の浄水槽だったと思われます。

30発電室










電灯所から伸びる軍道跡を下って行くと灯台に至る舗装路に出ます。舗装路をそのまま下って行くと舗装路から枝に延びる旧軍道があり進むと煉瓦造の発電機室の建物が見えてきます。

31発電室門柱










発電機室の前にも石製の門柱と柵柱がありました。

33発電室










屋根は失われてますが煉瓦の躯体は 良好に残されており素晴らしいです。

32発電室内部










内部には煉瓦造の発電機の台座が残されています。明治期の探照灯時代から発電機室として作られたものです。

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発電機室の背後の一角。燃料を入れていたスペースでしょうか。

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木製の窓枠も残されていました。アーチ部分は丁寧に削って作られたもので木材もしっかりしたもので明治期の仕事の丁寧さが伺えます。昭和戦中期の細工の粗さとは対照的です。

34発電室脇基礎










発電機室の脇にある煉瓦基礎の建物跡。何の施設だったかは不明。

35発電室貯水槽










コンクリートの貯水槽。これは防空砲台時代のものと思われます。

38兵舎跡への石橋










発電機室を過ぎ、軍道跡を進むと石橋がありました。

36兵舎跡への石橋










37兵舎跡への石橋










小さな谷に架けた石橋ですが、石積の擁壁も相まって、まるで庭園のような優雅さを感じますw

39石橋脇の井戸










石橋の脇にある井戸。井戸枠は煉瓦積みでした。

40兵舎跡










石橋を過ぎると見えてくる兵舎跡の基礎。当時使われていた食器類の破片が散らばってました。

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便所跡。どうやら防空砲台時代の物のようです。

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反対側から。

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内部を見ると、やはり戦前のようですね。

今回の博奕岬防空砲台の見学会は、フォロワーさんの交渉により実現したもので、海上自衛隊の協力のもと正式な探索をすることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
というわけで、博奕岬防空砲台のある博奕岬は無許可での立ち入りは厳禁です。
そのあたりの話も隊員さんに聞いたのですが、海上自衛隊の敷地内なので、無断の侵入者があれば当然警ら隊がやってくること、海上自衛隊には逮捕権が無いので厳重注意で済むが、これが海上保安庁となると、逮捕される恐れがある(博奕岬灯台は海上保安庁の管轄で、立ち入り禁止区域)とのこと。
施設自体は老朽化しており現在は使われていませんが、以上の理由で無断進入は厳禁なのでご理解いただけたらと思います。博奕岬防空砲台の遺構に関しては拙い内容ですが、当記事で感じて頂けたらと思います。


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2022年12月18日

村野藤吾の設計・ルビノ京都堀川見学&宿泊レポ日記

1.ルビノ京都堀川外観







2022年12月15日、京都市にあるホテル、ルビノ京都堀川に宿泊を兼ねた見学をしてきました。
ルビノ京都堀川は公立学校関係の宿泊施設として、1972年に完成しました。設計は戦前・戦後のモダニズム建築の大家として知られる村野藤吾。京都市内にある村野藤吾の設計のホテルと言えば、ウェスティン都ホテルや都ホテル京都八条、ザ・プリンス京都宝ヶ池等がありますが、ツイッターのフォロワーさんが、このホテルも村野藤吾の作品だとつぶやいており、興味を持ったこと、さらには来年2023年3月31日に閉館ということもあり、宿泊料金も一般のビジホ程度いう価格もあって宿泊兼見学をしてみようと思いました。まずは外観。ホテルについたのは夜だったので、写真は翌朝の撮影になります。
2.ルビノ京都堀川パルコニー







角のベランダ。
5.ルビノ京都堀川客室棟







客室棟の外観。出窓は村野藤吾が好んだデザイン。
6.ルビノ京都堀川玄関







正面玄関。ここからはホテルに着いた前日の夜の撮影。

7.ルビノ京都堀川柵







玄関横にある柵。これも村野藤吾のデザインでしょうか。
では中に入りましょう。
8.ルビノ京都堀川ラウンジ







玄関ホール脇のロビー。
9.ルビノ京都堀川ラウンジ







この手摺の感じは村野藤吾っぽさが出てますね。
10.ルビノ京都堀川玄関ホール照明







玄関ホールの天井の照明。70年代のモダンさを感じます。
フロントでチェックインして、ホテルの人に許可をもらい、教えてもらいながら館内を探索。
まずは、一番村野藤吾らしさを感じるメインの場所へ。
11.ルビノ京都堀川階段







中央玄関。
12.ルビノ京都堀川階段







ルビノ京都堀川で一番の見所。
13.ルビノ京都堀川階段







3階まで続く赤絨毯の階段はレトロモダンな懐かしさも感じさせます。
14.ルビノ京都堀川階段







上から。
15.ルビノ京都堀川階段手摺







手摺の装飾。
16.ルビノ京都堀川階段







村野藤吾といえば階段。この絶妙なカーブの造作は素晴らしい。
17.ルビノ京都堀川階段







何度も上り下りしてましたw
次も階段ですが、ちょっと隠れた場所の穴場な階段へ。
しかし、ここはより村野藤吾らしさの出ている階段でした。
18.ルビノ京都堀川非常階段







1階から6階の屋上まで続く非常階段。
19.ルビノ京都堀川非常階段







一見、何の変哲もない無機質な階段に見えますが、この手摺に注目。
20.ルビノ京都堀川非常階段







この絶妙な手摺のカーブのデザインはまさに村野藤吾といった感じなのです。

23.ルビノ京都堀川非常階段6階







ウェスティン都ホテルもですが、村野藤吾と言えば階段の手摺と言われるほど、その優美な曲線が言われますが、このルビノ京都堀川の非常階段の手摺もまさにそんな感じ。
24.ルビノ京都堀川非常階段6階







特に最上階のこの手摺の優美な曲線は必見。
25.ルビノ京都堀川非常階段6階







手摺の優美な曲線は、女性らしさを感じるような柔らかな美しさを感じました。
26.ルビノ京都堀川非常階段6階







上から階段をのぞき込む。
28.ルビノ京都堀川非常階段













実際に手摺を伝いながら上から下まで何度か上り下りしてみましたが、階段の踊り場のカーブとかでも誘導されるような感じに伝うことができ、また、持つのに程よい高さと斜度で、美しさだけでなく機能性も考えられている感じでした。まさに機能美。
27.ルビノ京都堀川3階非常階段







十分に非常階段を堪能したあとは、2階と3階のフロアを探索。
まずは2階から。
30.ルビノ京都堀川2階小階段







2階にある小階段。
31.ルビノ京都堀川2階大宴会場前







2階大宴会場前のフロア。奥は吹き抜けになっています。
こちらも手摺が見どころ。
32.ルビノ京都堀川吹き抜け照明







吹き抜けの照明。この下にエスカレーターがあるのですが、封鎖されていました。
33.ルビノ京都堀川大宴会場扉







大宴会場の扉。
34.ルビノ京都堀川2階ロビー







2階ロビー。
35.ルビノ京都堀川2階ロビー







モダンなデザインですが、どことなく和風な感じもします。
36.ルビノ京都堀川2階カウンター







2階の小カウンター。格子の造りがいい感じ。
38.ルビノ京都堀川1階照明







天井の照明も昔のモダンな雰囲気があります。
25.ルビノ京都堀川2階宴会場扉







2階宴会場のガラス扉。こういう模様の入ったガラス戸も見なくなりましたねぇ。
40.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下。
39.ルビノ京都堀川2階廊下







廊下の鏡台にも装飾が。
41.ルビノ京都堀川2階会議室







会議室の雰囲気もいわゆるレトロモダンさを感じる雰囲気です。
42.ルビノ京都堀川3階ロビー







次は3階へ。3階のロビー。
43.ルビノ京都堀川3階ロビー







3階のロビーは2階のロビーに比べて開放感があります。
44.ルビノ京都堀川3階フロア照明







天井の照明のデザインは、何となくアールデコっぽさを感じます。
45.ルビノ京都堀川和室広間







これは翌日撮影した和室の大広間。実は同じ日に中学校の修学旅行生が宿泊していて、
修学旅行生が出発した後に撮影させてもらいました。まだ蒲団がw
46.ルビノ京都堀川3階チャペル







3階の奥にあるチャペル。ルビノ京都堀川は結婚式場としても使われていました。
47.ルビノ京都堀川3階チャペル







チャペル前の部屋。かつては多くのカップルがここで結婚式を挙げたのでしょうね。
48.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







チャペル前の照明。チャペルらしく華やかな証明です。
49.ルビノ京都堀川3階チャペル照明







正面の照明も花をモチーフにした華やかなもの。
50.ルビノ京都堀川3階チャペル扉







チャペルの扉。チャペルには入れなかったのは残念。
22.ルビノ京都堀川非常階段階数







さて、本日泊る客室へと向かいます。これは先ほど見学した階段の階数表。
文字がいい感じ。
51.ルビノ京都堀川5階廊下







本日泊る部屋は5階。廊下を歩き部屋へ。
52.ルビノ京都堀川客室







本日のお部屋。部屋はビジホと変わらないシンプルさ。
55.ルビノ京都堀川客室照明







56.ルビノ京都堀川客室照明







しかし、設備の照明にレトロさを感じニヤニヤ。
53.ルビノ京都堀川客室







机や椅子は木目を生かした家具調のもの。
57.ルビノ京都堀川客室椅子















特にこの椅子のデザインは気になりました。
村野藤吾の家具を調べた感じでは木目を生かした家具が多いようで、村野さんの得意とするカーブも家具にはよく取り入れられているようです。この椅子には曲線が少なくどうかなと思いましたが、背もたれの折れの部分が丁寧な造りで、もしかしたらと感じました。どちらにせよ、最近のホテルでは見かけない木製の椅子ですから、開業時からのものの可能性があります。
58.ルビノ京都堀川客室机







机の脚は先に向かうにつれ細くなる造り。村野さんのデザインのテーブルを見ていると似たようなデザインです。ちなみにホテルの方に聞いたら、客室の家具は村野藤吾のデザインかは分からないけど、開業当初からのものだそう。とすると、村野藤吾のデザインの家具の可能性もありますね。閉館後はどうなるんだろう。
54.ルビノ京都堀川客室







ベッドと横の照明装置は当初からのもので間違いないかと。柔らかな木調の調度品に触れながら一夜を過ごします。
59.ルビノ京都堀川客室からの眺め







客室から眺める京都の夜明け。おはようございます。
60.ルビノ京都堀川レストラン







客室から出たあとは無料の朝食(パンと飲み物のみ)を頂くために1階のレストランホールへ。
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照明とかを眺めたり。
61.ルビノ京都堀川レストラン







以前はレストランをやっていたそうですが、今はもう営業していないとか。
4.ルビノ京都堀川玄関







朝食とコーヒーを頂き、ルビノ京都堀川を後にしました。
62.ルビノ京都堀川ルームキー







ルビノ京都堀川の今後についてチェックアウト時にスタッフの方に聞きました。
閉館後は別の施設に使われるかもしれないが、老朽化もあり今後の予定は未定とのこと。
今年で開業50年ですから致し方が無い面もありますが、村野藤吾のデザインがふんだんに見られるホテルが無くなるのは惜しい気もします。これまで戦後のモダニズム建築には全く興味が無かった自分ですが、改めて鑑賞すると、丁寧にデザインされた階段や手すり、内装など見所満載で、さらには懐かしさを感じるレトロモダンな雰囲気に大いに楽しめ満足することが出来ました。
閉館まであとわずか。機会があれば訪れてみてください。


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2022年12月04日

加西市の近代建築探索レポ日記

兵庫県福崎町の近代建築探索を行った同日(2022年12月3日)に、通過点だった加西市の北条町の近代建築も帰りに探索してきました。加西市の近代建築探索は同じ加西市にある姫路海軍航空基地跡の探索や、川西航空機姫路製作所鶉野工員宿舎街の探索時に訪問した建物もいくつかあるので合わせて紹介します。
※翌週の2022年12月10日に新たに確認した建物含めて補足探索をしてきました。後半に追記しています。

西村医院










西村医院。加西市中野。大正〜昭和初期。
西村医院 加西市中野










地方の戦前の個人医院らしい佇まいの洋館。
西村医院2










当時の外観が良く残されていていいですね。

法華口駅 大正15年










北条鉄道法華口駅。加西市東笠原町。大正15年。北条鉄道には他にも古い木造駅舎が残されています。

38.松乃屋食堂 加西市北条町







松乃屋食堂。加西市北条町。
39.松乃屋食堂







昔ながらの激渋食堂の雰囲気が漂う建物。
40.松乃屋食堂







昔のマークの入ったアサヒビールの看板が良いですね。
41.松乃屋食堂







隣には古い日本建築が。壁に古いメニュー表とかあり、かつては料理旅館だったっぽいです。ただ、現在は閉業しているのか、隣の食堂も閉まっていました。

42.植田鉱油店 加西市北条町







植田鉱油店。加西市北条町。
43.植田鉱油店







洋館部分に店名と装飾を施しています。

43.西村医院 加西市北条町







西村医院。加西市北条町。昭和初期頃。
44.西村医院







外観はかなり改装されていますが、一部戦前の洋館の面影が残されています。
うーん、逆光・・・
45.西村医院







背面に回ると当時の面影が少し残されていました。

加西市の近代建築の探索はここまでですが、他にもまだ未探索の建物がいくつか残っていますので、探索が完了したら、この記事に追加したいと思います。

※12月10日補足探索分
探索を行いました翌週の12月10日に補足探索を行いました。事前に把握していた未訪問の物件に加え、公民館建築を含めた新たな物件を把握したため、補完のために再探索しました。

1.法華口駅 加西市東笠原町 大正15年







まずは前回も訪問した北条鉄道法華口駅。加西市西笠原町。大正15年。国登録有形文化財。
2.法華口駅







内部の待合室。綺麗にリフォームされています。
3.法華口駅







別角度から。現在は駅の待合室だけでなく、地域のイベントにも使用されているようです。
5.法華口駅







ホーム下の踏切から。朝焼けに照らされるホームがいい感じでした。
4.法華口駅







駅舎には古い駅名標があります。
戦争末期の昭和20年3月31日、試験飛行のため鶉野飛行場を飛び立った紫電改がエンジントラブルを起こし失速。運悪く法華口駅を出発した列車と接触し列車は横転。12人の犠牲者が出る事故が起きています。
北条鉄道には古い木造駅舎が法華口駅を含めて3つあり、全て国登録有形文化財となっています。
まずはそれらの木造駅舎を巡ります。

6.播磨下里駅 加西市王子町 大正7年







北条鉄道播磨下里駅。加西市王子町。大正7年。国登録有形文化財。
こじんまりとした可愛らしい駅舎。
7.播磨下里駅







正面から。
8.播磨下里駅







背面。後ろの付属屋はトイレ。
9.播磨下里駅







入口部分の待合室。昔のままですが、入り口にドアが無いので冬は寒そう。
10.播磨下里駅







現在は無人駅なので、旧駅員室も待合室として使用されています。
12.播磨下里駅







駅舎にある古い駅名標。
11.播磨下里駅







ホーム。

13.播磨長駅 加西市西長町 大正4年







北条鉄道播磨長駅。加西市西長町。大正4年。国登録有形文化財。
こちらも可愛らしい木造駅舎。
14.播磨長駅







別角度から。
15.播磨長駅







待合室。やはり冬は寒そう。かつてはストーブとか置いてたんでしょうか。
16.播磨長駅







窓口も当時のまま。旧駅員室を見たかったのですが、法華口駅や播磨下里駅と違い、地域の施設として使用されていて、関係者以外立入禁止になってました。
18.播磨長駅







駅舎に付けられた古い駅名標。
17.播磨長駅







ホーム。懐かしい風景。北条鉄道の3つの木造駅舎は、地域の人々に愛され大切にされているのが良く感じ取れました。
北条鉄道を後にして次の場所へ。

19.福住東町公民館 加西市福住 昭和8年







福住東区公民館、加西市福住。昭和8年。
20.福住東町公民館







地区でも良い立地の小高い丘に建ってます。
21.福住東町公民館







背面。外壁は今はトタン張りですか、かつては下見板張りだったのでしょう。

22.旧賀茂郵便局 加西市福住 昭和8年







旧賀茂郵便局。加西市福住。昭和8年。
福住東区公民館の近くにある建物。こちらは外観のオリジナルを保ってますね。
23.旧賀茂郵便局







田舎の小さな集落でも戦前の郵便局は立派なのが多いですね。
24.旧賀茂郵便局







玄関の屋根に掲げられた「賀茂郵便局」の文字が入った棟瓦。
25.旧賀茂郵便局







玄関入口の賀茂郵便局の扁額。貴重な戦前の洋館建築ですが、扉の隙間から内部を覗くと、荷物が山積みになって一杯に…。現在は物置扱いになっていていつ無くなるか分からない感じ。
地区の歴史を物語るとともに、いい建物だから、公民館と同じく利用して欲しいですが。
ここから北条町方面へ向けて北上。

26.旧西村織物工場 加西市北条町 昭和初期







旧西村織物工場。加西市北条町。昭和初期頃。閑静な住宅地の中に当時の建物群がそのまま残されています。これは正門。
27.旧西村織物工場







事務所棟と思われる建物。

28.旧西村織物工場







敷地内側から。
29.旧西村織物工場







工場棟。
30.旧西村織物工場







少し離れた場所に建つ6棟が連続する工場棟。
31.旧西村織物工場







敷地外から。当時の姿をよく留めています。
32.旧西村織物工場







敷地の隅には小さな煉瓦倉庫があります。
33.旧西村織物工場







敷地内から。右手側に鉄扉の入口がありました。燃料庫でしょうか。
旧西村織物工場は現在は使われておらず、どうやら廃墟状態のようです。敷地の塀も道路側はブロック塀で仕切られていますが、正門側やノコギリ屋根の工場棟のある裏側は塀すらなく、正門の脇門も開け放ち状態。朽ちていくのを待つだけのように見えますが、今後どうなるのでしょうか。
ここからは他サイトでは現時点(2022年12月11日)で紹介されてない物件を紹介。

34.東南公民館 加西市北条町







東南公民館。加西市北条町。
35.東南公民館







昭和初期頃の築と思われます。先週訪問した福崎町の井ノ口公民館と同じスタイルの地方の田舎に多い下見板張りの公民館建築。
36.東南公民館







正面。離れた場所には火の見櫓もあります。(撮り忘れ)

37.西谷公民館 加西市西谷







西谷公民館。加西市西谷。
39.西谷公民館







こちらも同じく下見板張りの公民館建築ですが、西谷公民館はペンキが塗られており、華やかな印象を受けます。これも昭和初期かな。
38.西谷公民館







正面。玄関の造りとか見ても井ノ口公民館や東南公民館と同じ感じで、設計者とか同じなのかなと思ったりします。以前探索した加東市・小野市の探索で訪問した公民館建築もよく似た造りで、1つは播磨地域の建築家、内藤克雄が手掛けており、これらの公民館も内藤克雄が関わったりしていたのかもしれません。
40.西谷公民館







裏側。
41.西谷公民館







公民館の裏側には古い倉庫が2棟ありました。
42.西谷公民館







基礎が煉瓦のモルタル塗りの倉庫。感じからして燃料庫だったものでしょうか。
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公民館の側には火の見櫓も残されていました。

43.旧織物工場 加西市畑町







加西市から福崎町へと向かう途中にたまたま見かけた古い木造の洋風工場。加西市畑町。
44.旧織物工場







これは!?と思い慌てて立ち寄ることに。
45.旧織物工場







手前の長大な建物は工場棟だったようで、後ろへ回るとノコギリ屋根になってました。
旧西村織物工場と同じ織物工場だったのでしょうか。
46.旧織物工場







事務所棟と思われる洋館。
47.旧織物工場







中々立派です。外観とかペンキが塗り直されている感じに見えるので、今でもお住まいなのかも。
旧西村織物工場と比べても小規模で、工場棟も2棟しか無いから、元々は敷地が広かったのかと思ってたのですが、戦後すぐの航空写真を見たらどうもそうではないようです。
以上で加西市の近代建築探索は終了となります。

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福崎町の近代建築探索レポ日記

2022年12月3日に兵庫県福崎町にある近代建築を探索してきました。
※翌週の12月10日に補足探索をしてきました。記事後半に追記します。

1.旧辻川郵便局 西田原 大正12年







旧辻川医院。福崎町西田原。大正12年。
まず最初に訪問した建物。近年移築されリニューアルされました。
2.旧辻川郵便局







地方で多くあった洋館の官公庁の建物。
3.旧辻川郵便局







壁の青さが空の青さに映える美しい建物。
4.旧辻川郵便局







正面玄関の飾り。
5.旧辻川郵便局







窓から内部を撮影。リニューアル後は読書カフェとして利用されていますが、
現在は残念ながらコロナの関係で休業中・・・

6.旧大澤医院 西田原







旧大澤医院。福崎町西田原。昭和初期頃か。
7.旧大澤医院







中々、モダンな外観です。
8.旧大澤医院







一件、鉄筋コンクリート造に見えますが、
9.旧大澤医院







遠くから見ると、瓦葺きの寄棟屋根が見えることから、木造建築ではと思われます。
ここから北上。

10.井ノ口公民館 西田原







井ノ口公民館。福崎町西田原。
11.井ノ口公民館







地方の村落でよく見られる洋風の外観の公民館建築。
12.旧井ノ口公民館







逆側の背面から。昭和初期頃と思われます。
13.旧井ノ口公民館







正面玄関の瓦には、「公會堂」の文字があります。かつては井ノ口公会堂だったのでしょうか。
14.旧井ノ口公民館火の見櫓













戦前の地区公民館や公会堂には火の見櫓がつきものですね。
井ノ口公民館は今のところ他のサイトでは紹介されていない当ブログが初めて取り上げる物件。
次は市川を渡りJR福崎駅方面へ。

15.上村商店 福崎新







上村商店。福崎町福崎新。歩いていてたまたま見つけた物件。
16.上村商店













妻側の壁に商店の古い看板が。こういう磁器タイル張りの建物って今は少なくなりましたね。

17.志水歯科医院 福崎新 大正9年頃 







志水歯科医院。福崎町福崎新。大正9年頃。
18.志水歯科医院







主屋に付属して洋館が建っています。
19.志水歯科医院







付属洋館の上にあるモルタル壁の医院名とデンティル装飾。
洋館部分が診察室だったんでしょうか。

旧眼科







旧眼科医院。福崎町。探索前の下調べでストリートビューを見ていて見つけた洋館。
21.旧眼科







実は福崎町の近代建築を紹介している他サイトやツイッターでもどこも紹介していない
今回当ブログが始めて紹介する物件。

22.旧眼科







この洋館が眼科医院と分かったのは、ブロック塀に「〇〇眼科」と書かれた錆びて朽ちかけた看板が残されていたから。
23.旧眼科







洋館の隣には居住棟と思われる主屋があります。
24.旧眼科







時代を感じる観音開きの縦長窓。

25.旧眼科







26.旧眼科







妻側の通風孔の下には凝った装飾も。しかし、これほどの洋館がどこのサイトもスルーしているのが不思議なくらい。しかし、現在は空家のようで、今後この洋館がどうなるかは分かりません。
この建物に関してはちょっと具体的な場所を伏せようかなと。特に理由はありませんが(笑)

29.大野酒造正門







歩いていて見かけた古い工場の跡地と思われる場所。福崎町福田。
かつての正門と思われる奥に。
27.大野酒造事務所か 福田







かつての事務所棟と思われる平屋の建物がありました。

28.大野酒造事務所か







裏に回ると煉瓦造の付属建物と、擬石モルタル塗りの壁が見えました。
戦前物件でいいかと思われます。

31.大野酒造物置







事務所棟と思われる建物のの隣にある倉庫らしき建物。
30.大野酒造井戸







門の横には井戸がありました。まだ現役のようです。
32.大野酒造







すぐ近くに大野酒造の大きな木造の倉庫が建っており、大野酒造のかつての工場敷地だったのではないかなと思います。

33.大野酒店 福田 大正期か







大野酒店。福崎町福田。大正期か。建物に挟まれた小さな洋館ですが、やはり存在感のある外観。
かつては近くに神戸新聞の古い洋風の販売所や洋館付き住宅があったようですが、失われていました。

34.津川邸 福田







T邸。福崎町福田。一通り探索して戻る途中に見かけた住宅。付属する洋館は擬石モルタル塗りで、
主屋も含めてもしかしたら戦前建物かなと思い撮影。

35.旧神崎郡役所 西田原 明治19年 







福崎町神崎郡歴史民俗資料館。福崎町西田原。明治19年。福崎町の近代建築の最後はここ。
元は神崎郡役所の建物。
36.旧神崎郡役所







いかにも明治の洋館と言った外観。
37.旧神崎郡役所







福崎町を代表する近代建築だけあって他の近代建築とは一線を画す建物です。
福崎町の近代建築探索はここまで。事前チェックで探索目標にしていた建物のうち、3つの物件はすでに失われていて残念でしたが、新たに確認した物件が何件かあり、しかもそのうちは中々にレベルの高い洋館だっただけに成果はありました。

※2022年12月10日に補足探索をしてきました。再探索で訪問した物件を追記します。
48.福田区公民館 福崎町福田







福田区公民館。福崎町福田。
49.福田区公民館







洋風の外観の公民館。昭和初期頃ですかねぇ。
50.福田区公民館







敷地も広いし、建物の感じも学校の講堂のように思えましたが、近くにいた近所の人に聞いたら、元から公民館だったようです。現在、公民館自体は別の場所に新築した建物に移り、この建物は集会所として使われているようです。

51.旧神谷公民館 福崎町高岡







旧神谷公民館。福崎町高岡。加西市でも見た下見板張りの縦長の公民館と同じ造りですが、玄関部分の屋根は洋風。
52.旧神谷公民館







玄関の屋根の感じは福田区公民館と似ていますね。玄関屋根が和風か洋風かはその地域の好みなんでしょうか。もしくは設計者の違い?
53.旧神谷公民館







玄関車寄せの柱のモザイクタイル。円柱の柱にキレイにタイルを張るのは、まさに職人技。
54.旧神谷公民館







公民館の裏には屋台蔵と思われる棟が併設されていました。
現在、この公民館は使用されていないようです。

以上で福崎町の近代建築探索は終了。まだ他にもありそうなので、見つけて訪問したらまた追記します。



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2022年11月20日

旧愛宕駅・愛宕山ホテル跡探索レポ日記

火伏の神様で知られる愛宕神社の総本宮、愛宕神社のある愛宕山には、戦前までケーブルカーやホテル、遊園地がありました。

吉田初三郎鳥瞰図昭和5年









※所有の吉田初三郎作「愛宕嵐山鳥瞰図」昭和5年に描かれている愛宕鋼索鉄道。
昭和5年、愛宕神社の参詣者を目的とした鉄道として開業。現在の阪急嵐山駅から麓の清滝駅までの平坦線、清滝から愛宕山八合目にある愛宕駅までの鋼索線の2つの路線から構成されていました。
25.昭和10年代








※所有の愛宕駅の絵葉書。昭和10年前後。
日本地理体形 昭和4年










※所有の昭和4年刊「日本地理大系 近畿編」より、愛宕鋼索鉄道の図版。
愛宕山鉄道の開業と共に、昭和4年に愛宕山遊園地と愛宕山スキー場が、昭和5年には愛宕山ホテルが開業しました。しかし、戦時中の昭和19年に不要不急線に指定され愛宕山鉄道は廃業。ホテルや遊園地、スキー場も閉鎖されました。戦後、再開の計画もありましたが、結局復活することはなく現在に至ります。
現在、愛宕鋼索鉄道の路線跡や愛宕駅の建物、愛宕山ホテルと愛宕山遊園地の遺構が廃墟状態で残されています。実はこの記事を書いている2022年から15年前の2007年に一度探索をし当ブログの記事にもしています。※旧愛宕鉄道関連遺構探索 しかし、当時撮影した写真のいくつかが失われていること、ブログの写真も消えてしまっていることから、15年ぶりに改めて詳細な写真撮影を目的とした探索に赴きました。
清滝







朝7時に清滝に到着。15年ぶりの愛宕山登山です。
水口屋旅館







八合目付近の水尾分かれを少し上った場所から脇に伸びる道を進めば旧愛宕駅に着きます。
脇道を入ってすぐに表れるコンクリートの遺構。
44.水口屋旅館跡







かつて「水口屋旅館」だった建物の遺構です。
45.水口屋旅館跡







1階は木造で、半地下部分がコンクリートになっています。
かつては参詣客の宿泊で賑わっていたようです。

4.愛宕駅







約1時間で8合目の旧愛宕駅に到着。15年経って体力的にちょっと不安がありましたが、15年前と同じペースで登ってこられました。
5.愛宕駅







15年ぶりの旧愛宕駅。

23. 2007年の愛宕駅










15年前の2007年に撮影した旧愛宕駅。15年経ってやはり老朽化が進んでいるようです。
6.愛宕駅







初夏に訪れた15年前と比べ、秋に訪問した今回は落葉で駅舎が見やすくなってますが、木もいくつか伐採されているようです。あと、以前は無かった説明板がありました(2015年設置)。
7.愛宕駅







横から。
8.愛宕駅







斜面側から。
9.愛宕駅







斜面側のベランダ下。
10.愛宕駅







ホーム側から。

11.愛宕駅1階







1階内部。1階は待合室や売店があったようです。
13.愛宕駅1階







反対側から。
12.愛宕駅1階







内部は15年前とそんなに変わらないような気がしましたが、床のいくつかに穴が開いてて、地階の機械室が見えた状態になっており怖かったです。
13.愛宕駅タイル







15年前は注目してなかったけど、1階壁の腰回りのタイルが褐色釉をかけた布目タイルで、もしかしたら泰山タイルかも!?と思いましたが、詳細は不明。また調べたいと思います。
14.愛宕駅1階







階段から2階へ。
15.愛宕駅階段







階段踊り場から。
24.2007年の愛宕駅










15年前の2007年撮影の同じアングル。窓の鉄枠が失われています。
16.愛宕駅階段







2階から階段を望む。
17.愛宕駅2階







2階部分。2階には愛宕食堂という食堂があったようです。
2階も老朽化が進み、コンクリートは溶解しかかっており、鍾乳石みたいに垂れている箇所がいくつもあります。
18.愛宕駅2階







2階窓から。ここは鉄枠がまだ残ってました。
19.愛宕駅2階







かつては外を眺めながら食事していたんでしょうね。ベランダはちょっと怖くて行けませんでした。
20.愛宕駅機械室







外に出て地下の機械室へ。ここにはかつてケーブルカーのケーブル巻上機がありました。
21.愛宕駅機械室







風雨にさらされる1階・2階と違い、地下の機械室の状態は割と良かったです。
22.愛宕駅の崩壊







旧愛宕駅は確実に崩壊が進んでいます。ホーム側の柱はコンクリートが崩壊し鉄筋のみで支えている状態に。駅舎が完全に崩壊することはすぐには起きないと思いますが、柱の倒壊や床の崩壊は10年持たずに起きるかもしれません。現在は立ち入り禁止にはなっていないので自由に見学できますが、いずれは立ち入り禁止になるかもしれません。現状でも割と危険かと思います。

次に、旧愛宕駅の向かいから登ったところにある愛宕山ホテル跡へ。
26.愛宕山ホテル







旧愛宕山ホテルの愛宕駅側の玄関部分。かつては自動ドアがあったようです。
27.愛宕山ホテル玄関タイル







玄関ホールのタイル張りの床。
28.2007年の愛宕山ホテル










15年前の2007年の時はもっと床のタイルがはっきりと見えてました。
どうやら数年前の台風とかで荒れてしまったようです。
29.愛宕山ホテル







斜面を降り、麓側のホテル壁面。石積風の外壁は15年前と変わらぬ姿でした。
30.愛宕山ホテル







1階部分に上がってきました。

33.愛宕山ホテル







愛宕神社参詣道側の玄関。ここからロビーに通じていました。
34.愛宕山ホテル







奥にある石積みのオブジェ。花を生けた花瓶とか置かれていたのでしょうか。
31.愛宕山ホテル







ロビー内部。愛宕山ホテルは洋室15室、和室1室の小さなホテルでしたが、食堂や浴室も完備し、ホテルからの眺望も良く、宿泊客には好評だったようです。
愛宕山ホテルフロントか







ロビーにあるアーチ部分。先ほどの参詣道側から入った目の前にあり、この横に別の出入り口もあることから、フロントだったと思われます。
32.愛宕山ホテルタイル







ロビー内部にはタイルが貼られています。施釉された横長のスクラッチタイルで、スクラッチタイル自体は昭和初期に流行ったものですが、ほとんどは素焼きなため、施釉のスクラッチタイルは余りありません。泰山タイルでは施釉のスクラッチタイルを製造していたようですが・・・・
35.愛宕山ホテル







従業員用と思われる出入り口。

愛宕山ホテル1階ロビー







ロビー奥の一画。

36.愛宕山ホテル







1ヵ所個室がありました。麓側に面していて、大きな窓付きです。何の部屋だったんでしょうか。
37.愛宕山ホテル













窓から見る景色。かつては木々も無く眺望は良かったことでしょう。
愛宕山ホテル1階ロビー







愛宕山ホテルは1階が鉄筋コンクリート造、2階は木造だったようで、現在は1階部分のみが残されています。
38.愛宕山ホテル背面







愛宕山ホテルの背面。
39.愛宕山ホテル倉庫か







コンクリート造の建物が独立して建っています。
40.愛宕山ホテル倉庫か







内部。何の建物だったかは分かりませんが、倉庫とかだったのでしょうか。

41.愛宕遊園地跡







愛宕山ホテルの背後には愛宕遊園の跡があり、飛行塔や山上テント村の跡が残されています。
42.愛宕山ホテル遺物







その近くには、大量の陶磁器やガラス瓶の散乱した場所が。
43.愛宕山ホテル遺物







愛宕山ホテルの食堂で使われていた食器が廃業と共に廃棄されたあとだと思います。
食器は和食器や洋食器だけでなく、レンゲも落ちていたので、和洋中のメニューが揃っていたと思われます。残念ながら全て破損していました。もしかしたら、割れていない食器は訪れた人が持って帰ったのかも。15年前は電球が落ちているのを見たことあります。

46.紅葉







15年振りに訪問した旧愛宕駅と愛宕山ホテル跡の廃墟。やはり15年前と比べて緩やかに風化しつつあるようです。90年ほど前は多くの参詣客や観光客で賑わった旧愛宕駅・愛宕ホテル跡・愛宕遊園跡。この日は行楽シーズンもあってか多くの登山客とすれ違いました。しかし、旧愛宕駅方面へ行く人はほぼ皆無。参詣道の賑わいをよそに、これらの廃墟群はかつての賑わいの面影を残しつつ静かに山へと溶け込んでいくようでした。



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2022年11月13日

京都モダン建築祭・参加建築見学レポ日記

京都モダン建築祭001













京都市では初の試みである京都の近代建築公開イベント「京都モダン建築祭」が11/11から13日までの3日間、開催されました。クラウドファンディング出資者でもある私は、初日の11日に参加いたしました。
一番見たかった大丸ヴィラのツアーは残念ながら落選。パスポート(1500円)で見れる建物のうち、普段非公開とまだ内部を見たことが無い戦前建物に絞って回ることに。
今回巡ったのは・・・
革島医院・元成徳中学校・旧寺江家住宅・八竹庵・京都ハリストス正教会・平安女学院大学明治館・聖アグネス教会・京都市役所本館・時忘館・京都市京セラ美術館。
まずは、今回一番の目的である革島医院へ。
※今回記事で紹介する建物の内部写真は全て撮影OKの箇所のみです。見学可でも撮影NGの場所は当然載せていません。またSNS等へのUPに関しては、革島医院での事前注意事項を含め、少なくとも私の時は一切言及されていませんでしたので、撮影OK箇所=SNS等へのUP可と判断させていただきます。

2.革島医院







まず到着したのは革島医院。昭和11年築の洋館医院で、あめりか屋の設計。
普段内部を見る機会が無いため、今回どうしても見たかった建物。

1.革島医院 昭和11年 設計・あめりか屋







10時開場の30分前に到着しましたが、すでに20人ほどの待機列が。やはりここが一番の目当ての人が多かったようで。
24.革島医院











10時になった時点で先頭から15人ほどだけ整理券を配られ、残りは近くの公園へ移動。そこで、待機列をさらに作ることになったのですが、スタッフさんが不慣れなのか動かない。仕方なく私含めて待機者で列整理をする羽目に。さらに1時間ごとに見学人数の整理券を渡すと言われ、後方の人からこのまま何時間も待てというのかと不満続出。結局、10時40分にすでに並んでいた人に対しては整理券が配られましたが、段取りや対応の不手際が目立ちました。
3.革島医院







私の回は11時に入場。事前の注意事項として案内のスタッフさんから説明ありましたが、
〇撮影不可の場所では絶対撮影しないこと。
〇必ず5人1組で行動すること(少しでも外れたら怒られました)
〇荷物は事前に待合室に置くこと
〇室内のものには一切触らないこと(ドアノブや手すりもダメ)
とかなり制約が厳しかったです。確かに痛みは多く、個人宅であるから今回問題起きたら次回からは公開してくれなくなる可能性があるのでピリピリするのは分かりますが、だからと言ってちょっと外れただけで声を荒げなくてもいいのに。正直、スタッフに気を使いながら見学という感じになって落ち着かなかったですね。あと、「私らはただの案内スタッフだから、専門的質問されても答えられない」というのはどうよ?ある程度は頭に入れとくべきじゃないの?
あと、見学時の注意事項で立ち入り禁止箇所や撮影不可の箇所はかなり細かく指示され、見学中もその都度指示がありましたが、SNS等へのUPに関しては一切言及がなかったので、私としては赤字に書いた上記の判断で行かせてもらいます。
まぁ、とりあえずめったにない機会なのでワクワクしつつ内部へ。
4.革島医院







玄関部分。腰回りのタイルは布目タイルで恐らく泰山タイルかと。後に書きますが、革島医院の建設に当たり、泰山製のタイルを用いることと書いてありました。
6.革島医院







玄関上部の丸窓。
6-2.革島医院







こちらも丸窓。
7-2.革島医院







受付と投薬口。治療費・薬代即納と書いてます。ツケはダメという事ですかね。
戦前からのものでしょう。

5.革島医院







待合室。ここで荷物を置くように言われました。
8.革島医院







待合室のステンドグラス。アールデコ調。

7.革島医院







玄関ホールのタイルの構造物。手洗いだったのでしょうか。タイルは泰山タイルの可能性あり。

9.革島医院







1階の階段。
11.革島医院







階段の横に診察室と処置室。内部を見せてもらいましたが、撮影は不可。
10.革島医院







1階廊下。左の部屋が処置室。つまり手術室。
12.革島医院







階段踊り場。

13.革島医院







2階廊下。2階は病室になってます。
14.革島医院







反対側から。
15.革島医院







病室の丸窓。
16.革島医院







病室番号。
17.革島医院













病室廊下には戦前のものらしい注意書きが今でも。
18.革島医院













病室内で自炊してた人がいたのか・・・
19.革島医院







病室内1。
20.革島医院







ベッド堅そう・・・
21.革島医院







病室内2
22.革島医院







病室内3。こちらは他と違い収納があります。
23.革島医院







角部屋。窓が大きく作られ、採光が多くなるようになってます。サンルーム的な感じだったのでしょうか。
撮影不可でしたが、資料の展示室も見学。建築設計で目に付いたのは「外壁ニ鉄柵ヲ設ケテ蔦ヲ這ワス事」「外壁腰部分ハ泰山製ヲ用ル事」の記述。外壁の蔦は当初から這わせる形だったようで、タイルも泰山タイルを用いるよう決められていたようですね。
ピリピリした中の見学でしたが、貴重な体験が出来ました。

25.元成徳中学校 昭和6年







次に向かったのが元成徳中学校。
26.元成徳中学校







昭和6年築のレトロな学校建築。
27.元成徳中学校







玄関ホール。
28.元成徳中学校







受付ですかね。
28-2元成徳中学校







1階廊下。アーチが良い雰囲気。
29.元成徳中学校







1階階段。この階段が良い感じ。
30.元成徳中学校







この造形!アールデコでいいのかな。素晴らしい。
31.元成徳中学校







階段を登っていきます。
32.元成徳中学校







踊り場から。
33.元成徳中学校







踊り場のアーチ窓。
34.元成徳中学校







階段上から。
35.元成徳中学校







階段上がった所の教室の角はなんとカーブに仕上げられてました。凄く仕事が丁寧。
このカーブ、めちゃお気に入り。
36.元成徳中学校







2階廊下。
37.元成徳中学校







もう一つの階段。
38.元成徳中学校







階段の装飾。
39.元成徳中学校







3階廊下。元成徳中学校は広々としてゆったり見学できました。
素敵なレトロ校舎、新道小学校が無くなった今、ここはいつまでも残ってほしいですね。

40.旧寺江家住宅 昭和10年 設計・橋本工務店







次に向かったのが旧寺江家住宅。昭和10年築。設計・橋本工務店。
以前探索で外観だけはチェックしてたんですが、内部に入るのは初めて。
41.旧寺江家住宅







洋館部分外側。
42.旧寺江家住宅







洋館内部。
43.旧寺江家住宅







洋館内部の別アングル。オシャレですねぇ。
45.旧寺江家住宅







洋館の奥はお座敷になってます。
44.旧寺江家住宅







床の間。
46.旧寺江家住宅







京都の町家らしい坪庭。
47.旧寺江家住宅







通り庭の天井高いなぁ。
48.旧寺江家住宅







おくどさん。今も現役なのかな。素敵な町屋建築でした。

49.八竹庵







次に向かったのは八竹庵。元紫織庵で旧川崎邸。取り壊しの危機にあった建物。武田五一設計の洋館があり、昔入ったことがあるのですが、再び中に入るのは10年ぶりかも。
50.八竹庵







のはずでしたが、パスポートとは別に入場料1700円!?うち1000円は文化財としての維持管理費ということらしく分からんでもないですが、さすがに高い・・・。期間中くらいは割り引いて欲しかった。
なのでここはスルー。

100.ハリストス正教会













お次は京都ハリストス正教会。明治36年築の重要文化財。設計は京都府庁旧本館を設計した松室重光。
中では解説をされてました。撮影不可なので内部を拝見して撤収。
ちなみに京都府庁旧本館も公開されてますが、私は何度も行ってるので今回はパス。

50.平安女学院大学明治館 明治28年







次に向かったのは、平安女学院大学明治館。建物は有名でもちろん知ってましたが、場所柄、中に入るのは初めて。
51.平安女学院大学明治館







明治28年築の煉瓦建築。歴史を感じます。
52.平安女学院大学明治館







正面玄関のレリーフ。
53平安女学院大学明治館







1階階段。
54.平安女学院大学明治館







さすが明治建築と言った華やかな造りです。
55.平安女学院大学明治館







1階部屋。
59.平安女学院大学明治館







1階のシャンデリア。
56.平安女学院大学明治館







階段踊り場。
57.平安女学院大学明治館







2階講堂。
58.平安女学院大学明治館







天井の造りも凝ってます。
60.平安女学院大学明治館







講堂の暖炉。暖炉は各部屋にあります。
62.平安女学院大学明治館







3階階段。
61.平安女学院大学明治館







3階部屋。
64.平安女学院大学明治館







3階広間の暖炉。暖炉のデザインは全部同じっぽいです。
63.平安女学院大学明治館







古いオルガン。明治のころからのものでしょうか。

65.聖アグネス教会 明治31年 設計・ガーディナー







続いて隣の聖アグネス教会へ。明治31年築。設計・ガーディナー。この建物も有名で、何度も外観は見ているけど、中に入るのは初めて。一応、日曜礼拝やクリスマスには入れるみたいですが。
66.聖アグネス教会







内部空間は広々としていて開放感があり、さすが教会という感じ。
67.聖アグネス教会







祭壇も広い。
68.聖アグネス教会







ここの空間、いい感じ。
69.聖アグネス教会







70.聖アグネス教会







71.聖アグネス教会







72.聖アグネス教会













この日は天気も良く、光が差したステンドグラスがとても美しかったです。
平安女学院大学明治館や聖アグネス教会では学生さんが親切に案内してくれました。ありがとうございました。

73.京都御幸町教会 大正2年 設計・ヴォーリズ建築事務所







続いて京都では聖アグネス教会と同じく煉瓦の教会で知られる京都御幸町教会。大正5年。設計・ヴォーリズ建築事務所。ここは日曜礼拝で自由に見学でき、礼拝後は写真も自由に撮れるので、以前入ったことがあった記憶がある建物。
74.京都御幸町教会







聖アグネス教会より装飾がシンプルで、ステンドグラスも無いので派手さは無いですが、逆に落ち着いた雰囲気を感じます。
75.京都御幸町教会







祭壇。
76.京都御幸町教会







階段。
77.京都御幸町教会







階段の手摺のこのカーブの造詣がたまらなくいい!
79.京都御幸町教会







2階へ上ると堂内が見渡せます。
このあと、旧島津製作所のフォーチュンガーデンに行ったのですが、かなり並んでいて断念。

81.京都市役所 昭和6年







というわけで、京都市役所へ。京都市役所はしょっちゅう中に入っているし、改修前の市議会場の一般公開にも行きましたが、正庁の間はまだ見たこと無かったので。
82.京都市役所







まずはちらっと市議会場へ。
改修で議長席が大きく造り替えられたんですよねぇ。
P1120258










こちらは改修前の市議会議場の議長席。やはり重厚な改修前の方が良かったなぁ。
83.京都市役所







そして目当ての正庁の間へ。
84.京都市役所







さすが正庁だけあって装飾が凝ってます。
ここから地下鉄に乗り東山で降りて岡崎方面へ。

85.時忘舎(旧竹中精麦所) 大正5年







時忘舎。大正5年。元は竹中精麦所という工場だった建物。
86.時忘舎







この辺よく歩いてますが、初めて知りました。今はオシャレなカフェになっており、改めて行きたいと思ったり。
87.時忘舎







高い天井。
88.時忘舎







元々は応接室だったのかな。
89.時忘舎







名前のごとく、ここでお茶をしていたら時を忘れそう・・・
90.時忘舎







オシャレですねぇ。
91.時忘舎







奥の部屋は和室を改装したっぽい。
今回の一般公開で人気でそうですね。
本来なら取り壊しの予定だった工場がこうしてオシャレなカフェに生まれ変わっているのは素晴らしい。

92.京都市京セラ美術館 昭和8年







最後に訪れたのは京都市京セラ美術館。ここもお馴染みの場所ですが、今回の目当ては普段非公開の貴賓室。
93.京都市京セラ美術館







貴賓室だけあって流石豪華。和風を基調とした京都美術館なので、貴賓室も天井は格天井になってたりと和風のスタイルを感じます。
94.京都市京セラ美術館













この扉のブドウの彫刻が凄かった。
95.京都市京セラ美術館







暖房施設も金蒔絵っぽい和風デザイン。

以上で私の京都モダン建築祭は終了しました。
今回初の試みとはいえ、やはり革島医院とかウェストイン都ホテルとかフォーチュンガーデンとか人気ある建物には希望者が殺到し早々に打ち切りになったり、革島医院も土日の見学のやり方で2転3転して混乱を招いたのは大きな反省点だと思います。まぁ私は一通り希望の建物を見れたから良かったですが、遠方から来て見れずに終わった人とかは納得いかなかったでしょう。次回もやるなら、大いに反省して次に生かして欲しいです。私は今回パスした旧西陣織物館や武徳殿、新たに公開される建物があればそちらを中心にめぐりたいですね。あと、大丸ヴィラを次こそは見たい!


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2022年09月04日

高砂市の近代建築探索レポ日記

2022年8月12日に兵庫県高砂市の近代建築の探索をしてきました。
まず向かったのは。

1.梅ヶ枝湯 次郎助町







梅ヶ枝湯。次郎助町。
2.梅ヶ枝湯







昭和初期くらいでしょうか。レトロな銭湯です。
3.梅ヶ枝湯







側面は煉瓦壁。なんと薪でお湯を沸かしているっぽい!?
4.梅ヶ枝湯







「水」の文字のある石の覆い。

5.旧高砂通運本社 鍛冶屋町 昭和14年







旧高砂通運本社。鍛冶屋町。昭和14年。
6.旧高砂通運本社







今は鰻屋さんになっているようです。

7.旧三星化学合資会社 鍛冶屋町 昭和5年







旧三星化学合資会社。鍛冶屋町。昭和5年。
8.旧三星化学合資会社







装飾に富んだ中々いい感じの建物ですが、現在は空家?以前はカフェだったようですが。
そのまま南へ。

9.M邸 釣船町  







M邸。釣船町。明治〜大正期?
10.M邸







大きな洋館です。三菱製紙の社宅だったとか。
11.M邸







反対側から。
ここから西へ。

12.出汐館(旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華クラブ) 西畑町 昭和11年







旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華倶楽部出汐館。西畑町。昭和11年。
13.出汐館





スパニッシュ様式の洋館が2棟並んでます。
14.出汐館





東側の洋館。
16.出汐館










東側の洋館のステンドグラス。
15.出汐館





西側の洋館。
17.出汐館










西側の洋館のステンドグラス。
18.出汐館





道路側から。現在も倶楽部施設として使用されているようです。

19.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か 沖浜町





カネカ工業高砂工場の社宅街にある洋館。沖浜町。
20.カネカ工業高砂工場倶楽部建物か





もしかしたら、倶楽部建物かもしれません。
ここから引き返し東へ。

21.カネカ工業高砂工場事務所か





カネカ工業高砂工場事務所。宮前町。
奥に見える洋館。さすがに近づけないので離れた場所から撮影。

22.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所 南本町 昭和10年





旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所。南本町。昭和10年。
23.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





横に付属する派出所が消防会館に比べ装飾的なのは、警察としての威厳を示そうとしたのでしょうか。
24.旧高砂消防会館・旧南本町巡査派出所





背面から。
ここから少し東へ。

25.洋館付き住宅 東宮町





洋館付き住宅。東宮町。

20220811_104242





旧銭湯。西宮町。
この近くに煉瓦倉庫があるんですが、完全に忘れてました…
再び西へ。

26.三菱製紙魚町倶楽部 魚町 明治35年





三菱製紙魚町倶楽部。魚町。明治35年。
立派な洋館です。ただ、庭木が邪魔して上手く撮影できない。
一般公開されているらしいですが、この日は閉まってました。

27.片岡医院 横町 昭和10年代





片岡医院。横町。昭和10年代。中々洒落た洋館。今は医院は止めて個人宅かも。

28.旧高砂銀行本店 北本町 昭和7年





旧高砂銀行本店。北本町。昭和7年。古典様式のこれぞ昭和初期の銀行と言った佇まい。
現在は高砂商工会議所として使用。

29.デラコンチャ 北本町





デランコッチャ。北本町。洋風の商店建築。
30.デラコンチャ





現在は雑貨店。デランコッチャってどういう意味だろう。
ここから東へ。

31.鍛冶医院 高瀬町





鍛冶医院。高瀬町。昭和初期頃?

32.鍛冶医院





片岡医院と同じく洒落た洋館の医院です。

33.由井邸 高瀬町





Y邸。高瀬町。
34.由井邸





モダンな洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
35.由井邸





反対側から。
36.由井邸





玄関にはステンドグラスがあります。

清水町会館





清水町会館。清水町。古そうで気になった建物。

37.古い住宅 船頭町





旧高砂湯。船頭町。
38.古い住宅





何となく気になって撮影した建物。後で調べたら高砂湯という銭湯だったそうで、
数年前までは高砂湯の看板があったようです。今は住宅になっているようです。

39.旧清栄館(元映画館) 大正期





旧清栄館。清水町。大正期。
40.旧清栄館





かつては映画館だったそう。現在は焼酎専門店セイエイカン。居酒屋もやってます。
ここから川沿いに北上。

20220811_113834





川沿いの古い建物。藍屋町。
20220811_113909





船着き場関係の建物でしょうか。

41.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場煉瓦建物。栄町。明治34年〜大正6年頃。
42.三菱製紙高砂工場





大きな煉瓦建築です。

43.三菱製紙高砂工場 栄町 明治34年〜大正6年頃





三菱製紙高砂工場。栄町。明治34年〜大正7年。
44.三菱製紙高砂工場 





付属建物の横にある煙突は、加古川市にあった陸軍飛行場から飛び立つ航空機の妨げになるとのことで一度半分にされ、戦後に撤去された部分を再度作り直したらしいです。

20220811_114954





山陽電鉄加古川橋梁。大正11年。長さ約330mの山陽電車の鉄橋では一番長い鉄橋。
100年超えた今でも現役。

以上で高砂市の近代建築探索を終了。高砂市は三菱製紙など戦前からの大規模工場があったせいか、今でも数多くの戦前の建物が残されていました。


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2022年08月06日

青野原陸軍演習場高岡廠舎(青野原俘虜収容所)遺構探索レポ日記

1.説明板







兵庫県加西市にあった青野原陸軍演習場高岡廠舎の遺構を探索してきました。
青野原陸軍演習場高岡廠舎は明治32年に開設された青野原陸軍演習場の演習廠舎であった大門演習廠舎が手狭になったため、明治45年に新たに設置された演習廠舎でした。

大門廠舎位置図










兵庫県加西市・青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構探索レポ日記
大正3年、第一次世界大戦の俘虜として日本に来たドイツ軍俘虜をしゅうようするため、高岡演習廠舎の南側に新たに青野原俘虜収容所が建設されました。大正8年、青野原俘虜収容所の閉鎖に伴い、俘虜収容所の施設はそのまま高岡演習廠舎として再利用されました。

高岡廠舎001








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門。

高岡廠舎002








昭和初期頃の高岡演習廠舎正門と廠舎建物。

日記016青野原演習場へ出発













※祖父の一等兵時代の日記にある青野原陸軍演習場の記載(昭和14年11月9日)
昭和に入っても青野原陸軍演習場は祖父が在籍した福知山市の歩兵第20連隊はじめ、各地から部隊が演習に来たようで、それらの兵士を収容する廠舎施設が必要だったようです。
青野原陸軍演習場高岡演習廠舎は戦後、大門演習廠舎と同じく住宅地となって現在に至り、大門演習廠舎ほどではないですが、演習廠舎時代の建物や遺構がいくつか残ります。

高岡廠舎配置図













※青野原陸軍演習場高岡演習廠舎遺構位置図。
以下はこの遺構位置図に従い紹介します。

2.廠舎1







‐骸坊物1。民家の一部となっています。
3.廠舎2







裏側。

4.廠舎3







⊂骸坊物2。こちらも民家の1部になってますが、外観は当時の姿を留めています。
5.廠舎前井戸







廠舎建物の前にある煉瓦の井戸枠のある井戸。

6.将校用風呂棟







将校用風呂棟。兵庫県登録文化財として高岡演習廠舎で唯一内部公開されている建物。
7.将校用風呂棟2







将校用風呂棟の内部。
8.将校用風呂棟3







かまど?風呂の焚口にしては位置がおかしい。後世のものかも。
9.将校用風呂棟4







浴槽。現代のユニットバスより狭いです。

10.井戸







ぐ羝唯院将校用風呂棟の向かいにあります。

12.井戸







グ羝唯押L渦箸良瀉脇發砲△蠅泙后

11.コンクリート基礎







Ε灰鵐リート基礎。何かの建物の基礎だったのが残されています。

13.貯水槽







貯水槽。高岡演習廠舎の北側にありますが、戦後のものかもしれません。
ちなみに大門演習廠舎の外周には陸軍の境界杭が何本も残されていますが、高岡演習廠舎では1本も見かけませんでした。

高岡演習廠舎は大門演習廠舎より遺構の数は少ないですが、俘虜収容所だったという歴史的経緯があったためか、大門演習廠舎には全くなかった案内板や説明板が設置されており、見学しやすくなっています。

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2022年07月30日

第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構探索レポ日記

2022年6月24日、フォロワーさんと舞鶴市の旧軍遺構探索ツアーで、海上自衛隊舞鶴造修補給所に残る旧軍遺構を見学してきました。この場所、昭和20年の終戦の段階で第三十一海軍航空廠の敷地だったそうです。
第三十一海軍航空廠といえば、宮津市栗田半島にある現・関西電力エネルギー研究所と栗田漁港の敷地にあった水上機製造専用の工廠だったことは知られており、私も何度か探索を行いましたが、舞鶴市の東舞鶴軍港内にもあったのは知りませんでした。
※過去に探索した第三十一海軍航空廠関連の記事。
宮津市・第三十一海軍航空廠小田宿野工員宿舎街・官舎街・女子工員宿舎探索レポ日記

宮津市銀丘地区(第三十一海軍航空廠中津工員宿舎街)探索レポ日記

第三十一海軍航空廠官舎・工員宿舎遺構配置図








宮津市・第三十一海軍航空廠官舎、工員宿舎遺構探索レポ日記

第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)遺構位置図











宮津市・第三十一海軍航空廠遺構(栗田漁港内)探索レポ日記

海上自衛隊舞鶴造修補給所の敷地がかつて第三十一海軍航空廠だったと知ったのは、舞鶴市の公式HPである「舞鶴鎮守府エリア 1945年 舞鶴鎮守府家屋営造物配置図」を見たのがきっかけでした。
以下、このサイトに表記されている情報を元に記事を書いていきます。各遺構の名称は、第三十一海軍航空廠時代の名称で表記します。

第三十一海軍航空廠浜地区工場遺構配置図









※第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)遺構配置図。
この舞鶴造修補給所の敷地となっている第三十一海軍航空廠についてですが、現在、確たる資料が見つけられず、この施設が当時どのように呼ばれていたかも不明です。とりあえず現段階では「第三十一海軍航空廠浜地区工場(仮称)」としておきます。

海上自衛隊の隊員さんの案内で敷地内へ。

1.起重機(5トンクレーン)1







ゝ重機。船からの荷物を上げたり降ろしたりする5tクレーンです。白線で旋回範囲を書いてある通り、現役のクレーンです。赤れんがパークからも見えるクレーンです。
P1020696










こちらは現役ではありませんが、呉市のアレイからすこじまにある起重機のクレーンと同じですね。
2.起重機台







起重機台の部分。
3.起重機銘板







操縦室には「製造 昭和16年」の文字が。海軍時代から現役の古参。
ただし、クレーンのアーム部分は見る限り戦後に交換したように見えます。
ちなみに宮津市栗田の第三十一海軍航空廠の開設は昭和18年。この起重機はそれより2年古いため、元々は海軍の別の施設で、昭和18年以後に第三十一海軍航空廠の敷地となったと思われます。

6.啓正式格納庫1







啓正式格納庫。木造の大きな建物です。
7.啓正式格納庫2







啓正式格納庫とは移動式の格納庫のことらしいですが、この建物、移動できるんでしょうか。
8.啓正式格納庫3







内部は当時の鉄骨が残されています。格納庫時代の姿を留める貴重な建物です。
P1330504










対岸の赤れんがパークから見た啓正式格納庫。

4.汽缶場







2消談蟒ね工場(左奥)とさゴ名譟2消談蟒ね工場の写真を撮り忘れていた失態。
5.汽缶場洗面台







汽缶場の洗面台。コンクリート製の長いもの。汽缶場という施設という事で、煤とか色んなものが顔や服に付着したのを洗ったのでしょう。
9洗濯場










こちらは宮津市の栗田半島にある第三十一海軍航空廠工員宿舎街跡に残る洗濯場の洗い場。似たような感じですね。あと、舞鶴市の朝来地区にある第三海軍火薬廠跡にもコンクリート製の洗面台が残されています。

9.事務所か







セ務所としていますが、上記の舞鶴市のHP掲載の配置図では位置が違います。しかし、建物の造り、基礎の煉瓦など明らかに戦前の物。とりあえず事務所の建物と仮定しておきます。
10.事務所か







反対側より。

11.自動車庫







自動車庫。改造されてますが、面影は残されています。

P1050373










舞鶴造修補給所の遺構は赤れんがパークから起重機と啓正式格納庫を見ることができるため、以前からその存在は知ってましたが、他にもいくつか遺構が残されていること、また終戦時には第三十一海軍航空廠の敷地だったことは初めて知る成果となりました。

IMG_4768










ちなみに背後の東山には木造2階建ての司令部建物を丸ごと収めた、巨大な地下壕が残されています。
舞鶴市・旧海軍東山防空指揮所地下壕見学会レポ日記

besan2005 at 21:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2022年07月03日

舞鶴平海兵団(現・舞鶴教育隊)遺構見学レポ日記

1.舞鶴教育隊







2022年6月24日に舞鶴市にある舞鶴教育隊を見学してきました。
0.平海兵団001








舞鶴教育隊は元々、旧海軍の平海兵団の敷地でした。舞鶴海兵団は舞鶴鎮守府開庁とともに設立。しかし、大正12年のワシントン海軍軍縮会議により舞鶴鎮守府は要港部へと格下げ。舞鶴海兵団は廃止され、旧舞鶴海兵団の敷地は海軍機関学校の敷地として使用されました。
昭和14年の鎮守府再昇格により海兵団も復活。しかし敷地は海軍機関学校となっていたため、東舞鶴の平地区に昭和15年に新たに設置されました。
舞鶴教育隊戦後001








戦後、平海兵団の敷地はそのまま海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地となり、現在に至ります。
舞鶴教育隊の敷地内には庁舎を始め平海兵団時代の建物が数多く残っていたのは知っていたのですが、施設の性質上、中々見学できる機会がありませんでした。今回、フォロワーさんのご尽力と海上自衛隊の隊員さんの協力により見学する機会を得ることが出来ました。ありがとうございました。
平海兵団歩哨舎跡







2枚目の古絵葉書の端に写ってますが、かつて正門の前には歩哨舎がありました。今でも基礎が残ります。正門も当時の物がそのまま使われています。

舞鶴教育隊(旧平海兵団)遺構配置図









平海兵団遺構配置図。この位置図に沿って紹介していきます。
2.庁舎1







(審な蔀痛槁庁舎。昭和10年代らしいモダニズムデザインの建物。筑波海軍航空基地の本部庁舎に似た感じですね。
3.庁舎2







正面に車寄せを設けた威厳ある造り。
4.庁舎国旗掲揚台













正面上部には国旗掲揚台が残されています。軍艦の艦橋を模した感じに見えます。
5.庁舎内部







玄関内部。階段も当時のまま。

6.自動車庫







⊆動車庫。鉄骨造りの建物です。
7.自動車庫2







現在も車庫として使用されていますが、平海兵団当時の車両より大型化しているため、収まり切れません。
8.自動車庫







内部の様子。
自動車庫背面







背面。

9.水上機格納庫







水上機格納庫。2棟残されています。
水上機格納庫







旧軍の航空機の格納庫自体、多くが失われている中、ここはちゃんと残されているのが貴重。

10.桟橋







せ袈供コンクリートの部分とかに当時の意匠が見えます。

11.覆土式弾薬庫1







ナづ攫芦侈庫。
12.覆土式弾薬庫迷彩







戦後にコンクリート壁が塗り直されましたが、塗装の剥がれた部分に当時の迷彩を確認することが出来ました。

13.弾薬庫1







γ凸庫。やや小高い場所にあります。
14.弾薬庫2







入り口部分。現在は使われていないようです。

15.ボイラー実習室1







平屋のコンクリート建物。開口部を大きく取った特異な建物。
16.ボイラー実習室2







かつて背面部には煙突があったようです。そのため、軍艦の機関のボイラーの実習等を行う施設だったのではと推測。現在はダメコン用の木材を保管する建物として使用。

17.機関講堂1







木造建物。教育隊では機関講堂と呼んでるようですが、当初の用途は不明。しかし規模の大きさからやはり講堂か実習棟だったのでしょうか。
18.機関講堂2







側面から。
19.機関講堂3







反対側から。現在は使用されておらず、内部もかなり痛みが激しく、今年中に取り壊される予定とのこと。

20.烹炊場







木造建物。教育隊では烹炊場と呼ばれ、炊事の演習場だったようです。当初の用途は不明。この建物も今年中に取り壊しとのこと。

21.便所1







便所。
22.便所2







平海兵団当時から便所だった建物で、建物の前半分は現代用に改修されてますが、後半分は当時のままとのこと。
23.便所3







手前の防火水槽も当時の物。
24.便所4







背面から。この建物も今年中に取り壊されるようです。
ちなみに便所の奥に写る白い建物も当時の木造建物で、こちらは今後も使用されるとか。

25.木造建物







木造建物。長大な建物。
26.木造建物2







こちらは今でも使われています。

28.風呂場2







風呂場。正面に屋根付き廊下が付属します。支えの柱は旧陸軍の建物でも時々見る形ですね。
27.風呂場1







背面から。

29.演武場1







演武場。鉄骨造の大きな建物。現在も演武場として使用されています。
30.演武場2







内部を見せてもらいました。鉄骨の小屋組みが凄い。

舞鶴海兵団兵舎










兵舎。現在は建て替えられて現存していませんが、かつては現隊舎の場所に平海兵団時代の兵舎があり、近年まで隊舎として使用されていました。写真は10年ほど前に軍港クルーズ船から撮影したかつての兵舎。

31.戦艦長門主砲弾













舞鶴教育隊の敷地には旧海軍時代のゆかりのものがいくつか置かれています。これは戦艦長門の主砲弾。
32.川内主錨







庁舎の脇には軽巡洋艦・川内の主錨が置かれています。
33.川内主錨







解説板。昭和17年に舞鶴海軍工廠で改装時に外されたもので、昭和52年にここに置かれたようです。
それまではどこにあったんだろう。

今回はフォロワーさん・海上自衛隊の隊員さんのご尽力により、普段は見れない舞鶴教育隊の敷地に残る平海兵団時代の遺構を見ることが出来ました。ありがとうございました。



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