大阪府
2021年11月07日
池田市の近代建築探索レポ日記
2021年10月13日に探索した大阪府池田市の近代建築探索レポ日記です。
池田市には小林一三記念館はじめ結構近代建築が残っているようで、一度探索をしたいと思い出かけました。ちなみに隣町の兵庫県川西市にも大規模な洋館が残されています。そちらは後日。
まず、池田市の北端から。

K邸。木部町。昭和5年。

国道173号線沿いにある大きな洋館です。

裏側。

車庫も当時のまま残っています。
国道173号線を南下。

いけだビアマルセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正4年

現在はコミュニティーセンターのようです。

車の通りが激しく、中々いい写真が撮れない・・・
国道171号線の西本町の交差点を東へ。

落語みゅーじあむ。栄本町。判断に迷いましたが何となく古そうなので掲載。

旧加島銀行池田支店。栄本町。大正7年。

池田市内では稀少な煉瓦建築。

加島銀行はNHKの朝ドラ「あさが来た」で主人公らが設立した加野銀行のモデルになった銀行ですね。
現在は別企業が使用しています。

光フォトショップ。栄本町。角地に建つ看板建築。
ここから商店街へ。

旧池田電報電話局。栄本町。大正14年。

スクラッチタイルのビル。近年までNTTが入ってたようですが、現在は空きビルのようです。
次に阪急池田駅の南側へ。

O邸。満寿美町。

マンションの隙間から洋館が見えました。昭和初期でしょうか。

T邸。満寿美町。洋館付き住宅の洋館部分が少し見えます。
ここから西にある室町地区へ。室町地区は阪急が開発した沿線の分譲住宅の1つで、今でもいくつかの近代建築が残されています。

N邸。室町。

洋館付き住宅です。

I邸。室町。こちらも洋館付き住宅。室町地区の戦前の住宅は、洋館付き住宅がほとんどです。

Y邸。室町。一見最近の住宅に見えますが、

細部を見ると、戦前の特徴が残されています。

室町会館。室町。

かつては室町倶楽部と呼ばれていた建物。

資料では明治44年築、昭和11年大改修とあり、それが正しいなら池田市でも最古級の近代建築になります。

H邸。室町。

こちらも洋館付き住宅。

洋館部分。

通風孔らしいものがあったのでアップにしてみたら、ただの飾りでした。こういうのもあるんですね。

K邸。室町。

こちらも洋館付き住宅ですが、洋館部分が他の住宅と比べかなり立派です。

洋館部分のアップ。

S邸。室町。大きなお屋敷です。

蔵のような外観の洋風建物。内部は居住空間となっているようです。

B邸。室町。

建物の奥に見える洋館。室町地区では純粋な洋館住宅ですが、表札無し。BSアンテナがあるから空き家では無いと思いますが。

無表札の洋館付き住宅。室町。
室町地区には他にも洋館付き住宅がいくつかあったようですが、私が廻った際はその何件かは見つけられず、取り壊されているようです。
室町地区を後にし、再び池田駅の北側へと出て東へ。

池田泉州銀行本店。城南2丁目。昭和27年。戦後建築ですが堂々たる古典様式の銀行建築。

20年くらい前はあちこちで見かけた昔の古典様式の銀行建築。近年はすっかり数が少なくなりました。
ここから北方面へ。

N邸。城南1丁目。

奥まった場所にあり見づらいです。

無表札の洋館住宅。上池田。

2階建ての大きな洋館が付属しています。

Y邸。上池田。

大きな洋館が付属するお屋敷ですが、この洋館なんとコンクリートブロック造。

コンクリートブロック造の建築と言えば、本野精吾と中村鎮。京都に本野精吾自邸や栗原邸、中村鎮建築事務所などが残されていますが、それと同じ造り。もしかしたら2人が設計に関わってたのかも。
※本野精吾邸一般公開レポ日記
そして、小林一三記念館へ。

小林一三記念館。建石町。昭和12年。阪急グループ創始者の小林一三の自邸の洋館。さすがに豪華です。

庭園側から。内部の居間や階段は豪華でしたが、撮影禁止のようなので外観のみ。ただし、他の部屋はかなり改造されており、それが残念でした。

1階の食堂室は現在もレストランになってますが、要予約のようで断念。

小林一三記念館の南隣にも洋館があります。こちらも小林一三の親族のお屋敷とか。
近代建築の探索はここで終了。最後に池田城を訪城しました。

池田城は在地領主の池田氏により築城されましたが、後に荒木村重が城主となりました。
どちらかと言えば、荒木村重の城としての方が有名かも。この時はコスモスが綺麗でした。

そしてこの天守。実際には無かった模擬天守なのですが、木造建築であり、外観も戦国期の雰囲気を出していて中々良い感じです。

模擬天守は展望台となっています。

模擬天守2階回廊から。木造であり外観の雰囲気もあって、戦国期の雰囲気を感じることができます。ただし、あくまで模擬天守。本来は無かったことをしっかり周知する看板が無いと勘違いする人がいそうですね。ともあれ、池田市のシンボルになっていることには間違いないようです。
池田市には小林一三記念館はじめ結構近代建築が残っているようで、一度探索をしたいと思い出かけました。ちなみに隣町の兵庫県川西市にも大規模な洋館が残されています。そちらは後日。
まず、池田市の北端から。

K邸。木部町。昭和5年。

国道173号線沿いにある大きな洋館です。

裏側。

車庫も当時のまま残っています。
国道173号線を南下。

いけだビアマルセンター(旧池田実業銀行) 新町 大正4年

現在はコミュニティーセンターのようです。

車の通りが激しく、中々いい写真が撮れない・・・
国道171号線の西本町の交差点を東へ。

落語みゅーじあむ。栄本町。判断に迷いましたが何となく古そうなので掲載。

旧加島銀行池田支店。栄本町。大正7年。

池田市内では稀少な煉瓦建築。

加島銀行はNHKの朝ドラ「あさが来た」で主人公らが設立した加野銀行のモデルになった銀行ですね。
現在は別企業が使用しています。

光フォトショップ。栄本町。角地に建つ看板建築。
ここから商店街へ。

旧池田電報電話局。栄本町。大正14年。

スクラッチタイルのビル。近年までNTTが入ってたようですが、現在は空きビルのようです。
次に阪急池田駅の南側へ。

O邸。満寿美町。

マンションの隙間から洋館が見えました。昭和初期でしょうか。

T邸。満寿美町。洋館付き住宅の洋館部分が少し見えます。
ここから西にある室町地区へ。室町地区は阪急が開発した沿線の分譲住宅の1つで、今でもいくつかの近代建築が残されています。

N邸。室町。

洋館付き住宅です。

I邸。室町。こちらも洋館付き住宅。室町地区の戦前の住宅は、洋館付き住宅がほとんどです。

Y邸。室町。一見最近の住宅に見えますが、

細部を見ると、戦前の特徴が残されています。

室町会館。室町。

かつては室町倶楽部と呼ばれていた建物。

資料では明治44年築、昭和11年大改修とあり、それが正しいなら池田市でも最古級の近代建築になります。

H邸。室町。

こちらも洋館付き住宅。

洋館部分。

通風孔らしいものがあったのでアップにしてみたら、ただの飾りでした。こういうのもあるんですね。

K邸。室町。

こちらも洋館付き住宅ですが、洋館部分が他の住宅と比べかなり立派です。

洋館部分のアップ。

S邸。室町。大きなお屋敷です。

蔵のような外観の洋風建物。内部は居住空間となっているようです。

B邸。室町。

建物の奥に見える洋館。室町地区では純粋な洋館住宅ですが、表札無し。BSアンテナがあるから空き家では無いと思いますが。

無表札の洋館付き住宅。室町。
室町地区には他にも洋館付き住宅がいくつかあったようですが、私が廻った際はその何件かは見つけられず、取り壊されているようです。
室町地区を後にし、再び池田駅の北側へと出て東へ。

池田泉州銀行本店。城南2丁目。昭和27年。戦後建築ですが堂々たる古典様式の銀行建築。

20年くらい前はあちこちで見かけた昔の古典様式の銀行建築。近年はすっかり数が少なくなりました。
ここから北方面へ。

N邸。城南1丁目。

奥まった場所にあり見づらいです。

無表札の洋館住宅。上池田。

2階建ての大きな洋館が付属しています。

Y邸。上池田。

大きな洋館が付属するお屋敷ですが、この洋館なんとコンクリートブロック造。

コンクリートブロック造の建築と言えば、本野精吾と中村鎮。京都に本野精吾自邸や栗原邸、中村鎮建築事務所などが残されていますが、それと同じ造り。もしかしたら2人が設計に関わってたのかも。
※本野精吾邸一般公開レポ日記
そして、小林一三記念館へ。

小林一三記念館。建石町。昭和12年。阪急グループ創始者の小林一三の自邸の洋館。さすがに豪華です。

庭園側から。内部の居間や階段は豪華でしたが、撮影禁止のようなので外観のみ。ただし、他の部屋はかなり改造されており、それが残念でした。

1階の食堂室は現在もレストランになってますが、要予約のようで断念。

小林一三記念館の南隣にも洋館があります。こちらも小林一三の親族のお屋敷とか。
近代建築の探索はここで終了。最後に池田城を訪城しました。

池田城は在地領主の池田氏により築城されましたが、後に荒木村重が城主となりました。
どちらかと言えば、荒木村重の城としての方が有名かも。この時はコスモスが綺麗でした。

そしてこの天守。実際には無かった模擬天守なのですが、木造建築であり、外観も戦国期の雰囲気を出していて中々良い感じです。

模擬天守は展望台となっています。

模擬天守2階回廊から。木造であり外観の雰囲気もあって、戦国期の雰囲気を感じることができます。ただし、あくまで模擬天守。本来は無かったことをしっかり周知する看板が無いと勘違いする人がいそうですね。ともあれ、池田市のシンボルになっていることには間違いないようです。
2021年09月24日
旧京都大学大学院農学研究科附属農場建物の夜景(安満遺跡公園)

昨日である2021年9月23日の高槻市の近代建築探索の際に訪れた安満遺跡公園の旧京都大学大学院農学研究科の付属農園の洋館群。夜に訪れたら雰囲気あるだろうなと本日、仕事終わりに車を飛ばして向かいました。

まずは本館。本館はレストランが入っていることもあり、唯一室内の明かりが灯っていました。雰囲気はまさにクラシックホテルの佇まい。

西側から。

東側から。

個人的に雰囲気が好きな西側入り口。

正面玄関。

階段。

別館。室内は消灯されているため全体的に暗いのが残念ですが、逆に玄関の明かりに照らされた部分がアクセントとなっています。

蔬菜選別室。

反対側から。

本館裏の建物。さすがにここは薄暗かったです。

本館と蔬菜選別室との間。洋館の建ち並ぶこの一角の夜景は、まるで異国の夜の街並みに迷い込んだかのような雰囲気を味わえました。
一帯が公園整備されてまだ1年くらいだったと思いますが、地元の高校生や家族連れが日没まで思い思いに過ごしていました。雰囲気の良さもあってすっかり市民に定着したようです。
2021年09月23日
高槻市の近代建築探索レポ日記(2017年・2019年・2021年探索)
大阪府高槻市の近代建築の探索レポ日記です。高槻市の近代建築探索は2年前の2019年2月2日に行っていましたが、記事作成は行っていませんでした。今回、高槻市を代表する洋館住宅K邸が11月中に取り壊されると聞き、今回改めて探索。記事にすることにしました。今回は2年前の探索時の写真を交えて紹介していきます。
まずは今回の目的のK邸へ。

K邸。高槻町。昭和初期。あめりか屋設計の大規模な洋館住宅。スパニッシュ様式の外観です。

北側から。

※2019年2月2日撮影。西側から。現在左隣にはビルが建っているため、全体を見ることは出来ません。

正門。住宅と同じスパニッシュ様式のデザイン。

通用門。

左側の装飾。

煙突。可愛らしいデザインです。室内には大理石製の豪華なマントルピースがあります。


窓のステンドグラス。K邸にはステンドグラスが豊富に使われています。
K邸は前述の通り、2021年11月中に取り壊され、跡地はマンションになるようです。
文化財未指定の建物ですが、国登録有形文化財になってもおかしくない建物、様々な事情はあるのでしょうが、取り壊されるのには惜しい。しかし私にはどうしようもないので、せめて外観だけでも可能な限り記録に留めようと思い、今回訪問しました。
K邸を後にし、2019年にも探索した近隣の建物を訪問。

H邸。高槻町。昭和10年。K邸の南にある洋館。

正面から。

北側から。

建物のアップ。K邸よりやや和風っぽいです。


K邸の北側にあった住宅。戦前らしい平屋の木造住宅でしたが、今回の探索で取り壊されているのを確認しました。2019年2月2日撮影。

Y邸。高槻町。昭和初期頃か。

三角屋根が特徴の洋館。

表札無しの洋館。高槻町。昭和初期頃か。2019年に探索した際は〇〇ハウジングの表札があり改修中でしたが、今回確認すると、表札の文字が消えかかってました。ただし、空き家ではないようです。

玄関部分。左側には出窓付きの三角屋根の張り出し部があります。

庭側から。テラスがあります。

K邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。平屋の小規模な住宅ですが、デザインのしっかりした洋館です。庭木で全体が見えませんが、玄関周りの意匠はレベル高いです。

Y邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。見づらいですが、手前側に付属洋館があります。

Y邸の側にある煉瓦塀。現在Y邸と煉瓦塀の間は駐車場となってますが、かつてはここまでが敷地だったのかもしれません。

高槻新温泉。高槻町。現在は廃業していますがレトロな銭湯。

高槻新温泉の煙突。かつては地域のランドマークだったんでしょう。

阪急電鉄の変電所。八丁畷町。戦前の建物だと思います。
次に紹介するのは2019年2月2日に探索した工兵第4連隊の遺構。

工兵第4連隊営門。城内町。明治41年頃。

工兵第4連隊は明治41年に京都から移駐した部隊で、高山右近で知られるかつての高槻城の跡地に駐屯地が造られました。

歩哨舎。工兵第4連隊の跡地は現在、高槻市立第一中学校となっていますが、営門と歩哨舎と境界杭が残されています。

マンションの裏の木造建物。城内町。高槻商工会議所北側にあるマンションは、かつて高槻憲兵分遣隊の敷地でしたが、その裏に戦前と思われる古い平屋の木造建物が残されています。かつての高槻憲兵分遣隊の建物の一部だった可能性を含め、ここに紹介。
ここから再び今回の2021年9月23日探索分。

大阪医科大学看護専門学校校舎。大学町。昭和5年。ヴォーリズ建築事務所設計。
国登録有形文化財。以前から知ってましたが、ちゃんと訪問したのは今回が初めて。

建物の周囲は木々に覆われ撮りづらい。扉は閉まっていて中に入れませんでした。

旧京都帝国大学化学研究所管理棟。 大学町。昭和4年。大阪医科薬科大学内に残された建物。

周囲で工事がされていて、全体の写真が撮れず。この建物はどうなるんでしょうか。
このあと、最近整備された安満遺跡公園へ。

現在安満遺跡公園となっている一角はかつて京都大学大学院の付属農園で、昭和初期の洋風建築が数棟残されていました。それらの建物のいくつかが安満遺跡公園の施設として再活用されています。

京都大学大学院 農学研究科附属農場本館。八丁畷町。昭和5年。大倉三郎設計。
雰囲気のある洋館です。

2017年撮影。本館の前にある植栽は撤去され広々とした感じになりました。

東側から。

2017年撮影。この頃の方がクラシックホテルっぽい感じで雰囲気ありますが、撮影するには今の方が有難いかも。

西側から。

西側の出入り口。何気に好きな箇所。

階段も当時のまま。

1階の一室。現在は無料休憩室。

※翌日夕方撮影。本館2階。広い部屋です。

講堂か何かだったのでしょうか。

2階から階段。

本館踊り場のアーチ窓。

京都大学大学院 農学研究科附属農場別館。昭和6年。
現在は弥生時代の大規模環濠集落だった安満遺跡の展示室。

2017年撮影。大きな木は伐採され見やすくなってます。この時はやや傷みが目立ちました。


京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室。昭和6年。収穫した野菜をチェックしてたのでしょうか。

2017年撮影。だいぶ古さが目立ちます。

本館裏の建物。昭和6年。現在は貸しスペース。

本館背後のトイレ。最初は新設されたものだと思ってましたが、これも当時のままのようです。
今回は取り壊されるK邸の見納め的な訪問を含めた高槻市の再探索と、過去の探索時の写真を交えた記事にしました。京都大学大学院の附属農場の建物群について、本館は再活用されると思ってましたが、別館含む4棟の建物は壊されると思ってました。それが全て残されたのは英断と思います。2017年までに取り壊された本館向かいの農場研究室他はありましたが、現在もかつての雰囲気が良く残されています。同じ昭和初期の洋館である取り壊し予定のK邸。公園の施設として再活用された京大大学院付属農場の5棟の建物群。近代建築の運命は紙一重だと改めて感じました。

※翌日、仕事終わりに再び安満遺跡公園に向かい、夜景を撮影してきました。
まるで異国の夜の街角にいるかのような抜群の雰囲気でした。
まずは今回の目的のK邸へ。

K邸。高槻町。昭和初期。あめりか屋設計の大規模な洋館住宅。スパニッシュ様式の外観です。

北側から。

※2019年2月2日撮影。西側から。現在左隣にはビルが建っているため、全体を見ることは出来ません。

正門。住宅と同じスパニッシュ様式のデザイン。

通用門。

左側の装飾。

煙突。可愛らしいデザインです。室内には大理石製の豪華なマントルピースがあります。


窓のステンドグラス。K邸にはステンドグラスが豊富に使われています。
K邸は前述の通り、2021年11月中に取り壊され、跡地はマンションになるようです。
文化財未指定の建物ですが、国登録有形文化財になってもおかしくない建物、様々な事情はあるのでしょうが、取り壊されるのには惜しい。しかし私にはどうしようもないので、せめて外観だけでも可能な限り記録に留めようと思い、今回訪問しました。
K邸を後にし、2019年にも探索した近隣の建物を訪問。

H邸。高槻町。昭和10年。K邸の南にある洋館。

正面から。

北側から。

建物のアップ。K邸よりやや和風っぽいです。


K邸の北側にあった住宅。戦前らしい平屋の木造住宅でしたが、今回の探索で取り壊されているのを確認しました。2019年2月2日撮影。

Y邸。高槻町。昭和初期頃か。

三角屋根が特徴の洋館。

表札無しの洋館。高槻町。昭和初期頃か。2019年に探索した際は〇〇ハウジングの表札があり改修中でしたが、今回確認すると、表札の文字が消えかかってました。ただし、空き家ではないようです。

玄関部分。左側には出窓付きの三角屋根の張り出し部があります。

庭側から。テラスがあります。

K邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。平屋の小規模な住宅ですが、デザインのしっかりした洋館です。庭木で全体が見えませんが、玄関周りの意匠はレベル高いです。

Y邸。高槻町。昭和初期頃か。今回初確認。見づらいですが、手前側に付属洋館があります。

Y邸の側にある煉瓦塀。現在Y邸と煉瓦塀の間は駐車場となってますが、かつてはここまでが敷地だったのかもしれません。

高槻新温泉。高槻町。現在は廃業していますがレトロな銭湯。

高槻新温泉の煙突。かつては地域のランドマークだったんでしょう。

阪急電鉄の変電所。八丁畷町。戦前の建物だと思います。
次に紹介するのは2019年2月2日に探索した工兵第4連隊の遺構。

工兵第4連隊営門。城内町。明治41年頃。

工兵第4連隊は明治41年に京都から移駐した部隊で、高山右近で知られるかつての高槻城の跡地に駐屯地が造られました。

歩哨舎。工兵第4連隊の跡地は現在、高槻市立第一中学校となっていますが、営門と歩哨舎と境界杭が残されています。

マンションの裏の木造建物。城内町。高槻商工会議所北側にあるマンションは、かつて高槻憲兵分遣隊の敷地でしたが、その裏に戦前と思われる古い平屋の木造建物が残されています。かつての高槻憲兵分遣隊の建物の一部だった可能性を含め、ここに紹介。
ここから再び今回の2021年9月23日探索分。

大阪医科大学看護専門学校校舎。大学町。昭和5年。ヴォーリズ建築事務所設計。
国登録有形文化財。以前から知ってましたが、ちゃんと訪問したのは今回が初めて。

建物の周囲は木々に覆われ撮りづらい。扉は閉まっていて中に入れませんでした。

旧京都帝国大学化学研究所管理棟。 大学町。昭和4年。大阪医科薬科大学内に残された建物。

周囲で工事がされていて、全体の写真が撮れず。この建物はどうなるんでしょうか。
このあと、最近整備された安満遺跡公園へ。

現在安満遺跡公園となっている一角はかつて京都大学大学院の付属農園で、昭和初期の洋風建築が数棟残されていました。それらの建物のいくつかが安満遺跡公園の施設として再活用されています。

京都大学大学院 農学研究科附属農場本館。八丁畷町。昭和5年。大倉三郎設計。
雰囲気のある洋館です。

2017年撮影。本館の前にある植栽は撤去され広々とした感じになりました。

東側から。

2017年撮影。この頃の方がクラシックホテルっぽい感じで雰囲気ありますが、撮影するには今の方が有難いかも。

西側から。

西側の出入り口。何気に好きな箇所。

階段も当時のまま。

1階の一室。現在は無料休憩室。

※翌日夕方撮影。本館2階。広い部屋です。

講堂か何かだったのでしょうか。

2階から階段。

本館踊り場のアーチ窓。

京都大学大学院 農学研究科附属農場別館。昭和6年。
現在は弥生時代の大規模環濠集落だった安満遺跡の展示室。

2017年撮影。大きな木は伐採され見やすくなってます。この時はやや傷みが目立ちました。


京都大学大学院 農学研究科附属農場蔬菜選別室。昭和6年。収穫した野菜をチェックしてたのでしょうか。

2017年撮影。だいぶ古さが目立ちます。

本館裏の建物。昭和6年。現在は貸しスペース。

本館背後のトイレ。最初は新設されたものだと思ってましたが、これも当時のままのようです。
今回は取り壊されるK邸の見納め的な訪問を含めた高槻市の再探索と、過去の探索時の写真を交えた記事にしました。京都大学大学院の附属農場の建物群について、本館は再活用されると思ってましたが、別館含む4棟の建物は壊されると思ってました。それが全て残されたのは英断と思います。2017年までに取り壊された本館向かいの農場研究室他はありましたが、現在もかつての雰囲気が良く残されています。同じ昭和初期の洋館である取り壊し予定のK邸。公園の施設として再活用された京大大学院付属農場の5棟の建物群。近代建築の運命は紙一重だと改めて感じました。

※翌日、仕事終わりに再び安満遺跡公園に向かい、夜景を撮影してきました。
まるで異国の夜の街角にいるかのような抜群の雰囲気でした。