郷土史

2016年09月07日

福知山市・天照玉命神社の氏子札(明治5年発行)

天照玉命神社氏子札モザイク表天照玉命神社氏子札モザイク裏











福知山市今安にある「天照玉命神社」の氏子札です。

明治5年に発行されたもので、表に「丹波國天田郡榎原村父(個人名)次女」「今安天照玉命神社氏子」
「(個人名)」「慶応四戊辰年四月廿四日生」
裏に「(個人名)」「明治五年壬申年三月廿一日」と書かれ、表には天照玉命神社の社印が押されています。

これは、明治4年に明治政府により制定された「氏子調」による札で、太政官布告により江戸時代までの戸籍制度だった寺請制度に代わるもので、それまで寺が行っていたものを神社が代わりに請け負った制度です。
※wikipedia「氏子調」
制度としてはまず戸長に届けてその証書を地区の郷社へ持参し、そこで神社から氏子札を発行してもらい、それが個人の証明書になり同時にその郷社の氏子に登録されました。
氏子札を発行していたのは郷社格の神社のみだったようです。
郷社は今でいう学区単位くらいにあった神社で、府県社以上だと規模が大きすぎ、村社以下だと無住も多く規模が小さすぎるため、郷社が担当したのかもしれません。いわゆる村役場的な役割だったのでしょう。
戸籍制度が寺院の寺請制度から神社の氏子調へと移行した背景には、政府の神道国教化、長年にわたる寺院および仏教界の権力集中の打破等の目的があったようです。
しかし、氏子調はわずか2年後の明治6年に廃止。その後は役場が担当することになりました。

天照玉命神社







※Googleストリートビューより画像引用。
さて、この氏子札を発行した今安地区の天照玉命神社ですが、平安時代の延喜式にも記載されている式内社であり歴史のある神社です。遠目からも鎮守の杜が目立つ神社で地区の人は大人も子供も「今安のてんしょうさん」と親しみを込めて呼んでました。
私も子供の頃、同じ学区内にあり通学路の途中にあったこの神社で下校時はよく同級生と境内で遊んだりしました。天照玉命神社の前は高校卒業まで毎日通過し、本当に身近な神社でした。
そんな馴染み深く思い出深い神社の150年前の歴史資料を手にしたのは一種の感慨深さを感じました。
この氏子札に書かれている人物は私とは全く縁のない方ですし、榎原村も私の実家の村から割と離れた村で私とは直接関わりがあるわけではありませんが、それでも馴染みのある神社の郷土資料を手に出来たのは意義深く、大切に保管し伝えていく責任を負ったことになります。


besan2005 at 20:34|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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