三重県

2022年04月09日

名張市の近代建築探索レポ日記

0.名張駅







伊賀市の近代建築探索の翌日、2日目の探索地は名張市。
※伊賀市の近代建築探索レポ日記
近鉄名張駅からスタートし、市街地へ。

1.常盤湯 上本町 昭和初期







旧常盤湯。名張市上本町。昭和初期。
2.常盤湯







古い商店街(といってもほとんど閉業&住宅地化しつつあるアーケード街)の端にある旧銭湯。

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常盤湯のあるアーケード街。完全なシャッター通りで、元店舗自体も一般住宅へと建て替えられつつあります。残されたのは撤去費用も捻出できず放置されている老朽化したアーケード。地元もですが、各地方都市でよく見る光景です。

3.丁子屋 上本町







丁子屋。名張市上本町。気になった建物。
ここから近くにあるという大正期の古い洋館医院へ。

4.旧中村医院跡 新町 大正12年







すでに失われていました。現在は門柱があるのみ。ここにかつて大正12年築の洋館の医院があったそうですが。残念。
※参照・旧中村医院 ヘリタビ
気を取り直して次へ。

5.川地写真館 新町 大正10年







川地写真館。名張市新町。大正10年。3階建ての大きな建物。
6.川地写真館













元々はもっと華やかな外観だったようです。この地域のランドマーク的存在だったでしょうね。

6.中井家住宅 元町 昭和7年 国登録







中井家住宅。名張市元町。昭和7年。国登録有形文化財。
7.中井家住宅













元は個人医院だった洋館。
8.中井家住宅







9.中井家住宅







旧中村医院が失われた今、名張市では唯一となった貴重な戦前の洋館医院。

10.木屋町の洋館







洋風住宅。名張市木屋町。トイレを借りたローソンを出て歩いているときに見つけた建物。

11.ママン 榊町







ママン。名張市榊町。現在は喫茶店ですが、かつては料理店だったんでしょうか。

12.ちょいまる 中町 大正期







ちょいまる。名張市中町。大正期の建物だそう。外観から元銀行っぽく見えましたが、
13.ちょいまる







実は看板建築でした。商店だったのかな。

14.玉乃湯 榊町 昭和初期







旧玉乃湯。名張市榊町。昭和初期。
15.玉乃湯







洋風の外観の旧銭湯。近年廃業されたそうです。いい建物だけに何か再活用されればいいですが。
名張市の近代建築探索はこれで終了。名張市の近代建築は伊賀市と比べて数が少なくかつ狭い範囲に収まっているので2時間程度で回り切れました。時間があるので名張陣屋藤堂家屋敷へ。

16.名張陣屋太鼓門







旧名張陣屋藤堂家屋敷太鼓門。享保年間の築で、昭和10年に現在地の寿栄神社へ移築。

17.名張陣屋







名張陣屋藤堂家屋敷。元々は名張城という城があった場所に名張藤堂家が陣屋を構えたのが名張陣屋の始まりでした。

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かつては名張小学校・中学校も陣屋の敷地でしたが、明治期にほとんどが取り壊され現在は奥屋敷のみが現存。それでもかつての陣屋建築を忍ばせる建物として貴重です。
18.名張陣屋石垣







名張陣屋の南側に残る石垣。絵図にも描かれている石垣で、大部分が失われた名張陣屋にとって貴重な遺構。

これにて、伊賀市・名張市の近代建築探索は終了。今回も多くの良い建物たちに出会えた旅となりました。

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2022年04月04日

伊賀市の近代建築探索レポ日記

1.茅町駅 上野茅町 大正11年開業







4/2と4/3の1泊2日で三重県の伊賀市と名張市の近代建築探索の旅に出てました。
初日は伊賀市。伊賀鉄道茅町駅からスタート。何故茅町駅かというと、無料のレンタサイクルを借りれるからです。数は少ないですが。なので今回は自転車という機動力でサクサクと探索します。
その茅町駅。開業は大正11年。当時の駅舎か分かりませんが古いのは確か。戦前かと思います。

2.桑町集議所 上野桑町 大正期 







桑町集議所。伊賀市上野桑町。大正期。中々立派な洋館。
3.桑町集議所







伊賀市近辺では公民館ではなく集議所と言うようですね。
4.桑町集議所







内部の様子。

5.旧いとう旅館 上野桑町 明治〜大正期 国登録







旧いとう旅館。伊賀市上野桑町。明治〜大正期。国登録有形文化財。内部には豪華な格天井の大広間があるそうです。

6.菅原邸 上野池町 







S邸。伊賀市上野池町。大きな和風建築の民家。
7.菅原邸







脇には小さく可愛らしい洋館が付属しています。
8.菅原邸







格子窓の装飾。

9.寺町集議所 上野寺町







寺町集議所。伊賀市上野寺町。気になった建物。

10.日本聖公会上野聖ヨハネ教会 上野忍町 昭和12年







日本聖公会上野聖ヨハネ教会。伊賀市上野忍町。昭和12年。
11.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







地元の宮大工さんが建てたそう。中々いい雰囲気の建物。
12.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







玄関の外灯の装飾が可愛い。
14.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







定礎には消えかかってますが「1937」の文字があります。
13.日本聖公会上野聖ヨハネ教会







内部も当時の面影が残されています。礼拝室見てみたかったですね。

15.小林建材店 上野忍町







小林建材店。伊賀市上野忍町。1階外壁が煉瓦という凝りよう。
ここから西方向へ。

16.石原邸 上野忍町







I邸。伊賀市上野忍町。
17.石原邸 上野忍町







奥に和洋折衷な主屋があります。
18.石原邸







門柱と塀が良い感じでした。

19.窪田邸 上野三之西町







K邸。伊賀市上野三之西町。
20.窪田邸







立派な洋館が付属しています。壁面のテラコッタの装飾も素敵。

21.ごんじゃ理容店 上野福居町







ごんじゃ理容室。伊賀市上野福居町。たまたま見かけた建物ですが、その魅惑の佇まいに思わず声がw
22.ごんじゃ理容店







いいですねぇ。玄関横の小さな縦窓もいい。ちゃんと営業中でした。

23.慈恵病院跡 上野福居町







次に大正期の建物である旧慈恵医院に向かったのですが建て替えられてました・・・
確か街角博物館になってたはずじゃ・・・
24.慈恵病院跡







何故か煉瓦の基礎はそのまま使われていました。
引き返す感じで今度は東へ。

25.旧平木自転車店 上野中町 大正11年 国登録







旧平木自転車店。伊賀市上野中町。大正11年。国登録有形文化財。
26.旧平木自転車店







通りのランドマーク的な建物。
27.旧平木自転車店













以前は上野文化センターという施設として使用されていましたが、近年当時の姿に復元してカフェとして利用されています。

30.北泉邸(旧上野警察署)







K邸。伊賀市上野丸之内。明治21年。国登録有形文化財。
29.北泉邸(旧上野警察署)







元々、上野警察署だった建物を昭和13年に現在地に移築。現在は個人宅です。
28.北泉邸(旧上野警察署) 上野丸之内 明治21年 国登録







ずっと見ていたい素敵な建物。
31.北泉邸(旧上野警察署)







しかし、明治の豪勢な洋館が個人宅だなんて贅沢過ぎる。維持は大変でしょうけど羨ましいですね。

31.上野高校明治学舎







次に向かった明治期の建物である上野高校の本館は改修中・・・

32.菅野酒造所 上野車坂町







菅野酒造所。伊賀市上野車坂町。和洋折衷の建物。

33.車坂町集議所 上野車坂町







車坂集議所。伊賀市上野車坂町。気になった建物。昭和初期ですかね。

34.上野農人町集議所 上野農人町







上野農人町集議所。伊賀市上野農人町。奥に木造の洋館建築があり、気になって何とか全体を把握できる場所を探しましたが、完全に建て詰まっていて確認できず。
35.上野農人町集議所







道側には洋風の車庫があります。奥の建物を見たかったなぁ。

36.村治邸 上野鍛冶町







M邸。伊賀市上野鍛冶町。これはいい洋館。
37.村治邸







看板建築ですがすごくいいですね。この建物。雰囲気あります。

38.横田歯科医院 上野魚町







横田歯科医院。伊賀市上野魚町。
39.横田歯科医院







昭和初期頃でしょうか。

40.歌乃ゆ 上野紺屋町







歌乃ゆ。伊賀市上野紺屋町。以前は銭湯でしたが、旧状に戻した上、現在はカラオケルームとして使用されています。

41.洋館付き住宅 上野丸之内







その近くで見つけた建物。和洋折衷ですかね。伊賀市上野丸之内。

42.忍者市駅(旧上野駅) 上野丸之内 大正11年







伊賀鉄道忍者市駅。伊賀市丸之内。大正11年。洋風の可愛らしい洒落た駅舎。
43.忍者市駅







しかし、忍者市駅ってなぁ・・・。元の上野市駅の方がいいと思うけどなぁ。
ちょっと南に戻って。

44.一乃湯 上野西日南町 大正15年 国登録







一乃湯。伊賀市上野西日南町。大正15年。国登録有形文化財。いまも現役の銭湯。
内部も雰囲気抜群なんでしょうね。
次に伊賀上野城の北方向へ。

45.消防団倉庫 小田町







消防団倉庫。伊賀市小田町。
46.消防団倉庫







中々古そうな建物。戦前には違い無さそう。
47.消防団倉庫







鬼瓦の装飾、見たこと無いデザインでした。

48.旧小田小学校本館 小田町 明治14年







旧小田小学校本館。伊賀市小田町。明治14年。これぞ明治の擬洋風建築。
49.旧小田小学校本館







内部は資料館として見学できます。
50.旧小田小学校本館













階段部分。
51.旧小田小学校本館







2階踊り場にはステンドグラスが。
52.旧小田小学校本館







戦前に使われていたピアノが置かれています。なんと弾いていいそう。調律はされてませんが。
53.旧小田小学校本館







バルコニーへ出られる部屋。
54.旧小田小学校本館







ステンドグラスが素敵ですね。
55.旧小田小学校本館







2階窓は上げ下げではなく引き戸でした。
56.旧小田小学校本館







窓からは満開の桜が見れました。

57.上水道水源地送水機関室 小田町 昭和11年 国登録







上水道水源地送水機関室。伊賀市小田町。昭和11年。国登録有形文化財。
58.上水道水源地送水機関室







いわゆるポンプ室ですが、バルコニーを設けたりと凝ってます。
59.上水道水源地送水機関室







戦前の建物ってたとえ機械の施設でもこだわって作ってますよね。

60.伊賀文化振興城 上野丸之内 昭和10年







伊賀文化振興城。伊賀市丸之内。昭和10年。伊賀市のシンボルの復興天守。
61.伊賀文化振興城







伊賀上野城は元々、築城の名手、藤堂高虎が築城し、以後藤堂氏が城主を務めましたが、現在の天守は昭和10年に地元出身の代議士・川崎克が私財を投じて建てたもの。それにしても昔のお金持ちは凄い。
62.伊賀文化振興城







伊賀上野城復興天守は木造で建てられています。
63.伊賀文化振興城







階段部分。城としてはありえないデザインで、いかにも戦前の木造和風建築と言った雰囲気を感じます。
64.伊賀文化振興城







3階部分は折り上げ格天井で、当時の政財界や華族の色紙がはめられています。
伊賀文化振興城は史実に忠実ではない復興天守ですが、今では得難い木材が使われており、近代建築として貴重な建物です。

65.俳聖殿 上野丸之内 昭和17年 伊東忠太 国重文 







俳聖殿。伊賀市丸之内。昭和17年。国指定重要文化財。
松尾芭蕉生誕300年を記念して建てられたもので、設計は伊東忠太。
66.俳聖殿







1階内部には松尾芭蕉の木造が安置されています。
一通り伊賀市内を探索したので、再び茅町駅へ。

67.洋館付き住宅 上野桑町







茅町駅へ向かう途中に見つけた洋館付き住宅。伊賀市上野茅町。
68.洋館付き住宅







未チェックの物件でした。現在は空家。

69.伊賀鉄道跨線橋 上野桑町 大正期







そして伊賀市最後の訪問先。伊賀鉄道跨線橋。伊賀市上野桑町。大正期。
70.伊賀鉄道跨線橋







煉瓦造の立派な跨線橋です。欄干の装飾もいい感じ。

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というわけで、伊賀市の近代建築探索を終え、翌日の探索地の名張市にあるホテルへ投宿。
次回は名張市の近代建築探索レポ日記となります。
※記事作成しました。名張市の近代建築探索レポ日記


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2022年01月16日

松阪市の近代建築探索レポ日記

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2021年12月29日の伊勢市の近代建築探索の翌日30日、宿泊地にしていた松阪市の近代建築探索を行いました。松阪駅の西側市街地一帯を中心に探索。

1.堀内邸 殿町










H邸。松阪市殿町。昭和初期頃かなと思われる洋館。
2.堀内邸










松阪市内でも一番立派な洋館住宅かも。

3.下見板の洋館 新座町










下見板張りの洋館。松阪市殿町。大きな洋館ですが、現在は空家。
殿町を一旦離れ、東方面へ。

4.魚元 白粉町










魚元。松阪市白粉町。

5.新道公会堂 大黒田町










新道公会堂。松阪市大黒田町。
6.新道公会堂










昭和初期くらいですかね。地方の集落でも時々見かけるスタイルの公会堂。

7.梶間邸 大黒田町










K邸。松阪市大黒田町。
8.梶間邸










洋館付き住宅が2棟接するように並んでいます。

8.洋館付き住宅 大黒田町










K邸近くの洋館付き住宅。松阪市大黒田町。
9.洋館付き住宅










この一帯は戦前に区画整理された住宅街だったのかもしれません。
再び殿町へ。

10.稲垣商会 殿町










稲垣商会。松阪市殿町。
11.稲垣商会










元々は個人宅だったのでしょうか。


12.赤壁校舎 殿町 明治41年










松阪工業高校資料館。松阪市殿町。明治41年。

13.赤壁校舎










元は三重県立工業学校製図室。通称・赤壁校舎。

14.御城番屋敷










赤壁校舎のある松坂工業高校の近くには、幕末に紀州藩士が詰めていた重要文化財の御城番屋敷群があります。
15.御城番屋敷










下級武士の住まいなので長屋造りですが、武家屋敷らしくちゃんと式台があります。
御城番屋敷は明治以後も旧藩士がそのまま住み続け、現在は藩士の子孫が現在も住みつつ維持に努めています。
16.御城番屋敷土蔵










御城番屋敷の土蔵。元々は松坂城隠居丸にあった土蔵を明治初期に現在地に移築したもので、松坂城で唯一現存する建物です。

17.洋館付き住宅 殿町










洋館付き住宅。松阪市殿町。御城番屋敷の側にある建物。

18.八千代 殿町 大正から昭和初期










料理旅館八千代。松阪市殿町。大正から昭和初期に建てられた大規模な料理旅館。
19.八千代










背面から八千代大広間。八千代は国登録有形文化財となっています。

20.中井珠算簿記学校 殿町










中井珠算簿記学校。松阪市殿町。
21.中井珠算簿記学校










戦後建築の可能性もありますが、昭和10年代のモダニズム建築で良く見られる雰囲気の建物なので、玄関部分のデザインも考慮してここは戦前の建物としておきます。門柱は確実に戦前。
阪内川を越えて北方面へ。

22.矢野邸 西之庄町










Y邸。松阪市西之庄町。洋館付きの大きな住宅。
23.矢野邸










洋館部分。応接室だったんでしょうね。

24.旧鐘紡綿糸松阪工場 外五曲町 大正12年










旧鐘紡綿糸松阪工場。外五曲町。大正12年。
25.旧鐘紡綿糸松阪工場










現在は松阪市文化財センターの展示施設となっています。

27.松坂城










再び阪内川を渡り、松坂城へ。
28.松坂城










蒲生氏郷が築いた松坂城は城内に建物こそ残されていませんが、縄張はほぼ完全に残され、かつての威容を感じ取ることができます。その城内にある建物。
26.旧飯南郡図書館 殿町 明治45年










松阪市立歴史民俗資料館。松阪市殿町。明治45年。元は飯南郡図書館だった建物。
立派な近代和風建築です。
松阪市は前日探索した伊勢市よりも近代建築の数は少なく感じました。それでも色々な建物に出会えたのは良かったです。ただ、数年前まで存在していた白粉町にあった大正時代の旧松阪水力電気本社の洋館がすでに取り壊されて見ることができなかったのが残念でした。他サイトの写真を見たら、いかにも大正期らしい素敵な洋館だったのに。

ところで・・・・
30.清水歯科










探索中に見かけたこの怪しげな城。最初に見たときは料理旅館か(アレな)ホテルかと思いましたが、気になるので表側に回り込むことに。
31.清水歯科













なんと歯医者さんでした。それでも城郭風の表門と唐破風のあるビル。そして背後の天守閣風の建物で、元々は料理旅館とかの別の建物を再利用したのではと思ってました。
32.清水歯科










現在は廃業され、背後の天守閣風建物は半ば廃墟化してました。で、後程知った事実。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にて紹介されていたようで、それによると、清水歯科の先代の院長さんが戦時中に特攻兵器の人間魚雷「回天」で戦死された長男の供養として建てたもので、「回天山暁ノ城」というそうです。※参照ツイート。
経緯を知るといろんな思いの詰まった建物になるわけですが、すでに廃業され廃墟化が進むこの城、いつまで存在し続けるか分からない状態になってきています。

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2022年01月15日

伊勢市の近代建築探索レポ日記

昨年末(2021年12月29日)に三重県伊勢市を探索してきました。まずは近鉄伊勢駅北側から。

1.山口歯科医院 宮後2丁目










山口歯科医院。伊勢市宮後2丁目。

2.山口歯科医院










中々意匠を凝らした外観をしています。

3.山口歯科医院










建物自体は木造の建物にモルタル外壁で洋風のデザインを造ってますね。
次に東へ向かい河崎地区へ。


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河崎地区は昔ながらの町家の建物が今でも多く残されている街並みです。


4.町家バル煉瓦建物 河崎2丁目










町家バルという町家を再利用した飲食店の敷地に残されている煉瓦建物。

5.町家バル煉瓦建物










古いものではありますが、用途は不明です。


6.竹内邸 河崎2丁目










T邸。伊勢市河崎2丁目。洋館付き住宅。
7.竹内邸










見難いですが洋館部分。

8.洋風卯建の住宅 河崎2丁目










巨大な洋風卯建のある町家。伊勢市河崎2丁目。
9.洋風卯建の住宅










かなりのインパクトです。

14.煉瓦倉庫 河崎2丁目










煉瓦倉庫。伊勢市河崎2丁目。

15.煉瓦倉庫










かつての工場か何かの煉瓦倉庫で大正くらいでしょうか。河崎地区を後にし南へ。

10.伊藤邸 吹上2丁目 大正〜昭和初期










I邸。伊勢市吹上2丁目。大正から昭和初期。伊勢市でも屈指の洋館。
11.伊藤邸










別角度から。
12.伊藤邸










左側の洋館。ドイツ風?でいいのかな?
13.伊藤邸










良い建物でした。次に伊勢神宮外宮方面へ。

16.山田館 本町 昭和2年










山田館。伊勢市本町。昭和2年。
17.山田館










外宮参道線に面する大型の近代和風建築。
18.山田館










玄関の唐破風部分。

19.旧山田郵便局電話分室 本町 大正12年










旧山田郵便局電話分室。伊勢市本町。大正12年。
20.旧山田郵便局電話分室










山田守の設計。スパニッシュ風のオシャレな外観。
21.旧山田郵便局電話分室










中庭部分。現在はレストランになってます。
外宮から西方面へ。

22.大豊和紙工業 大世古1丁目










大豊和紙工業。伊勢市大世古1丁目。
23.大豊和紙工業










古い木造の工場建築が残されています。
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工場入口にある石碑。伊勢神宮に和紙を納入していた工場のようです。

24.神都製紙事務所 大世古










神都製紙有限会社事務所。伊勢市大世古1丁目。近代和風建築の建物。

25.田中病院事務所 曽祢










田中病院事務所。伊勢市曽祢。元個人宅だったと思われる洋館付き住宅。

26.五月園 曽祢










五月園。伊勢市曽祢。

27.工場事務所か 曽祢










曽祢地区にあった気になる建物。工場の事務所建築でしょうか。

28.ゴブリ文具店 曽祢










ゴブリ文具店。伊勢市曽祢。
29.ゴブリ文具店










2階部分は改装されていますが、1階部分は当時の面影が残されています。
再び伊勢市駅方面へ。

30.伊勢市駅跨線橋 吹上










JR伊勢市駅の跨線橋。
31.伊勢市駅跨線橋













跨線橋の柱が戦前の物と思われる鋳鉄柱でした。
32.伊勢市駅跨線橋










同じ伊勢市駅にあるもう一つの戦前と思われる跨線橋。
次に東に向かい宇治山田方面へ。

33.宇治山田駅 岩淵 昭和5年 久野節










近鉄宇治山田駅。伊勢市岩淵。昭和5年。設計・久野節
34.宇治山田駅










伊勢神宮の参宮駅として建てられた大きな駅舎。伊勢市を代表する近代建築。
35.宇治山田駅










宇治山田駅内部のホール。当時の雰囲気が良く残されています。
36.宇治山田駅










この日も賑わってましたが、開業当時も多くの人で賑わってたことでしょう。
戦時中、宇治山田駅周辺は激しい空襲に晒されました。
このまま内宮方面へ。
37.神都印刷株式会社 岩淵










神都印刷株式会社。伊勢市岩淵。看板建築ですかねぇ。外宮近辺で見た神都製紙の関連会社かな。

37.神宮徴古館 神田久志本 明治42年 片山東熊


 







神宮徴古館。伊勢市神田久志本町。明治42年。伊勢市を代表する近代建築。
38.神宮徴古館










設計は赤坂離宮や京都国立博物館旧本館や東京国立博物館表慶館、奈良国立博物館旧本館を手掛けた片山東熊。いかにも片山東熊らしい宮廷建築です。
39.神宮徴古館










神宮徴古館は伊勢神宮の宝物等を展示する博物館として建てられました。
40.神宮徴古館










神宮徴古館正面玄関。かつては中央部分にドームがありましたが空襲で焼失しました。

47.神宮農業館 神田久志本 明治38年 片山東熊










神宮農業館。伊勢市神田久志本町。明治38年。こちらも片山東熊の設計。
47.神宮農業館 神田久志本 明治38年 片山東熊










神宮農業館は片山東熊作品では珍しい木造建築。
48.神宮農業館










神宮農業館は神宮と農産に関わる展示をしている博物館です。
次に皇學館大学の敷地へ。
41.神宮文庫 神田久志本 大正14年










神宮文庫。伊勢市神田久志本町。大正14年。
42.神宮文庫










神宮文庫は伊勢神宮が所蔵する図書を扱う図書館。
43.神宮文庫










洋風の外観に和風の千鳥破風を設けた和洋折衷の建物です。

44.皇学館大学記念館 神田久志本 大正8年










皇學館大学記念館。伊勢市神田久志本町。大正8年。
45.皇学館大学記念館










現在の皇學館大学の前身である神宮皇學館の本館だった建物。
46.皇学館大学記念館










全体的に近代和風建築の建物ですが、一部洋風の意匠が見れます。
いよいよ伊勢神宮内宮方面へ。

49.神宮道場 宇治浦田町 明治35年 伊東忠太 










神宮道場。伊勢市宇治浦田町。明治35年。伊東忠太の設計で旧神宮司庁。門は閉じてて見れず。

50.灯りの家 宇治中之切町










灯りの家。伊勢市宇治中之切町。
51.灯りの家










昭和初期頃の元郵便局とかだったのでしょうか。棟瓦に〒マークがあります。現在は雑貨屋さん。
52.灯りの家










2階部分の屋根にある持ち送り。これ、私の実家にある持ち送りと同じもの。
実家の持ち送り2







実家の持ち送り。
実家の持ち送り







昭和初期頃に全国的に流行った「文化持ち送り」というものだそう。

53.ゑびや商店 宇治中之切町










ゑびのや商店。伊勢市中之切町。外観の装飾が豊かな看板建築。
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おかげ横丁はすごい人でした。赤福本店なんて2時間待ち・・・
54.伊勢神宮










もちろん伊勢神宮内宮へも参拝。29日でも人が多かったです。大晦日や元旦はどうなっていたんだろう。
宇治山田駅ホーム










内宮参拝後、再び宇治山田駅へ。ここから翌日の探索地、松阪市へと向かい一泊。
次回は松阪市の近代建築探索のレポ日記となります。伊勢市には湾岸地域の大湊町にも多くの洋館が残されているようで、今年中に探索したいと思ってます。
※翌日探索した松阪市の近代建築探索レポ日記を執筆しました。



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2021年10月09日

桑名市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月21日の探索分の記事です。
桑名市の近代建築と言えばジョサイア・コンドル設計の六華苑が有名ですが、それ以外にもいくつかの近代建築が残されていました。
まずは桑名駅から南下。

1松岡産業資料館 安永 昭和初期










松岡産業。安永。昭和初期頃。
2松岡産業資料館










昭和戦前期らしい中々雰囲気ある建物。ただ、この時はもう使われていなかった感じ。
資料館として使用されていたという話もありますが、不明。
3松岡産業資料館










2021年10月現在、この記事を書くためストビューで確認したら消滅していました。

4松岡邸 安永 洋館付き住宅










M邸。安永。松岡産業の隣にある住宅。
5松岡邸










洋館付き住宅です。

6松岡産業資料館近くの洋館 安永










松岡産業の近くにある洋風住宅。安永。ハーフチンバーの外観。昭和初期でしょうか。

7武藤外科医院 安永 昭和初期










武藤外科医院。安永。昭和初期。木造の割と大きな洋館。
外科医院だから病室もあったのでしょう。

9煉瓦造の三昧










武藤外科医院の近くの墓地にある煉瓦造の火葬場。和泉。
8煉瓦造の三昧 和泉













戦前の物であることは間違いないと思います。墓地内に造られた簡易火葬場は地域によっては「三昧」と呼ばれることも。煉瓦造だし中々良いデザインですが、火葬場という性質上、何となく近づきがたい雰囲気がw 桑名市にはもう一ヵ所墓地内の煉瓦造の火葬場を確認しています。
ここから北上。

10石取会館(旧四日市銀行桑名支店) 京町 大正14年










石取会館。京町。大正14年。旧四日市銀行桑名支店。国登録有形文化財。

11石取会館










現在は展示施設になっています。

12坂本木型木工事務所 京町










坂本木型木工事務所。京町。
13坂本木型木工










昭和初期頃でしょうか。壁面の装飾は社章ですかね。
14鍵助商店煉瓦倉庫 三之丸










鍵助商店煉瓦倉庫。三之丸。明治〜大正?
15鍵助商店煉瓦倉庫










探索していて突然目についた大きな煉瓦建物に驚き。
16鍵助商店煉瓦倉庫










拡大。諸戸邸の煉瓦倉庫並みの規模があります。当初から鍵助商店の建物だったのでしょうか。

17楽翁公百年祭記念宝物館 吉之丸 昭和9年













楽翁公百年祭記念宝物館。吉之丸。昭和9年。楽翁公は寛政の改革で知られる松平定信のこと。
老中引退後に息子の定永が桑名藩主となり、それに伴い、定信の藩士たちが桑名藩へ移封した縁で
顕彰の意味で建てられたもの。国登録有形文化財。

18楽翁公百年祭記念宝物館










鉄筋コンクリート造ですが、全体的に和風のデザインですね。
19楽翁公百年祭記念宝物館










玄関部分の照明の装飾。

20六華苑洋館 ジョサイアコンドル 大正2年










六華苑(旧諸戸清六邸)。桑名。大正2年。桑名市を代表する近代建築。ジョサイア・コンドル設計。国指定重要文化財。
21六華苑洋館










説明不要の名建築ですね。六華苑は初代諸戸清六の4男が自邸として諸戸邸に隣接して建てたもの。
22六華苑洋館










玄関ホール。

23六華苑洋館










1階食堂。
24六華苑洋館










2階階段。
25六華苑洋館










2階書斎。
26六華苑洋館










2階サンルーム。
27六華苑洋館










何度見ても素晴らしい建物。
次紹介するのは六華苑の南にある諸戸邸。初代諸戸清六の邸宅だったお屋敷。
実は諸戸邸の方は長期にわたる解体修復・整備事業で庭園を除き見学不可。あと、解体修復のために現在はその姿を見られなくなってます。
今回は業務で入った際に見せてもらったかつての姿と現在非公開の部分を紹介。

28諸戸邸主屋










諸戸邸主屋。解体修理前の2009年の撮影。明治22年築。
諸戸邸主屋










かつて諸戸家の主屋としてだけでなく、事務所としても使われていた建物。重要文化財。
諸戸邸主屋仏間天井










諸戸邸主屋の仏間の天井。一番格式のある部屋として使用されたようで、装飾を描き、漆塗りに仕上げた豪華な折上格天井。立ち合い時に撮影。
諸戸邸主屋客間










諸戸邸主屋の客間。付書院のある書院造の部屋。

32諸戸邸洋館







諸戸邸洋館。解体修理により蘇った洋館。明治24年築。
33諸戸邸洋館











34諸戸邸洋館










修理前の洋館の姿。黄色は当初の色だそうです。隣接する御殿と合わせて建てられました。御殿の方は写真が見当たらず。

31諸戸邸撞球場







撞球場。明治23年。解体修理後の撮影。
35諸戸邸洋室










諸戸邸主屋付属洋室。
36諸戸邸洋室










明治後期か大正期に増築されたもの。
37諸戸邸洋室内部










38諸戸邸洋室内部










39諸戸邸洋室内部










40諸戸邸洋室内部










内部の様子。
41諸戸邸洋室内部










天井。
42諸戸邸洋室内部










暖炉。この洋室の建物は現在解体修理中で見られません。
29諸戸邸煉瓦蔵










煉瓦蔵。明治28年。諸戸邸は現在長期修理・整備中で、全ての修復が終わるのはだいぶ先になるようですが、完成したらかつての豪奢なお屋敷の姿が見れることでしょう。
最後に偶然見つけた物件。


43大正天皇御銀婚式記念 東方 かつては火の見櫓あり










旭日の文様と「御銀婚式記念」の文字が彫られたコンクリートの建物。

46大正天皇御銀婚式記念










これは大正天皇の銀婚式を記念して建てられたもののようです。
45大正天皇御銀婚式記念










44大正天皇御銀婚式記念










かつては火の見櫓があったようです。
47大正天皇御銀婚式記念










内部は特に何もありませんでした。倉庫に使用されてたんでしょうか。

以上で桑名市の近代建築探索は終了。
実は他にもあるのですが、今回は時間の都合上行くことが出来ず。
特に諸戸家の3つ目の邸宅、諸戸徳成邸が保存運動もむなしく取得の予算等で折り合いが付かず、見ることが叶わず取り壊されたのは残念でした。


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2021年10月02日

津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

3年前の津市の近代建築探索レポ日記に続いて、その翌日に訪れた一身田町の近代建築探索レポ日記です。
まずは一身田駅に到着。

0一身田駅舎 大正12年










一身田駅。大正12年。レトロな木造駅舎。だいぶ少なくなりましたね。

0一身田駅舎










ホーム側から。

1旧落合運送 一身田 昭和12年










旧落合運送。昭和12年。
2旧落合運送










日通の社屋だったとも。現在はカフェとして使用され、室内も当時の姿が保たれているようですが、朝方に到着したので開店前でした。
まずは本山専修寺へ。
一身田町は浄土真宗高田派の本山・専修寺を中心とした寺内町で、鎌倉時代に専修寺が建立されて以来、室町時代には栄えはじめ、戦国期の兵火により焼失したものの、江戸時代の再建以後、専修寺と一身田町は栄えていきました。現在も寺内町としての雰囲気が良く残されています。

5専修寺山門










専修寺山門。宝永元年(1704)再建。重要文化財。

8専修寺唐門










専修寺唐門。天保15年(1844)再建。重要文化財。

6専修寺御影堂










専修寺御影堂。延宝7年(1679)再建。国宝。

7専修寺如来堂










専修寺如来堂。延享5年(1748)再建。国宝。

専修寺茶所










専修寺茶所。宝暦10年(1740)築。参拝者の接待所。重要文化財。

専修寺鐘楼










専修寺鐘楼。正徳3年(1713)再建。重要文化財。
9専修寺太鼓門










専修寺太鼓門。三層櫓は文久元年(1861)の築。重要文化財。

10専修寺太鼓門










まるでお城の櫓ですね。さて、この専修寺の境内に近代建築があります。
3旧一身田役場 大正4年










高田婦人会館。大正4年。旧一身田役場だった建物。

4旧一身田役場










玄関部分。

無題








この専修寺の境内の奥、賜春館に隣接して煉瓦造らしき洋館があるのをGoogleMapで見つけ、現地で何とか写真に収めたいと奮闘しましたが、どうしてもうまく撮影できませんでした。目視では確認は出来ましたが。専修寺の公式HPの境内図にも何故か描かれず、近代建築のどのサイトも載っていない謎の洋館です。
専修寺を後にし、再び一身田の街へ。

11和洋折衷商店










1階が洋風の商店建築。

12和洋折衷住宅










こちらは何となく洋風に改装されている町屋建築。

13荒木邸 










A邸。平屋の洋風住宅。昭和初期頃。
15荒木邸










反対側から
14荒木邸










拡大。いい雰囲気ですね。

16洋館付き住宅










洋館付き住宅。
17洋館付き住宅













洋館部分。玄関部分も装飾がされ凝ってます。

18一身田郵便局 昭和初期か










何の変哲もない建物。
19一身田郵便局










壁に説明板がありました。それによると元一身田郵便局だったようで、よく見ると軒周りに装飾が残されていますね。

20洋館付き住宅










洋館付き住宅。
21洋館付き住宅










洋館部分の拡大。こちらは和風の要素も入ってますね。

黒門跡










さて、一身田にはかつて遊郭がありました。専修寺の参拝客相手に設立したもので、明治初期には200もの数があったようです。恐らく「精進落とし」として利用したんだと思いますが、寺内町の中に俗世の遊郭があったとは何ともw 写真は黒門跡。

22一身田遊郭














23一身田遊郭










遊郭のあった場所には当時の物と思われる建物がいくつか残されています。
24一身田遊郭













洋風の意匠のある卯建。

一身田の探索はこれで終了。寺内町として知られている町ですが、近代建築も割と残されていました。

おまけ。
25猫の親子










一身田で出会った猫の親子。
26子猫










佇む子猫さん。あれから3年。大きくなっていることでしょう。
おしまい。


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津市の近代建築探索レポ日記

3年前の2018年10月27日に探索した津市の近代建築探索レポ日記です。
3年経ってしまいましたが、ようやく記事にしようと思い立ちました。
ちなみに、同じ津市にある久居駐屯地内の歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津衛戍病院の探索レポ日記は過去の記事に書いています。

※歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。

日本一短い駅名である津駅を降り、ここからスタート。

1大橋邸 広明町










O邸。広明町。

3大橋邸










残念ながら工事中で工事用シートに覆われてました。大正〜昭和初期頃でしょうか。

3昭和初期頃の洋館 広明町










近くにある洋館住宅。昭和初期頃。
4昭和初期頃の洋館










中々洒落た洋館です。
津新町まで向かい、そこから東へ。

5アドカフェ 南丸ノ内町










アド・カフェ。南丸之内町。
6アドカフェ










昭和初期頃でしょうか。入ってみたかったけどまだ開店前でした。

8廃墟の洋館付き住宅 南丸ノ内町










洋館付き住宅。南丸之内町。完全に廃墟化してました。

9アトリエンセン 南丸ノ内町










アトリエシンセン。南丸之内町。戦後かもしれませんが、近代建築のサイトで紹介されていたので。
昭和橋を渡り南へ。

10旧安濃津監獄正門 修成町 大正5年










旧安濃津監獄正門。修成町。大正5年。三重刑務所の前に保存されている建物です。
さらに南へ。

11旧今中歯科医院 岩田 










旧今中歯科医院。岩田町。和館の前に洋館が造られた歯科医院。
12旧今中医院










昭和10年代頃でしょうか。自信はありませんが。

13チョコホリック 岩田










チョコホリック。岩田町。だいぶ改装されてますが、腰回りとかに古さを感じます。
南東方向へ。

14日本基督教団阿漕教会 下弁才町津興 大正元年










日本基督教団阿漕教会。下弁才町津興。大正元年。白亜の美しい教会。

15旧伊藤医院 柳山津興 昭和16年










旧伊藤医院。柳山津興。昭和16年。
16旧伊藤医院










いかにも戦前の個人病院と言った佇まい。
17旧伊藤医院










良い雰囲気です。さらに北上。

18伊藤邸 船頭町津興










I邸。船頭町津興。昭和初期か。
19伊藤邸










偶然見かけた洋館付き住宅。ここから津城方面へ。

33津城巽櫓










津城丑寅櫓。その向かいに。

21土屋邸 丸之内










T邸。丸之内町。昭和初期頃か。

22土屋邸










下見板張りの雰囲気ある洋館。ここから近代建築が並ぶ大門町へ。

23洋館付き住宅 東丸之内










向かう途中で見かけた洋館付き住宅。東丸之内町。

24BARBAR横山 大門













BARBAR横山。大門町。軒周りの装飾、玄関周りなどレトロ感満載ですが、今は使用されてなさそう。

25旧四日市銀行津支店 大門 大正11年













旧四日市銀行津支店。大門町。大正11年。以前から知られている建物ですが、
この時はアーケードの撤去後でとても見やすくなってました。現在はオーデン大門ビルとして使用されています。国登録有形文化財。

26百五銀行大門町支店 大門 大正13年










百五銀行大門支店。大門町。大正13年。玄関部分のみ保存されています。

27旧大門百貨店 大門 昭和11年










旧大門百貨店。大門町。昭和11年。訪問した時は取り壊しの最中でした。

28旧大門百貨店










ただし解体工事が始まったばかりのようで、まだ建物は残されていました。ギリギリ間に合いました。

29旧大門百貨店













側面。1階はすでに解体が始まってます。

30旧大門百貨店










窓から見える壁面のタイル。大門百貨店は開業当初は売り場の他に企業の事務室や大食堂がありました。戦後、松菱百貨店となりましたが、松菱百貨店の移転後はパチンコ店や風俗店が同居する場末の雑居ビルとなってしまったそうです。末期は1階部分のみパチンコ店が営業する状態だったとか。もう消えゆく運命だったんでしょうね。
大門町を後にし、安濃川方面へ。

32松田邸










M邸。北丸之内町。洋館住宅。ここが最後の探訪先となりました。
で、その近くで見つけたもの。
電気通信省境界杭













「電気通信省用地」と刻まれた境界杭。電気通信省という聞きなれない官庁に調べてみたところ、戦前の逓信省が戦後に分離され、郵政省とともに設立した省庁であり、昭和27年に日本電信電話公社(現NTT)へと移行し廃止されたわずか3年間のみ存在した省庁のレアな境界杭と分かりました。

津市は今回の探索と久居駐屯地の探索、そして寺内町である一身田の探索も行いました。
津市・一身田町の近代建築探索レポ日記

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2021年09月26日

四日市市の近代建築探索レポ日記

2018年12月8日に探索した際のレポ日記です。記事を書こうと思いつつ3年余り経ってしまいましたが、いい加減記事にしようと思い執筆することにしました。
四日市市の近代建築探索は冨田浜駅からスタート。北方面に向かった後、南下して四日市市の中心部へと向かいました。今回はイオンモール四日市近くの旧東洋紡の煉瓦倉庫は時間の都合上スルー。

1アミカン本社屋










アミカン本社屋。昭和初期。富田浜元町。最初の訪問建物。国登録有形文化財。
2アミカン本社屋










スクラッチタイルの中々立派なビル。
3アミカン本社屋










塔屋部分の窓のデザインが良い感じ。

4アミカン戦前倉庫










アミカン敷地内のRC倉庫。
5アミカン戦前倉庫










こちらも戦前建築ですね。

6アミカン第三工場社屋










アミカン第三工場社屋。南富田町。昭和初期か。平屋の洋館が残されています。傷みが目立ちます。
7アミカン第三工場門衛所










門衛所。同時期の建築でしょうか。
ここから南下。


8戦前のRC住宅










海岸沿いを歩いていると、大規模な古いRC建築を発見。富田浜元町。
9戦前のRC住宅










一目見て、戦前の建物と分かりました。
10戦前のRC住宅










背面から。
11戦前のRC住宅










丸窓も見えます。
12戦前のRC住宅










建物は軒の水平ラインを強調したデザイン。インターナショナルスタイルという感じでしょうか。
同潤会青山アパートもそんな感じだっけ。
13戦前のRC住宅










正面玄関。
14戦前のRC住宅










内部をちょっと覗いてみました。これだけでは分からないですが、建物内は昔の面影を残していそうです。今回の探索で偶然見つけた建物で、他サイトでも一切取り上げられていない物件。航空写真で見たら相当大規模な邸宅ですが、いくら調べてもこの建物の素性は分かりませんでした。しかし、戦前のインターナショナルスタイルの邸宅としては一級の建築だと思ってます。今回最大の成果。
さらに南下。
15冨田浜病院の煉瓦塀










富田浜病院の煉瓦塀。
16冨田浜病院の煉瓦塀










古そうなアーチの煉瓦塀がありました。何の説明板も無かったですが、大正4年開業という富田浜病院に使われていた煉瓦塀かも。
17冨田浜の洋館










富田浜駅前の洋館住宅。昭和初期頃でしょうか。
18冨田浜の洋館










この写真を撮っているとき、オッサンに絡まれる事態に。
とりあえず穏便に済ませたけど、正直貼り倒したいくらいムカついた。
気を取り直して南下。

19冨田浜の洋館付き豪邸










富田浜の洋館付き大規模住宅。植栽で良く見えませんが、立派な洋館が見えます。
富田浜は現在は埋め立てられていますが、かつては海水浴場として知られ、戦前から別荘地として発展しました。その名残の洋館が残されています。
さらに南下。
20渡部邸 羽津甲










W邸。羽津甲。昭和初期か。羽津甲地区も戦前に区画整理された分譲地でした。
21渡部邸










立派な洋館付きの住宅です。
22渡部邸ステンドグラス











23渡部邸ステンドグラス










W邸のステンドグラス。個人宅でこれだけのステンドグラスを使用しているということは、相当財力のある家主だったんでしょう。
24木村邸 羽津甲










K邸。羽津甲。昭和初期か。W邸の向かいにある洋館。
25木村邸










背面。広い庭ですね。

26洋館付き住宅 羽津甲










気になった建物。新しいかも。羽津甲には他にも洋館付き住宅があることが分かりましたが、この時は気づかなかったのが残念。
ここから四日市市街地へと向かいます。
27早川邸 富士町










H邸。富士町。洋館付き住宅ですが、もしかしたら戦後かも。
28浅野屋










浅野屋。気になった建物。場所失念。

29大正館洋館 西新地













大正館洋館。西新地。大正期か。大正時代創業の料亭旅館。玄関脇にタイル張りの洋館があります。
30大正館













洋館部分。引きが取れないから部分的にしか撮影できない。

31旧四日市市立図書館 諏訪栄町 昭和4年










旧四日市市立図書館。諏訪栄町。昭和4年。国登録有形文化財。大正館の向かいの諏訪公園にある建物。昭和天皇御大典記念で建てられた図書館。
32旧四日市市立図書館










現在は市の施設として使用されています。
33旧四日市市立図書館










本をかたどったレリーフ。皇紀である2588の文字があります。
34旧四日市市立図書館










可愛らしいウサギの餅つきのレリーフ。
続いて四日市港方面へ。

35熊沢ビル 末広町 大正3年










旧熊沢ビル。末広町。大正3年。
36熊沢ビル










築100年以上となる古いビルです。
37熊沢ビル










バットレスと柱頭飾りが大正らしさを出してますね。現在も別企業の事務所ビルとして使用。
ここから一気に西へ。

38旧四郷村役場 西日野町 大正10年










旧四郷村役場。西日野町。大正10年。現在は郷土資料館として利用されています。
39旧四郷村役場










塔屋がシンボリックな立派な洋館です。
45旧四郷村役場













階段。アールデコ調ですかね。
41旧四郷村役場










踊り場のアーチ窓。
42旧四郷村役場










2階講堂。アールデコ調の天井の装飾が素晴らしい。郷土資料館という利用とはいえ、1階も2階も民俗資料とかが乱雑に置かれているのがちょっと…。もう少し建物を生かした展示にして欲しいですが。
43旧四郷村役場













塔屋へと上がる螺旋階段。
44旧四郷村役場










塔屋最上階。見晴らしは抜群。何の部屋だったか忘れました。
さらに西へ。

46ザ白梅クラシックガーデン 室山町










ザ白梅クラシックガーデン。室山町。醸造会社だったようです。

48亀山製糸室山工場










亀山製糸室山工場。室山町。明治36年。
47亀山製糸室山工場 室山町 明治38年










明治後期の装飾に富んだ木造の工場棟が残されています。
49亀山製糸室山工場










玄関部分の破風。所々に和風の要素があります。
亀山製糸室山工場










軒周りの凝った装飾とか工場の建物とは思えない豪華さ。
亀山製糸室山工場













工場棟というより学校か役場のような建物。
50亀山製糸室山工場










明治期の近代建築として、建物のレベル・規模ともに一級の建物ですが、現状はかなりの破損が…
51亀山製糸室山工場










裏側から。間違いなく文化財クラスの建物ですが、このままでは崩壊もしくは取り壊されるのを待つばかり。失われるには惜しい建物。何とかしてもらいたいものですが…。

以上で四日市市の近代建築探索を終えましたが、旧東洋紡の煉瓦倉庫を始め、訪問できてない建物がまだいくつかあり、それらは次の機会とします。

おまけ。
三毛猫駅長3







富田浜駅で出会った三毛猫さん。駅に住み着いているようですが、とても人懐っこい子でした。
三毛猫駅長1







膝にまで乗ってきたwしばし探索を中断し、遊んでました。
54三毛猫










あれから3年余り経ったけど、元気にしているかなぁ。

おわり。


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2020年05月17日

歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院遺構探索レポ日記。

津連隊配置図







三重県津市久居にあった陸軍歩兵第三十三連隊・第三十旅団司令部・津陸軍病院の現存建物群を陸上自衛隊久居駐屯地の一般公開に合わせて見学してきました。
久居の新兵営にはまず明治41年に歩兵第五十一連隊が駐屯し、大正14年に歩兵第三十三連隊が移駐してきました。この辺りに関してはいつもお世話になっている盡忠報國様のブログが詳しいので、そちらを参照してください。
陸上自衛隊久居駐屯地はかつての歩兵第三十三連隊・歩兵第三十旅団司令部・津陸軍病院の敷地をそのまま使用し、現在も多くの当時の建物が残されています。
3連隊本部










旧連隊本部庁舎。
1連隊本部










西側の妻部には陸軍の星章が今もあります。
6連隊本部東側










反対側。こちらはシンプルですね。
4連隊本部玄関










入口部分。こちらは改装されている気がします。
7連隊本部内部2










玄関から内部。
7連隊本部内部










妻側から内部。当時の姿がほぼ残されています。
8大隊本部










大隊本部と言われている建物。連隊本部庁舎と同じようなデザイン。
9大隊本部東面










反対側。
10厠










連隊本部と大隊本部と言われる建物の間にある厠。
11厠










現在も便所として使用されているようです。この日は表側に行けませんでした。
13将校集会所










将校集会所。大正10年築。さすがに将校集会所の建物は他の兵舎と違い華やかさがあります。
14将校集会所










将校集会所の正面。都城市の歩兵第六十四連隊の将校集会所とよく似ています。
15将校集会所背面










将校集会所背面。
16将校集会所背面










反対側から。背面はシンプルです。
17将校集会所入口













将校集会所入口。この日は音楽隊が練習をしており、居なくなった頃合いを見計らって撮影しました。
17将校集会所付属屋










将校集会所の付属屋。
18歩哨舎










移設された歩哨舎。コンクリート造です。
21木造建物










用途不明の木造建物。当時の物であることは間違いなく、陸軍の星章入りの鬼瓦が今も乗っています。
22弾薬庫










遠くに見える防爆壁の土塁に囲まれた弾薬庫。これも旧軍時代の弾薬庫をそのまま使用しています。
23自転車置場










気になった自転車置き場の小屋。
24自転車置場










小屋組みに使用されている木材に不自然なホゾとかあったり、材も古そうに見えました。
もしかしたら旧軍時代の解体された建物の部材を再利用しているのではと思い撮影しました。
19第三十旅団司令部










歩兵第三十旅団司令部庁舎。明治41年に開設されました。
20第三十旅団司令部解説板










解説板。
20第三十旅団司令部入口













歩兵第三十旅団司令部玄関。旅団司令部の庁舎は多くが画一化されており、正面にペディメント(三角破風)を掲げ、左右とも三間の翼部を延ばすデザインです。多くが連隊本部より小規模です。
25娯楽室










歩兵第三十三連隊の東側には津陸軍病院がありました。現在もいくつかの建物が残されています。この建物は娯楽室だった「愛国寮」。昭和10年に建てられたもので、名前から恐らく愛国婦人会の寄付で建てられたものと思われます。
※参考・古絵葉書・名古屋陸軍病院 豊橋陸軍病院愛国寮竣工記念絵葉書
27隔離病棟










左奥に見えるのは隔離病棟。結核患者を収容していたそうです。左奥には付属屋があるようです。
28食堂・浴室










食堂(右側)と浴室(左側)。
29食堂・浴室










背面。浴室はともかく食堂が倉庫みたいな煉瓦造なのが不思議です。
30井戸










歩兵第三十三連隊の西側、久居駅に面した場所にかつて歩兵砲・通信隊の兵舎がありました。現存していた兵舎の中でも2階建ての最大規模の物でしたが、惜しくも訪問時の1年前に取り壊し…。跡地は駐車場となっていました。しかし、当時の物らしき井戸が残されていました。
31ポンプ










井戸の上にあるポンプ。当時の物かは分かりませんが古そうなのは確かです。
砲兵隊・通信班の兵舎を見ることができなかったのは残念ですが、かつての姿は盡忠報國様のブログにて見ることができます。
IMG_2811










IMG_2787










この日は演習場で訓練展示が行われました。これを見るのも目的の一つ。まぁコンデジではこれが精一杯でしたが・・・
IMG_2930










あと、新装備である16式機動戦闘車を見たかったというのもありますw


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2019年11月19日

鈴鹿海軍工廠関分工場遺構探索レポ日記(地下工場編)

鈴鹿海軍工廠関分工場遺構配置図2












先日探索した鈴鹿海軍工廠関分工場の地下工場編です。
関分工場は空襲の激しくなりつつあった昭和20年1月に鈴鹿海軍工廠の工場機能のいくつかを5か所に疎開させることに決定。そのうちの1つが三重県亀山市関の関分工場です。
関分工場は観音山に掘られた地下壕に工場機能を移した地下工場で、地下壕を構築した鈴鹿海軍工廠の疎開工場は関分工場と高山分工場でした。
※鈴鹿海軍工廠遺構群探索レポ日記
※鈴鹿海軍工廠高山地下工場・地下壕探索レポ日記
前回は関分工場の遺構のうち、地上部分に残る遺構群の探索レポ日記を紹介しましたが、
※鈴鹿海軍工廠関分工場遺構群探索レポ日記(地上遺構編)
今回は有名な地下工場の地下壕群のレポ日記です。
なお、今回の探索にあたっていつもお世話になっている藎忠報國様(ブログ・大日本者神國也)からの情報と提供された資料を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
関分工場地下壕配置図











鈴鹿海軍工廠関分工場地下壕配置図。今回私が確認した地下壕です。藎忠報國様の資料やほかの方のレポを見ると確認できてない地下壕もあり、特に西側の谷へと抜けている反対側の入り口はほぼ確認できず。草ボーボーでしたからねぇ。あと、各地下壕は横穴で繋がっているようですが、入って確認したわけじゃないので(入口から確認できたものもあり)今回は明記していません。
40地下壕群遠景










地下壕群は観音山テニスコートの北の道路から東へ進んだ交差点の北へ延びる道の両側にあります。
41地下壕1










地下壕 J頂燭気譴晋園の裏にある地下壕。入口はコンクリートで固められています。公園自体がフェンスで囲まれてしまっているため入口にすら近寄れず。
42地下壕2入口










地下壕入口。
43地下壕2内部










地下壕内部。地下壕自体は厳重に封鎖されているので中には入れませんが、入り口から内部の様子は伺えます。この時のために用意した3500ルーメンのライトが役に立つww
地下壕△呂靴辰りしたコンクリート造で崩落もなし。恐らく地下壕,汎韻犬最初期に造られた壕だと思います。
44地下壕3入口










地下壕F口。ここから入口部分が素掘りに・・・
45地下壕3内部










内部は手前側の腰部のみコンクリートが残されています。奥は素掘りです。コンクリートの瓦礫が見当たらないので奥は最初から素掘りだったのかもしれません。支保工無しとは危険すぎる…
46地下壕4入口










地下壕て口。地下壕0聞漾入り口は全て素掘りです。
47地下壕4内部










地下壕て睇堯こちらは奥の方は天井までコンクリートが残されていますが、手前側は腰部しかありません。崩落してしまったようです。
48地下壕5入口










地下壕テ口。
49地下壕5内部1










地下壕テ睇堯手前の鉄柵扉のせいで光が奥まで届かない…。コンクリートは巻いてたようですが崩落しています。それにしてもコンクリートが薄い。物資不足の戦争末期とはいえこんなお粗末なコンクリート巻きではアーチにしても持たないでしょう。コンクリートの質も悪かっただろうしそりゃ崩落しますわ。内部に入ってのレポをされているサイトを見たことありますが、危険極まりない行為かと。
51地下壕6入口










地下壕ζ口。やや斜めになっている入口です。
52地下壕6内部










地下壕ζ睇堯こちらも同様にコンクリート巻きの崩落が激しい。
53地下壕7入口










地下壕入口。
54地下壕7コンクリート










地下壕Г瞭り口手前には大きなコンクリートの残骸がありました。
55地下壕7内部










地下壕内部。手前側の崩落がひどいですが、奥の方は比較的保たれています。
56地下壕8










地下壕入口。かなり上の方にあり足場的に危険と判断したため道路からの遠景のみ。
57地下壕9入口










地下壕入口。
58地下壕9内部










地下壕内部。ここはコンクリートは巻かれておらず素掘りのままでした。しかしコンクリート巻きの他の壕より崩落が少ないのは皮肉。
59地下壕10入口










地下壕入口。
60地下壕10内部










地下壕内部。こちらも素掘りですが崩落はほとんどなく、両側の排水溝も確認できるくらい状態が良いです。岩盤の質にもよるでしょうけど質の悪いコンクリートをく薄くり巻くより丈夫なのかも。それでも支保工無しは怖い…
61地下壕11










地下壕入口。ここも結構上にあり登るのは危険と判断し道路からの遠景撮影。恐らく地下壕・と同じく素掘りと思われます。
62地下壕A










次に西側の谷の道路へ。地下壕A入口。恐らく地下壕の西口かと。このほかにも東側に入口を開けている地下壕の西口がいくつもあるようですが、前述の通り草で覆われ確認できず。
63未成地下壕1










地下壕Aのある道路の崖下には作りかけの地下壕が3つあります。これは未成地下壕 
64未成地下壕2










未成地下壕
65未成地下壕3入口










未成地下壕F口
66未成地下壕3内部










未成地下壕F睇堯A之,蠅覇口から4~5mまで掘られていました。

鈴鹿海軍工廠関分工場の地下工場は掘られた15本の地下壕のうち2本の地下壕で機銃を生産し2本に旋盤が置かれたとのことで、ほとんどが未完成もしくは使われなかったようです。高山分工場の地下壕もですが、工事が開始されたときはもう遅かったんでしょうね・・・。



besan2005 at 19:24|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
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