戦争遺跡
2019年02月17日
今も残る米軍の機銃掃射の痕。
先日の芦屋市の近代建築探索で見かけた古い塀のある住宅。
戦前のものと思われるこの塀に貼られたタイルは一部が大きく破損しています。
これは戦争中に米軍艦載機による機銃掃射によってついた傷跡です。
※米軍艦載機による日本本土への機銃掃射。
戦争末期、日本本土の制空権を失った日本に対し、アメリカ軍は爆撃機だけでなく空母艦載機の戦闘機による機銃掃射も行いました。それは軍事施設・軍需工場だけでなく民間施設や学校・病院・住宅にも及び、たとえ民間人であろうと女子供であろうと容赦なく狙われたまさに無差別攻撃でした。
※沖縄の現場で見つけ頂いた米軍艦載機が放った12.7mm機銃弾の薬莢。
本来は敵の戦闘機と空中戦の際や敵の車両・建物施設等に使用する強力な機関銃を生身の人間にも向けて撃ったわけです。ドラマ等では普通に撃たれて倒れるシーンが多いですが、本来は撃たれるとバラバラになるくらい威力があります。
存命中に祖父から聞いた体験談で、渥美半島にて小舟に乗って物を運んでいた同僚の兵士が機銃掃射を食らい、敵機が去ったあとその兵士の元に向かうとほぼ肉片になっていて、麻袋で回収したと話してました。
機銃掃射は大都市はもちろん地方の中小都市も含め全国各地で行われました。
その時の傷跡は今でも各地に残されています。
有名なのでは旧日立航空機立川工場変電所などがあり、首都圏や近畿圏の大都市ならば戦前の鉄道の橋脚や橋等今でも多く残されています。
以下、私が撮影した一例。
京丹後市・峯山海軍航空基地旧弾薬庫の機銃掃射の痕。
津市。藩主藤堂家墓地の墓塔に残る機銃掃射の痕。
和歌山市のビルの壁に残る機銃掃射の痕らしき傷跡。
硬い石やコンクリート、そして鉄骨ですら貫通する威力。人体がまともに食らったらどうなるかは容易に想像できます。
非戦闘員に対して無差別に放った強力な機銃弾による機銃掃射。非人道的と言えるこの行為を後世に伝えるためにもこれら本当の意味での「戦争遺跡」は保存していく必要があると思います。
※新たに撮影しましたら画像を追加します。